30話 凪(なぎ)
日本編もクライマックス。
今回は、フィクションっぽい夜行列車説でなく、実史と言われる時系列で描きます。、
【1959年7月24日午前9時 大阪・伊丹空港】
翌日。
俺のワガママは、整然とした日本の官僚機構をパニックに陥れた。
「ヒロシマへ行く」
その一言で、予定されていた神戸の造船所視察はキャンセル。
電話線が焼き切れるほど連絡が飛び交い、急遽、飛行機と宿が手配された。
東京の外交官たちは「アメリカを刺激する」と顔を青くしたが、俺は知らん顔を決め込んだ。
午前9時。
俺たちは逃げるように大阪を離れ、全日空機で西へと飛び立った。
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【同日 正午12時15分 山口県・岩国空港】
プロペラ機が米軍基地と共用の滑走路に降り立つ。
タラップを出ると、瀬戸内の湿った海風が頬を打った。
ここからさらに、車と列車を乗り継いで広島市内を目指す。
移動中、俺は一言も発さなかった。
オマールも、俺のピリピリとした空気を察してか、沈黙を守っている。
窓の外には、のどかな日本の田園風景が広がっているだけだった。
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【同日 午後1時40分 国鉄広島駅】
ホームに降り立つと、数人の男たちが駆け寄ってきた。
連絡を受けて飛び出してきた、広島県と市の職員たちだ。
「よ、ようこそ広島へ……!」
誰もが汗だくで、困惑の表情を浮かべている。
無理もない。
歓迎の横断幕も、ブラスバンドも、花束贈呈もない。
たった数時間前に「行くぞ」と決まった、準備不足の訪問だ。
市長の姿は見えない。
現場の職員たちが、精一杯の愛想笑いで俺たちを取り囲む。
その中に一人、ひときわ日に焼けた、実直そうな中年の職員がいた。彼が案内役らしい。
「まずは、宮島へご案内します。日本三景の一つでして……」
役人がスケジュール表を差し出す。
とりあえず観光地を見せて場を繋ごう、という安易な計算が見え透いていたが、俺は黙って頷いた。
まずは、この国の「平和な顔」を見ておこうと思ったのだ。
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【同日 午後3時00分 安芸の宮島】
フェリーに揺られ、島へ。
海に浮かぶ赤い鳥居。厳島神社。
確かに美しい。東洋の神秘そのものだ。
だが、今の俺にとって、それは絵葉書の中の風景のように現実感がなかった。
参道を歩いている時だった。
一人の女性とすれ違った。
鮮やかな着物を着ている。
夏の日差しを受けて、絹の生地が眩しいほどに輝いていた。
その優雅な歩き方に、俺は思わず足を止め、目で追った。
「綺麗ですね」
オマールが呟く。
ああ、綺麗だ。
この国の美しさは本物だ。平和そのものだ。
この穏やかな海のすぐそばで。
あの美しい着物のすぐ隣で。
ほんの一瞬で――途方もない数が死んだ場所。
この美しさは、何かを隠すための薄皮ではないのか。
「……そろそろ、行きましょうか。」
案内役の職員が、遠慮がちに時計を見て言った。
観光は終わりだ。
彼の目が、少しだけ厳しくなった気がした。
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【同日 午後4時30分 広島市内へ】
再び船と車を乗り継ぎ、市内へと戻る。
車窓の景色が変わっていく。
古い木造家屋から、新しいビルへ。
そして、その先にある、不自然なほど道幅の広い通りへ。
(延焼を防ぐために広げられた防火帯だ、と後に知った)
車がゆっくりと停車した。
「着きました。ここが……平和記念公園です」
役人の言葉が終わる前に、俺はドアを開けた。
蒸し暑い風。
蝉の鳴き声。
広大な敷地の向こうに、骨組みだけの奇妙な建物が見える。
俺は、自分の人生を変えることになる場所に、ついに足を踏み入れた。
このあと、日本が戦後焼け野原から復興した魂にゲバラは触れます。
三話で描くストーリーは明日公開予定です。
少し通説とは別の解釈で描きます。
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