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7/19

(6)死亡前 7月1日14時30分

 7月1日、日曜日の昼下がり。

 

 朱音(あかね)はとあるコーヒーショップで高校のOGに会っていた。


 OGこと、樋川恵(ひかわめぐみ)はストローを啜った。ホイップ乗せのアイスカフェモカの残骸がズズズと音を立てる。恵は言葉を探すように、遠くを見つめていた。


 朱音もアイスココアに少しずつ口をつけながら、恵が話し始めるのを待った。コーヒーがメインのこの店で朱音が飲める数少ないメニューだった。


 むかいに座る樋川恵は、同じ出身校とは思えないくらい異質な姿をしている。派手な柄のTシャツに、ダメージデニム、厚底のブーツ。髪は真っ赤で、両耳にはピアスがびっしり。しかも6歳年上。普段こんな歳の離れた人と話したことない上に、恵の容姿から醸し出される雰囲気に飲まれ圧倒されてしまう。

 

「話って進路のこと?」

 

 ドリンクが底を尽き、間が保たなくなった恵が口を開いた。

 

「それさ、あたしでいいの?  相談相手を間違えてない?」


 まるで突き放すような言い方だ。

 朱音は臆する気持ちを押さえ込み、食い下がって聞いた。


「樋川さんにお話を聞きたいんです。歴代の軽音部で本格的にバンド活動されていたと聞いたので」


「ああ、なるほど。そっか……」

 

 何を語りかけても恵の表情はずっと曇ったままだ。

 

「わざわざ来てくれたのに悪いんだけどさ、何も言うことないや」


「えっ……」


「バンドも、そろそろ潮時だと思ってるし」


「……」


「そんなやつの話なんか参考にならないでしょ?」

 

 空気が重い。


 軽音部の同級生が「樋川先輩はすごい。バンドデビューも夢じゃないくらいのカリスマと実力がある」と熱く語るくらい、軽音部の伝説的OGだと聞いていた。


 そんな彼女が今、自分と変わらない、ごくごく普通の女性に見えた。未来に迷い、憂うようなひとりの女性に。


 朱音は自覚しながらも、残酷な質問をした。

 

「その後は……、どうするんですか?」

 

 恵は胸を打たれたように、一瞬苦しい顔をしたが、あっさり言い放った。

 

「フリーターかな」

 

 恵は自虐的な笑いをした後、あっけらかんと語り出した。

 

「フリーターだよ? 笑えるでしょ。親に言われて一応大学に進学したけど、バンド活動ばっかりで、就職活動もしてこなかったし、バンド以外でやりたいこともなかったしさ。しかも、こんなカッコじゃどこも雇ってくれないよね」

 

 恵は無理して明るく振る舞っている。朱音はひどく胸が傷んだ。


 なんでバンド活動は大成しなかったのか、諦めなくてはいけなかったのか。それを聞くのは心苦しく、朱音は何も言えずにいた。

 

「あー、ごめんね。暗い話になって」


「いえ……」


「あたしね、自分がすごく上手いって自惚れてたんだわ。大学生やりながらバンドデビューなんて想像してて。……でも現実は違ったね。好きとか楽しいだけじゃ、全然辿り着けなかった。このままやっていけるのか不安になっちゃって……。あたしも今、ここの先どうすればいいのか悩んでいたところだったんだよね」

 

 初対面の時に感じた威圧的な雰囲気はもう感じられなかった。

 吹っ切れたように明るく振る舞う恵は痛々しく見えた。


「あたしは自分に勝てなかった。 だからさ、諦めずに頑張れとか、 無責任なことは言えないし、よく考えろとしか言えないわ。 ごめんね……」


 朱音はなんて返答すればいいのか言葉に迷った。

 互いに無言でいるわずかな時間でさえ耐えられそうになく、必死に次に繰り出す言葉を探した。それでも、気休めの言葉を掛けるのは諦めた。


「いいえ。こちらこそ、ごめんなさい。こんな大変な時期に押し掛けてしまって……」


「ううん。いいんだよ。……、力になれなかったけど、今日会えてよかったよ」

 

 悔しさ、悲しさ、情けなさ、それらすべてを圧し殺して、彼女は微笑んだ。


 夢破れた恵の顔は、曇っており、まだ迷いがある。


 自分の好きなことを続けて夢を叶えるのは、相当の覚悟が必要なのだと、朱音は悟った。


 そしてまだ自分にはその覚悟が決まっていない。


 選択することで、取り戻せなくなる未来がある。一方に打ち込めば、もう一方は疎かになり、まともな人生をおくるレールから逸れてしまう。

 人生の犠牲を払ってでも絵を描き続けることが、最善の選択なのだろうか。

 

 帰り道、朱音は電車に揺られながら空を見た。憎たらしいくらい、抜けるような水色がどこまでも広がっていた。


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