第7話 劉備玄徳、異世界勇者と邂逅す
「ここがおらの村だ」
そう言ってゴブリンの子は指さした場所には、藁や木を組み合わせただけの簡素な住居が並ぶ集落が見えた。
ゴブリンの村である。
今現在、この村の近くには冒険者、王国正規軍、そして異世界転生者…勇者を合わせた連合軍が陣を張っていた。
目的は恐らく魔族の領域、魔征域への侵攻を目的とした拠点奪取の軍事活動。
その進行上にこのゴブリンの村があり、恐らく戦争が始まればこの村は一瞬で灰燼に帰すだろう。
しかしこの村には、今にも子供が生まれそうな身重のゴブリンの母がおり、そのゴブリンの子の要請で、その母が子供が生まれるまで村を守って欲しいと頼まれ、ここにやってきたと言う訳だ。
その村の場所は、イファリウスの使徒ルゥイラ、それに暗黒騎士の二人と別れた後、そこからさらに30里(15km)進んだところにあった。
村の様子は、見ればまだ軍勢の姿は見えず、とりあえず無事のように見える。
そのまま村に入ると、辺りに村の住人…ゴブリンの姿も無く、静けさが辺りを支配していた。
「誰もいないな」
「み、みんな…村を捨てて逃げちまったと思います…おらが村を出る時もいっぱい村から出てくのを見えてたから…それよりおらの母ちゃんが居るところはこっちです」
そうゴブリンの子は言うと、先導するように前を歩いて行く。
村の中心にあった大きな焚き火を抜け、三つほどある住居の真ん中の方へと歩いて行く。
その目指してる住居に近づくと、急に入り口を仕切っていた皮布を押し上げられ、やたら体格の良いゴブリンが出てくるのが見えた。
「…ガス! おんめえ逃げなかったのか?」
「おうオロ、おめえの母ちゃんには随分世話になったからな…置いてけねえさ! …他のみんなもな」
その会話からゴブリンの子はオロと言う名前だった事を初めて知る。
そしてオロがガスと呼んだ体格の良いゴブリンの脇から、さらに2人ほど小さめなゴブリンが現れる。
「ヒョロにムッチ! おめえらも…いたのか!」
そうオロが声をかけるゴブリンは、片方は痩せていて、もう片方は太っていた。
なるほど…だからヒョロにムッチか。
二人はオロに言葉をかけられ、嬉しそうにニコニコしていた。
「で…その人は? なんだかその偉く…あれな感じだが」
体格の良いゴブリンであるガスは、ジロリとこちらを見てそんな事を聞いてきた。
「私は…デスメソルの領主レヴィル・グロリアス・マリアルだ」
「へ…? 領主…って事は上級魔族の方でございますか!? へ! へへー!!」
ゴブリンたちは、私の身分に気づくと一切に平伏してきた。
そしてしばらくそうしてると、ガスがこんな事を聞いてきた。
「ご…ご領主様がここに来てくれたと言う事は、もももしかしてこの村を救いに来てくれたのですか…?」
そう恐る恐るガスが聞くと、私が答える前にオロが得意気に口を開いた。
「そうだ! レヴィル様はおらたちを助ける為に来てくれたんだ!」
そうオロが言うと、3人は、おおお…と感嘆の声を漏らしていた。
「上級魔族様が助けに来てくれたなら安心だ! …それで兵はどちらの方に…?」
「あ…そ、それは…」
ガスの問いに気まずそうにするオロ。
そしてどうしましょうと言う目配せを送ってくるので、代わりに代弁する事にした。
「兵は私一人だ」
「へ…? ひと…り…一人!? 本当に一人なんか?」
「そうだ」
その返答に、口をあんぐり開けて言葉を失うガス。
そして正気を取り戻すように顔を振るとこう言ってきた。
「お…恐れ入りますが、相手はとんでもない数がいるだ…レ、レヴィル様はそれを一人で倒せるほど…お強い、と言う事なんか?」
大軍を一人で倒す。
確かに上級魔族になると、一騎当千級の力を持った戦略兵魔的な魔族もおり、恐らく彼はそれを期待して言ってるのだろうが…残念ながら私は、元々人間との半魔で魔族としても基本ベースが弱い。
そんな私は通常兵魔…つまりそこらの兵士並みしか力は無いだろう。
強みがあると言えば、劉備玄徳時に培った剣技のみだが、それも少し魔力の強いクラスの者と戦うとなったら…きっと通用はしない。
外道だったレヴィルの時だったら、力が無くても見栄を張るところだろうが…当然そんな事をするつもりは無い。
そう思いガスにありのままを伝える事にした。
「残念だが、私にはそこまでの力は無い」
「え…!? じゃ、じゃあ…あんないっぱいの人間の兵士どうやって…」
「戦いでは何とかならんが…もしかしたら話し合いで、ゴブリンの赤子が生まれるまでの時間は稼げるかも知れない」
「話し合い…魔族が人間なんかと話し合い何か出来るのか?」
不思議そうに首を傾けてそう言うガス。
確かに魔族と人間は、ここ最近争いは無かったものの、基本的には対立関係にある。
特にゴブリンなど、冒険者などの標的にされる為、恐らくはほとんどのゴブリンが人間と会話した経験が無い。
その事から魔族と人間が会話できる事すら想像出来ないのだろうが…実際魔族と人間、全く交流が無い訳では無い。
商売での営利目的な繋がりや…もっと深いところを言えば、魔族を受け入れてる人間の街や都市もあるしその逆、魔族が人間を受け入れてるところもある。
…今となってはあまり口にしたくは無いが、外道だったレヴィルも、人間の戦災奴隷を買っていた時は人間の奴隷商との繋がりがあった。
だから魔族と人間、全く会話が成立しないほど話し合えない事は無い。
…が、それもこれから開戦する状態に至っては、ガスの言う通り話し合いなど出来る訳も無いだろう。
それは相手が同種族同士でも中々難しいところだ。
しかし私には人間と会話にこぎつける策がある。
それは勇者の存在だ。
彼らは何らかの方法でこちらの世界に来た異世界人で、恐らくこの私劉備玄徳がいた世界からやってきた者たちだ。
つまり同郷の者だ。
魔族の私では、こちらの世界の人間とは話し合いは不可能だろうが、同じ異世界から来た人間とは話し合いが出来る可能性はかなり高い。
さらに彼らが所属する勇者連合ブレイブガーディアンは、私と同じ異世界人を保護している活動もしている。
私の肉体は魔族になってしまったが、心が人間…異世界人である事が彼らに分かってもらえれば、私も保護対象になるかも知れないし、そうなればこちらがやりたい事、ゴブリンの母が子供を生むまでの時間稼ぎくらい、協力を取り付けられるかも知れない。
…とまあ、ここまでは私の都合の良い希望的観測に過ぎないが…今の私にやれる事はこれしか無い。
しかし希望的観測である以上、当然盤石な策では無い…私が失敗した時の事を考えると、やはり出来るなら、妊婦のゴブリンはこの場から少しでも遠ざけた方が良いだろう。
「とにかく私に出来る事はするが成功するとは限らない…最後に聞くが、妊婦のゴブリンはここから動かす事は出来ないのか?」
「…さあ、おらぁが生むわけじゃ無いから良くわかんね。…だから中入ってココ婆に聞いてくれ」
そうガスは言うと、入り口の皮布を大きく上げて入るように促した。
言われるままそこに入ると、ゴブリン特有の体臭が少し鼻につき、少し顔をしかめしてしまう。
それを我慢して中を見渡すと、篝火だけの薄暗い中、まず目に入ったのは汗だくの女のゴブリンがひゅーひゅーと苦しそうに息を吐いており、その腹はかなり大きく膨れ上がっているように見えた。
ゴブリンの妊婦を見た事無いから、普通が分からないが…これは少し大きくなり過ぎでは無いか?
そう思いながらマジマジ見ていると、女ゴブリンの腰辺りに、小さい老齢の老婆がいた事にも気づく。
これは…産婆か?
ゴブリンの中にも、そう言った生業の者がいるのは初めて知った。
とにかくこの者に聞けば、ゴブリンの妊婦が動かせるかどうか聞けるだろう。
「ご老人…ここには人間の軍勢が攻め込んでくるかも知れない。何とかその婦人を移動させる事は出来ないのか?」
そう聞くとゴブリンの老婆は、顔を地面に擦り付けるような平伏をするとこう言ってきた。
「上級魔族様が我ら三劣に対し、そのような気をかけて頂くだけで、誠光栄の至りでございます。…ですが申し訳ございません…この女の腹には3か4つ、子がいると思いますならば…これは生むだけで死んでしまうかも知れない難産でございます。妊婦の命を気にするなら動かす事はなどとても出来ません、と…そう思う次第でございます…へえ」
産気づいた4つ子か…確かに動かすのは危険かも知れない。
「分かった…後の事は私に任せ、お前たちは子を生む事に専念しなさい」
そう言うと踵を返し住居の外へ出ようとした。
その時ゴブリンの妊婦がありがとうございますと、掠れた声で言ってきたのが背中越しに聞こえてきた。
外に出ると、先ほどの4人のゴブリンが不安げな顔をしてこちらを見つめてきた。
「事情は分かった…ここから動かすのは確かに無理そうだな」
「んなら…ど、どうするだ? やっぱり戦うだか?」
そうガスが聞いてきた。
さっきからガスばかり喋ってるところを見ると、彼はこの中で頭目的存在なのかも知れない。
「…いや、私が人間の陣営に行って、子供が生まれるまで攻撃しないよう頼んでみよう」
「そ、そんな事出来るだか?」
「…こう見えても一応デスメソルの領主だ…統治者が話し合いに来たのに、いきなり殺すような野蛮な事は流石にしないだろう」
「で、でも一人で行くのは危ないだ! おら達も一緒に行くだ」
そう言って頼もしげに胸を叩くガス。
自分にも何か出来る事は無いかと思ってそう言ったのだろうが…。
「いや…ここはオロが、人間の陣営までの案内だけしてくれれば良い…後は一人で何とかしよう…お前たちはもしもの時に備えここに残るのだ」
「だども…」
「…護衛が一人増えた程度で、あれだけ数の敵は防げはしない…だったらもしもの時に備えて動ける者をここに残した方が得策だ」
そう言って自身の耳飾りを外すとガスに渡した。
「これは?」
「遠くの者と会話する事が出来る魔呪錬具だ。交渉が失敗したらすぐに連絡するから、その時は無理でも妊婦を運んで逃げなさい」
「け、けど…いや、わ…分かっただ」
少し悩むそぶりを見せるものの首を縦にふるガス。
そんな彼の肩を叩くと、オロに声をかけ、ゴブリンの村を後にした。
オロに人間の陣営まで案内させると、またまた獣道を縫って歩く道のり歩かされた。
草をかき分け、枯れ木をポキポキ踏みしめながら進んでいく。
こんな道、劉備玄徳の記憶が戻る前のレヴィルなら絶対に通らなかっただろうが、新野城から10万の民と共に、曹操から逃げていた時の山道を思い出せば、このぐらいの獣道はどうと言う事は無い。
「後少しだ」
前世の事を思い出していたら、不意にオロがそんな風に声をかけてきた。
「ここをもう少し行くと、少し開けた原っぱに出て、そこに人間がいっぱい…いただ」
「そうか」
いよいよ人間たちとの交渉が迫ってきたが…果たして話し合いは出来るだろうか?
村ではああ言っていたが、戦力差を鑑みたら交渉にすらならないのが、正直現実と言ったところだろう。
それを私と同じ同郷の異世界人たちと話して、上手い具合にしようと言う感じだが…。
そもそも異世界人…勇者に取り次ぐ前に、この世界の人間に、門前で殺されてしまう可能性は十分ある。
だから陣営に行って最初に顔を合わせたいのは勇者…ヤマダ・タカシである事が望ましいが…彼の立場がもし陣営内で将軍クラスであったら…いきなり会わせてもらう事は非常に困難になるだろうし、その可能性は高い。
ならば正面から行くより、忍び込んでヤマダ・タカシが居る場所を探した方が良いかも知れないな…うむ、そうするか…。
そんな事を考えていた時だった、
「レヴィル様」
突然正面の横の茂みから、女の声が聞こえビクリとする。
体を強張らせたのは、突然声をかけられて驚いただけでは無い。
その声に聞き覚えがあったからだ。
「マレーゼか…」
声をかけると、銀髪赤眼を持つ魔族の女が茂みから姿を現す。
そうその声はラファルドが抱えている戦闘使用人であるマレーゼだった。
彼女は瞬間移動で先回りしたのだ。
暗黒騎士にあれだけ痛めつけられてたのに…回復手段を持ち合わせていたか…。
そしてマレーゼはラファルドの部下だ…その目的は私を連れ戻す事だろう。
情けないが、私の腕では到底倒す事が出来ない相手…武でその目的を止める事は難しいだろう。
…後は話し合いだけだと思い、暗黒騎士と別れてしまったのは失敗だったかも知れない。
唯一暗黒騎士だけが彼女を倒す事が出来ていたのに…これは誤算の一言に尽きる。
とは言えここまで来て簡単に連れ戻される訳にはいかない。
そう思い剣を抜いて構えるが…。
「無駄ですよ」
そう彼女が言うと、すーっと陽炎のように姿が歪むと、気づいた時には背後を取られていた。
そしてその直後、絡みつくように関節を取られると身動き一つ取れなくなってしまう。
これは…何かの体術か…?
「では戻ります」
不味いこのままでは、ラファルドの元へ戻されてしまう…! そう思った時には、彼女がさっき消えた時のように、周りがゆらゆらと歪み始めていた。
く…このままでは…連れ戻されてしまう…!
…そう思ったのだが…。
「何…まさか、妨害!? 私独自の転移ルートを解析して無効化したのか!? まさか、そんな…」
突然マレーゼが焦ったように言ってきた。
言ってる意味は分からなかったが、どうやら瞬間移動が出来なかったようだ。
その後も、いまだ私の体を離さないマレーゼだったが、その表情は暗黒騎士と戦っていた時のような焦りが見えた。
そしてその後もキョロキョロと何かを探すように辺りを見回していたが、その時不意に声をかけられた。
「チート失礼します。貴女が使う瞬間移動はこちらで封じさせていただきました」
そう声をかけられた方を見ると、槍を持った一人の男が立っていた。
姿はこの世界では見た事無い服を着ており、体格は優男のそれで、見た目は強そうには見えなかったが、それでも底知れない物を感じさせた。
見た事無い服装に、底知れない力…まさか勇者ヤマダ・タカシか!?
瞬間的に見た情報からそう結論づけていると、その勇者らしき男はこんな事を言ってきた。
「出来れば殺したく無いので、大人しく捕まってくれれば何もしないし、私も面倒じゃ無いので助かるのですが…」
そんな事を言ってくる勇者らしき男。
しかしその言葉に、マレーゼも引くわけにいかないのか、自分の周りにいくつもの魔法陣を展開して迎撃に移ろうとしていた。
「駄目か…」
そう男が言葉を漏らした瞬間、マレーゼの魔法陣から血色の三日月刃、吸血鬼族お得意の魔法ブラッディエッジを繰り出す。
鋭い風切り音と共に迫る無数の血の刃。
しかし男はそんな状況でも、薄ら笑いを浮かべ立ち尽くすのみだった。
死ぬ気か…!? そう思った。
しかし刃が当たる瞬間驚くべき光景を目の当たりにする。
一瞬男の体が揺らめいたと思うと、一瞬でブラッディエッジを掻い潜り、目の前に現れたのだ。
「しゅ、瞬間移動…か?」
そう咄嗟に呟くと、男は間違いを指摘するようにこう言った。
「いえ? ただかわして通り過ぎただけですよ…チート…すみませんね」
男はあの速度で迫ったブラッディエッジを、ただかわしただけと言ってのけたのだ。
…それにしても、ちーと…とは何の事だ?
男がさっきから会話に織り交ぜてる「チート」と言う言葉に一瞬気が取られるが、次に男が言った言葉で現実に引き戻された。
「抵抗するなら…まあ魔族とはこれから戦っていく訳だし、もう死んで貰っちゃおうかな…うん」
男はこちらを殺すような事を、さらっとした感じに言ってきたのだ。
「く…!」
マレーゼはその言葉に、殺されまいと私を押さえつけたまま距離を取ろうとするが。
「無駄だよ」
男がそう言って手をかざすと、急に全身がビリビリとしぴくりとも動かなくなる。
これはバインドの魔法か、しかもかなり強力な…!
そのバインドの拘束力の強さは、魔力の低い私は勿論、恐らく戦略兵魔級の力を持つマレーゼの動きをも封じていた。
そうしてこちらの動きを完全に封じた事を確認すると、男は私とマレーゼ、もろとも串刺しにするつもりか、突きの構えで持っていた槍を構え最後の言葉をかけた。
「じゃあ悪いけど死んでね」
不味い…このままでは殺される…!
「ま、まて!」
何とか殺されまいと咄嗟にそう言ったが…。
「残業は嫌なので待ちません…前の世界のようなブラック職場環境はゴメンなので…」
男は良く分からない事を言い、辞めない意を伝えてきた。
それでもこんなところで殺される訳いかない。
そう思い、とにかく攻撃をやめさせる為、最大限、短く分かりやすく、彼が攻撃をやめるに値する理由を叫んだ。
「私は…異世界人だ!!」
そう叫んだ瞬間、男が眉根をひそめる。
そして態勢を変えないままこう言ってきたのだった。
「…マジ?」