14.平民ディノの楽しい夏休み⑤
「子供の頃から長く側に居たわけでもない側近が、王子の考えも読み解けず、国のことも貴族のことも知らなくて、価値がありますか?」
「――――さあ?」
ハヤテの頼りない言葉に、先生は軽やかに言った。励ます言葉になるかと思ったおれは驚いて、同じく思ったらしいサラサと目が合ってしまう。
「側近の地位は立派なものですが、その価値がなんなのか、というと難しい。判断を下すのは王子や国王がするものですし、指示の先で実際に動くのは臣下です。側近が居なくても政は行えるように見える。――――でも、そう見えるだけで、実際には居ないと困ってしまうらしいです」
「居なくても良いはずの側近が、居ないと困る……そこの間に、価値がある」
「ええ。私が仕えていたセラも――――失礼。セラ王子も、優秀な方です。それでも今は側近を三人は連れているはず。彼なりに見出して、必要だと思っているから側近を据えているんだと思います」
「先生は、なんで側近を辞めたんですか?」
「そうですね……これも後付けの理由がいくらでも出て来るので、正直自分でも上手く説明が出来ません。セラ王子を嫌いになったとか、なんらかの失望するようなことがあった訳ではないですが。――――だからハヤテくんも、側近じゃない自分にはもう価値がない、なんて極端な考えはしないでください。第一王子の側近を辞めた人間も、可愛い生徒と夕食を囲むくらいには、楽しく生きていますから」
おれは、「側近として十分頑張っている、立派だ」とハヤテを励ますことしか考えてなかったが、先生はなんだか、側近以外の道もあると伝えているように見える。
しんどいなら辞めてしまえばいいのに、とはおれも思ったことだが、単純にそういうことでもないのは分かる。ハヤテが本当に側近の仕事を手放したいと思っているのかどうかくらい、誰でも分かるからだ。
多分、カイ王子にもそれは分かっているんじゃないのか。
それでも王宮に連れて行かなかった理由がきっとある。それは、他の誰でもない、ハヤテには聞く資格のあることだと思えた。
「ありがとうございます。変な遠慮なしに、話してみます。意図を汲まない側近なんて要らない、と言われたらその時考えます」
やっと、ハヤテがいつものように笑った。
先生がメイドさんに声を掛けて、良い香りのお茶が淹れ直される。フルーツや焼き菓子がやけに甘く感じられるのは、ただ食べ慣れないことだけが理由でもないだろう。
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翌日から始まった夏期講習は、座学も少しはあったが、外で過ごすことも多かった。
おれとサラサの故郷では、山羊や羊なんかはいるが、馬はあまり居ない。もし貴族と関わるのなら乗馬は出来た方が良いと、先生が直接教えてくれた。
「ハヤテは、乗馬が得意なのね!」
そう言えばハヤテは、ヘレネの集いでも先頭を走り、カイ様を庇ったんだったか。
「ハヤテ君、敷地の地図は頭に入ってますよね?せっかくなので、村の入り口辺りまで行って戻ってきてください」
「私達も、頑張って練習しておくから!」
ヴォイド先生がおれとサラサに付きっきりの間、手が空いたハヤテは馬と少し走ることになった。たまに考え込んでいる姿はあるが、乗馬している表情は思ったより落ち着いて見える。気晴らしになるといいんだけど。
そんなハヤテだが、暫くして戻って来ると、少し辺りが騒がしくなった。
「――――ケガですか」
「え!ハヤテ、大丈夫?」
「いや、オレじゃない。そこの道でデカい馬車の御者が足を怪我したみたいで、立ち往生していて。流石にオレ一人で操れる感じの馬車じゃなくて」
「わかりました。うちの者を行かせるので、ハヤテくんの背に乗せて案内して貰えますか」
「はい」
バタバタとしたやり取りの後、ハヤテが連れて来たのは、ケラールトと名乗る青年だった。大きな荷馬車と高級そうな布がたくさん積まれた荷台を見て想像したより、若い。
「急ぎの荷だからって、無理に一人で来たのが良くなかった。僕はいつもこうなんだ」
痛み止めで気が紛れたのか、ケラールトはブツブツと感情を吐露する。
「まあでも、怪我は仕方ないでしょう。暗くなる前で良かったです」
ゲストルームで、先生が慰めるように言った。
「何処まで荷物を運ぶ予定だったんですか?」
「グランド家というお屋敷で、そろそろだったと思うんですが……」
「グランド?」
ヴォイド先生が、おや、という表情をする。
「それなら、ウチですね。私はヴォイド=グランドと言います。この屋敷は別荘ですが、この辺のグランド家と言えば此処です」
「え!」
ケラールトは、謝罪混じりに狼狽しながら地図を懐から出した。何気なくそれを覗き込むと、先生はふむ、と一つ頷いた。
「これ、古い地図ですね。印を付けているこちらは、土地の整理でうちのものでは無くなっています。荷主はどなたですか?」
「あ――――いえ。僕は詳しく聞いてなくて」
「そうですか……」
地図が古い上に怪我までして、なんて不運な人なのかと同情が募る。ハヤテがたまたま見つけてくれて良かった。
「今夜はこちらで休んでください。馬も調子が良くなさそうですし、休ませた方がいい」
「はい、ありがとうございます。グランド様のお屋敷にご迷惑を掛けるなんて……」
おれ達は学園で、ヴォイド先生としてしか見ていないが、グランド家はやはり貴族としてよく知られているんだなと感心する。
恐らく商人の雇われ人であろうケラールトからしたら、大事なお客さんでもあるはず。緊張するのも無理はない。
翌朝になってもケラールトの怪我は荷馬車を動かせるほどには回復せず、先生の家の使用人が送って行く案が出ていたようだが、結局は手紙を書いたらしい。雇い主がこのお屋敷まで迎えに来てくれることになったという。




