1。玉、月、杏
「はぁ、まだ終わらない…」
早く終わらせたい。なのに終わらない。
とにかく今は、戻らなくては。今はまだ……その時じゃない。
重たい瞼を開いて上を見上げる。もうすぐ太陽が昇る。その空には、薄い雲がかかっていた。
玉が上を見上げたときに雲と雲の隙間から、すっと月が顔を覗かせた。
月に変わって太陽が空の主役になろうとしているのに、月が輝いて玉のことを見下ろす。
胸元に輝くペンダントが、そんな月に負けじと輝いた。
(あぁ、今日の月は満月だ。月が綺麗ですねって言葉はこんな月を見て思いついたのかな)
そんなどうでもいいことを考え始めた。
大きく深呼吸をして、ぎゅっとペンダントを握る。
ようやく掴んだ証拠だ。
この国の最高戦力であるこの組織を解体して自由を手に入れたい。
そのためには証拠を手に入れて、組織の解放をしたい。
その証拠をずっとずっと、探し求めていた。
やっとひとつ手に入れることができた。
(これをいち早く、鑑定部に回して… 報告書を書いて。やることが多すぎる。とにかく、早く戻らないと。
本当にこんな組織の中で苦しくて。いつまで続けたらいいの?)
まだ冷えた風の中自分の心臓の音だけが響き渡る。目の前が、真っ白になったように感じた。
――私の帰還を待ってる。
(大丈夫。大丈夫)
何度もそう、自分に言い聞かせる。
(はぁ、瞼が重たい……)
ぎゅっともう一度瞼を閉じて、目を見開く。
前を向いて左耳につけていた無線機を電源をつける。
…ジジジ……
「こちら玉。 無事に任務遂行。 今から帰還します」
『ジジジー……』
(これは、無線機の故障、かな。向こうもきっと聞こえてないんだろうなぁ。
もっといい物に作り直して貰わないと。これじゃ、使い物にならない)
今回のこの一件は、相当大きく事が動くことになるはずだ。
向こうより先にこちらが先に、王手をかけなければならない。
先手必勝……とは、よく言ったものだ。
血で染めた自分の手は、どこまでも黒く感じる。
私たち"スノードロップ"は、殺しをするために作られた組織。
その組織に所属している。
長い期間ずっといて、たくさん新しい子達も入ってきては立ち替わり入れ替わり。
殺すか殺されるか。
いやだいやだ。と思っても、閉じ込められたから籠の鳥。
逃げ出そうとしたのなら、籠に戻されるか殺されるか。おそらく、後者の方が多かっただろう。
たくさんの子達が苦しい過去を持ってこの組織に入ってくる。
そのうえ、この仕事をさせられる。
(やっと着いた)
事務所の扉の前にあるカギに右手の腕につけていたブレスレットをタッチをする。
ーーピピピッ……認証されました――
部屋の前にある暗証番号を素早く入力して、部屋の扉が開く。
(はぁ、もう終わらせたい)
重たい瞼を閉じて、私たちに降りかかる全てのものから解放されたい。
せめて私だけに……
「玉、戻ってこれて良かった」
「もしかして、無線機壊れた? 何の連絡もなかったから心配してたんだよ〜。……あ! 任務お疲れ会でもする??」
事務所の部屋に入るなり、2人に話しかけられた。
黒のストレートヘアの後ろ姿の月と、少し茶色の癖のある髪をポニーテールにまとめている杏。
「そう、無線機の電源を入れたけど何も聞こえなくてね! お疲れ会なんてしてる暇ないでしょ?」
「えぇ〜残念だなぁ〜」
「玉は、ひとりで抱え込み過ぎだと思う。
もっと私たちのことも頼って」
黒髪のストレートの髪を揺らしながら、振り返る。
私の姿を捉えた吸い込まれる程の黒い瞳に見つめられた。
両手をひらひらさせながら、顔に残念と書いてあるような顔をしていた。
目が合いにこっとして髪色と同じ色素の薄い茶色の瞳を細めた。
そして彼女のトレードマークの真っ赤の口紅を手に取り、塗り直そうとしはじめる。
そんな2人をみて、思わずほっとして笑顔になる。
ーーこんな平和な日常が幸せだ。
そして、この幸せだけを感じで生きていきたい。
私だけじゃなくてスノードロップの子達全員が、感じられるようにしたい。
幸せだな、と感じるたびにその願いは強く強くなっていく。
「ありがとう、月。杏は、ほら! 遊んでないで仕事の続きを頑張ろうねぇ」
「はぁい〜それよりも! 何でそっちの名前で呼ぶのさ! あんまりその名前好きじゃないんだけど」
「ここ事務所だから」
月はツンとした表情で、ぴしゃっと言い切り自分のパソコンに顔を向き直す。
「そうだよ〜! 月の言う通り」
「うぅ、ごもっともですぅ〜」
あははっと笑いながら、椅子をくるりと回して器用に正面を向く杏
二人とは、所謂”同期”というやつだ。
冷淡と思われがちな、白 香月、マイペースな陽 儷杏。
この名前もこの組織内だけの名前。
私の名前の姫 玉覇も。
この組織に所属する者は、本当の名前を名乗ることが許されていない。
代わりに名前をつけられる。
そして、私たち3人はこの組織の幹部なので苗字もつけられている。
本当の名前は、私たち3人はお互いに知っているが組織内でも知る人は他にいない。
――私の本当の名前は、高松 梨那
月は、山内 梓
杏は、桃山 叶果
それぞれに与えられた名前と役がある。
それを私たちはやり遂げなければならない。
作られた箱の中で役を演じ、与えられた任務を遂行しなければならない。
だからこそ、組織での名前なんて嫌い。
本当の名前はあってないようなもの。
(ごめんね、叶果。 私だって本当は"杏”より”叶果”って呼びたいんだよ。)
私たちの仕事は冷たくて機械のような心にしてこなさなくてはいけない。
わたしたち"スノードロップ"という組織は。