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(8)回想電車 第4の停車駅へ 続

 白い視界の先に輝く光を見つけた。


 ものすごい速さでこちらに近づき、わたしを飲み込んでいく。次の瞬間、わたしは光の中にいた。光そのものがわたしになっていた。

 


 父の声がした。


「生まれて来てくれてありがとう」

 

 母の声がする。


「あなたはお母さんの一番の宝物よ」

 

 唐突に声が聞こえてきた。父と母の発語には時間的な繋がりはなく、前後の文脈もわからない。

 

         ・


 しばらくするとわたしの頭上に暖かい光が降り注ぐ。

 

「やっと寝たな」


「ええ、やっとね。さっきまでわたしがぐずっていたけど、寝ると天使みたいね」


「ああ、本当だな」

 

 わたしの頭上から聞こえる声は、若い父と母のものだった。顔は見えないが、にこやかにわたしを見守っている姿が浮かぶ。


 これは……。


 きっとわたしが赤ちゃんだった頃の記憶だ。

 ぽかぽかと暖かい。わたしは今、母の腕の中でうとうとと眠っているところなのだ。 

 物心つく前の記憶なんて、何も覚えていなかったけど、わたしの細胞に刻まれたかのように、赤ちゃんだった頃の出来事なんだと確信した。

 

         ・

         ・

         ・


 視界にかかった白いもやが少しずつ晴れた。それでもまだ色褪せた写真のようにボケている。


 目の前には自分が見上げるほど大きな男性と女性の姿が現れた。

 今度ははっきりとわかる。これはわたしが幼稚園児だった頃の父と母なのだと。

 

 母は画用紙いっぱいに描かれた絵を見て、優しく微笑んだ。

 

「これはお母さん? わぁ、上手に描けているわね。 また描いたら見せてね」

 

 たぶん、母の日のことだった。


 幼稚園で母の絵を描いたんだと思う。母の顔だけでなく、洋服にも模様を描き、背景には赤いカーネーションの花をいっぱいに描いた。担任の先生から、カーネーションは母の日の花だと教えてもらったからだ。


 母親の顔を画用紙いっぱいに描く園児がほとんどのところ、背景までびっしり使って描いたのはわたしくらいだったと、母が教えてくれた。

 

 喜ぶ母の隣で絵を覗き込む父もまたうれしそうだった。

 

朱音(あかね)は絵を描くのが本当に大好きなんだな」

 

 そうだ。


 わたしは絵を描くのが好きだった。

 いや、今でも絵を描くのが好きだ。


 こうやって、わたしが描いた絵で誰かを笑顔にするのがとても嬉しかったし、楽しかった。

 いつしか、それが絵を描く目的になっていたように思う。

 

 わたしは、絵を描くことを諦めたくなかったんだ。

 でも、まだ何か大切なことを忘れている気がする。


         ・

         ・

         ・



 そのうちまた視界がぐにゃりとかわり、さらに鮮明になった。

 

「か、かか、彼氏!?  」

 

 父は飲みかけのビールが入ったグラスをテーブルにダンッと置いた。あまりにも驚いたらしい。

 

「お父さん、そんなに驚くことないでしょ。この子だって高校生なんだから。 彼氏くらい」

 

 これはいつのことだったろう?


 付き合ってから数ヵ月、二人には黙っていたが、日曜日に彼氏と出掛ける時に、秘密のままにできなくなってしまった。

 高校の友達と出掛ける。そう言えばいいのに、誤魔化せず、態度に現れてしまった。それを母が察して、わたしは自分から暴露してしまった。


 母に彼氏のことを明かした日曜日の夜、晩御飯後の会話だったと思う。 

 台所で家事をしながら会話に加わっていた母だったが、皿洗いの手を止め、わたしと父が座っているダイニングテーブルにやってきた。


 そして、皿を片付けながら、ニヤリとわたしに話しかけた。

 

「それで、彼はどんな男の子なの? 」

 

 父がいる前で話せるわけがない。

 そう言おうか言うまいかのところで、父が勢いよく椅子から立ち上がった。

 

「おおおお、お父さんは興味ないから。 あとは勝手に話しててくれ……。風呂、入ってくる!」

 

 足早に退散する父を見た母は呆れ顔で言った。

 

「もうお父さんったら。 あなたのことが可愛くてしょうがないのよ。 彼氏の話題が出せるようになるまで時間かかりそうね」


「それって、いつくらい?」


「そうねぇ……」


 母は宙を見つめ、考える仕草をした後、笑いながら言った。


「もしかしたら、結婚する相手を連れてくるまで彼氏の存在を許せないかも」


「ふーん……」


 これ以上、彼氏のことを詮索されたくない。お母さんでも恥ずかしいと思い、そっけない返事をした。


「……で、どんな子なの?」


 わたしの気も知らず、しつこく聞いてくる母を強い語気ではねのけた。


「教えるわけないでしょ!」


「あらー、残念」

 

 母はいたずらっ子のような顔で残念がっていた。

 まったく、これだからお母さんは……。この時、わたしは呆れていた。


 そんな風に何気ない日常の様子だった。


         ・

         ・

         ・



 再びもやがかかったように視界がぼやけていく。残念そうな母の顔も、家の食卓の景色も次第に白い霧に包まれた。


 太陽からの光を遮るように、霧は周囲の明るさを奪っていく。トンネルの中にいるように真っ暗闇に包まれた。

 

 またひとつ記憶の断片が終わった。 

 また別の記憶が蘇るのだろうか?

 

 わたしは意識体となって、自分の人生を回想している。やっと、回想電車で死神さんに言われたことを理解した。

 

 あと、もうひとつ。

 思い出さなくてはいけない大事なことを思い出した。

 

  

 (しゅう)くん。野上(のがみ) 周大(しゅうだい)。わたしの彼氏のことだ。

 でも、そこから先が思い出せない。

 周くんのことで、心残りなことがあったのだろう。


 彼のことは忘れてはいけない。もちろん、そうだけど、わたしがしなければいけないことが何かあったような……。

 

 暗闇の中をぼんやり漂っていると、死神さんの声が聞こえた。

 

「思い出しました? 悪いことばかりではなかったでしょう。あなたが誰かに及ぼした影響もこんなにあったと言うことです」

 

 でも、死神さん、肝心なことが思い出せない気がするんだよ。

 

「大丈夫です。朱音さん。終着駅までまだ時間はあります。思い出せますよ」

 

 その言葉にわたしは少し、ほっとしたけど、不安にもなった。

 

 暗闇の中に光が見える。

 それは夜空に輝く1等星のようにキラリと光っていた。徐々にその光りは大きくなっていく。

 以前、似た景色を見たことがある。明るい出口に向かってトンネルを走る列車の様子に似ていた。

 

「次の駅に着くようですね」

 

 遠くに見える光が一段と強くなった。


 列車がトンネルの中を抜けていくように、前方に現れた大きな光がわたしを包み、黒かった視界を真っ白に変えた。 

 その光はまばゆいほどに明るく、暖かかった。

 

 なにかに似ている。春の木漏れ日のように、包み込むような優しさ。いつもわたしを見守ってくれているような……。

 

 誰だろう? お母さん?

 似ているけど、少し違う。

 

 いつもわたしの絵を眺める誰かの暖かい瞳。


 ……そうか。

 これは周くんの瞳だ。

 

 霧が晴れていくように、うっすらと輪郭や色彩が見えてきた。景色には見覚えがある。

 

 ここは学校だ。


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