『英雄にして傍観者』
王都ステルグラムの南区、港沿いにある路地裏。
古びた屋台が、いつものようにひっそりと開かれていた。
店名は《モグリ屋》。
昼は誰も気づかず通り過ぎ、
夜だけ灯るこの小さな屋台は、料理と酒と噂の交換所だった。
◆ ◆ ◆
「今日もサボリか? 働きたくないのか?」
カウンター越しに声をかけるのは、顔なじみの巡回衛士・ロク。
筋骨たくましい中年で、口は悪いが根は親切な男だ。
屋台の主──ネクス(表向きの名前は“ネル”)は、魚の骨を丁寧に取り除きながら言った。
「働いてるだろ。魚焼いて、スープ出して、話を聞いてる」
「……おまえ、それ“仕事”って言わねぇんだよ。特に後半な」
ロクは苦笑しつつ、出された塩焼きと麦スープを口に運ぶ。
「……くっそ、うまいのが腹立つな。こういうの、兵舎じゃ絶対出ねぇのに」
「ほら、働いてる」とネクスは小さく笑った。
◆ ◆ ◆
そんな平和な空気の中、
屋台の端に一人の客が静かに座った。
少女のような小柄な女性。灰色のポンチョに大きな荷袋。
風来坊のような旅人……だが、その眼は異様に鋭い。
「……珍しいな、女の子」
ロクが話しかけようとしたその時、彼女がぽつりと呟いた。
「……“ネクス”って名前、聞いたことある?」
ロクの目つきが一瞬変わる。
そしてネクスもまた、手を止めずに応じた。
「さぁ、知らないな。名前だけなら都市伝説にもよくある」
「でも、“情報は兵よりも強い剣”って言葉も、聞いたんだけど」
彼女はネクスを見た。
「その言葉、どこで流行ってるのか知ってる? 戦地の子どもが、よく口にするらしい」
「……へえ、口が達者なガキだな」
「……あなたじゃないの?」
ネクスは目を伏せ、淡々と料理を仕上げる。
焼けた魚の皮が、パリッと音を立てた。
◆ ◆ ◆
少女はしばらく沈黙したあと、ぽつりと語った。
「連邦の“北リルサ”の和平会談……白い旗が立ったらしいね。
でも、なぜか共和国の傭兵が裏で動いてたとか、妙な噂がある」
「どこにでもあるさ。陰謀論の一つや二つ。
どうせその話、道端の新聞売りか、港の古本屋で拾ったろ?」
少女は静かに笑った。
「……もしそれが本当なら、“どこにでもある”ように見せた誰かがいるってことだね」
その言葉に、ほんの一瞬だけ、ネクスの目が鋭く光った。
だが、すぐに笑って言う。
「そんな奴が本当にいたなら、ずいぶんと器用な奴だな。
ま、俺は焼き魚屋で満足してるさ。英雄にもなれねぇ、ただの傍観者だ」
「……そうかな?」
少女は、皿に乗った焼き魚を一口食べる。
そして、表情を変えずに立ち上がった。
「また来るよ、魚屋さん。次は……もっとお腹を空かせて」
◆ ◆ ◆
夜が更け、屋台を片づけながら、ネクスは呟く。
「……“彼女”が動いた、か」
誰に語るでもなく。
そしてその手には、少女が去ったあとに残された一枚の銀貨。
帝国旧通貨。現在では流通していない、“粛清対象となった地域”の記念貨幣だった。
彼はその銀貨をひっくり返す。
そこには極小の文字でこう刻まれていた。
《S.A. ルート47 復旧、三日後》
ネクスの表情がわずかに引き締まる。
「……あの“ルート”が、再び使われる日が来るとはな」
【次回予告】
第七話『ルート47、封印解除』
地下に埋もれた秘密回線、国家の裏を繋ぐ古代ルートが動き出す。
ネクスと彼女の過去、そして“国家の記憶”が静かに目覚める――