『亡命者と沈黙の街』
共和国同盟・リュナステル第三区。通称〈灰の街〉。
かつて鉱石と魔導技術で栄えたこの都市も、今や公害と暴力の巣窟と化していた。
腐敗政治により閉鎖された公営施設、軍の横流し兵器を使う自警団、地下に巣くう密輸ギルド。
それでも「共和国は平和国家」と、誰もが口を揃える。
──見て見ぬふりの偽りの平和。それがこの国の本質だった。
◆ ◆ ◆
廃教会の地下室。
燭台の揺れる光の中で、一人の男が怯えながら身を潜めていた。
「……こんなはずじゃなかった……」
男の名はタルゴ・ブレーン。元・オルデラ帝国情報将校。
国家の戦争犯罪に嫌気が差し、命を賭して共和国へ亡命した……はずだった。
「共和国に来れば、保護されて、平和に……っ」
その幻想が崩れ去るのに時間はかからなかった。
彼の亡命を受け入れたはずの共和国同盟が動いたのは――“口封じ”のためだった。
保護名目で集まった兵士は全員、武装した傭兵だった。
通信は遮断され、街からの脱出ルートは消えた。
この街が共和国の「表に出せない死体」を捨てる場所であると、彼はようやく知った。
◆ ◆ ◆
一方その頃。
市街地の雑踏に、一人の青年が歩いていた。
フードを目深に被り、顔の半分を隠しているが、その姿は確かに――
ネクス。
「さて……逃亡先は廃教会。殺し屋の包囲は最低3層。潜伏時間、あと6時間か」
手の中にあるのは、オステリア外務省から渡された特級任務情報。
内容は、「亡命者の確保」――ではない。
『亡命者を確保した上で、情報と命を“共に”共和国から持ち出せ』
通常の諜報員では不可能な任務。
それゆえ依頼は、“表に名を持たない英雄”に下った。
歩きながら、ネクスは呟く。
「……この街の空気、最低だな。平和国家のはずなのに、腐臭しかしねぇ」
傍らの広場では、共和国の子どもたちが“平和の歌”を歌っていた。
『自由は声に、声は力に。
力はすべてを守るだろう――』
皮肉だとすら思えない。
この街では、平和も正義も、言葉だけの飾りだった。
◆ ◆ ◆
廃教会の地下へ至る最後の通路にて。
重装備の傭兵たちが待ち構えていた。
「ターゲットの居場所は確定した。外に出さなければ、それでいい。
生きてても死んでても、口を開かせるな」
その時、通路の奥から音もなく“霧”が漂い出した。
「……あ?」
誰かが呟く暇もなく、突風が吹き荒れる。
次の瞬間、十数人の兵が“音もなく”崩れた。
斬られた痕もなく、銃声もなかった。ただ、気配が“切り取られた”。
仮面の男が霧の中から姿を現す。
ネクス。
「ここから先は、国家の都合で死ぬ場所じゃねぇ」
傭兵の一人が震えながら銃を構えようとするが、ネクスは一歩だけ踏み出す。
──その一歩で、空間が裏返る。
《因果反射》発動。
銃を構えた男の手が、逆に自らを撃つ。
命令を下した通信が、逆に上官を誤認識して爆発を起こす。
「……う、うわあああッ!」
ネクスは何もしていない。
ただ“相手が自分に向けた意志”を、すべて“自分自身に返した”だけだ。
たった一人で、数十の兵が無力化された。
◆ ◆ ◆
地下室にて、怯えるタルゴが声を上げた。
「……誰だ、君は……!?」
ネクスは仮面を外さず、ただ短く答える。
「オステリアの皿洗いさ。──お前を国に連れて帰る、ただそれだけの男だ」
そして、タルゴに手を差し伸べた。
「この腐った街の沈黙は、今夜終わる。
……必要なのは、口をつぐむことじゃない。“喋る覚悟”だ」