26話 オリーブ色の異邦人
ちなみに東京タワーがたったのはこの直前らしいです。
1959年7月ゲバラ来日
【1959年7月15日 羽田空港】
タラップを降りた瞬間、空気が変わった。
「……なんだ、この湿気は」
思わず口元を覆う。
カリブ海の、あの突き抜けるような乾いた熱気ではない。
まるでスープの中に飛び込んだような、重く、肌にまとわりつく湿り気。
これが、日本の夏か。
「ゲバラ団長、こちらへ、オマール副団長も」
出迎えの男たちが、直角に腰を折って頭を下げる。
黒いスーツに、白いシャツ。
汗一つかいていないような涼しい顔をしているが、額には脂汗が滲んでいる。
俺は、自分の服を見下ろした。
ヨレヨレのオリーブ色の軍服。
腰にはホルスター。
伸び放題の髭と髪。
まるで、この清潔な空港に紛れ込んだ「山賊」だ。
周囲の視線が、好奇心と警戒心の間で揺れているのがわかる。
俺の名は、エルネスト・チェ・ゲバラ。
キューバ国立銀行総裁として、この国に砂糖を売りに来た。
だが、銀行家には見えないだろうな。
(……やれやれ。歓迎はされていないようだな)
俺はニコンS2のシャッターを一度だけ切り、用意された黒塗りの車に乗り込んだ。
※※※※※※※※※※
車は、俺とオマールをつれ、空港を出て東京の中心部へと走り出した。
窓の外を流れる景色を眺める。
俺の頭の中にあった「敗戦国・日本」のイメージは、焼け野原と、飢えた子供たちだった。
だが、目の前の現実は違う。
道路は舗装され、トラックが砂煙を上げて走り回っている。
あちこちで工事の騒音が響き、鉄骨が空へと伸びている。
※※※※※※※※※※
「……おい、オマール。あれを見ろ」
俺は、同乗していた副団長のオマールに声をかけ、窓の外を指差した。
そこには、見慣れた光景があった。
空き地だ。
土埃の舞う広場で、子供たちが歓声を上げている。
手にはバットとグローブ。
白いボールを追いかけて、真っ黒になって走り回っている。
野球。
「キューバと同じだな」
オマールが懐かしそうに目を細める。
そうだ。俺たちの故郷でも、子供たちは日が暮れるまで路地裏でボールを追っている。
貧しくても、笑顔だけは輝いている。
なんだ。
この国も、俺たちと同じじゃないか。
アメリカという巨人に踏みつけられ、それでも泥の中で遊ぶたくましさを持っている。
俺は少しだけ、この国に親近感を覚えた。
ポケットから葉巻を取り出し、火をつける。
※※※※※※※※※※
だが、次の瞬間。
俺の目は、ある一点に釘付けになった。
「……いや、違う」
子供たちの背後。
建設中のビルの足場で働く男たちだ。
彼らの動きには、無駄が一切なかった。
全身から汗を吹き出し、ランニングシャツを泥と油で汚しながら、彼らは叫び、走り回っている。
「オーライ! 上げろ!」
「しっかり縛っとけよ!」
生きている。
ただの労働力じゃない。
彼らの目は死んでいなかった。
誰かにムチで打たれて働かされている奴隷の目じゃない。
「自分たちの国を、自分たちの手で作り直す」
そんな強烈な意思と、誇りのようなものが、汗と一緒に飛び散っている。
子供たちの「無邪気さ」と、大人たちの「熱気」。
その二つが、この湿った空気の中で混ざり合っている。
(……なんだ、この国は?)
たった14年前まで、焼け野原だったはずだ。
全てを失い、占領された国が、なぜこれほどのエネルギーで動いている?
※※※※※※※※※※
俺は、タバコの煙を吐き出した。
車窓の向こうに、とてつもなく巨大な赤い鉄塔が見えてきた。
東京タワー。
昨年末に完成したばかりだと聞いている。
エッフェル塔よりも高いその赤い槍が、曇った空を突き刺すように聳え立っている。
この国には、俺の知らない「何か」がある。
共産主義の理屈だけでは説明できない、奇妙な熱源が。
「……面白くなってきたな」
俺はカメラを構え直した。
どうやらこの旅は、単なる砂糖の押し売りでは終わりそうにない。
車は、湿った風を切り裂いて、灰色の首都へと吸い込まれていった。
当時の東京タワーって存在感あっただろうな。って思いながらかぎました。
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