10: わからない気持ち
「先日は本当にごめんなさい……。あれから両家で話し合ってエーモン様とは婚約解消することになりましたの」
あれから数日後。しばらく学園を休んでいたアデル伯爵令嬢が男爵家へ訪れたのだが、その表情は疲れてはいるが憑き物が落ちたかのように落ち着いているなと思ったのが最初の印象だった。
アデル伯爵令嬢はあの騒ぎの後すぐに早退してしまい、そのまま学園にこなかったので一応心配はしていたのだが(リリアナが)、わざわざ男爵家までくるとは思わず驚いてしまった。この令嬢はこれまでは散々リリアナの事を「男爵令嬢のくせに」と馬鹿にしていた奴らの仲間だったからだ。
その間、《《色々な》》噂は流れていたが“リリアナ”にはわからないようにしていたのに、まさかリリアナを糾弾するつもりじゃないだろうな?
「…っ!アデル伯爵令嬢……、私のことでしたらお気になさらないでよかったですのに」
とりあえず、それなりにしおらしい対応をしておくことにする。あの騒ぎについては“リリアナ”にも説明はしておいたので大丈夫だとは思うがやはり内側では大混乱しているようだ。まぁ、これまで自分をイジメていた人間のひとりが家にやってくれば混乱もするだろう。しかも、訪問内容が衝撃的なわけだし。
どうやら“リリアナ”は自分のせいでアデル伯爵令嬢が婚約解消したと思って慌てているらしい。いや、その時“リリアナ”は寝ていたし関係ないだろうに。それでも、もしも“リリアナ”を責めるようなら……と身構えてはいたのだが、アデル伯爵令嬢は首を横に振った。
「いいえ、リベラト男爵令嬢。あなたは何も関係ありませんわ……あの方とは遅かれ早かれこうなっていたと思います。どうやら元々エーモン様……いえ、ダンケ伯爵令息の本心はわたくしとの婚約を良く思っていなかったようなのです。わたくしは見た目も平凡ですし、連れ歩くのが恥ずかしいと……どうせならもっと美しい令嬢が良かったと陰口を言っていたらしいのですわ」
そう言ってアデル伯爵令嬢は「そんなにわたくしが嫌なら最初からそう言えばよろしかったのにね」と、呆れたように眉をハの字にした。
「同じ伯爵家同士でしたし、元々わたくしがあの方に一目惚れして結んでもらった婚約でしたので話し合いで婚約解消に至りました。これも全てわたくしが美しくなかったせいですのに、巻き込んでしまって申し訳ありません。
リベラト男爵令嬢にはご迷惑をおかけしましたので、せめてご報告をと思ったのですわ」
そんなアデル伯爵令嬢の姿を見て“リリアナ”が心を痛めていた。この伯爵令嬢は自分をイジメていたひとりでもあるのに、この状況を見ても“リリアナ”はこの伯爵令嬢の心配ばかりだ。どうせなら、ザマァ見ろと嘲笑ってやればいいのに……なぜ自分の事のように心を痛めているのか《《オレ》》には理解不能だ。
とりあえず、ここは適当に和解しておくかな。これ以上リリアナに手出しさえしなければ《《オレ》》の邪魔にはなら────んぁっ?!
「アデル伯爵令嬢───────アデル伯爵令嬢はとっても可愛らしいですよ!!」
「……リ、リベラト男爵令嬢?」
うぉっ……!まただ!“リリアナ”が《《オレ》》を押し退けて表に出てきた。いや、《《オレ》》の意識があるからこの間よりはマシだし倒れたりはしないが……でも、体の主導権は持っていかれたようだった。
“リリアナ”は珍しく興奮気味に前のめりになるとアデル伯爵令嬢の手を取り、口を開いた。
「アデル伯爵令嬢の髪色はミルクチョコレートのようでとても可愛らしいですし、その瞳だって深緑のように美しいです!それにアデル伯爵令嬢は審美眼がすごいというか、いつも身につけているアクセサリーなども宝石は小さくても《《本物》》のピンクダイヤでしたし、皆さんが大粒の偽物を身につけている中でおひとりだけ本物を使っていてすごいなって思ってました!小物のセンスもとってもいいですし、ご自分でデザインしたというレースのハンカチなんか売りに出したら絶対に人気が出るのに……というか私が買います!それくらい才能に溢れている方なのに、美しくないから婚約者から酷いを受けても仕方無いなんて……そんなの、そんなの絶対に違います!私はアデル伯爵令嬢の才能がいつも羨ましかったのに、そんな事言わないで下さい!」
途中から論点がズレているような気もしたが、“リリアナ”は必死に自分の思いを口にしているように見えた。しかし良く見てるな、と感心してしまう。記憶を探ると、確かに以前イジメられている時に会話の途中でアデル伯爵令嬢のアクセサリーについて公爵令嬢が話していた場面があった。公爵令嬢はそれと比べて自分の身につけている宝石の大きさを自慢していた上にリリアナが宝石ひとつ持っていないと馬鹿にしていたが、そんな時にリリアナはそれが本物かどうかを見抜いていたのか……。え、それすごくないか?
「……わたくしの髪色が可愛いなんて、初めて言われました…………。
それに、あの宝石が本物だとわかるなんて……他のご令嬢達には、そんなに小さい宝石しか買えないのかと馬鹿にされましたのに……。これが本物だと言っても小さいからと嘘つき呼ばわりされて……。そうですか、本物だとわかってくれていたのですね。
あなたは、すごい方ですのね。わたくしは、少し前まであなたに男爵令嬢だからと酷い事を言っていましたのに。ですからもっと恨まれているかと思っておりましたわ…」
たぶん(?)褒められたはずなのだが、“リリアナ”はビクッと体を縮める。条件反射かもしれないがさっきの勢いはあからさまに萎んでいった。
「────!わ、私が男爵令嬢なのは本当の事ですし……この間まで身なりがお目汚しだったのも真実ですから!勉強も、その……中途半端で生意気に見えたかと思いますし……こ、公爵令嬢様の事もその……。も、申し訳ありません……男爵令嬢の私なんかが偉そうに失礼な事を……!どうか、思った事をお言いになってくださって大丈夫です。私などに気遣いは不要ですから────」
アデル伯爵令嬢の言葉に、“リリアナ”の声がだんだん小さくなっていく。たぶんさっきは勢いだけで行動してしまったがすぐに冷静になったのだろう。怯えている……。これまでのリリアナはなにをしても「男爵令嬢のくせに」と罵られてきたから、それを思い出したようだった。もしアデル伯爵令嬢が嫌悪を示すようなら、また同じ事の繰り返しか……そう懸念していたのだが。
「……そうですわね」
《《オレ》》は“リリアナ”の目を通して見えたその状況に驚くしかなかった。アデル伯爵令嬢の手を離し、咄嗟に下を俯く“リリアナ”の手を……今度はアデル伯爵令嬢がそっと握ったのだ。
「では、わたくしも思っていることを全部言います。お覚悟はよろしいかしら?────まず、あなたはとても可愛らしいですわ!」
「へ?」
その反応に《《オレ》》まで思わず「へ?」と思ったほどだ。それからアデル伯爵令嬢は堰を切ったかのように話し始めたのである。
「実はわたくし、かなり前からリベラト男爵令嬢は磨けば光る原石だと目をつけておりましたの!それなのにあなたは常に髪はボザボサでおしゃれをする様子もない……確かに勉強は大切ですが、自分磨きをする気配すらないあなたにいつしか苛立ちを覚えておりました。わたくしのような地味な髪では出来ないおしゃれもあなたの髪ならきっと出来るのにと思っていて、それなのにあなたの無頓着な態度に勝手に腹を立てていたんです。
……ごめんなさい、ほぼ八つ当たりですわね。そんな時に公爵令嬢様の取り巻きに仲間に誘われてそのまま……最初は怒りのままに八つ当たりをしていて、だんだん後に引けなくなってしまったんです。でも、あなたは変わろうとした。……公爵令嬢様にもあなたとの事は誤解があったのかもと進言したのですが────なぜかその後、公爵令嬢様とお茶をご一緒してから記憶が曖昧なのです。そしてまるで示し合わせたかのようにエーモン様がわたくしの前にやって来てあなたのことを相談され……後は御存知の通りですわ。今となっては、なぜあんな事をしたのか自分でもわからないのです。
……いえ、これは言い訳ですわね。わたくしの罪は消えません。あなたが許せないとおっしゃるならそれも仕方が無いと……「許します!!」えっ」
「私は、アデル伯爵令嬢を恨んでなんかいません!だってあなたは……他の方がただ私を罵る中で唯一アドバイスを下さっていました。あの時は全然気付けませんでしたが、私に教えてくれていたのですよね?そうですよね……?ごめんなさい、すぐに気付けなくて……私は、馬鹿で鈍感で……皆さんを不快にさせるばかりですが……でも、男爵令嬢だからって諦めるのは、もう辞めたいって思ったんです!」
“リリアナ”の本音に驚くしかなかった。
《《オレ》》としては、これまでリリアナを馬鹿にしていた連中に復讐出来ればいいとだけ思っていたのに……リリアナを助けることが出来ればいいと、それは自分の使命だと思っていたのだ。
でも周りの人間を排除するのではなく、リリアナは受け入れようとしている。そんなことに今、初めて気づいたのだ。
心のどこかで、自分が助けてあげなくてはいけない存在なのだと認識していた。でなければ、すぐに死んでしまう小動物のように扱っていた“リリアナ”が……。
「……でしたら!わたくしがあなたをプロデュースしますわ!!どうか、お友達になってくださいませんか?わたくし、リベラト男爵令嬢の事が……いえ、リリアナ様の事が大好きなんです!」
アデル伯爵令嬢のそんな突然の提案にすらも、“リリアナ”は笑顔で答えていた。
「私も、お友達になれたら嬉しいです」と。
もしかしたら、もう《《オレ》》は必要ないのではないか。そんな複雑な気持ちが生まれていたのだが、その真意には気付けないでいた。