18。月の過去
それぞれにスノードロップには、辛い過去がある。玉に辛い思い出があるように月にもあった。
月が梓であり、まだスノードロップという組織ができるよりも前だった。梓は、弟と母と3人で細々と暮らしていた。
そもそも梓の父親は、軍部の特殊部隊に所属しておりアルタイアで起きた武器庫を爆破されるというテロの鎮圧に出動要請が出ていた。その当初は、特殊部隊はテロの鎮圧が多くアルタイアとの仲を強固なものにしていたのもあり遠征に出ることになった。
その帰りの船で、夜中にぼやが起きた。夜中ということで気付くのが遅れたため、船の乗員は全滅。鎮火できないとして船を捨てて逃げようとした者達も、小舟すらもなく身一つで荒波に投げ打ったことで、生き残れた者は誰もいなかった。
その訃報を受けた母は、寝込み食事も喉を通らなくなった。父の仕送りのお金もなく母は寝込んでどんどんと痩せこけていく。
梓は、弟とそんな状態になった母を養う為にニ街区の農園で下働きをすることにした。子供の足では、かなりの移動距離だ。それでも自分が働かなければ、家族は死んでしまう。
父が亡くなったのは、梓が5歳、弟の灯2歳の時だった。父の貯金が残っており、そのおかげでなんとか一年は凌げた。梓が6歳になった時に農園の仕事を紹介され、働き始めることができた。
(泣いているヒマはない。はたらいてはたらいて。ともりが悲しまないようになるべく笑顔を作ってーー)
「梓ちゃん、小さいのに偉いねぇ。いくつになるんだった?」
「7才」
「7歳! うちの孫と同い年だわ〜」
「あれ? あんたのとこの孫って、あのお転婆坊主かい。 ……本当に同じ7歳とは思えないねえ」
「……おばさん、しゅうかくおわったよ。ここにおいておくね」
「あぁ、ありがとう。働き者で助かるよ。今日はこの後、なにもないから早く帰って良いよ」
「ありがとう、ございます」
チャリっと、小さな硬貨を手のひらに乗せられた。
(ぎん2枚。これだけじゃ、足りないだろうなぁ)
梓は子供だということで、平均的な給料の半分にも満たない額しかもらえていなかった。平均いくらが妥当なのか。なんてことは、7歳の子供に知る由もなかった。大人ならば、少ないと文句を言っている。言われないことをいいことに、少ない金額しか渡さず大量の仕事量を押し付ける。いいように使われていた。
梓としても、薄々気が付いてはいた。しかしここを追い出されたら、働ける先なんてなかった。
銀2枚で買えるのは、せいぜい米一握りといったものだろう。
そそくさとその場を後にして、畑の小さな小屋を目指した。ニ街区を流れる小さな川の隣に馬小屋のような、人の住めるような形でない小屋が立っている。穴だらけの屋根に、風から身を守ることもできない壁。そんな建物だった。
その中に腐りかけの大根やにんじんが捨てられている。販売できない物をここに捨てて、時間がしたら混ぜ込んで肥料にする。昔は、形の崩れた野菜を安く売っていた建物だった。しかし、売上も良くないので今では肥料を作る場所になっていた。
そこから食べられそうな部分を切り取って布につつんで持ち帰る。晩御飯のおかずの足しにするのだ。少しでも、腹の足しになるものを持ち帰らないといけない。腐りかけの大根を見つけた。
この大根がなければ、またいつもの一握りもない米を大量の水で炊いた汁を飲むことになる。多少腐っていようと、梓にとっては立派な大根に違いないのだ。
(早くかえろう。おなかを空かせてともりがまっている)
家の前に着き、指で口角をぐっと持ち上げる。意識的に笑おうとしなければ、暗い顔になってしまう。でも、自分の弟の前でくらい笑顔でいたいものだ。
(よし、まだ私笑える。だいじょうぶ)
ガラガラと玄関の入り口を開いて家に入る。
「ただいま。今日はだいこんがあるからーー」
いつも通りに家の中に入り弟に声をかけた。いつもなら弟はすぐに駆け寄ってきて、梓の足にしがみつく。弟は、姉である梓のことが大好きでいつも梓にくっついていた。それなのに、なぜか今日は来なくて驚き家の中を見渡した。
弟は、母のふとんのそばで母と手を繋ぎ横たわっていた。ただ寝てるだけのように見える。
それなのに、すごく嫌な汗がダラダラと流れた。
台所におこうとしていた大根を包んだ布を落とし、バラバラと床に散らばった。履き物を散らかすように脱いで、小上がりになった部屋に上がる。
「おかあさん、ともり……? なんで返事してくれないの?」
梓が恐る恐る近づいていく。手をかざすと、弟も母も息をしていなかった。
「ねぇ!! おかあさん、ともり! おねがい!! 目を開けて!!」
口元にかざした手を、肩に置いて二人をグラグラと交互に揺すぶった。
(どうして? はたらきに行かなければ、私は、ひとりにならなくて済んだのかな)
ガラガラーー
「……君が山内 梓、だね」
「……なぜ私のなまえをーー」
「私が君のことを探していたんだ。君の家族のことはーー残念だったね。でももう大丈夫。君の新しい家族がいる。
君を必要としている人がいる。どうかな」
「ーーーーでも、私のかぞくはもういない」
「私がくるのが遅くなってしまったからこのような結果になってしまった。だから私が責任をとって君を引き取ろう。 ……さあ、私についてくるんだ」
「……あなたは、だれ」
「私かい?」
「うん」
「一度しか言わないから、よーく覚えておくんだよ。ーーー私の名前は、水本だ」
梓に背を向けてゆっくり歩き出す。
ぼそりと 『こんな精神力の高さ。きっと大物になる。
山内が死んで家庭が崩壊してくれたおかげでいい機動に乗れそうだ』 と。
梓にはその呟いた話の内容の意味が理解できなかったが、自分のこと、自分の家族の話をされているのはわかっていた。 ゆっくりと進む水本の背中を追うしかなかった。
軍部の入り口についてピタッと水本が止まり、振り返りうしろをついて来ていた梓を見下ろした。
「君を待っている子が一人このなかにいる。
ただし、この扉を開いたら君の家には二度と戻れない。だが、君の母親と弟は私が責任を持って墓を作り山内と同じ墓に名前を入れてやろう。 ……やくそく、をする」
「そ、の。おはかには、いつ、……いつ、行けるようになりますか」
「君が強くなって、私が許可を出したら行けるようになる。会いに行きたければ、頑張るしかない。さあ、中に入ろうか」
ピピピッと音がして扉が開き、すぐの扉を開いた。
そこには、真っ黒のワンピースを身につけた自分より小さな女の子がいた。紫の瞳に黒の細い長い髪、真っ白の肌。今まで見た人の中で一番、お人形のような女の子だった。
表情もないことが、さらに人形の様に感じる。
ーーこれが玉と月が初めて顔を合わせた瞬間だった。




