14.平民ディノの楽しい夏休み③
「あ、リス!ねえ、ほら」
サラサが明るい声で、話題を切り替えた。
指の先には確かにチョロチョロ動き回る尻尾が見えて、おれも思わず頬が緩む。
「木登りでもして捕まえるか?」
「あはは。やりたいけど、この服汚したら、お夕食に制服着て参加することになっちゃう」
「じゃあ、ほら」
「え、わぁッ!」
おれはうっかり、勢いのままサラサを抱きかかえた。リスが居た場所に近付けてやりたい気持ちだけだった。
当たり前だが、サラサの顔が近い。それに、子供の時とは違う触り心地に、自分でやっておきながら驚いてしまった。
「わ、わ、リスさんこっち……そうそう。ディノ、見て見て」
サラサがおれの腕の中で、子供時代と変わらぬ笑顔でキャッキャとはしゃいでいる。心臓の音を聞かれないかと、背筋はヒヤヒヤしてるのに、頬が熱くて仕方ない。
「ディノ?」
「可愛いな……」
「うん!」
今日のサラサは、ネリィ様に貰ったというワンピースを着て、髪型もいつもの二つ結びではなく、後ろで髪飾りで留めている。ヴォイド先生の別荘に来るのに合わせて、道中もずっと服装が失礼じゃないかと気にしていた。
どんどん変わっていく幼馴染みが、嬉しいけど寂しかった。
「サラサはさ、王立図書館の司書が夢だって言ってたよな。今もそうなのか?」
「どうしたの、急に」
「ほら、ハヤテが側近を目指してるみたいに、サラサも色々考えてるのかなって……」
少し離れ難い気持ちもあったが、リスがサラサの肩から枝に戻ったのを見届けて、ゆっくり地面に降ろした。
「色々……そうだね、考えちゃうことはある。本は大好きだし、王立図書館は憧れで、それは変わらないの。でも、生徒会やヴォイド先生の授業を受けながら、決めつけちゃうのも良くないかもって思い始めてる」
降ろしたサラサに向き合うと、リスが触ったのか、頬が少しだけ汚れていた。口で言えばよかったと気付くより先に、手が勝手に動いて、指先でそっと拭っていた。
子供の時からそうしていたみたいに、顔に付いたものを拭うだけ、とすぐに理解したんだと思う。サラサは無防備な表情で、おれが頬に触れるままに任せていた。
柔らかな頬の感触と、あどけない表情にまた、鼓動が速くなる。雑に拭って、慌てて離れた。
「ありがと。――――ねえ。ディノも、諦めたり、考えないようにしていることって、ない?」
その文脈が、将来のことの話だと言うのは分かってる。でもたぶん、おれが今一番に諦めたり、考えないようにしていることなんて、サラサへの気持ちくらいだ。
「――――色々、ある。でも、そうだな……おれも、実家をただ継ぐだけと思わず、考えた方がいいのかもな。ハヤテに誘われてつい参加したけど、せっかくヴォイド先生も色々教えてくれるし」
視線を逸らして早口になったおれに、うん、とサラサは柔らかく微笑んだ。
日が暮れ始めたことに気付き、おれ達は並んで屋敷への道を戻った。手を繋ぎたい気持ちだけは、なんとか抑える事ができた。
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部屋に戻るとウズウズしてしまい、おれは早速ハヤテに話した。
「聞いてくれ!」
「なんだ?」
「あーっと、その、なんだ……リスがいた」
「リス?……リス!?」
誰かに聞いてほしい気持ちが先走ったが、サラサを抱きかかえてしまった話なんて、流石に同級生にしてはいけないと思い留まる。淑女がどーたらと、課外授業でも聞いた話だ。そのせいで変な間になり、言える話だけにしたところ、子供のような報告になってしまった。
ハヤテはおれの想定よりも、かなり大きな反応を示した。「あ、あぁ、リスが居た。教えてもらった湖の近くに」
「サラサと見た……のか?」
「そう、だけど……」
何かまずいことでもしたのかと思うくらい、ハヤテは怪訝な顔をしている。
ブツブツと何か呟いているが、すちる、とか、ふらぐが、とか、相変わらず知らない単語でよく分からない。
「ハヤテも、リスが見たかったのか?明日、サラサと一緒に行くか」
「あぁ……そう、だな。リス……って、珍しいか?」
「まあ、そうだな。学園や王都では見掛けないし……」
「だよなぁ……そんな居ないよなぁ」
「おれ達だけ見ちゃって、悪かったな」
「いや、それは全然いい。ディノは悪くない」
言葉とはチグハグに、ハヤテの表情は暗い。おれは、何か変なことまで話してしまったんだろうか。
「ハヤテ……?」
「大丈夫、大丈夫だ。夕食に行こう」
まるで自分に言い聞かせるように、フラフラとハヤテは歩き出す。戸惑いつつも言葉が見つからず、おれもその後ろに続いた。




