第6話 イファリウスの使徒
その昔、人間の領域にどことも争わない平和を愛する国があった。
国の名はミリヴァーム王国。
しかし自ら争わないだけで、周りの国からの侵攻を受けていた。
だがいくら攻められど、ミリヴァーム王国は滅亡しなかった。
滅亡しなかった訳は、その国にイファリウスの使徒がいたからであった。
…イファリウスの使徒、それは癒しの女神イファリウスに、回復魔法を究極的に極める事が出来る女神の加護、イファリウスの加護、それを得た者たちの事を言う。
究極的に極めた回復魔法は、対象者の傷を一瞬で治すばかりで無く、効果範囲を広げても、味方だけ選んで癒す事が出来た。
その事によりどんなに多くの軍勢に攻めこまれても、傷が一瞬で治る不死の兵士たちが、侵略者を一方的に倒す事が出来た事から、国は落とされる事はなかったのだった。
そんな強力な回復魔法を使えるようになる癒しの女神イファリウスの加護。
それを得たイファリウスの使徒たちは、ただでその加護を得た訳では無かった。
ある物を捧げたのだ。
それは加護を受けた者と子孫は、一生回復魔法や回復薬…あらゆる癒しの秘術が一切効かない体となる事だった。
この世界で癒しの術が効かないと言う事は、致命の傷を負ったり重い病気になると簡単に死んでしまう事を意味する。
前の世界ではそれが当たり前の事だが、簡単に治る物が治らないのは、この世界で生きるには確実に重しになるだろう。
だが女神の加護はその犠牲を強いても得る価値があった。
その証拠に、イファリウスの使徒がいたミリヴァーム王国は、小国でありながら長年大国の侵攻に耐えていた。
しかし永遠に続く物は無い。
恒久的な平和を謳歌していたミリヴァームに欲を持つ者が現れたのだ。
その者は事もあろうか、イファリウスの使徒を大国に高値で売り付けて儲けようとしたのだ。
独占戦略技術の要だったイファリウスの使徒が国外に出てしまった事により、味方だけを完全回復し続ける戦術は、ミリヴァームのお家芸では無くなってしまう。
そしてそれはイファリウスの使徒に取って、暗黒時代の訪れを意味した。
当然だが両方イファリウスの使徒がいる戦場が多くなり、両方死なない兵士たちが永遠に戦い続ける事になってしまう。
そんな戦いに勝つには敵側のイファリウスの使徒を殺すしか無く、その事から戦場に駆り出されたイファリウスの使徒は、どちらかが必ず殺された。
その事によりイファリウスの使徒の一族はその時代に数を大きく減らし、数が減ったら無理矢理子供を作らされていたと聞く。
ちなみに女神の加護が発現するのは女のみで、また同じ系譜の男から女が生まれても女神の加護は発現しない為、無理矢理子供を作らされていた方は…そう言う事になる。
生まれれば必ず殺されるかも知れない戦場に立たされ、さらには無理矢理子供を作らされる。
自分の意思で国や家族を守る為にやってるなら彼らも…いや彼女たちも、己の悲運を喜んで受け入れやっていた者もいるだろう。
だが金の為に売られた者たちはどうだ?
戦争奴隷として売られ、関係ない国、関係ない者の為に死ぬかも知れない戦場に立たされ、そして家畜のように子供を作らされる。
まさに悲惨の一言だ。
しかしそんなイファリウスの使徒も、ある時代から姿を消してしまう。
その時代に、非戦争の思想を持つある新興宗教が、イファリウスの使徒が戦争を増長させる原因であり、人を争いに惑わす悪魔の民として…虐殺したのだ。
それを境にイファリウスの使徒の血は途絶えたと聞いていたが…まさかこの戦災奴隷の娘がそうだったとは…。
なるほど回復薬を嫌がったのは、回復しない体を見られ、自分がイファリウスの使徒である事をバレない為であったか…。
恐らく新興宗教の虐殺から、何とか逃れた生き残りの子孫で、生まれた時からイファリウスの使徒がどんな扱いを受けてきたか良く聞かされて育ったのだろう。
その証拠に、バレてしまった彼女の目から光は消え、自分を守るかのように自らを抱きしめ…小さく肩を震わせていた。
自身がこれから、散々聞かされていた悲惨なイファリウスの使徒、その運命を辿る事を想像しているに違い無い。
自分が戦争に利用されるのか、数を増やす為に子供を作らされるのか、それとも新興宗教がやったように虐殺されるのか…。
そんな事を想像して震える彼女…その憐れな姿につい目を細めると、一呼吸おいて肩に手を置いた。
その瞬間びくりとするが…そんな彼女落ち着かせるようこう言った。
「其方が使徒である事は口外しないから安心しなさい」
「……え?」
その言葉が意外だったからか、彼女は呆気に取られたような顔をしてこちらを見た。
「他にも聞いた者はいるが、ゴブリンはこの事自体理解出来ないと思うし、暗黒騎士は…口止め料を払えば言ったりはしないだろう…だから恐らく今後も其方が使徒である事がバレる事は無いだろう」
「…は…はあ…え? な、何故…?」
「何故とは?」
「…わ、私を…その利用しないんですか? …と言う意味です…」
「…お前を意味も無く殴ってしまった男の言葉だ。信用出来ないかも知れないが…私はそんな事をするつもりは無い」
劉備玄徳の記憶が戻る前のレヴィルは、腹いせでこのメイドの頬を殴ってしまった事がある…信用も出来なくなるだろうが、それでもそう言うしか無い。
「とにかく…其方がそうであった以上、これから先、人間の軍勢がいる場所には連れて行くのは少し考え物だな…」
大昔に途絶えた、自軍だけを完全回復出来るフィールドを作れるイファリウスの使徒は、ギルドや王国騎士軍、そして知ってるかは分からないが異世界人の勇者連合も欲しがる能力である事は間違いない。
もし彼女がイファリウスの使徒としての存在を彼らに認知されたら、あの悲惨な歴史が繰り返される事になってしまう。
だが…。
「メイド、使徒と言う事を隠して、人間の軍勢に保護して貰うと言う事も出来るが…そう…するか?」
普通の人間として保護して貰えば、イファリウスの使徒とバレずに、人間の世界に戻れる可能性はある…しかし。
メイドは大袈裟に顔を横にふり、それを拒絶した。
「一杯人がいるところには行きたくありません…さっきみたいに怪我をしてしまうと、回復させられて…それでバレてしまうので…」
「で…あろうな」
魔族は自己回復能力が高い事から、ちょっとした傷は放って起きがちだが、自己回復能力が低い人間は、怪我したらとにかく何かしらの回復術で治すのが通例になっている。
そんな集団の中で生活していたら、他人の施しも考えたら回復術が使われないなんて事は無い…確かにバレて然るべきだろう。
しかしこれから向かう先は、その人間の軍勢がいる場所。
彼女がイファリウスの使徒とバレないようにする為には、そもそも彼女を見せる自体しない方が良いだろう。
だから連れて行かない方が良いが、ここに置いて行く訳にも行かないし、デスメソルに帰すにも、この獣道を案内無しに戻れると思えない…何よりラファルドが保護してくれとも思えない。
…一体どうすれば。
そんな事を悩んでいると暗黒騎士の姿が目に入る。
そうだ…この者は金で雇われた傭兵。
城にいた魔族と違って人間に対する扱いも良かったし、金さえきちんと払えば、メイドを安全なところまで送る任務も引き受けてくれるかも知れない。
「あ〜…暗黒騎士よ、悪いがこのメイドをどこか人が少ない人間の村まで送り届けてくれないか?」
「え!?」
驚くような声を上げるメイド。
それも当然だ…これからイファリウスの使徒として過酷な運命が待ってると思ったら、過去に自分に対して酷い暴力を振るった奴が、彼女の所在がバレない場所まで、無償で送ると言うのだから驚いて然りだろう。
確かにかつての外道なレヴィルなら、己が我欲の為に、彼女の意思関係なく利用する事は考えただろう。
だが今の私、劉備玄徳の記憶が蘇ったレヴィルは、そんな事は当然しないし、ただひたすらに彼女が安んじられるようするのみだ…そう胸に秘め言葉を続けた。
「もし彼女を無事送り届ける事が出来たなら、追加の報酬も払おう…どうだ?」
そう言うと暗黒騎士は無言で頷いていたので、それを了承と取り、次に娘に向きなおると、自身が使ってる剣を差し出すように目の前へと出した。
「こ、これは?」
「私が使ってる剣だ…皇子の剣として、性能より見た目の装飾を重視しているから…それなりに高価な物だ…適正な価格で売れれば、人の居ない片田舎で暮らす分なら、一生食べていける金くらいにはなるだろう…持っていきなさい」
「そ、そんな受け取れません」
「…これは殴ってしまった詫び代だ…良いから受け取りなさい」
そう言うとメイドの目の前で剣を離した。
目の前で突如落ちていく高価な装飾剣を見て、わっ! と言う驚き声を上げると、何とか落とすまいと剣を受け止めるメイド。
「…ここはすぐに戦火に包まれるかも知れん…少しでも遠くへと逃れた方が良いだろう…さあ行きなさい、暗黒騎士よ…後を頼んだぞ」
そう暗黒騎士に声をかけると彼は無言で頷き、そしてメイドの肩に手を置き歩くように促した。
それにメイドは、こちらを気にする表情をしながらも、一つぺこりと礼をすると、暗黒騎士と一緒に歩き出す。
その後ろ姿を見送っていると、数歩進んだところでメイドが意を決したように振り向くと、声を上げこう言ってきた。
「私の名前はルゥイラ・メレストナ! メレストナは、イファリウスの…その…使徒の一族である事を示す秘密の名前です! …何も無い私にはこれくらいしか貴方に感謝の意を示せませんが…」
歯切れ悪くそう言う彼女。
…過去の凄惨な歴史から、何者にも自分がイファリウスの使徒である事は知られたくは無いし、言って来なかったのだろう。
そんな彼女が、自分からイファリウスの使徒を示す名前を教えてくれたのは、精一杯の誠意のつもりなのだろう。
そんな風に思われて嬉しく無い訳が無く、そんな彼女に返す言葉で。
「ありがとう…とても嬉しいよ」
そう言い頭を下げた。
その時、手は自然と両手を組み合わせた拱手の形となっていた。
嬉しくて…つい前世で使っていたような敬意の示し方を自然とやってしまっていた。
ともあれそんな私の姿を見て、気持ちが伝わってるのが分かったのか、メイドは何度も嬉しそうに頭を下げながら、茂みの奥へと歩いて行った。
その時だった。
一瞬暗黒騎士が、振り向きざまに私と同じ拱手をやっていたように見えた。
…はて? どこかの魔族部族に、そう言う礼儀作法をするところがあったのだろうか? …見間違いか?
そう少し不思議に思ったが、考えているうちにメイドと暗黒騎士は茂みの奥へと消えて行ったので、深く考えるのをやめた。
そしてその後、本来の目的であるゴブリンの村へと向かおうと、踵を返し歩き出すのだった…。