05.危機!ヘレネの集い⑤
当日の朝、ネリィは少し不機嫌そうな顔をしていた。
しかし朝の挨拶の時に目が合っても文句を言われることはなく、下見の結果について共有方法が悪かったわけではないと思いたい。
「天気が良くて良かったな」
「でもちょっと風がありますね」
会場では昼まで乗馬をする予定で、見知ったクラスメイトの姿もあった。
どうやらオレのように、寮暮らしの平民や、ここまで来るのに距離がある貴族たちは、シズルの居る別荘地の辺りに前乗りしていたらしい。
「ハヤテは、カイ様と一緒だったのか」
「ああ」
「サラサも一緒に、ネリィ様の所か?」
「いや?サラサは見ていない…けど…」
参加予定って聞いていたのにな、と後ろで話す男子生徒に、オレは急に記憶が繋がり、黙ってしまった。
平民も参加する、生徒会も噛んでいるヘレネの集い。
攻略対象であるカイやシズルは勿論、会場にはヴォイドやディノの姿もある。
それなのに、ゲームのシナリオにない理由。
それは、サラサが参加していないイベントだからだ。
主人公が参加しないので、当然詳細なシナリオもなく、スチルなどもない。
彼女が居ない理由として、ゲームでは急に実家から呼び出しがあり、母親が危篤になっていた。普段明るい主人公が、貧しい暮らしを抜け出したいと思う動機が伝わってくるシナリオとなっており、選択肢によって後々の攻略にも影響がある。
その一方で、この日参加しないことで、悪いことも起きていた。
「サラサさん、本当なら昨日到着されてる筈でしたのに」
「気が変わってしまったんじゃないかしら」
「招待を受けておきながら、あまりにも非常識ですわ。ネリィ様も呆れてらっしゃいます」
サラサの不在はドタキャン扱いされてしまい、ネリィやその取り巻きから反感を買うことになる。
ネリィの入念な準備を見ていたら、それも分かるような気がした。
昨日シズルに呼ばれ、今朝不機嫌だったのも、サラサが無断で来ていないせいだろう。
更にもう一つ、何か悪いことがあったと思うのだが。
「時間ですわ。皆様、先導に合わせて、湖畔でのトレッキングをお楽しみくださいな」
不機嫌な顔をポーカーフェイスで引っ込めて、ネリィが高らかに告げる。
オレはそれどころでは無く、カイの姿を探していた。悪いことのもう一つについて、徐々に霧が晴れるように思い出す。
「ーーーーカイ様、何やってるんですか?」
「あぁ、もう時間か。俺の馬が落ち着かなくて、代わりの馬を連れて来た」
「代わりの......」
確かに大人しそうな馬だった。しかしオレには、迷っている時間はない。
「それなら、オレの馬に乗ってください。昨日一緒に走ったので、コイツの方が安心です」
「そうか?ハヤテも、せっかくなら慣れた馬の方がいいんじゃないか」
「いや、オレは色々な馬に乗りたい方なんで」
残っていた馬は、サラサが乗る筈だった馬だ。
そして、カイはこのヘレネの集いで、落馬により怪我をする。
逆恨みもいい所だが、ドタキャンした主人公が乗る筈だった馬により、ネリィの婚約者候補の王子が負傷するという、なかなか面倒臭いことになる。
命に別状はない程度だと分かっていても、敢えて怪我をさせる気にはならない。
落馬自体に意味があるのなら、オレの馬と交換なんて意味がないかもしれないが、念のためと思って押し切る。
交換してオレが乗った馬は、ひどく大人しい性格だった。まだ若いようで、周りの馬にも人にも、話し声にも、反応しているのが分かる。
カイの他には負傷者の話は無かったが、主人公が知らない所で何かが起きる可能性はあるため、油断できない。
出来ればオレ自身も痛い思いをしたくない。
天気も良く、ゲームの後日談を知らなければゆったり楽しんでいただろう。
オレはつい気が逸り、カイと共に先頭を進んでいた。
「ハヤテは、本当に馬の扱いが上手いな」
「いや、普段からちゃんと世話されてるから、乗せてくれてるだけですよ」
「世話?」
「馬は賢いですから、結構覚えてるもんです。何をしてくれたとか、何をされたとか」
「なるほど。人と同じだな」
「ええ」
雑談の内に、視界の端で赤いものを捉えた。
気付いたのと、強風が吹いたのは同時だったと思う。
赤い風船の束が柵に引っかかっていた。
昨夜下見していなければ、装飾の一部だと思っていただろう。
あんなものはなかった筈で、風が吹いた今、目の前で束が一斉に散開した。
「ヒヒィン!」
嘶き、特に臆病なオレの馬が暴れて、すぐ横のカイの馬も釣られるように脚を乱す。
このままだと間違いなく、落馬でカイが怪我をする。
思考が先だったか分からないタイミングで、身体が動いた。
「身を伏せてッ!」
伏せたカイの後ろに乗り移り、手綱を取る。
目の前には大木が迫っていた。
遮二無二動いて手綱を引き、馬の方向を変えようと身を捻る。
その一瞬後、浮遊感があった。
――――ヤバイ、落ちる。
すんでの所で木を躱したが、外に掛かった遠心力で振り落とされたらしい。
間も無く背中に衝撃があったが、視界には手綱を持って馬上でなんとかバランスを取り直したカイの姿が見えて、ほっと気が緩んだ。
騒ぎを聞き付け、後方にいたネリィ達が駆け寄って来る。
ヴォイドの指示が聞こえる。
「何があったんですか!」
「ハヤテが落馬して背中を打った。とにかく医者を」
バタバタと処置が進んでいく。
その中にネリィの金髪縦ロールが見えて、せっかく準備していたのに、悪いことしたなぁという気持ちが浮かんだ。
カイは無事そうだが、誰にせよ負傷者を出したらいけなかったんだ。
乗馬もお茶会も台無しにしてしまった。
オレに出来ることなんてここまでなんだな、と思ったあたりで、痛み止めが効いてきたのか、意識が朧になった。
次話、怪我をしたハヤテはカイの屋敷で......




