暗号は誰が作ったのか 2
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翌朝、メアリに頼んでル・フォール伯爵家の見取り図を手に入れたアリエルは、それを持って廊下を歩いていた。
『今はない深い深い水の底』という文章が表すものが、昔は水であふれていたが今はなくなった、という意味でないのならば、文章を分けて考えてみようと思ったのだ。
(とりあえず、今はない、と深い深い水の底の二つに分けてみよう)
今はない、ということは、ル・フォール伯爵邸が建った当初はあったけれど、今はなくなったものを指すと仮定する。
八十年前に建てられて以来景観はさほど変わっていないとジェラルドは言ったが、八十年間まったく変化がないというわけではあるまい。
「メアリ、八十年前にこの邸ができた時の見取り図とかもあるかしら?」
「それでしたら、書庫に置いてあると思います」
書庫……と呟きながら見取り図を確認すれば、二階のジェラルドの書斎の近くにそれらしき部屋があった。
書庫の扉には鍵はかかっておらず、ドアノブをひねればすんなりと開く。
小さな明り取りの窓と、日差しが本に当たらないように計算されて並べられている無数の本棚。
床にはモスグリーンの絨毯が敷かれており、湿気が籠らないようにするためだろう、天井付近に小さな通気口のようなものもある。
本を置くことを前提に作られた部屋のようだった。最初から、ここを書庫にすると決めて建築されたのだろう。
「伯爵家に関連する資料は奥の棚です。こちらですよ」
メアリに案内されて、アリエルは本棚と本棚の間を進んでいく。
ロカンクール伯爵家もそうだが、歴史のある貴族は、家が興ってから今日までの資料を大切に残していることが多い。
メアリが案内してくれた棚の中にも、家系図や、ル・フォールの歴史を記した日記のようなもの、昔の肖像画や、果ては当時の国王陛下からの直筆の手紙まで収められていた。
その中から、伯爵邸が建った八十年前の見取り図を探し出し、少しだけ脆くなった紙を傷つけないよう、慎重に開く。
今の見取り図と見比べながら、アリエルは昔に存在して今はなくなっているものを探した。
「当時はここに馬小屋があったのね」
「そのようですね。現在は邸の裏手に移動しております」
「温室もあったみたい」
「こちらは、四十年ほど前に嵐で倒壊し、使わないからと取り崩したと聞いております」
ほうほうと頷きながら、アリエルは見取り図を確かめていく。
伯爵邸は、大きなシンメトリーの屋敷のほかに、邸の隣に尖塔、それから広大な庭と、四阿、裏手に馬小屋と馬たちを遊ばせる小さな運動場がある。
八十年前は、馬小屋がある裏手は小さな果樹園だったようだ。
「屋敷の隣に尖塔って、珍しいわよね」
「お屋敷が建てられた八十年前は、隣国との関係が悪化していた時期ですので、見張りのために作ったのだと思います。その当時に建てられた他の貴族のお屋敷にも、似たようなものがあるのを見たことがございますから」
なるほど、万が一隣国兵が攻め入ってきたとき、いち早く王都の危機を察知するための見張り台として作ったというわけか。
「現在は尖塔の入り口に鍵がかけられ、使用されておりませんね。てっぺんの見張り台のところに、からくり時計があると聞いたことがあるのですが、外からは見えませんので、わたくしは確かめたことはございません」
「からくり時計!」
八十年前に作られたからくり時計なんて、きっととんでもない値打ちものだろう。思わずごくりと喉を鳴らしてしまう。
時計が置かれているのは、見張りをしている人間が時間を把握するためだろうと思われるが、それがからくり時計なんておしゃれである。
「でも、そうね。当時あって今はないものは馬小屋と温室だけど、水とはあんまり関係なさそうね。……って、あれ?」
アリエルは八十年前の見取り図の裏庭の部分に小さな丸が描かれているのを見つけた。
しかし今の見取り図にそれはない。
「メアリ、これはなにかしら?」
「さあ、存じ上げません。何かの汚れではないですか?」
「ううん、これはインクのあとだから、この丸が書かれているのは間違いないと思うの」
……気になる……。
何を指しているのかはわからない丸。昔はあったけれど今はなくなっているのならば、もしかしたら暗号が示す先かもしれない。何故なら馬小屋や温室は、なんとなく違う気がしているからだ。
「メアリ、行ってみましょう」
「それは構いませんが、外ですのでコートを着て行きましょう。初冬とはいえ風は充分冷たいですからね」
それもそうだなと、アリエルは一度部屋に戻りコートを羽織ると、八十年前の見取り図に描かれていた丸が示す裏庭へ向かった。
「確かこの辺……あ! あれじゃないかしら?」
裏庭の端に、ひっそりとたたずむ土汚れた煉瓦の丸いものを発見し、アリエルは足を止めた。
蓋がされているが、どうやら昔使われていた井戸のようである。
上下水道が完備した王都では、井戸はほとんど使われなくなっているので、この井戸も蓋をされたのだろう。
(深い深い水の底……井戸のことかもしれないわ‼)
今はない、とは今は使われていないと言うことを指すのならば、可能性としては充分ある。
「メアリ、この中を調べましょう!」
「え⁉」
メアリがびっくりした声を上げたが、アリエルは気にせず、井戸の蓋に手をかけようとする。メアリが慌てて止めてきた。
「待ってください! まさかご自分で調べるつもりですか? 井戸は深いんです。もし、落ちたりしたら……!」
「でも、水の底、だからこの底を調べないと」
「そこまで降りるつもりですか⁉」
「うん。たぶん、縄梯子とかついていると思うから、大丈夫だと……」
井戸の中に入ったことはないが、木に登って果物や栗を落としたことはある。何とかなるだろうと言えば、メアリはぶんぶんと首を横に振った。
「いけません。調べたいのであれば、使用人が代わりに調べます。わたくしは人を呼んで来ますから、ここで待っていてください。いいですか? 決して、勝手に井戸の中に入ってはいけませんからね!」
「わ、わかったわ……」
穏やかで冷静なメアリが強い口調で念押ししてきたので、アリエルは気おされたように頷いた。
メアリが小走りで駆けていく。
しばらく待っていると、数人の男性の使用人と、それからジェラルドがやって来た。
「手掛かりを見つけたと聞いたが」
「は、はい。正しいかどうかはわかりませんけど、井戸の底が怪しいなと思ったんです」
「井戸か。……こんなところに使われていない井戸があったんだな。知らなかった」
(知らなかった?)
ということは、ここは暗号が示す先ではないのだろうか。
ジェラルドが暗号を作ったのならば、その暗号に記されている場所を知らないなんてことはないはずだ。
それなのに、ジェラルドは使用人たちに井戸の底を調べるように言う。
(どういうこと?)
あの暗号は、ジェラルドが作ったものではないのだろうか。
男性の使用人たちが井戸の蓋を開けて、ランタンで中を照らした。
一人が小石を井戸の中に入れると、しばらくしてカツンと音がする。井戸の底に水は溜まっていないようだ。
「縄梯子は古くなっているだろうから新しいものを使え。途中で切れたら危ないからな」
ジェラルドの指示で、使用人が新しい縄梯子を用具倉庫に取りに行く。
井戸の近くの木の幹に縄梯子の端をしっかりと結び付け、その後、縄梯子が井戸の中に足らされた。
二十歳くらいだろうと思われる細身の男性使用人が、小型のランタンを片手に、ゆっくりと縄梯子を降りていく。
「気をつけろよ」
「足を踏み外すなよ。ゆっくり降りろ」
上から見守る使用人たちが心配そうに見守っていた。
万が一足を踏み外したときに落下しないように、腰には安全措置として縄が括りつけられているが、井戸の壁は石でできている。足を踏み外せば怪我は免れない。
十五分ほど経っただろうか。
井戸の底から「到着しました」という声が反響して聞こえてきた。
「何かあるか?」
ジェラルドが井戸の中に向かって声を張り上げる。
「ええっと、ちょっと湿っているくらいで水はないです。横に少し広いですが……これと言って変わったものは……」
「魚の形をした何かはないですか?」
アリエルも井戸の中に声を張り上げた。
「魚ですか?」
「そうです! 石でも木でも、何でもいいんですが魚をかたどった何かが落ちてないですか⁉」
何故なら次の一文は、『忘れられた魚が求める先』だからである。一文目と二文目が繋がっているのならば、一文目が示す先に魚を連想させる何かがあってもおかしくない。
「調べて見ます。少々お待ちください!」
井戸の底は入り口よりもよほど広いようで、カツカツと靴の音が反響して聞こえてきた。
二、三分くらいして、井戸の底から「ありました!」と声が聞こえてくる。
「魚のような形の石があります!」
「大きいですか?」
「いえ、手のひらサイズです。このまま持って上がれそうですので、持って上がりますね!」
「お願いします!」
アリエルは井戸に向かって叫んだ後で顔を上げた。
「あったみたいです!」
「そうだな。こんなに早く見つかるとは思わなかった。長年住んでいると、逆に気づけないものなんだな……」
ジェラルドがほんの少しだけ茫然としたようにつぶやいた。
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