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(7)回想電車 第4の停車駅へ

 ピンポン、ピンポン。ドアチャイムが鳴った。電車の扉が閉まる時の音だ。

 死者を運ぶ回想電車が次の駅に向けて走り出したんだろう。

 

 でも状況がおかしい。

 さっきまで感じていた、自分の体の感覚がない。


 すでにわたしは死んでいるのだから、体の感覚なんてないに決まっている。でも、さっきまで電車の座席に座っていた時は、座っている感覚があったのだ。それに車窓も見えていた。

 窓を開ければ風が吹き込んでくるように、窓の外には風や時間の流れがあるように感じられた。回想電車の乗務員だという死神さんの声も、自分の耳で確かに聞き取っていた。


 死んでいるなんて嘘みたいな、そんな様子だったのに。


 今は全てが曖昧だ。


 浮遊しているのか、座っているのか、それとも立っているのか。何かに触れた時に感じる反発力さえ感じない。それがないと、自分が何に触れているのかも、自分の体の境界さえも不確かになる。

 

 不思議なことに、それでも自分が電車に乗っていることは認識していた。それは記憶の連続性からそう判断したのかもしれない。


 疑いもないくらい、わたしは電車に揺られている。レールの上を車輪が転がっていくガタンゴトンという振動が響いてくる。しかし、それは音なのか振動なのか、よくわからない。

 

 思い込みのせいで、自分自身が電車に乗っている幻想を捏造したのだろうか。


 最初から電車なんかには乗っていなかったりして……。

 

 相変わらず視界は真っ白なままだ。

 

朱音(あかね)さん?」

 

 遠くから死神さんの声がする。回送電車の乗務員であり、わたしを死後の世界に運ぶ役目を務めている。


 返事をしたいのに声が出ない。


 今のわたしができることは、生前の記憶を思い出し、向き合うことしかできない。

 かろうじて“考える”ことはできるみたいだ。

 

 軽音部の伝説的なOGだった樋川恵さん、ついさっきの回想から彼女のことを思い返した。夢破れた者の悲しい顔が印象的だった。


 好きなことを続けることの苦悩、思うようにいかなかった時の絶望感を思い知った。思い出すと胸が締め付けられるように苦しくなる。

 

「まだあなたの意識はあちらに取り残されたままのようです。現世に未練があるということですね」

 

 意識が現世に取り残されると、生き霊みたいに成仏できないのだろうか。

 

「まぁ、そんなことはありませんが」

 

 思ったことが死神さんに伝わっていた。わたしたちは今、意識で会話をしている。喋ろうにもわたしの口がどこについているのか、よくわからない。

 

「あなたが後悔していることはなにか、やり残したことが何なのか、きちんと思い出し、思い残すことがないようにあの世に送り届けるのがわたしの役目です。安心して記憶と向き合ってください」

 

 それが死神さんの仕事なのか。わたしの内面にまで寄り添おうとするのも納得がいく。


 これまでの回想で振り返ったことは、残念な思い出ばかりだった。後悔したことばかり振り返っては、わたしの魂は浮かばれないのではないか。死んだって、これでは死にきれない。

 

「そうですね。あなたにとっては嫌な思い出ばかり見せられているかもしれません。しかし、それだけ他人から強い影響を受けた出来事のようです」

 

 死神さんは言葉を続けた。淡々としていたが、語り口は優しかった。

 

「全ての出来事は密接に関係しています。 無関係に見えても、影響しあい、関わり合い、全て自分に還元される。 それが人生です。 誰もが存在するだけで互いに影響を及ぼし合っています」

 

 死神さんの声は反響し、わたしの周囲で響いた。まるで声に包まれているようだ。曖昧だったわたしの境界が少しずつ確かになっていく。

 

 パッと顔を上げると、車内に佇む死神さんの姿があった。


 カタカタと鳴る電車。流れる車窓。さっきまでわたしが見ていた景色が戻ってきた。

 

「わたし、どうしちゃってたんだろう。体の感覚がまるでなかった……」


「おかえりなさい。朱音さん」

 

 戸惑うわたしに死神さんは優しく微笑んだ。相変わらず、目は笑っておらず、口の端を吊り上げただけの歪な笑みだったが、瞳の奥に暖かい光を感じ、優しく笑いかけてくれたのだと感じた。

 

「影響の話ですが……、朱音さん、あなただって誰かにも影響を与えているのです」


「えっ……、わたしなんかが?」

 

 父の呆れた顔を思い出した。わたしが父にイライラしたのと同じように、私も父をイライラさせた。きっとそんな話だろう。

 わたしなんて、居ても居なくても同じか、悪い影響しか与えていないんだろう。


 嫌なことを思い出すばかりで鬱々としていたわたしには、負の感情しか沸いてこなかった。


 唇を噛んだ。目頭が熱い。涙が溢れないように目を開き、上を向いた。

 

「残念そうな顔をしないでください。朱音さん、あなたが誰かに与えた良い影響もあるはずです。思い出してみましょう」

 

 一段と大きく電車が揺れた。左右に大きく揺さぶられる。死神さんはつり革を強く掴み、姿勢を保った。

 

「ポイント通過のようです。色んな思い出が交差するので、振り落とされないようにしてくださいね」

 

 歪な笑みを見たのが最後。視界が真っ白になり、体が宙に放り出された。


 再び境界線を見失ったわたしの体は、白い世界に溶けていく。


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