淋しい瞳の女
■ 出会いと一目惚れ
寒い冬が訪れようとする11月中旬、蒼井涼介は東京のある会社に業務委託として出向していた。もちろんその間は東京に住むことになった。早く仕事を覚えることに必死だったので毎日のように残業をして、終電で帰宅する日常になっていた。仕事を覚えるのは楽しかったので、そこまで辛いとは感じていなかったが、体はさすがに疲れているようだった。そんなある日、頑張っている蒼井涼介を見ていた上司が「たまには息抜きも必要だから、今夜は仕事を早く切り上げてキャバクラにでも行かないか」と誘ってきた。蒼井涼介の人生でキャバクラなど行ったこともなかったし、そもそもそんな場所に興味もなかった。しかし、せっかくの上司からのお誘いだったし、これも人生経験になるかと思ったので行くことにした。
上司に連れられてきたお店は会社から電車で30分ほどの駅から市街地を少し歩いたビルの8階だった。上司は受付など慣れている感じがしたので、何度かこのお店に来ているのだろう。店内は少し薄暗かったが、テレビや雑誌なんかでみる雰囲気そのものだった。上司と少し席を離れた席に座らされてドリンクをオーダーをした。少しするとドリンクと一緒に2人の女の子がやってきた。そして蒼井涼介と上司の隣の席に女の子が座った。
蒼井涼介の隣に座った女の子は「はじめまして」と挨拶してきた。同じように挨拶を返すとその女の子は蒼井涼介の出身地や仕事の内容などの質問をしてきた。何気ない日常会話だったが、なんとかお客である蒼井涼介に話をさせようと必死になっていることは伝わってきた。これも仕事なんだろうかと思いながらも、蒼井涼介は女の子の質問に対して適当な返答をしていが、心の中では(何が楽しいんだろう!?)と思っていた。世の中の男性はお酒を飲みながらこんな日常会話を若い女の子とするが楽しいのかという疑問でしかなかった。10分くらい話をした後、隣に座っていた女の子が「また今度よかったらお話しましょう」といって席から離れていった。
それから5分くらい経つと別の女の子が隣の席に座ってきた。蒼井涼介はその女の子を見た瞬間、忘れていたトキメキという感情が走った。黒いドレスを着て、イヤリングやネックレスなどのアクセサリーを身に着けていたが、どことなく淋し気な雰囲気が漂う女の子だった。美人というわけでもないけど、キュートで淋し気のある大きな瞳、どことなくミステリアスな表情に惹かれていく。なんだこの子は?と疑問に思った。その女の子は「はじめまして」の挨拶から会話がはじめた。お店での名前は円香というらしい。最初に来た女の子と同じようにこちらに話をさせようとしてくる。趣味や音楽の話など会話を盛り上げようとしていることはわかった。最初に話した女の子より相手に話をさせるのが上手い。会話中、時には「すごい!」といって褒めてきたりもしたが、蒼井涼介はその手に引っかからない。それよりむしろ円香の話を聞いてみたいと思っていたからだ。出身地の質問をされた時は即座に答えたのだが、逆に円香の出身地や、どうして東京に出てきたのか、趣味や好きな事は何なのか、質問していった。会話が円香ペースになっていたのを、逆にこちらペースにして、蒼井涼介は聞き手にまわったのだ。すぐに10分が経過して、円香が去っていくことになった。蒼井涼介は円香に一目惚れしたと感じたので、最後に「よかったら名刺交換しない?」と言ってみた。円香は「いいよ」といいながら名刺交換することになった。
短い時間で特に深い話はしなかったが、円香のことについて話が聞けてよかったと思った。その後、また別の女の子が隣の席に座ったが円香のことで頭がいっぱいだった蒼井涼介は話をしていても上の空だった。結局、円香を含めた5人の女の子と話して店を出ることになった。キャバクラ自体はつまらない場所だったが、蒼井涼介は円香という人間に深く興味を持った。これが、今後、円香との何かしらのバトルになるきっかけになるとは思いもしなかった。
■ 会話を壊してしまう作戦
円香からもらった名刺はお店のものであった。お店用の携帯電話のメールアドレスだと思われるものが記載されていて、裏面には”いつでもメールしてください”と手書きで書かれていた。そしてお店のシステムを調べてみると女の子を指名した場合は予約と指名料がかかるが90分間話ができるらしい。前回は上司に料金を支払ってもらったが、指名料込みで値段は少し高い。今度は1人であの店に行くか考えたが、円香のことをもっと深く知りたいという感情があるので行ってみることにした。前回、円香と話してみてわかったのは、相手に話をさせるのが上手いこと、聞き上手で男性を立てたり褒めたりするタイミングもバッチリで慣れている。仕事柄、会話の主導権を相手に握らせて話題を盛り上げていくのだが、これだと完全に円香ペースにハマっていることになる。蒼井涼介は次にあのお店に行って円香を指名するなら、それだけは避けなければならないと考えた。
蒼井涼介としては自分の話や日常会話をしたいわけではなく、円香の本音や内面的な部分、何気なく淋し気な裏側が知りたいのだ。それならば円香ペースの会話そのものをぶっ壊すしかないのかもしれない。そうすることで普通の会話をしても楽しませられないことを円香に思い知らせて困惑させることもできる。しかし、相手は会話のプロなので上手くできる自信は半々といったところだ。そういう作戦を考えた蒼井涼介はお店に電話して2日後に円香を指名して予約を入れた。
当日、蒼井涼介は仕事をさっさと切り上げて円香のお店に向かった。席に座ってドリンクを注文すると5分くらいして円香がやってきた。円香が隣の席に座り「また来てくれたんですね、ご指名ありがとうございます」と言ってドリンクを目の前に置いた。蒼井涼介は一口ドリンクを飲むと、円香は「今日はお仕事早く終わったんですね」と言ってきたのでこくりと頷いた。すると円香は仕事が終わった後、家で何をしているのか、休みの日は何をしているのかなど質問をしてきた。質問に答えていくと同時に円香にも同じ質問をしていった。最初のうちは円香ペースで何気ない日常会話が続いていたが、蒼井涼介はこの会話をぶっ壊すタイミングを伺っていた。好きな音楽の話になった時、蒼井涼介はわざと円香も知らないようなマニアックなアーティストの話をはじめた。音楽の知識が豊富だったのでわざと難しい言葉を使いながら説明していくと、円香は何やらわからない表情になっていった。ここがタイミングだと思った蒼井涼介は「わからないよね、ごめんね」と言ってみた。すると円香は「音楽に詳しいんですね」と誉め言葉にもなるようなことを言った。
ここだ!と思った蒼井涼介は逆に円香の趣味について質問して話を聴いていくことにした。
円香は映画鑑賞が好きらしく、自分の好きな映画の話をし始めた。その映画はどんなストーリーだったのか、何がよかったのかなどの質問を続けていった。答えていく円香にわざと難しい言葉をつかって聞いたストーリーの内容をまとめてみた。そんな難しい言葉に「うーん、そんな感じかな」と円香は少し困惑した感じだった。もっと困惑させて会話をぶっ壊すつもりだったのでさらに質問を続けていった。その内容を再び難しい言葉でまとめて話していく。困惑し続ける円香は話題を変えようとして「それより」と言って逆に質問してきたのだ。さすがはプロだが、蒼井涼介は自分に対する質問はわざとつまらなさそうに答えるようにした。それには褒めるところもなければ、次の質問に繋がらないようにした。こちらも円香と同じ手段を使って「それより」と言って逆に質問をしていく。そしてその内容に難しい言葉を使ってまとめていくのだ。おそらく円香の中で蒼井涼介という客は難しい存在かミステリアスに見えているのかもしれない。この会話は盛り上がるどころか、ただ円香が困惑しているだけになっている。それに全体的に何の話かわからないといってもいいだろう。
蒼井涼介は完全に円香ペースの会話をぶっ壊すことに成功したのだと思った。そんなわけのわからない状態が続いて、とうとう90分が経った。帰り際にお店の前まで見送りしてくれた円香に「また来るよ」と言っておいた。それを聞いた円香は一瞬「えっ!?」という表情をしたのを蒼井涼介は見逃さなかった。
■ 感情受容と共感
前回はわけのわからない会話で終わったが、ただ難しくミステリアスな存在というイメージで終わらせるわけにはいかない。次に蒼井涼介が考えたのは円香の過去に焦点をあてる会話をすることだった。円香が子供の頃や学生時代、何を考え感じていたのかに興味があったからだ。もちろん、自分の過去についても話をするつもりだが、そういうお互いの感情を受容しあって共感するというのが狙いだ。これをしないと先に進めないというのもあった。
これまでの円香の話題は現在のことばかりでお互いの考え方や感情が抜けていたのだ。次に予約したのは1週間後となった。当日、その日も蒼井涼介はさっさと仕事を切り上げてお店へ向かった。前回同様、席に座り注文したドリンクを持って円香がやってきた。少し不思議そうな表情をしていた円香は「また来てくれたんですね、ご指名ありがとうございます」と言って隣の席に座った。
今度は蒼井涼介から会話を切り出した。
「そういえば、俺って子供の頃から変な子って言われていて、家族や親類から変な目で見られていたんだけど、円香さんはどう思う?」
「正直、少し変わった人だと思うけどそんなに変だと思わないよ」
そして今度は逆に円香の子供の頃のことを質問してみた。円香は子供の頃からあまり人と話さなく根暗で友達も少なかったと答えた。蒼井涼介は、円香の周りにいた人達を見ていてどう思ったか、何を考えていたのかを質問してみた。
「みんな仲良くしているのはうらやましいって思うこともあったけど、輪の中に入るって苦手だし1人だったらそれでもいいかなって思っていたよ」
「俺も変な子って思われていて孤独に感じることもあったけど、別に人に理解されたいなんて思わなかった」
「うんうん、その気持ちなんとなくわかる」
「俺は上辺だけの薄い関係なんて興味ないから」
この蒼井涼介の発言に対して円香は「わかる!わかる!」と答えた。こういったお互いの過去の話題を続け、円香の感情を受容して共感していった。今の円香の淋し気な表情の裏側には子供の頃の孤独さがあるかもしれないが、今も何か裏側にありそうだ。それを聞くにはまだ早い。いきなり円香の本音をむき出しにすることはできない。その日はそれで会話が終了した。
それからもう一度お店に行って、円香と同じような話をした。その日は90分が近づいてくるのが早く感じた。最後に「円香さんって今も孤独さを感じるんだけど気のせいかな」と言ってみた。円香は苦笑いしながら「まあ色々あるんですよね」と答えた。蒼井涼介は「なるほど」と言って、それ以上のことは聞かなかったが、それが何であるのかに興味があった。
帰り際、いつものようにお店の前まで見送りしてくれた円香に「今度は本音を聞いてみたい」と言って蒼井涼介は帰っていった。
■ 本音と建前
円香とお互いの過去について感情や考え方の話をしたおかげで、ずいぶん打ち解けてきたと思う。次に考えたのは本音で話をさせることだった。しかし円香も仕事中なので本音むき出しにして話をするわけがないことはわかっているが、あまり建前だけで話されるとイライラするのもある。そこで蒼井涼介は自分がまず本音を言ってみようと思った。あともう1つ考えたことは、円香の心の中を的中させていくということだった。蒼井涼介が最も得意とする人を見抜く力を使ってもよかったのだが、今回はある音楽を聴かせてみる方法が思いついた。その音楽とはマイナーな女性アーティストで綺麗な歌声だが、孤独と絶望を表現された曲だった。もし推測が正しければこの曲を聴いた円香は何かしら感じるか共感するに違いない。早速、その曲のCDとコピーした歌詞を用意して、再びお店に予約を入れた。年末だったので仕事は忙しくなっていたが、予約日にはさっさと仕事を切り上げてお店に向かった。
いつものようにドリンクを持って円香が隣の席に座った。今日は本音を話す予定だが、最初は何気ない日常会話からはじめた。円香も蒼井涼介のことがわかってきたのか、もうあまり質問はせず、誉め言葉も言ってこなくなってきた。蒼井涼介はタイミングを見計らって本音を切り出した。
「実は俺、正直、お酒を飲みながら女の子と何気ない日常会話するなんて興味がないんだよ」
「なんとなくわかってた」
「なんだか蒼井さんと話をしていると、普通の会話が楽しそうに思えない」
「最初にこの店に来た時、数人の女の子と話してみたけど楽しいなんて思わなかった」
「じゃあ、どうしてわたしを指名してお店に来るの?」
鋭い円香の質問に蒼井涼介は少し困惑した。
「円香さんという人間に興味があるから」
その言葉を聞いた円香は少し驚いた表情になった。
「そうなんだ。だからわたしにいろいろ質問してくるのね」
それから蒼井涼介は建前で話されると見破れるしイライラすることや、女の子に褒められても嬉しいと思わないこと、みんなが右を向いてるのに、自分は左を向くような人間であることなど本音をぶちまけて話していった。そんな話を聞いていた円香は「やっぱり蒼井さんは変わってる」と言ってきた。話をしていると90分が近づき、蒼井涼介は最後にもう1つの目的である音楽CDを円香に渡して「これを一度聴いてみてほしい。何か感じたら教えてほしい」と言った。その日はそれでお店を去った。
それから2日後の夕方、なんと円香のほうから蒼井涼介の携帯にメールが送られてきた。それは『こんにちは、円香です。先日いただいたCDを聴きました。正直、自分のことを言われてるような気がして涙が出ました。こんな曲があったんですね。今度またお話したいです』という内容であった。まさに蒼井涼介の推測が的中したと思った瞬間だった。円香の心の中はこの曲を歌う女性アーティストと同じような孤独と絶望感があると確信できた。メールの返事はあえてしなかった。
■ 淋しい瞳の事情
今年度最後の日、蒼井涼介は再びお店に予約を入れていた。今回はどんな話をするか別に決めていなかったが、円香の心の中に少し触れてみようかと思った。お店に入ってドリンクをオーダーすると、少し悲し気な表情をした円香がやってきて隣の席に座った。この日は円香が話を切り出した。
「こんばんは、先日の曲ありがとう」
「先日渡した曲がイメージする円香さんの心の中なんだけど、どうだったかな?」
「あなたにどこまで見抜かれてるのかな?」
蒼井涼介はまだ円香の心の中を完全に見抜いているわけでもないが、淋しさと孤独、何か絶望的なものを感じると説明してみた。円香は「そっか・・・」と呟いて黙り込んでしまった。
「このお店の中で話せる内容じゃないかもしれないけど、何かあるなら話してみてほしい」
「ここではちょっと話せないかな」
円香は少し涙目になっていた。この雰囲気はまずいと思った蒼井涼介は「まあ、話せる機会があったらでいいから」と言って話題を変えてみることにした。何気ない日常会話に戻ったのだが、円香は「そういえば音楽に詳しいけど、何か楽器とかしてる?」と質問してきた。蒼井涼介は以前にバンドをしていたことや、プロの作曲家を目指していたということを説明した。また円香が淋し気な表情になり「そっか・・・」と呟いた。
円香が音楽の話をしたことで表情が変わったのは何故なのか、この時はまだそれが理解できなかった。今日は気まずい雰囲気というより沈黙が多いように感じる。90分が近づいてきた時、円香は「名刺にのってた携帯電話の番号って会社用?」と質問してきた。蒼井涼介は個人の携帯電話の番号を名刺に記載していたので「個人のだよ」と答えた。「そっか・・・」と小声で答える円香。なぜ携帯電話の番号のことを聞いてきたのか察しがついたが、おそらくこのお店では客とプライベートで話すことは禁止されているのだろう。蒼井涼介は一応「まあ、年末年始は暇なのでいつでも電話してきてくれていいよ」と伝えておいた。それから90分が経って店を去った。今日は沈黙が多く、円香は淋しそうな瞳をしていたが何か話したいことでもあるのかと感じた。
それから2日後の午後、見知らぬ番号から蒼井涼介の携帯に電話がかかってきた。電話にでてみると円香からだった。
「もしもし円香です。本当はダメなんだけど、どうしても相談したいことがあって電話しました」
円香は少し暗い感じだった。その電話の相談内容とは今の彼氏との関係についてだった。
2年前、美容専門学校を卒業した円香は美容室で働いていた。仕事は厳しく給料も安かったがそれなりに仕事は楽しかったようだ。半年くらい経ったある日、美容室の常連客から告白されて付き合うことになった。それが今の彼氏である。その彼氏はプロのミュージシャンになるためフリーターを続けていたようだ。交際しはじめてから数か月経ったある日、その彼氏は音楽に専念したいという理由でバイトを辞めて家でもできるパソコン入力の内職を始めたらしい。しかし、内職程度では生活費も苦しくなった。円香は彼氏がプロのミュージシャンを目指すのなら力になるし応援するといって、最初は彼氏に貸すという形で生活費を世話していた。ところがその時の円香の給料では彼氏の生活費まで完全に補えなかった。そこで円香は美容室を辞めて今のキャバクラで働くことになった。円香もそこそこ人気がでてきたようで、給料もそれなりにあがっていった。彼氏の生活費をなんとか補えるようになったのだが、彼氏のほうは楽器の機材購入やライブ代が必要だといって円香にお金を借してほしいという要求がエスカレートしていった。貸した金額も相当なものになっているようだった。彼氏は「デビューできたら必ずお金は返す」と言って、円香もその言葉を信じていた。次第に「お金を借してほしい」という言葉すらなくなり「10万円用意できる?」などと要求してくるようになった。円香は彼氏の要求通りにお金を渡していくのが当たり前のようになっていった。
彼氏はオーディションに落ちたり、曲が思い浮かばなかったりすると機嫌が悪くなり、そんな日はかなりのお酒を飲むようになっていった。心配で慰めようとする円香は酔っぱらって荒れている彼氏から暴力を受けるようになった。なかなかプロのミュージシャンになれなくてイライラし続けるその彼氏は、毎晩のようにお酒を飲むようになった。それでも円香は慰めようとするのだが、酔っぱらった彼氏からの暴力を受け続けることになる。次第に彼氏との接点はお金を渡すことと暴力を受ける関係だけになっていった。そして3か月ほど前から気晴らしに遊んでくるといって、他の女の子と2人で遊びにいくことも増えてきたらしい。円香は気晴らしという言葉を信じて、彼氏が他の女の子と遊びに行くことを黙認していたらしい。それでも円香は彼氏がプロのミュージシャンになることを応援しているし、力になってあげたい、自分がいないと彼氏はダメなんだと電話越しに言い続けていた。しかし、円香は「本当にこんなことを続けていていいのか?どうしていけばいいのか?」というのが悩みの相談であった。
この話を聞いた蒼井涼介は即座に”これは完全な依存症”だと確信したのだが、どう答えるべきか少し考えた。少し沈黙していると「ハッキリ思ったこと言ってほしい」と円香は言った。しかし、ハッキリ言えば円香は傷つくかもしれないし、嫌われるかもしれない。しかし依存症であるなら下手にまわりくどいことを言ったり、ねぎらったりするのは逆効果ではないかと思った。蒼井涼介は円香に一目惚れをしたが、もう嫌われようが酷いと言われようがどう思われてもいいのでハッキリ言ってやることにした。
■ 厳しい現実
蒼井涼介は話を切り出した。
「じゃあハッキリ言わせてもらうけど、その彼氏ってダサすぎる」
「ダサすぎるってどういうこと?」
蒼井涼介は少し固唾を呑んだ。そして厳しく言った。
「そんなダサイ生き方している奴は、何をやっても何を創ってもダサイってことだよ!でも、彼氏をダサくしていったのは円香さんだよ!」
円香は黙り込んだ。さらに蒼井涼介は言い続ける。
「プロのミュージシャンになりたいのが彼氏の夢であるなら、苦労してでも、どん底に落ちても這い上がって自分の力で手に入れるべきじゃないかな?だからこそいい曲もできる。他人の力で楽して生みだせるほど、音楽の世界は甘くないと思う。俺もそんなダサイ人間が作った曲なんて聴きたいと思わない。それに、たとえ彼氏に音楽の才能があったとしても、円香さんのやってることは、ただダサイ人間にしているだけで邪魔者でしかないと思う」
ちょっと言い過ぎたかと思ったが、こういうテンションになった蒼井涼介は止まらない。
「邪魔者かあ・・・」
そう呟いて泣きそうな声を出す円香。
「力になりたいだの、応援だのって言ってるけど、それは綺麗ごとだよ。本当はただ彼氏との接点をなくしたくないだけじゃないかな?そもそも自分がいないと彼氏はダメなんだって言ってるけど、本当は逆なんじゃない?彼氏がいないと円香さんが困るわけだから」
少しキツいと思いながらもさらに蒼井涼介は言った。
「とっくに気づいてるでしょ?本当は彼氏との関係が終わってること。お金を渡して、機嫌が悪いときに暴力を受ける関係が終わってしまうとその彼氏との接点はなくなる。そうなると彼氏にとって円香さんの存在価値がなくなってしまう。そして見捨てられて孤独になってしまう。円香さんはそれを恐れてるだけにしか見えない。それでもまだ彼氏のことが好きだなんて言える?」
円香は電話越しでも泣いているのがわかる。
「そんな言い方酷い・・・でも間違ってない・・・わたしは孤独になるのが怖いの」
「今の状態のほうがよっぽど孤独に感じてると思うよ。その彼氏はとてもじゃないけど円香さんの心の中を理解できるように思えないしね」
「たしかにそうかもね。わたし、孤独にはトラウマがあるの」
円香は小学生の頃、ちょっとしたイジメにあって1人になったことがあると話した。そのことで孤独に耐えて辛かったトラウマが今でも脳裏に焼き付いてるらしい。蒼井涼介は少し説教じみた言い方をしてみた。
「たしかに孤独に耐えて辛かったと思う。でも人間って生き物は突き詰めるとみんな孤独なんだよ。9割の人はそれに気づいてない。だから上辺だけの関係なんかでいられる。でも俺はそんな上辺だけの関係なんて興味ないし、自分のことを理解してもらうことを諦めた人間だから、俺も孤独なことは自覚してる。孤独は耐えると辛くなるけど、自分は孤独なんだと素直に受け入れて認めると諦めもつくと思う。その上で自分のやりたいことをして生きてるのが今の俺なんだよ。だから上辺だけの友達なんかいらないけど、本当に自分の心と触れ合える人であれば大切にしようって思う。まあ、偉そうに言ったけど円香さんの話くらいならいつでも聞くよ」
完全に泣きながら黙り込んでる円香に今度は優しく言ってみた。
「孤独に恐れてこのまま彼氏中心の振り回された人生を送るか、これからは孤独を受け入れて自分のしたいことをして生きていくのか決めるのは円香さんだよ」
「ありがとう。少し考えてみる」
蒼井涼介は自分の言葉がどこまで円香に伝わったのかはわからないが出来ることはしたつもりだと感じていた。しかし、もうこんな話をしたので、あのお店にも行きにくくなった。それに円香への気持ちは恋愛というより兄か父親になった感じがしていた。
■ 円香の未来
円香からの電話から2週間ちょっとが過ぎたある日、携帯電話にメールが届いた。知らないメールアドレスだったが、開いてみるとと円香からだった。その内容とはついに彼氏と別れたということ、今月いっぱいでお店を辞めること、実家に帰って再就職するという内容だった。メールの文面の最後に『これからは自分のために生きていきます』と書いてあった。先日の電話で自分の伝えたかったことがどこまで届いたかはわからなかったが、円香に何かしらの刺激を与えたのは間違いないだろうと蒼井涼介は思った。ただ1つ心残りなのは円香はこれからどうしていくのかだった。
それからさらに2週間後、再び円香から電話がかかってきた。お店を辞めたから実家に帰る前にどこかで会って話がしたいという。何の話がしたいのかわからなかったが、蒼井涼介はとりあえず次の休日に会って話をすることにした。
当日、待ち合わせた場所に行くと、いつもお店で会っていた姿とはまるで違う姿の円香がいた。薄化粧で黒の可愛らしいワンピースにキュートな十字架のネックレスを身に着けた姿は本当に女の子という感じがして驚いた。いつもスーツ姿だった蒼井涼介も今日は黒のコートにジーンズとカジュアルな恰好をしていた。円香は「なんかいつもの雰囲気とちょっと違うね」と言ったので「円香さんもだよ」と答えた。そして近くのカフェに入って、席に座ると円香が話しはじめた。
「わたしが実家に帰っても話を聞いてくれる?」
「もちろん」
「前にさあ・・・わたしという人間に興味があるって言ってたけど、それってどういう意味だったの?」
痛いところを突いてきた感じだった。
「初めて会った時、淋し気でどことなくミステリアスに感じたから」
「それだけ?」
今更ながらだったが、蒼井涼介は正直に言った。
「一目惚れしたってことかな」
それを聞いた円香は少し恥ずかし気な表情をした。
「今もその感情だったりする?」
今の蒼井涼介は円香に恋愛感情がないといえば嘘になるが、付き合いたいとは思わない。なぜなら、そんなことになれば今度は円香が自分に依存してくることがわかっていた。依存されることに不快ではないが、それだと今度は自分が円香をダメにしてしまうかもしれない。恋愛感情が全くないといえば嘘になるけど、とにかく付き合うことはできない。
「今はほっとけない友達って感じかな」
そんな蒼井涼介の発言に対して円香は少し淋し気な表情で「そっか・・・」と呟いた。
その後、何気ない会話が続いて時間が経った。蒼井涼介は別れ際に「円香さん、これからは自分のために生きていってね」と言った。すると円香は「うん!」と元気よく答えた。
蒼井涼介が円香に一目惚れはしたが恋をしていたのかは今になってはわからない。しかし、一緒に話した時間は決して無駄なことではなかったと思う。蒼井涼介は、もしこれが恋愛感情だったとしても円香が結ばれることはなかっただろうと思った。なぜなら自分は孤独な人間なんだからと心の中で呟いた。




