表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
(旧) 小説が書けない君へ  作者: あかいの
5/32

バス停までの脳内

 なぜ小説を書くのか。

 

 小説が好きだから。

 小説を通して自分の思いを伝えたいから。

 そこに小説があるから。


 人によって様々な理由があるんだろうけど、その人達はいつ小説を書くのに理由が必要になったのだろうか?

−−−−−−−−−−−−−−−−

 

 例え明日世界が滅ぶとして、それが全人類周知の事実であったとして、それでも大多数の人間は普段と変わらない生活を送ろうとするのではないか?

 

 こんな予想を何かのネタになると思いノートに書き留めたことがある。もちろんこの予想の正否を確かめる術なんてないけど、私はこれが万有引力の法則やカラスが黒いことなどと同程度には真実性のあるものと思っている。

 

 なぜなら、習慣の力がそうさせるからだ。。

 明日世界が滅ぶとしも、なお強大な習慣の力は私達に確かな作用をもたらし、普段と変わらぬ生活を送らせようとするからだ。

 

 もちろん、眼球の付いた万年筆が喋りだした程度のことは、世界が滅ぶことに比べれば大したこと出来事ではない。しかし、それなりに劇的なことがあった翌日でもこう坦々と工場へ向かえるのは、習慣の力に支配されてるからに違いない。


 バス停へと向かう道中に私はそんなことを考えていた。平日の毎朝、7:10に家を出て、7:17発のバスに乗る。就業開始時間にギリギリ間に合うバスに乗るという私の習慣だ。


 ちなみにヘルメスは家に置いていった。万年筆が喋るところも万年筆と喋るところも見られる訳にはいかないからだ。

 外に出たいと駄々をこねられたらどうしようと思ったが、意外なことに自宅待機にはあっさり同意してくれた。まあ、あいつは喋るだけでなく動くこともできるから、私の同意などなくても外へ出れるのだろう。外に出て、そのまま帰ってこなければ、外へ出てくれて一向に構わないが。


 習慣は具体的な行動だけにあるものと思われがちだが、脳内の思考に置いても存在すると私は思っている。

 ついつい考えてしまうことがあるとか、そもそも考えてしまう性質だとか。

 

 私の脳は反芻思考を習慣にしている。気になってしまったことを何度も繰り返し考えてしまうのだ。今回、気になってしまったのは、もちろんヘルメスからの問だ。

  

 私の脳内は、なぜ小説を書くのかというヘルメスの問を反芻していた。牛の反芻は食べた草の消化を良くする為の行為であるが、この問は脳内外を反芻させたところで決して消化が良くなるわけではない。消化できない食べ物を食道で動かしている気分だ。

 

 この問への解答はヘルメスに言われるまでもなく自分で何度も考えたことがある。何度も考えはしたのだ。しかし、解答が出たことは一度もない。

 

 解答が出ないと次第にその問は不安に変化していく。未知に不安に覚えるとはよく聞く話であるが、不安に変化するのは「解答できない」=「未知」になるからだろう。


 だから私は次第にその問について考えるのをやめようとした。不安になるぐらいなら考えない方がマシだと思ったからだ。世の中にはどうしても消化できない問が存在するのだと自分に言い聞かせることにした。


 まあ、言い聞かせたところでで簡単に操れないのが脳の厄介なところである。消化できない食べ物は吐き出せばよいが、脳内の不安は吐き出したところで何かをきっかけにまた飲み込みだすのだ。ヘルメスの問はまさしくそのきっかけであった。私の意思と異なり、私の脳は不安に対して本当に食欲旺盛なのだ。


 とりあえず、ヘルメスの問とは関係ない全く別のことを考えてみよう。

 何でもいい。

 

 昨日口にした栄養ドリンクの味。

 今日社食で出るメニュー。

 1週間掃除していない家のトイレ。

 近所にできたオシャレさを醸し出すカフェ。

 友人と通った地元のファミレス。

 高校生の時の学園祭の思い出。 

 10年前に読んだ面白い小説。

 なぜ私は小説を書いているのか。

 ………。


 駄目だ。分かってはいたが、他のことを考えようとしても自然と再考してしまう。寧ろ遠ざけようとすればするほど考えてしまう。


 ならばいっそのこと、一旦真剣に考えてしまった方が寧ろ考えなくなるのではと考える。筋肉に力をずっと加えていると、疲労で自然と脱力してしまうように、真剣に考えて疲れるのを待つ作戦に移行することにした。


 なぜ小説を書くのか。


 とりあえず、小説が好きだからではない。好きなものは他にもある。

 小説を通して自分の思いを伝えたい訳でもない。それならもっと楽な方法がある。

 そこに小説があるからでもない。小説はただあるだけだ。


 巷で言われていそうなことが自分に当てはまらないことだけは確信できる。でもやはり、自分がなぜ小説を書くのかはわからない。

 自分だけの理由を求めているわけでもない。他の人には当てはまらない独自の考えで私は小説を書くわけではない。私に小説を書く理由があるなら、もっと平凡で素朴で陳腐だと思う。


 私が小説を書き始めたのは大学3年生の頃。その時は、ひたすらイメージを文字にすることに夢中になり、なぜ小説を書くのかなど疑問にすら思わなかった。少なくともあの時の私に小説を書くことに理由は必要なかった。


 なら今の私には?

 何となく必要そうと感じているだけなのではないか?


 バス停までの道中、毎日前を通る弁当屋がある。今日も7:15にその弁当屋の前を通る。あいかわらず、入口に貼ってあるメニュー表の写真が美味しそうだ。ただし、この弁当屋の営業時間は平日8時から15時、土日休日は営業していない。私にとっては存在しても大して意味のないものだ。平日働いていたら絶対に行けないからだ。


 なんとなく、なぜ小説を書くのかという問いとこの弁当屋の存在が似ていると思った。なぜそんな風に感じたかを考え始めた時、いつもより1分も早く到着するバスを遠目から認めた。私の意識は完全にバスに向いてしまい、それ以上考えを深めることなくバスに向かい走り出した。

何書くか結構悩んでしまい、次話投稿大分遅れました。

次話は9/29日投稿予定です。(多分)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ