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109,安全への逃避

政府発表だけでなくテレビや新聞で戦争の様子が明らかになります。

メディアの発達は世論をこれまでと違う速度で変えていきます。

小さな事件があった。


テレビに映ったのは、若い兵士だった。南部訛りの残る声で、泥に汚れた顔のまま、カメラへ吐き捨てる。


「クソ野郎どもが顔を出しゃ、こっちはぶっ殺すだけです。こっちが先にやられるわけにゃいかねえんだ。」


言葉は下品だった。だが、その下品さには奇妙な力があった。

粗野で、短く、単純で、だからこそ画面の向こうへ真っすぐ届いてしまう。

頼もしいと感じる者もいるだろう。少なくとも、そういう種類の映像だった。


会見室の外では、その数十秒の映像が小さな波紋を呼んでいた。


「受けるでしょうね。」


補佐官のひとりが言った。


「受けるが、同じくらい危険だ。」


別の男が低く続ける。


「盛り上がりにもなるが、発火点にもなる――。」


ロバート・マクナマラは黙って画面を見ていた。映像はすでに止まり、兵士の顔だけが奇妙に硬い静止画になっていた。


「だからといって――」


長官はようやく口を開いた。


「前線の兵士の言葉まで、連邦が統制しているように見せるわけにもいかない。」


誰もすぐには返事をしなかった。

それが、この部屋の厄介なところだった。


テレビで流れる世論は、まだ整えることができる。

だが整えすぎれば、別の反発を招く。

前線の若い兵士は、画面の材料である前に、制服組の誇りでもある。

国防省が兵士の荒っぽい言葉づかいまで消毒し始めたとなれば、今度は軍の側がワシントンを信用しなくなる。


「軍全体が粗野な組織だという印象は避けたい。」


マクナマラは言った。


「だが、兵士個人の感情まで検閲していると思われるのもまずい。」


「映像は使うんですね。」


メアリーが、確認するように言う。


「ただし、あれが戦争のすべてではないと示す。」


長官はうなずいた。


「必要なのは、下品な一言を消すことではありません。

あれより大きい構図を見せることです。

遠く離れた土地で、肌の色に関係なく、自由主義を守るために戦っている。その構図を崩さないことです。」


その言い方は冷静だった。冷静で、だからこそ疲れていた。

ワシントンで長い時間を過ごしすぎた人間だけが持つ、乾いた疲れだった。


メアリーもまた、疲れていた。

公民権法制の前進。アバラマの映像。ベトナムの会見。地図。数字。記者。議会。

国を支える言葉を、毎日少しずつ磨き続ける仕事は、思っていたよりも神経をすり減らす。

だが彼女はまだ、その理屈の内側にいた。

国内では法で前へ進み、国外では国家の意思を示す。

その二つを同時に見せ続けることで、この国は持ちこたえるのではないか。

少なくとも、その時の彼女はまだそう思うことができた。


※※※※※※※※※※


だが、テレビの外側には、もう別の人間たちが集まり始めていた。


戦場カメラマンたちだった。

西側の記者たちは、会見室の空気ではなく、その外側の匂いを嗅ぎつける。

政府が説明している戦争の裏に、まだ本当の戦争がある。

地図に載らない顔。

会見で整理されない沈黙。

兵士の荒っぽい言葉よりもっと深い場所で、人間を動かしてしまう何か。

そこにこそ本当のニュースがあると、彼らは知っていた。


彼らが追うのは、作戦の成功ではなかった。

説明からこぼれ落ちる一瞬だった。

兵士の疲れた眼。

村の沈黙。

逃げる者の背中。

国家の理屈が届くより先に、人間が反応してしまう瞬間だった。


そして、その一枚が現れる。


戦場カメラマン沢田教一の

《安全への逃避》


爆撃から逃げる母親と子どもたち。

そこに写っているのは、敵でも味方でもない。

爆撃から子供と自分の命を守るために川を渡る母子。

巻き込まれ、逃げる側にならざるをえなかった泥にまみれた家族だった。


※※※※※※※※※※


メアリーはその写真から目を離せなかった。


アバラマで橋の上で追われた人々の姿が、そこに重なる。

血の日曜日の行進者たち。

法が通ったあとも、空気の中で身を縮める黒人たち。

そして前線へ送られていく南部の貧しい若者たち。


その時、彼女の中で問いが変わる。


ベトナムの問題は、ベトナム人の命だけではないのではないか。

この国は、結局だれの命を先に危険へ押し出すのか。

だれが前へ出され、だれが安全な部屋で地図を見ていられるのか。


それは、まだ声に出せる問いではなかった。

だが、いったん形を取り始めた問いは、簡単には消えない。


同じ頃、ふるさとから届く噂も、その問いを濃くしていった。


法が通ったあと、むしろ空気が硬くなっていること。

これまで曖昧だった敵意が、あからさまな言葉になり始めていること。

そして酒場や食卓では、前へ送られるのは黒人や南部の貧しい若者ばかりだ、と囁かれていること。


それが統計としてどこまで正しいかではない。

そう囁きたくなるだけの現実の偏りが、たしかにあるということだった。


肌の色。

育った土地。

家の貧しさ。


そういうものが、命の優先順位として選択されたとき、ベトナム戦争は遠い国の問題ではなくなる。

公民権の問題とも、ふるさとの問題とも、同じ根でつながってしまう。


国民は、なお国家の輪郭を守ろうとしていた。

だからこそ映像を必要とした。

だからこそテレビを手放せなかった。

この国がまだ一つの物語の中にいるのだと、見せ続けなければならないからだ。


だがメアリーには、その説明の限界が見え始めていた。


テレビの中では、まだ戦争を説明できる。

兵士の荒っぽい顔までは、まだ正義の苦労として回収できる。

だが写真は違う。

写真は、国家の側で話してくれない。

ただ、そこにいる人間の身体を突きつけてくる。


そして、その身体の方が、ワシントンの言葉より正しいこともある。


メアリーはふと思う。

写真家たちが現場の匂いを嗅ぎつけてベトナムへ集まったように、自分もまた、ワシントンの外へ出なければならないのではないか。


ふるさとへ帰って、その空気を自分の目で見なければならない。

法のあとで、あの土地がどんな顔をしているのか。

国家の言葉が本当に届いているのか。

それとも、もっと別の感情が、静かに膨らんでいるのか。


家族の温もりが、無性にほしくなった――。


それと同じくらい、ふるさとの沈黙が何を隠しているのか、確かめたかった。

政府発表と違う戦場マスコミは戦争の現実を国民に見せていきます。安全への逃避は、教科書にものっていた記憶があります。

そして、戦争と国内問題が次第に一体化していきます。


【お知らせ】長編のエピソードになると思わず連載を開始したので、今、前半を大幅改稿しています。




改稿後はボリュームが二倍以上になり背景もわかりやすく史実に寄せてます。(初めはヒューマンドラマを描く予定でした。)


改稿したものはタイトルに改稿としています。ぜひお読み下さい。(日本編の前まで改稿よていです!)


ジャンルもヒューマンドラマから歴史へ。


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