涼むにも役立たない
残暑厳しい中お読み頂き有難うございます。
なんちゃって大正〜昭和初期的時代物です。
「……何かしら、アレは」
線路沿いの向日葵は、もう咲いたかしら? と楽しみにしていたのだけれど。
背の低い茎と、うつむきがちな蕾は黄色の花びらを付けていない。
この頃の長雨で、発育が善くないようね。
勇壮に疾走る汽車と鮮烈な向日葵の組み合わせは、夏空に映えて……本当に心を打ったわ。
昨年はとてもとても美しくて、暑い最中だというのに時を忘れて見入ってしまったの。
だから、今年も列車と向日葵が空を横切るような風景を楽しみにしていたわ。
そろそろかと思って、馬車の迎えを断って、歩きにしていのだけれどね。
ハズレだったようだわ。折角誂えた向日葵の帯を締めてきたというのに。
何時もは閑散とした道に、騒音と通行の邪魔。
……どうせなら、鋭く暑さをを切り開くような汽車の笛を聞きたかったわね。
お母様が嫌がられる、煙たい噴煙も嫌いではないのよ。
女が汽車に興味を持つなどとはしたない! 等と煩いし、お父様も車は好かん、なんて時代遅れな事ばかり仰るから、黙っているけれどね。
「えー、ヒザイタのキミサマですよ! 知らないんですか?」
……ひ、ひざいた? ……膝痛? ……つまり若くしてお膝を痛めた?
何方か存じ上げ無いけれど、お気の毒な方ね。
言い間違いでしょうけれど、この女中は何が言いたいのかしら。
「まあ膝がお悪いの。お気の毒」
「ちっ、違いました! こ、氷細工です! ヒヤヒヤちべたい、氷ですう!」
あの、色とりどりの御着物の群れから、頭一つ抜きん出た制帽の持ち主の事かしら。
凄い渾名で、酷い読み間違いだこと。そして、指差す仕草も品がなく端ないわ。
もしかしてこの女中は、私塾に行っていないのかしら?
我が家で雇った使用人の中で学が無い子は、私塾に行かせている筈だけれど、まさかサボっているの? 藪入り前に解雇かしら。はあ、女中が減るのは困ったことね。
「イベントとして、常識ですよ!」
……初対面のそのキミサマ、とやらをわたくしが知る訳がないのに。
何なのかしら、この女中……。名前はホミ江だかフミヱだか言ったかしら?
余所様で粗相をしそうで要注意ね。早めにばあやに……じいやにも伝えておきましょう。
「ホミ江は乙女として、当然の行いをしたまで!」
呆れて物が言えないだけだけれど、この女中、何か勘違いしているようね。
とっても鼻息が荒いわ。
あの殿方が余程好きで、興奮しているのね。
夢中になれるのって、いいとは思うわ。
でも、仕事中に殿方のことを持ち込むものではないの。
この子の気の済むまでの与太話に付き合う義理も、わたくしには無いしね。
はあ、まだお喋り雀を続ける気かしら。面倒な気配しかしないわ。
「そう、この前出来た喫茶店の話かと思ったわ……」
「は? え?」
さっさと話題を変えてしまいましょう。往来で殿方の噂話をしていた、なんて私の評判に関わるわ。
「喫茶店の御品書きじゃあないの?
蜜蜂ヲトメのシウクリイムのお話。
それとも凍った甘味……アイスクリイムかカキ氷の名前か何か?」
「違いますよ! 黃鞠お嬢様ったら、もう!!」
知らないわよ。
思わず、ホミ江にシラッとした視線を投げてしまう。
この子、本当に当世風なのね。そんな事で大丈夫なのかしら。
でもわたくしって、上手く余所にお話を逸らせないのよねえ。もっと威厳が欲しいものだわ。
「氷細工の君様は! 最近、軍学校を優秀な成績で赴任してらしたんですよ!」
まあ真っ赤な顔で……この話題、未だ続けるの?
主であるわたくしの呆れ顔が見えないのかしら?
……面倒な子。
もう二度とこの女中を迎えにやらないよう、ばあやにとくとくと言っておかなきゃ。
「声が高くてよ。
聞いてもないことをそんな見てきたかのような……。
まさか氷細工様とやらの成績表が、往来に貼ってあったの?」
「えっ!? う、噂で……」
目が泳いでいるわ。もしかして、軍学校に忍び込んだのかしら……。よく警邏の方々に打ち据えられなかったものね。小娘だから目溢しされたのかしら。
「そう、噂って凄いわね。
妄想で他人の試験の成果を、さも本当かのようにでっち上げられるのだから。ガセじゃなくて?」
「ええと……」
「つまり、下っ端さんなのね」
「そんなことないっ、……です!
お嬢様……!!」
わーわーホミ江が騒いでしまったからか、視線を感じるわ。
どう逸らしても、矢のように鋭い視線。あの殿方でしょうねえ。
何故かわたくし、ああいう……ツンケンしたお顔の殿方に不躾に絡まれる確率が、お友達よりも飛び抜けて高いのよねえ。
ご好意やお優しさを掛けてくださるなら、勿論歓迎よ?
掛けて頂いた事は皆無だから、腹立たしいのだけれどね。
どうも、この顔が庇護欲を唆るのですって。
何でも大人しく、賢くなく、邪気のない瞳をしているとかで。
それ、けしからん! よ。
私を心から馬鹿にしているわよね。
そもそも、邪気のある賢き方は邪気を他人様に悟らせないでしょう。笑顔で毒を染み込ませるような行いを為さるのよ。
まあ、確かに。
何から何まで甲をお取りになった優秀なお兄様に比べて、わたくしは賢くない部類ですわ。
ですが、会ったばかりの殿方に馬鹿にされる謂れは御座いませんわね。
馬鹿にされるのなら、勝手にすればいいわ。
聞こえよがしに、軽く悪口を申し上げることにしているの。
妄想は打ち砕いて差し上げないと。気が強くておっかない、と思い知らせてやるわ。そんな殿方と一時でも縁付くなんて真っ平御免よ。
「本当の氷なら涼めるのに、面倒な」
「お、お嬢様?」
見せかけだけの鋭い目が、嫌な視線を寄越してくる。
わたくしの勘が告げているわ。
アレに関わったら碌な事にならないって。
そう……何時だったかしら。
「オマエ、馬鹿だが顔だけは可愛いな。
俺のオンナにしてやる」
あれは……雨で足袋が濡れて痛かったから冬だったかしら。
幼年学校の下足箱の前だったわね。
男女同じ組では無かったのに、何故か何時も女生徒を侍らかしていたわ。ツンケンしたお顔立ちが自慢だったそうよね。後でお友達が仰っていたけれど。
当然わたくし、面識は有りませんから通り過ぎました。
そうしたら、通せんぼうしてくるではないの。
何故、わたくしにくだらない声掛けをするのかしら。当時は不思議で不思議で気味が悪くて、仕方なかったわ。
「……結構なお話で。矮小なこの身には荷が勝ち過ぎます。
謹んでお断り致しますわ」
「えっ」
下に見ていた馬鹿であるわたくしに、断られるとは思っていなかったのでしょうね。
ポカンと大口を開けなすって、みっともないったら。暖かい季節なら、虫でも放り込んでやったのに。
でも、昇降口は寒くて蛾の一匹もいなかったわ。
残念なこと。
「……では、失礼します。色男の佐原さん」
是非ともギャフンと言わせてやりたかったわね。
当時はわたくし、気弱だったもので。
行儀を学びたいとでも言って、武道でも習えば良かったわね。
でも、それからというものの……。
何故か女生徒に長く待ち伏せされて食って掛かって来たわねえ。
「佐原くんに馴れ馴れしいのよ! 糸屋の娘の癖に!」
「ひー、ふー、みー、よー、いつー、むー、ななー、やー」
鬱陶しくて仕方ないものだから、蝉をそれぞれのお顔に付けて差し上げてやったわ。
夏になると沢山いるでしょう? ちゃあんと虫網を持って校庭で採ってきたのよ。
クマゼミは高い所にしか居なくて珍しかったから、アブラゼミよ。
楽しかったけれど、朝が早くてその日ずうっと眠かったわ。
「ぎゃあああーーー!」
「ひ、ふ……うわーーーん!」
「と、とって、とってよお!」
自分達が蝉より喧しかった癖に、大泣きして可笑しくて可笑しくて。
大きな騒ぎになってしまったから、少しゲンコツを先生に頂いてしまったわね。
それから、ピタリと嫌がらせは止んだわ。
その代わり、同級生はずーっと私を遠巻きにして、幼年学校の卒業式は終わった。
……そう、何の楽しみもなく終わった幼年学校、帰ってこない子供の頃。
懐かしくもないわね。
「お嬢様の許嫁って、決まりませんよねえ。あ、氷細工の君様はダメですよ?」
……人が黙っていたら、本当に減らず口が過ぎるのよ。ゴム糸よりもしなやかな私の堪忍袋の緒が、いい加減切れるわ。
「まあ、ホミ江。帰ったら貴女の口を針と糸で縫いつけてやろうかしら」
「ご、ご冗談をー………、ご冗談、ですよね?」
「貴女、何色がお好き?
麻かしら、木綿がいいかしら。こんな機会だもの、贅沢に生糸がいいかしらね?」
「え、あの、怒ってます?」
明日にも暇をやろうかという程度には、苛立っているわねえ。
さて、流しの人力車でも呼ぼうかしら。腹も立つし胸も悪いし暑苦しくなってきたわ。
「絵島黃鞠……!」
「びょえっ! 氷細工の君様!」
「ホミ江、人力車を呼んできて」
「わー! ひえー本物! 本物だあ!」
何を騒いでるのよ!! 本当に邪魔で仕方ない!
今日で解雇ね、この女中。
本格的に通せんぼうされたじゃないの! 何時の間に忍び寄られていたのかしら。ああ、腹が立つ!
「分かったわ、もうお前は当家に関係ない。
其処でも往来でも駅でも好きなだけお騒ぎなさい」
「へえ? え、困りますお嬢様! あたし、月賦で洋装を買っちゃったんです……!」
「おい無視するな、絵島黃鞠だろ?」
聞き覚えのない声だけれど、その物言い……。忘れたかったものだわ。
相変わらず、彫りの深い陰険な目付きだこと……。母君が異国の血を引いてらしたんでしたっけ。多少お可愛らしかったのに、目つきが剣呑なのはお父様似ね。
「軍人さん、御国のためにお勤めご苦労様。お構いなく」
「何で往来で女中虐めてるんだ?」
ぬぼっとした図体ばかりデカくなっていても、お頭は成長しないものね……。
叱責と虐めの違いも理解しようとしない。
「独りですから」
「はァ?」
「この女中、解雇しています。ですから独りで行動するのも経験ですわ。
お構いなくー」
「なっ、お前、仮にも良い所のお嬢だろうが!」
「まあ、単なる糸屋の娘如きにご親切だわ。生憎、生まれの尊き方は覚えがないわえ。」
慣れた草履で良かった。おろしたてだと鼻緒擦れして足が痛くってならないものね。
「佐原将だ! 覚えていないか?」
「……」
「聞いてるのか?」
面倒臭いこと。
ああ、本当に面倒臭い!
こんな往来で女に声をかけるだなんて、人の噂に上がりたいとしか思えない!
約束はだの、釣り書がどうのと、親に責められる明日が本当に嫌!
「おなごの口説き方すら知らない木偶の坊さん、幼年学校迄お戻りでなさいな」
ふん、一瞬だけ舌を出してやったわ。
そして、軽やかに……女優のように身を翻そうとしたら、転んでしまいそうになったわ。いけないわね。
「別に、俺は蝉は平気だぞ! 待て!」
「お嬢様! おおおおお待ちください! 何で恋愛絵巻が起こらないの!?」
はあ、面倒臭い。
そしてやはり足が痛いわ……。人力車って、どのようにお声がけするのかしら。
「……普通に挫いているな、おい」
「着いてこないでくださる?」
ああ、本当にこの男の目が嫌だわ。
冷えているのに、ギラギラとして好意すら隠しもしない。
本当に、涼むにも役立たない!
気の強い、ちょっと抜けたお嬢様は大変好きです。




