110,【幕間】36年ぶりの金メダル
日本ではあまり語られることがない公民権運動と反ベトナム戦争が一本化されていく歴史の大きなうねり。 どちらにおいても当事者であり象徴だった『モハメッド・アリ』
彼のストーリーを幕間で紹介します。
一九九六年、アトランタ。
震える手で、俺(モハメド・アリ/カシアス・クレイ)は火を持ち上げる。
国民統合の象徴として。
アメリカは、俺をここへ立たせた。
まるで最初から、俺がこの国の光だったみたいに。
だが、俺は知っている。
光は、最初から祝福なんかじゃなかった。
屈辱と怒りと、名前を奪われたまま勝たされる苦さの中から、ようやく残った火だった。
※※※※※※※※※※
1942年、ケンタッキー州ルイビル。
俺のポッケットはいつも空っぽまった。
勉強をすれば金を稼げるなんて発想自体できない環境だった。
この国で、黒人の貧しいガキが自分の力だけで上へ行くなら、強くなるしかなかった。
強さは金になる。
速さは金になる。
勝てば拍手が金になる。
拳だけが、あの頃の俺に嘘をつかなかった。
だから俺は、強さにこだわった。
勝つことにこだわった。
ただの名誉じゃない。
金だ。
自由だ。
見下ろされない場所へ行くための、たった一つの通貨だった。
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1960年、ローマオリンピック。
俺は金メダルを取る。
アメリカの威信を背負って勝つ。
黒人の若造が、星条旗をまとってこの国の顔になる。
その瞬間だけは、俺もこの国に受け入れられたような気がした。
努力して勝てば、国家は応えてくれる。
そう思いたくもなった。
だが、故郷へ帰ると、世界は少しも変わっていなかった。
ハンバーガー屋で、俺は金メダルを首にぶら下げたまま立っていた。
アメリカのために勝って帰ってきた男が、黒人だというだけで、店のウェートレスにサービスを拒否される。
そこでようやく分かった。
強さは金になる。
だが、国への忠誠心はクソの役にも立たない。
愛国心は腹を満たさない。
名誉は席をくれない。
メダルは差別を止めない。
白人の国のために勝ったところで、黒人の俺が黒人のままであることは何も変わらない。
だから俺は、あれを捨てた。
あの夜の俺にとって、金メダルは勝利の印じゃなかった。
白人の国のために忠実だったという、空しい証拠でしかなかった。
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そのあとで、俺は別の言葉に出会う。
マルコムXだった。
あの男は、勝ってもまだ白い国の奴隷の名前でしかない俺に、まず自分の名前を取り返せと言った。
他人がくれた名前で栄光を受け取るな、と。
奴隷の名前を首から下げたまま英雄になるな、と。
そこで俺は初めて知る。
リングの上で勝つことと、人間として立つことは違う。
国家に認められることと、自分の名前で生きることも違う。
カシアス・クレイという名は、奴隷の首から下げられた札だった。
だから俺はそれを捨てる。
モハメド・アリとして生きる。
それは改名じゃない。
奪われたものを取り返すことだった。
奴隷の名前を捨てて、自分の名前を取り返すことだった。
ここで俺の戦いは変わる。
もう拳だけの戦いじゃない。
黒人として、誰の物語の中で生きるのかを決める戦いになる。
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一九六四年、俺は世界王者になる。
だが、その強さはもう、国家の栄光のためだけには使わない。
黒人の自由のために、俺自身の名前のために使う。
そして一九六七年、徴兵が来る。
国家は今度、俺の身体そのものを欲しがった。
自由のためにベトナムで戦えと言う。
だが俺には、どうしても分からなかった。
俺をニガー(黒人に対する侮蔑)と呼んだのはベトナム人じゃない。
俺を店の外へ追いやったのも、俺の首のメダルを一セントにも変えなかったのも、この国の方だ。
黒人の自由をまだまともに認めもしない国が、今度は自由のために死ねと言う。
そんな話があるか。
だから俺は行かない。
あの戦争は、俺にとって遠い国の問題じゃなかった。
この国が、誰に忠誠を求め、誰の命を先に差し出そうとしているのか、その順番の問題だった。
黒人の若者。貧しい若者。名もない身体。
強いふりをしている国家は、いつだってそういう人間から先に使おうとする。
だったらベトナム戦争は、ベトナムだけの話じゃない。
アメリカ国内の命の重さの話だ。
黒人解放と反戦が、俺の中で一つになるった。
国家の外で別々に燃えていた怒りが、そこで同じ炎になる。
俺が徴兵を拒否した時、この国は俺を裏切り者と呼んだ。
王座を剥がし、名誉を取り上げ、罪人として裁こうとした。
だが、それでいいと思った。
あの頃の俺には、もう分かっていたからだ。
ただ勝つだけでは自由にはなれない。
ただ強いだけでは人間にはしてもらえない。
国に忠実なだけでも、人間にはしてもらえない。
だったら、自分の名前と身体を守るために、国へノーと言うしかない。
その代わりに失うものは多かった。
だが、失ったあとに残ったものだけが、本当に自分のものだった。
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再び――
一九九六年
聖火台の前にいるのは、病に侵された老人だ。
だが観客が見ているのは病じゃない。
国家にノーと言ったあの身体が、いま国家の火を灯しているという逆説だ。
この国は、最後には俺を抱きしめた。
英雄として。
統合の象徴として。
だが、その統合は最初からあったものじゃない。
上から設計された和解でもない。
生身の人間が踏みにじられ、名前を奪われ、差別に耐え、それでも自分の名で立とうとしたあとで、ようやく残った火だ。
だから、この火はただの祝福じゃない。
この国がひとつになろうとするたび、その裏で翻弄される身体がある。
名前を失わされる者がいる。
命の重さを測られる者がいる。
俺は、その側から火を持ってきた。
だからこそ、この光は美しいだけじゃない。
少し苦い。
少し遅すぎる。
だが、それでもこの光は本物だ。
俺は火をつける。
国家に抱かれたからじゃない。
国家に逆らってもなお、自分の名で立ち続けた人間がいることを、この国に忘れさせないために。
このあとベトナム戦争は泥沼に、公民権を手入れることで、これまで州によっては当たり前だった人種隔離が合法になります。
法的な根拠を得た虐げられていた人達は、より明確に自分達の不合理な差別に声をあげるようになっていきます。
モハメッド・アリが伝説になっているのは当事者でありその象徴でリングの以外でもその理不尽と闘っていたからと言われています。(金メダルを川に投げたエピソードの真偽は議論があるそうです。)
次回は本編に。メアリーが帰省で見た景色を描きます。
【お知らせ】長編のエピソードになると思わず連載を開始したので、今、前半を大幅改稿しています。
改稿後はボリュームが二倍以上になり背景もわかりやすく史実に寄せてます。(初めはヒューマンドラマを描く予定でした。)
改稿したものはタイトルに改稿としています。ぜひお読み下さい。(日本編の前まで改稿よていです!)
ジャンルもヒューマンドラマから歴史へ。
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