(6)死亡前 7月1日14時30分
7月1日、日曜日の昼下がり。
朱音はとあるコーヒーショップで高校のOGに会っていた。
OGこと、樋川恵はストローを啜った。ホイップ乗せのアイスカフェモカの残骸がズズズと音を立てる。恵は言葉を探すように、遠くを見つめていた。
朱音もアイスココアに少しずつ口をつけながら、恵が話し始めるのを待った。コーヒーがメインのこの店で朱音が飲める数少ないメニューだった。
むかいに座る樋川恵は、同じ出身校とは思えないくらい異質な姿をしている。派手な柄のTシャツに、ダメージデニム、厚底のブーツ。髪は真っ赤で、両耳にはピアスがびっしり。しかも6歳年上。普段こんな歳の離れた人と話したことない上に、恵の容姿から醸し出される雰囲気に飲まれ圧倒されてしまう。
「話って進路のこと?」
ドリンクが底を尽き、間が保たなくなった恵が口を開いた。
「それさ、あたしでいいの? 相談相手を間違えてない?」
まるで突き放すような言い方だ。
朱音は臆する気持ちを押さえ込み、食い下がって聞いた。
「樋川さんにお話を聞きたいんです。歴代の軽音部で本格的にバンド活動されていたと聞いたので」
「ああ、なるほど。そっか……」
何を語りかけても恵の表情はずっと曇ったままだ。
「わざわざ来てくれたのに悪いんだけどさ、何も言うことないや」
「えっ……」
「バンドも、そろそろ潮時だと思ってるし」
「……」
「そんなやつの話なんか参考にならないでしょ?」
空気が重い。
軽音部の同級生が「樋川先輩はすごい。バンドデビューも夢じゃないくらいのカリスマと実力がある」と熱く語るくらい、軽音部の伝説的OGだと聞いていた。
そんな彼女が今、自分と変わらない、ごくごく普通の女性に見えた。未来に迷い、憂うようなひとりの女性に。
朱音は自覚しながらも、残酷な質問をした。
「その後は……、どうするんですか?」
恵は胸を打たれたように、一瞬苦しい顔をしたが、あっさり言い放った。
「フリーターかな」
恵は自虐的な笑いをした後、あっけらかんと語り出した。
「フリーターだよ? 笑えるでしょ。親に言われて一応大学に進学したけど、バンド活動ばっかりで、就職活動もしてこなかったし、バンド以外でやりたいこともなかったしさ。しかも、こんなカッコじゃどこも雇ってくれないよね」
恵は無理して明るく振る舞っている。朱音はひどく胸が傷んだ。
なんでバンド活動は大成しなかったのか、諦めなくてはいけなかったのか。それを聞くのは心苦しく、朱音は何も言えずにいた。
「あー、ごめんね。暗い話になって」
「いえ……」
「あたしね、自分がすごく上手いって自惚れてたんだわ。大学生やりながらバンドデビューなんて想像してて。……でも現実は違ったね。好きとか楽しいだけじゃ、全然辿り着けなかった。このままやっていけるのか不安になっちゃって……。あたしも今、ここの先どうすればいいのか悩んでいたところだったんだよね」
初対面の時に感じた威圧的な雰囲気はもう感じられなかった。
吹っ切れたように明るく振る舞う恵は痛々しく見えた。
「あたしは自分に勝てなかった。 だからさ、諦めずに頑張れとか、 無責任なことは言えないし、よく考えろとしか言えないわ。 ごめんね……」
朱音はなんて返答すればいいのか言葉に迷った。
互いに無言でいるわずかな時間でさえ耐えられそうになく、必死に次に繰り出す言葉を探した。それでも、気休めの言葉を掛けるのは諦めた。
「いいえ。こちらこそ、ごめんなさい。こんな大変な時期に押し掛けてしまって……」
「ううん。いいんだよ。……、力になれなかったけど、今日会えてよかったよ」
悔しさ、悲しさ、情けなさ、それらすべてを圧し殺して、彼女は微笑んだ。
夢破れた恵の顔は、曇っており、まだ迷いがある。
自分の好きなことを続けて夢を叶えるのは、相当の覚悟が必要なのだと、朱音は悟った。
そしてまだ自分にはその覚悟が決まっていない。
選択することで、取り戻せなくなる未来がある。一方に打ち込めば、もう一方は疎かになり、まともな人生をおくるレールから逸れてしまう。
人生の犠牲を払ってでも絵を描き続けることが、最善の選択なのだろうか。
帰り道、朱音は電車に揺られながら空を見た。憎たらしいくらい、抜けるような水色がどこまでも広がっていた。