06.告白!無欲な転生者①
「お加減は如何ですか?」
「だいぶ良くなりました、ありがとうございます」
ロッテに薬を飲んだ後の水を渡し、オレは頭を下げた。
ヘレネの集いで負傷したオレは今、カイの屋敷に居た。
この世界には、病人が入院するという仕組み自体がないらしく、落馬の後にネリィの別荘でお抱え医師による治療を受けると、そのままカイの屋敷へ連れて来られた。
最初は遠慮する気持ちが先に立ったが、
「寮では、ハヤテを世話できるような環境もないんじゃないか?」
というカイの言葉を受け、大人しく好意を受け入れることにした。
背中を強かに打ったが、幸い重めの打撲で済んで、湿布のようなものを貼りつつ飲み薬での治療となった。
腰にもダメージがあり、正直座るのが辛い。
広いベッドは、リクライニング機能はないまでも大きなクッションがあり、短い時間なら身を起こすことができる。
適宜シーツを替えたり、食事を運んで貰えたり、至れり尽くせりの個室入院みたいな状態だった。
「食欲がおありなのが、何よりです。あまり噛むものは背中に響きそうなので、夕食は魚料理にすると料理長が申してました」
「魚ですか、楽しみです」
カイのメイド達は気さくで、申し訳ないくらい良くしてくれる。
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落馬した翌朝目覚めた時には、メイド長のマーベルが居て、オレに深々と頭を下げた。
「カイ様をお助けいただき、本当にありがとうございます」
色々言いたかったが、背中の痛みもあり、
「お役に立てて良かった」
とだけ返す。
やがて薬を飲んだり食事をしたり、体を拭いて貰ったりと、丁寧に看護をしてもらう内に、長めの会話が出来る程度に落ち着いてきた。
カイがいると気を遣うだろうということで、初日と翌日はマーベルとロッテだけが部屋に出入りしていた。
「カイ様の馬に事故があったと聞いて、私たち血の気が引いたんです。マシュウさんもエリクさんも動揺してて、言葉足らずなんですもの。……あ。ハヤテさんだから良かったという訳ではないですよ、ほんとに!」
「いや、大丈夫です。カイ様は王子だし」
「公示のこともあり、カイ様は敵が多いんです」
「敵?」
「あ、えーっと、その、なんだったかしら」
「ロッテ。あやふやな情報で、なんてことを言っているのですか」
「すみません!でも、ハヤテさんには知っていて欲しいじゃないですか」
「……だとしたら、余計に中途半端な情報では誤解を生みます。カリナに釣られて噂話ばかり、よくないですよ」
シュン、と肩を落としながら、しかしロッテはテキパキと手を動かして、ベッドのシーツを替えてくれた。
洗い物を持って部屋を出ていくのを見送ると、マーベルが詫びるように頭を下げた。
「カイ様が気にされないからと、どんどん砕けてしまって、お恥ずかしい限りです」
「オレには有り難いので、気にしないでください。それより、さっきの敵というのは?」
あの真面目で大人しいカイには、あまりにそぐわない言葉だった。
「お分かりのとおり、お人柄によるものではありません。カイ様は今、難しい立場にいらっしゃいます。王位継承順位がこの年齢で変わったことで、排除したいと思う勢力と、取り込みたいと思う勢力のいずれからも目を付けられている状況です」
「そんな、物騒な」
この国の王位は、世襲且つ王による指名制となっている。
国王は自分のタイミングで引退できるため、王子全員が成人した後、指名した王子の後見に付く可能性が高いと言われていて、だからこそカイの王位継承順位変更は早過ぎると、大きな話題になったのだ。
ララブでも、王子とのシナリオ内で継承順位が話題になることが何度かあった。
第一王子セラと、第二王子シズルについては、主人公にとって将来の王妃としての品格を求めるようなシナリオがあったと思う。
それに対して、カイルートでは王位継承順位の話は殆どなかった。入学前に第五位へ降格された、という話題が少し出てくるものの、カイ自身の口から王位継承順位を意識した話は出なかったように記憶している。
強いて言うなら、王子相手のルートという括りは同じなのに、カイルートでは結婚後の話や王妃としてという話題が出ないという意味では、実は影響していたとも考えられる。
「私も、国政に明るいわけではございません。ただ、王子殿下達の知るところでも、知らないところでも、ここ数ヶ月で動きが多くありました。公示によってこのような影響があることを、国王陛下が認識されてない訳はないと思いますが……カイ様は今、あまりに無防備な状態です」
「側近がいない、から?」
「ええ。警備を増やしては居りますが、今回のように学園に関連した行事や他家でのことになりますと、侍る者にも制約が出てまいります」
ララブの中でも、幾つかは物騒な話もあったと思う。カイのルートでは思い出せないが、今回のように、どこかで繋がったシナリオで何かが起きる可能性はある。
「居なくなった側近を、呼び戻すことはできないんですか?三人も居たって言うし、一人くらいどうにかならないのかなって」
「それは、叶いません。カイ様が認めないでしょう」
「カイが?」
出戻りを許さない、なんてそんなキャラではないと思うのだが。マーベルは、オレが不思議に思ったのを、了解したように頷いた。
「王族が本当に戻れと望めば、理由あって離れたとしても、戻らないわけには行きません。また、現在の居場所や何をしているのかについても、王族が望めば全て詳かにできます。カイ様は、それが分かっているから、お動きにならないのです」
何故、と反射のように唱える刹那、口を噤んだ。
あ、と思ったのだ。
何も言わずに去った、幼馴染のように育った側近達。
長く一緒に居て、生活を送っていた環境を、十五歳程度で全て捨てさせる何かがあった。
側近候補として育ったなら、王子が持つ権限も、側近が居なくなった時の影響も、少なからず分かっていただろう。
探されて連れ戻される可能性くらい、分かっていたはず。それでも、何も言わずに姿を消したその覚悟や意味。カイは、それを尊重しようとしている。
「ーーーーカイ様は、王宮にいた頃から変わりません。誰に対しても誠実で、相手のことを優先される。私達使用人から見ると、快不快を仰らなかったり、指示をあまりくださらないので、苦手と言う者も居りますが。それでも、私は良い主人に恵まれたと思っています」
「皆さんとカイ様みたいな感じは、当たり前じゃないんですか?」
「そうですね……カイ様のような方に仕えるのは、少なくとも私は初めてです。王宮に居た頃から存じておりますが、カイ様は幼少の頃から、使用人の名前と顔を全て覚えてくださいます。数多の使用人が仕える王族でありながら、私達のことも、メイドに限らず護衛の者や調理担当のことも、よく覚えてらして、真っ直ぐに応対してくださる」
部屋に、マーベルが淹れ直してくれた紅茶の香りが広がった。
「カイ様が変わるとしたら、きっとあの真っ直ぐさを、折られたり汚されてしまう時なのだと思っていました。だから公示があって以来、密かに覚悟しておりました。でも最近、ハヤテさんが当家にいらした頃から、少しずつ、何も損なうことなく変わられてきた」
「変わった……?」
「ご自分の気持ちを、話してくださるようになりました。以前から、礼を尽くして下さる方でしたが、最近は他にも色々と……学食で気に入られたメニューのことや、シズル様とされた会話や。学内で困ったことについて、エリクやマシュウに相談している姿も見掛けます。心の開き方を覚えた、とでも申しますか」
聞きながらオレは、少し微笑ましい気持ちになる。
カイは、オレにも似たような話をしてくれる。逆にオレが話す時もあって、他愛のない会話はすっかり日常になっていた。
「変化を喜ばしく思う気持ちも本物ですが、社交的になられていくなら、やはり周囲の人間が安全かどうかが心配になります。ハヤテさんにも、復学されたらぜひ、お気に留めていただけますと……」
「ええ。今の話を聞いてると、確かにカイ様には色々なリスクがありそうだし、気を付けておきます」
支えられながら身を起こし、紅茶を一口。
オレ相手にならとメイド長自ら話してくれる、その信頼がくすぐったくも嬉しかった。




