暗号は誰が作ったのか 1
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今はない深い深い水の底。
忘れられた魚が求める先。
海賊が攫った姫の宝。
姫の宝を元の位置に戻したとき、止まった時間が動き出す。
ジェラルドから預かったカードを眺めながら、アリエルは唸っていた。
ル・フォール伯爵家の二階の客室。
ここが、この暗号を解くまでアリエルに貸し与えられた部屋である。
(そもそも、なんでこんな暗号を解くことが、結婚の条件になるのかしら?)
馬鹿は嫌いだとジェラルドは言った。
馬鹿かどうかを判断するのが目的ならば、このような暗号でなくとも、教養問題を出して解かせればいいだろう。
それに、アリエルは別に頭がいいわけでも何でもないのだ。ジェラルドの基準をクリアしているかどうかもわからない。
そう考えると、この暗号を解かせる理由は、馬鹿かどうかを探るのとは別の何かがあるような気がしてきた。
だが、それは何だろう。
この暗号を作ったのがジェラルドでならば、暗号が示す先に、ル・フォール伯爵夫人として必要な何かがあるのかもしれない。
逆に、この暗号を作ったのがジェラルドではない場合はどうだろう。
ジェラルド自身、この暗号の答えを知らないのだとしたら?
(って、それなら答え合わせができないじゃない。あり得ないわね)
とにかく、この暗号を解いた先に彼が結婚相手に求める何かがあるはずだ。
「まずは、『今はない深い深い水の底』の一文よね」
「精が出ますね。ですが、そろそろ夕食ですよ。着替えましょう」
暗号文をじっと見つめていると、アリエルの世話を任されたメアリが微笑んで声をかけてきた。
「着替え?」
「ええ。晩餐用のドレスに」
(晩餐用のドレス……)
お金持ちの貴族とは晩餐のためだけに着替えるのかと、アリエルは絶句した。
そして、非常に申し訳ないのだが、持って来たトランクの中に、晩餐にふさわしそうなドレスなんて入っていない。入っているのは普段着ているくたびれたワンピースと比べると、ちょっぴりよそ行きの、けれども古いドレスだった。母のおさがりだ。
アリエルの一張羅のドレスですら、古臭いだのなんだのと他の令嬢に馬鹿にされたのだ。それよりも古いドレスを着て晩餐に臨んでいいものか。
アリエルが視線を落として考えていると、メアリがクローゼットを開けた。そこには華やかなドレスが何着も収められている。
「華奢でいらっしゃるので、少しサイズが大きいかもしれませんが、ひとまず本日はこの中から選びましょう。旦那様より滞在費を預かっておりますので、明日あたりにアリエル様に合うドレスを購入しましょうか。既製品にはなりますが、ここにあるサイズの合っていないドレスよりはましでしょう」
アリエルは目をぱちくりとさせた。
「メアリ、そのドレスを借りていいの?」
「こちらはもともと、旦那様が滞在されるお嬢様のために用意したものです。もし旦那様のお眼鏡にかなえば、暗号が解けるまで滞在していただくので、必要になるだろうと」
(お金持ちの気配り、すごい……)
既製品だろうと、ドレスは高いものだ。
しかも、明日にはアリエルの体型に合うドレスまで買ってくれると言う。
いいのだろうかと不安になったが、着替えがないのは本当なので、好意は素直に受け取っておくことにした。
メアリに着替えを手伝ってもらい、髪を結いなおして、アリエルは一階のダイニングへ向かう。
ジェラルドはすでに席についていた。
「あの、ドレスありがとうございました」
「気にしないでいい。急に滞在することになったのだから、用意していなくても当然だ」
「そのことなんですけど、領地の父に連絡を入れたいんですが。そうしないと明日迎えに来そうで……」
席につきながら手紙を書いてもいいかと訊ねれば、ジェラルドは首を横に振った。
「それについては、すでに連絡を入れさせてもらった。ひとまず十日分の銀貨十枚も一緒にな」
(銀貨十枚!)
そして十日とは。ジェラルドは十日程度ではあの暗号が解けないと踏んでいるに違いない。
(でも、お父様たち驚いただろうなぁ)
どんな説明がなされたのかはわからないが、アリエルがしばらくル・フォール伯爵家に滞在するという連絡とお金が一緒に届けられれば、一体何があったのかと心配するかもしれない。
「自分で説明もしたいだろうから、君が家族に手紙を書くのは構わない。ただし、暗号について助言を求めるのは困るので手紙を出す前に中身を改めさせてもらうが、それでもいいのなら」
「ありがとうございます」
手紙を見られるのは少し恥ずかしいが、家族に連絡できるのはありがたい。
ジェラルドと話している間に、ダイニングの長方形のテーブルの上に料理が運ばれて来た。
まずは前菜とスープ、それからパンが配られる。
(うちの夕食はこの前菜とスープとパンのレベルで完結なんだけど、そのあとにメインディッシュやデザートがあるなんて、さすがね)
美味しい食事が食べられるのは嬉しいが、家族に後ろめたさも感じる。自分だけ美味しいご飯を食べてもいいのだろうか、と。
(あ、そういえば、銀貨を届けてもらえたとはいえ、料理ってどうするのかしら。お母様は無理よ。困った……)
「どうかしたか?」
思案顔でうつむけば、ジェラルドが訊ねてきた。
彼は常に気難しそうな表情をしているが、気配りができる紳士のようだ。ドレスといい、家族への連絡といい、今といい、アリエルに気を使ってくれているのが伝わって来る。
「いえ、その……お恥ずかしいことに、我が家は困窮していまして、料理人がいないんです。わたしがここに滞在する間、家族の食事はどうなるのかしらと気になってしまって」
ジェラルドは想定外のことを言われたと言わんばかりにきょとんとし、それから執事を振り向いた。
執事が微笑んで頷く。
「我が家の料理人を一人向かわせておきましょう」
「そうしてくれ」
「え⁉ さ、さすがにそこまでしていただくのは……!」
いくら何でも図々しすぎるだろうと思ったが、ジェラルドは首を横に振った。
「滞在が長引いたのはこちらの都合だ。気にする必要はない」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
いいのかなぁと思いつつ、ありがたいのは本当なので素直に礼を言うことにした。
アリエルがル・フォール伯爵家に滞在中、家族がパンと水だけで生活していたなんてことにならなくて本当によかった。
(あーでも、料理人の人驚くだろうなぁ。庭がジャガイモ畑だもんね)
心の中で、ロカンクール伯爵家に向かわされる使用人に合掌しておく。規格外の変な貧乏伯爵家で仕事をさせられることになって、本当に申し訳ない。
「それで、暗号について進捗はどうだ? 今日の今日だからまだ何もわからないだろうが、質問があれば答えよう」
(あれ? ヒントをくれるってこと?)
思いもよらぬ提案に、アリエルはパンを咀嚼しながら顔を上げた。ごくんと飲み込んでから口を開く。
「ええっと、それでは……あの暗号が示す場所は、ル・フォール伯爵家の敷地内でしょうか。それとも、敷地外も含まれるんでしょうか」
「敷地内のはずだ」
(はず?)
また、妙な言い回しだと思いながら「よかったです」と頷く。
この国全土から暗号の場所を探せなんて言われたら途方もなさすぎてわかる気がしない。
まあ、ル・フォール伯爵家の敷地内も充分広いので、この中から探すのも大変ではあるのだが。
「他にはなにか?」
「じゃあ……最初の『今はない深い深い水の底』についてですが、その文章の通りなら、かつて水が合って今はないところを指しているのだと思うんですが、そのような場所はありますか?」
「ないな。庭はあの通り、表に噴水があるだけだ。この邸が立った八十年前から、景観はさほど変わっていない」
「そう、ですか」
では、暗号通りに受け取ってはだめなのだろうか。
「この邸の中はメアリを同伴すればどこであろうと自由に歩き回って構わない。他に気になることがあれば俺に訊いてくれても構わない。健闘を祈る」
「は、はあ……」
口調は淡々としていたが、アリエルはわずかな違和感を覚えた。
まるで、ジェラルド自身が暗号の答えを知りたがっているように聞こえたのだ。
(本人も答えを知らない? まさかね……)
これは、ル・フォール伯爵夫人になれるか否かのテストのはずだ。
テスト出題者がテストの答えを知らないなんて、そんな馬鹿な話はない。
アリエルは、ふわふわでもっちりしている白パンを口に入れながら、まずはこの伯爵家と庭の見取り図を借りられないかと考えていた。
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