36,熱と圧力~命令を待つ習慣~
1960年当時の世界的カリスマ思想家「サルトル」がキューバ政府に招かれます。
この章では、サルトルのキューバについてのレポート「砂糖の上嵐」と同行ボーヴォワールの証言から当時のキューバの現状とカストロとゲバラの人間を紹介します。
ハバナの空港でタラップを降りた瞬間、空気が質量を持って私を叩いた。
暑さではない。圧力だ。
湿気がシャツを肌に貼り付け、汗が思考を鈍らせる。ここは欧州ではない。論理よりも先に、肉体が反応する場所だ。
到着ロビーには人の壁があった。
拍手。旗。スローガン。
熱狂的な歓迎だが、そこには「見られる」ことの居心地の悪さがあった。
彼らはサルトルを見ているのではない。フランスからやってきた「権威」を見ているのだ。
車列の先頭に、泥だらけのジープが一台とまっていた。
運転席の男が、無造作に手を上げる。
フィデル・カストロ。
彼は運転手をつけない。
この国の指導者は、ひとまずは誰かに運ばれることを拒絶している。
「この国は指導者自ら運転するなんて――変わった国ね。安全運転でお願いしたいものね。」
皮肉屋の彼女がつぶやく。
これはただのパフォーマンスなのか――。
私はジープに乗り込む。
ドアがない。
カストロがアクセルを踏み込む。
急発進。私の体はシートに叩きつけられる。
思考する暇を与えない速度。
これが、この男のリズムだ。
ジープは未舗装の道を跳ねるように進む。
はるか先に広大な農園が広がっている。
カストロは、アメリカ企業から広大な土地を没収し農民たちに分配したそうだ。それは独裁なのか?解放なのか――。
左右に広がるのはどこまでも広がるサトウキビ畑だ。
甘い匂いはしない。土と、労働と、そして貧困の匂いがする。
カストロは前を見たまま、機関銃のように喋り続ける。
「革命は勝利で終わりじゃない! 勝利のあと習慣の入替が必要だ!」
言葉に句読点がない。
「国を動かすということか?習慣の入れ替えとはどういう意味だ?」
と私が聞く。
「命令を待つ習慣をやめさせることだ!」
ジープが村へ突っ込む。
人々が手を振るが、彼は速度を緩めない。
道路脇の倉庫で、男たちが立ち尽くしているのが見えた。
カストロは急ブレーキを踏む。
砂煙が舞う中、彼は飛び降りた。
歩くのではない。
彼は戦場で指揮をとるようにに突撃する――ように見えた。
「何を待ってる!」
男たちが口ごもる。
資材がない、許可がない、誰が決めるのか……。
カストロは彼らの言い訳を叩き切る。
「よし、今ここで決める!
君が責任者だ! ここにある物を動かせ! 足りなければ隣から借りろ! 紙の許可など待つな!
必要なのは動くことだ! 責任は俺が取る! だから君も取れ! 今からだ!」
男たちが弾かれたように動き出す。
倉庫が開く。荷が出る。怒号が飛ぶ。
停滞していた空気が、一瞬で熱を帯びる。
カストロはそれを見ている。
見守っているのではない。
動かない部分がないか、システムを検査する技師の目だ。
彼がいる場所だけ、時間が倍速で進む。
彼はどうやらパフォーマンスだけの男ではなさそうだ。
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