罪の恋愛計画
■ 1年ぶりの再会
晴天の秋空がみられる10月の休日、蒼井涼介はとある大学のキャンパスにいた。ここは1年前に行動心理学の集中講座を受けた場所で、今年も興味が持てそうな集中講座がないか見に来ていたのだ。蒼井涼介が”今年の集中講座一覧”と書かれた看板から歩いていくと、向こうから見覚えのある女性が歩いてきた。赤いニットの服にベージュのスカートで歩いてきたその女性は少し大きな声で「蒼井君!」と言った。蒼井涼介は少し小走りになってその女性の前に行って「お久しぶりだね」と言った。そこにいたのは宮永愛実という2つ年下で、身長は155cm、少し短めのセミロング、シンプルな内巻きのボブヘアで少し赤めの髪、目は少し大きめで、低めの鼻にアヒル口をした女性で介護士をしている。1年前、蒼井涼介と宮永愛実は行動心理学の集中講座を一緒に受けていたのだ。その時、蒼井涼介は宮永愛実が隣の席に座っていたということもあって、授業が終わった後も恋愛心理学や音楽の話などをしていた。宮永愛実はそんな蒼井涼介の話にすっかり興味を持ってしまって、かなり仲良くなっていった。しかし、恋愛関係という感じではなく、どちらかといえば蒼井涼介にとって妹のような存在になっていた。年下でありながら、同じ講座を受ける生徒だったのか、宮永愛実は「蒼井君」と呼ぶようになり、蒼井涼介も「愛実ちゃん」と呼ぶようになっていた。しかし2週間という短期の集中講座が終わってからというもの、お互いに連絡は取り合ってなかったのだ。まさに1年ぶりの再会となる。
「蒼井君、元気してた?今年も何か講座受けるの?」
「元気だったよ。何か興味のありそうな講座があれば受けてみようと思うんだけど、今年は少ないね」
「アタシもさっきみてたけど興味ありそうな講座はなかった。それより蒼井君はもう彼女はできた?」
「彼女なんていないよ。なんか今は彼女を作ろうなんて気分になれなくてね。愛実ちゃんはどうなの?彼氏できたの?」
「アタシも彼氏いないのよね。なかなかいい出会いがないのよ」
「そうなんだ。まさか1年間ずっといなかったの?」
「そうなのよ。アタシは蒼井君のように好奇心で人を口説いたりしないしね。うふふ」
「愛実ちゃん、人聞きの悪いことを言わないで!俺は別に自分の好奇心だけで口説いたりしてないからね」
宮永愛実はクスクス笑いながら疑いの表情をしていた。
「へえーそうなの?この1年間で口説いた女性の人数は?」
「そういうこと・・・もう!ただ、ゼロではないとだけ言っておくよ」
「やっぱりね!アタシの睨んだ通りじゃない。彼女いないのは口説くと飽きちゃうからなんでしょ?」
「いろいろ事情があったんだよ」
その後、蒼井涼介と宮永愛実は何気ない話をしていた。久しぶりに会ったということもあって、かなり長話をしていた。そして会話が途切れた時、宮永愛実が突然、スマホを取り出した。
「そういえば蒼井君、連絡先の交換しない?せっかくこうして再会できたのも何かの縁だと思うの」
「別にいいよ。じゃあ連絡先交換しようか」
「えっと、これでよしっと!あとね、蒼井君はお酒飲める人?」
「飲めるよ。俺、あまり酔わないタイプなんだけどね」
「それじゃあ、近いうちに飲み会を開かない?聞いてもらいたいこともあるの」
「飲み会って俺と愛実ちゃんの2人で?」
「アタシは同僚を2人連れてくるから、蒼井君も誰か知り合いを連れてきてよ」
「それじゃあまるで合コンじゃない?」
「合コンじゃないわ。それに人数は合わせなくてもいいの。蒼井君と誰かもう1人連れてくればいいのよ」
蒼井涼介は少し沈黙をした。知り合いがいないわけではないが、1人と限定されてしまっては誰を連れていけばいいのかわからないのだ。
「俺ともう1人といっても、誰を連れていけばいいのかわからないよ。どんな人を連れていけばいいの?」
「そうねえ、できればクラシック音楽に興味のある人を連れてきてくれるといいかも」
「クラシック音楽に興味のある人か・・・」
「アタシが連れてくる同僚の1人がクラシック音楽の鑑賞が趣味だって言ってたから、そういう人がいればその子も話しやすいかも」
「なるほどね・・・年下でよければクラシック音楽に詳しい人ならいるよ。年下といっても愛実ちゃんと同じ年齢なんだけどね」
「その人でいいわ。是非連れてきて!」
「本人に確認しないとわからないけど聞いておくよ。彼女がいたりするとまずいしね」
「わかった。飲み会の詳しい日時は、決まり次第また連絡するわ」
これで宮永愛実との話は終わった。その後、2人で駅まで一緒に歩いていって解散となった。
それにしても、偶然にも1年ぶりに再会した宮永愛実と飲みに行くことになるとは思いもしなかった。女性3名で男性2名での飲み会というのが不自然な気もしていたが合コンではないとハッキリ言っていたのであまり気にしないでいた。気になるのは宮永愛実が言っていた聞いてもらいたいことの内容だった。そんな飲み会の場で話せる内容なのだろうか。とにかく飲み会で話を聴けばわかることなので、あまり考えないでおこうと蒼井涼介は思っていた。
■ 各自の打ち合わせ
帰宅した蒼井涼介はある人物の電話番号を探していた。それは数年前、蒼井涼介がアマチュア音楽コンクールに演奏を聴きに行った時に出会った古谷光一という人物だ。古谷光一はその音楽コンクールでバイオリンを弾いていたのだが、その演奏を聴いて感銘を受けた蒼井涼介は思いきって話しかけてみることにした。すると、意外にも古谷光一の音楽に対する価値観が蒼井涼介と同じであった。お互いに音楽関係の知り合いを増やしたいということもあって連絡先を交換していた。それから何度か、蒼井涼介と古谷光一は一緒に曲作りをするようになっていたのだ。しかし、お互いに仕事が忙しくなって、今はもう連絡を取り合っていない。
蒼井涼介は以前に使っていたスマホの電源を入れて、連絡先一覧を見ていると古谷光一の電話番号が見つかった。早速、蒼井涼介は新しいスマホに電話番号を登録して、古谷光一に電話をかけてみた。もう1年半ぶりの連絡になるので、電話番号が変わっていないか心配だった。
「もしもし。もしかして蒼井さんでしょうか?」
「おおー!その声は古谷君だね?本当にお久しぶり」
「本当にお久しぶりですね!また蒼井さんから連絡がくるなんて思いませんでしたよ」
「俺もまた電話をするとは思わなかったんだけどね。古谷君、元気してた?」
「元気してましたよ!相変わらず仕事は忙しいですけどね」
「そうなんだ。俺も仕事は忙しくてね。相変わらずバイオリンは続けてるの?」
「はい、バイオリンだけは続けていますよ。ところで蒼井さん、今日はどうしました?」
「えっとね、古谷君は今独身かな?それとも付き合ってる彼女がいたりする?」
「俺はそういうことに無縁なので全然そういう人いませんよ。それに仕事が忙しくて出会いなんてありません」
「そうなんだ。実はね、知り合いの女性から飲み会に誘われてるんだけど、古谷君に是非参加してほしいんだよ」
「俺がですか!?合コンってあまり得意じゃないんですけど大丈夫ですか?」
「合コンではないんだよ。ただの飲み会だと思ってくれればいいよ。向こうは3人連れてくるみたいだし、こっちは俺と古谷君の2人だから」
「そうなんですね。でもどうして俺なんかが誘われたんでしょうか?」
「その3人の女性のうち1人がクラシック音楽に興味があるみたいで、クラシック音楽に詳しい人を連れてきてほしいって言われたんだよ。そこで古谷君のことを思い出したわけだよ」
「なるほどです。それで日程は決まっているのでしょうか?」
「日程はまだ決まってないんだけど、近いうちに決まると思う。古谷君、どうかな?この飲み会に参加してみない?」
「久しぶりに蒼井さんと会えますし、それは別に構わないですけど、どういう女性が来るんでしょう?」
「1人は明るくて女子力は高いんだけど、他の2人については会ったことがないからわからないんだよ。ただ3人とも介護士をしてる」
「そうですか、わかりました。では、日時が決まったら連絡下さい。メルアドも変わっていませんので大丈夫です」
「オッケー!古谷君、都合の悪い曜日とかある?」
「都合の悪い曜日はないですが、できれば金曜日がいいですね」
「わかった。じゃあできるだけ金曜日にしてもらえるように言ってみるよ」
「お願いします」
「じゃあ、また連絡するのでよろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
これで古谷光一との電話を切った。これで古谷光一の参加がほぼ決まった。続いて、蒼井涼介は宮永愛実にメールを送った。もちろん日程はできれば金曜日がいいということ、古谷光一は18時まで仕事をしているので、時間はその後にしてほしいということを伝えておいた。しばらくすると宮永愛実から『調整してみる』というメールが届いた。
それから2日後の夜だった。突然、宮永愛実から電話がかかってきた。
「もしもし蒼井君、突然電話してごめんね」
「もしもし愛実ちゃん、どうしたの?」
「飲み会のことなんだけど、来週の金曜日でいい?待ち合わせは天神駅東口の改札口に18時50分頃に集合で!」
「オッケー!じゃあ連れてくる人に伝えておくよ。わざわざ電話で知らせてくれてありがとうね」
「蒼井君、ちょっと待って!飲み会の前に打ち合わせしておきたいことがあるの」
「打ち合わせしておきたいことって?」
「アタシが連れてくる同僚の1人に栗林果音って子がいるんだけど、ちょっと訳ありなの」
「訳ありって?」
「その子、彼氏がいるんだけど関係が上手くいってないのよ。それに、どうもその彼氏は浮気してるぽいの」
「なるほど。その栗林さんだっけ?彼氏がいるのによく飲み会に参加できたよね?」
「彼氏のことでずっと悩んでるから、たまには気晴らしに飲み会でもしようって誘ったのよ。恋愛心理に詳しい人を連れていくから相談してみるといいかもって言っておいたわ」
「なるほど、俺のことを話したんだね。それで愛実ちゃんが打ち合わせしたいことって?」
「もう果音って呼ぶけど、蒼井君には果音の相談を聴いてあげてほしいのよ」
「でも飲み会の席で、そんな深刻な話ができるとは思えないんだけどね」
「飲み会は顔合わせだけど、飲み会の席でも蒼井君はできるだけ果音と話をしてほしいの。もう1人の子も果音の事情は知ってるから、少しくらいなら話をしても大丈夫だと思うわ」
「先日、愛実ちゃんが言ってた聞いてもらいたいことって、このことだったんだね?」
「そうなの。このままだと果音は精神的に壊れちゃうかもしれない。もう限界なのよ」
「そこで俺の登場ってわけだね」
「蒼井君ならなんとかできるんじゃないかと思ったの。せっかくの飲み会だけどお願いできる?」
「わかったよ。ちなみその栗林さんの彼氏が浮気してるのは事実なの?」
「確実な証拠はないんだけど、休日になっても果音と会おうとはしないし、ときどき音信不通になったりしてるみたいなの。それに果音とは連絡すらとってないのよ」
「なるほど。それでその栗林さんの気持ちはどうなの?それでもまだ彼氏のことが好きだったりするの?」
「果音はそのことで悩んでいるの。まだ彼氏に対して情みたいな感情はあると思うわ。信じてあげたいとは言ってるけど、やっぱり浮気を疑ってるみたい」
「わかった。とにかく飲み会の席で栗林さんに少し話を聴いてみるようにするよ」
「ありがとう。蒼井君なら任せても大丈夫だと思うからお願いするわ」
その後、蒼井涼介と宮永愛実は適当な話をして電話を切った。そして古谷光一に飲み会の日程と待ち合わせ場所をメールしておいた。
それにしても、今回の飲み会はやはり人の悩み相談を聴くことが目的であったのだ。おそらくクラシックに詳しい人を連れてきてほしいというのは、趣味の合う2人には別の話で盛り上がっていてもらうということなんだろう。蒼井涼介は栗林果音という女性がどんな性格なのかもわからないので、何も考えることができなかった。飲み会の当日、本人に会って全てを確かめるしかないのだ。
■ 緊張する飲み会
約束していた飲み会の日がやってきた。普段は私服であった蒼井涼介も、今日は初めて会う女性がいるということで、茶色のジャケットに白のシャツ、黒のデニムパンツというスタイルだった。待ち合わせの時間は18時50分だったが早めに駅に着いた。蒼井涼介はしばらくの間、スマホの画面を見ていると、古谷光一が走ってやってきた。久しぶりに会った古谷光一は以前と同じ細身体型で身長は170cmくらい、紺色のスーツを着て白のシャツにネクタイは茶色のストライプ、少し長めのサラサラの黒髪でサラリーマン風であった。あまり女性とは縁がなかったのもあり、今はなにやら緊張した表情をしている。
「蒼井さん、お久しぶりです」
「古谷君、本当にお久しぶりだね。今日はわざわざ来てくれてありがとう」
「いえいえ。それにしても今日は俺なんかが合コンに参加してもいいんですか?」
「合コンではないから勘違いしないでね。今日は古谷君に来てほしかったんだよ。どうやら参加者にクラシック好きの女性がいるみたい」
「そうなんですね。今でもバイオリンは弾いているので、クラシックのことであれば話はできると思います」
そんな話をしていると、改札口から宮永愛実が2人の女性と一緒に出てきた。
「蒼井君、お待たせ。今日は楽しい飲み会にしようね」
「愛実ちゃん、そんな服装だと大人っぽく見えるね」
「またまた、やっぱり蒼井君は女性を褒めるのが上手いわね。でも褒めても何も出ないわよ」
「愛実ちゃんのご指名通りの人を連れてきたよ。彼が古谷光一君といって、俺の後輩でバイオリンが弾けるんだよ」
「そうなんだ。バイオリンが弾けるなんてなんだかすごいわね。じゃあこっちも先に紹介しておくわね。左側にいるこの子が栗林果音。果音は一応彼氏がいるんだけどちょっと訳ありなの。そして右側の全身黒い服の子が倉下璃子。お嬢様育ちで男性とあまり話したことないから今日は緊張するかもだけどよろしくね」
宮永愛実が紹介した2人の女性を見てみると、栗林果音は身長が155cmくらい、前髪を作らないセミロングヘア、全体はふわっとボリューミーに仕上がった清楚な感じの黒髪に目は大きいが少し垂れ気味で可愛らしい唇をしているいかにもピュアな女性といった感じだ。倉下璃子は身長が160cmくらい、前髪をおろしてツヤのあるミディアムヘア、毛先の内側にカールを入れている黒髪に、目は少しつりあがっていてキリッとした表情をしているが、鼻筋は通っていて見るからにお嬢様タイプといった感じである。
飲み会のメンバー全員が「今日はよろしくお願いします」と挨拶をすると、宮永愛実が「そろそろお店の予約時間になるから行きましょう」と言って、5人は予約しているお店へ向かっていった。蒼井涼介は彼氏持ちである栗林果音のことが気になっていた。はじめて会った時から何やら暗い表情をしている。宮永愛実と打ち合わせした時に話は聞いていたが、かなり厄介な問題を抱えていそうなのだ。
予約していた店に入ると、居酒屋のようにざわざわした感じでなく、少し静かな雰囲気だった。予約席は個室で、一番奥の席に蒼井涼介と隣に古谷光一、その向かい側の奥には宮永愛実、その隣には栗林果音、そして一番手前には倉下璃子が座った。そして、店員がオーダーをとりにくると宮永愛実が「みんな、最初はビールでいいかな?」と言った。みんな「それでいいです」と言った。ビールのジョッキが運ばれてくると宮永愛実が「それではみなさん今日は楽しい飲み会にしましょう。乾杯!!」と言って音頭をとった。そして宮永愛実の提案により、1人ずつ簡単な自己紹介をしていくことになった。まずは一番年上である蒼井涼介からはじめることになった。
「えっと、蒼井涼介です。みなさんより2つ年上です。趣味は心理学と音楽、ギターです。よろしくお願いします」
蒼井涼介の自己紹介を聞いた宮永愛実が少し大きな声で「心理学もだけど専門は恋愛心理学でしょ」と言った。蒼井涼介は宮永愛実のほうを見て「愛実ちゃん、余計なことは言わないように!」と言った。
続いて隣の席にいた古谷光一が少し緊張しながら自己紹介をはじめた。
「古谷光一です。年齢はみなさんと同じらしいです。会社員で趣味はバイオリンを弾いたり作曲することです。今日はよろしくお願いします」
それに続いて、次は宮永愛実が自己紹介をはじめた。
「宮永愛実です。実はここにいる蒼井君の彼女でーすっ!・・・というのは冗談で、趣味はもちろんお酒ですよ。よろしくお願いします」
彼女だと言われた蒼井涼介は宮永愛実に「そんなくだらない冗談はいいから」と笑いながら言った。続いて宮永愛実の隣に座っていた栗林果音が口を開いた。
「あ、あの・・・栗林果音と申します。えっと、果音って呼んでください。それと、趣味って何だろう?読書・・・かな。あ、あのよろしくお願いします」
栗林果音はかなり緊張しているようだった。この自己紹介を聞いた蒼井涼介は口調と発言した内容から栗林果音は男性経験も少なく、世間のことはあまり知らない純粋な女性であると分析した。次に一番端に座っていた倉下璃子が自己紹介をはじめた。
「みなさん、はじめまして。倉下璃子と申します。趣味は音楽鑑賞です。緊張していて何を話せばいいかわかりませんが今日はよろしくお願いします」
倉下璃子はみるからにお嬢様タイプでスラスラと自己紹介をしているようだったが、表情が緊張で固まっているようだった。この発言もあらかじめ練習していたんじゃないかと蒼井涼介は推測していた。
全員の自己紹介が終わったところで、宮永愛実が古谷光一のほうを見ながら口を開いた。
「古谷さんってバイオリンが弾けるんですね。普段はどんな音楽を聴いているのでしょう?」
「俺は何でも聴きますけど、やっぱりバイオリニストの曲が多いです。あとはオーケストラなんかも聴いたりしますよ」
「それってクラシック音楽ですよね?」
「そうですね。でもクラシック音楽なんてあまり同じ年齢の人は知らないので、話をすることはほとんどありません」
「そこにいる璃子もクラシック音楽が好きなんですよ。ねえ璃子!」
一番端の席に座っていた倉下璃子が「はい」と小さな声で呟いた。すると古谷光一は倉下璃子のほうを見て「そうなんですか。倉下さんもクラシックお好きなんですね?」と問いかけた。すると倉下璃子は「はい。クラシック音楽が大好きです」と答えた。ここで古谷光一と倉下璃子の会話が盛り上がりそうだったのだが、お互いに緊張していたせいで会話が途切れてしまった。そこに宮永愛実が口を開いた。
「古谷さんの好きなアーティストって誰ですか?」
「えっと、知らないと思いますが、五嶋みどりという女性バイオリニストです。オーケストラであればヘルベルト・フォン・カラヤンという指揮者ですね」
古谷光一がそう言うと倉下璃子が「カラヤンさん、わたしも聴いています」と言った。すると古谷光一は「カラヤンさんの指揮するオーケストラいいですよね!」と言った。倉下璃子は「はい。カラヤンさんのDVDなんかも見たりします」と言った。その後、ぎこちない会話でありながらも古谷光一と倉下璃子の2人は曲の話などをしはじめた。
ところで、蒼井涼介はずっと気になっていた栗林果音の表情を伺っていた。ずっとうつむいたままでビールもほとんど飲んでいなかった。宮永愛実が言ってたように今にも精神的に壊れそうな感じだ。そんな栗林果音をチラチラ見ていると宮永愛実が「さて・・・」と呟いた。
■ 心理作戦
隣で古谷光一と倉下璃子がぎこちない会話をはじめたところで、宮永愛実は「果音!」と声をかけた。栗林果音は「えっ」と声を出して顔をあげた。どうやら何か別の事を考えていたらしい。そこで宮永愛実が話しはじめた。
「果音、アタシの前にいる蒼井君は、恋愛心理学もだけどカウンセラーの技術も持ってる人なんだよ。今日、果音を連れてきたのはこの人と会わせたかったらなの」
「そうなの?」
「蒼井君だったら、果音の悩みを解決できると思うのよ。アタシも聴くから、果音の悩んでること打ち明けてみればいいと思うわ」
「でも・・・はじめて会った人にそんなこと・・・」
そこで蒼井涼介が口を開いた。
「栗林さん、いきなり悩み事を打ち明けろと言われても困るよね?」
「あ、あの、果音って呼んでいいですよ。栗林さんって呼びにくいと思いますので・・・」
「じゃあ果音ちゃんって呼ぶね。果音ちゃん、せっかくだから何か別の話をしよう」
「別の話ですか?」
蒼井涼介はここで休日の過ごし方などの質問は絶対にしてはいけないと考えていた。なぜならそれは悩み事に関係する質問だからである。
「俺ってみんなが右だって言ってるけど、あくまで自分が左だと思ったら絶対に左だと言うタイプなんだよね。だから周りから変な人だと思われることがあるんだけど、果音ちゃんはそういう人をどう思う?」
「そうですね・・・とても個性的な人で羨ましいと思います」
「どうして羨ましいって思うの?」
「わたしはみんなに流されやすいタイプですから、個性がある人って憧れます」
「そっか、憧れるんだ。でもね、それと同時に孤独も感じるようになるんだよ」
「孤独ですか?」
「だって、みんなが右って言ってるのに、自分だけ左って言ってるってことは、独りぼっちになってる状態になるんだよ。そんな時、自分って孤独だなって感じてしまうんだよ」
「なるほどです。孤独なのは淋しくないですか?」
「最初は淋しいと思ったこともあったけど、今は人は誰しも孤独な存在だって気づいたんだよ。だったら自分が孤独であることを素直に受け入れてる。そしたら楽になったよ」
「蒼井さんって精神的に苦労されてるんですね」
蒼井涼介が話していることは自分の話でありながら、実は自己開示しているのだ。そうすることで栗林果音も徐々に心を開いていくだろうと考えていた。ところで、自己開示をしていくうちに気づいたことがあった。それは栗林果音が『憧れます』と発言したことだった。自己紹介の時に分析していた純粋であるということと今回の発言のことを想定して考えると、純粋な女の子が憧れるようなすごい存在が現れた場合、その存在に対して素直な気持ちになる。心理学用語でいえばハロー効果といってもいいだろう。蒼井涼介はこのハロー効果を使ってみることにした。
「ところで果音ちゃんって、世間知らずって言われることない?」
「えっ?どうしてわかるんですか?」
「果音ちゃんの話を聴いていて、そう感じたからだよ」
「すごい!よく世間知らずだって言われます」
「あと、果音ちゃんって人をだましたり、ずるいことをするのが許せないタイプじゃない?」
「はい。わたし、そういうのは絶対許せません」
「他にもね、果音ちゃんは人に裏切られても平気だけど、自分は人を絶対に裏切らないタイプでしょ?」
「すごい!それも当たっています。お人よしって言われますけど、わたしは人を裏切るようなことは絶対にしたくないです」
「やっぱりね。果音ちゃんは、すごく綺麗な心を持ってることがわかったよ」
「蒼井さんって何でも見抜いちゃうんですね。さすが心理学を勉強してるだけのことはありますね」
「心理学はただの道具にすぎないよ。まあ、俺もいろんな人の話を聴いてきたからね」
「今日会ったばかりなのに、そこまでわたしのことを見抜くなんてすごすぎます!」
ここで蒼井涼介は栗林果音の悩み事について少し触れてみることにした。
「果音ちゃん、最初はすごく暗い表情してたけど少し表情が明るくなったね」
「ごめんなさい。せっかくの楽しい飲み会なのに、暗い表情をしてしまって・・・」
「それは気にしなくてもいいよ。果音ちゃんが悩んでいるってことは相当苦しんでると思うからね」
「そう・・・ですね」
「本当は今日の飲み会も参加する気分ではなかったでしょ?でも愛実ちゃんの誘いを断ることはできなかった。おそらくそんな感じだよね?」
「さすがです。蒼井さんには何でもお見通しなんですね」
「いや、正直ベースで話をするけど、実は果音ちゃんの悩み相談を聴いてあげてほしいって愛実ちゃんに頼まれてたんだよ。ただ、いきなりはじめて会った人に悩み事を打ち明ける人なんていないから、とりあえず果音ちゃんと話をしてみようと思っただけなんだけどね」
「蒼井さんであれば、わたしの悩み事を打ち明けていいかもです」
「俺でよかったら話くらいは聴くよ。今は隣に愛実ちゃんもいるけどね」
「あ、あの・・・蒼井さんにとってわたしの悩み事なんて大したことないかもしれませんが聴いてもらえるでしょうか?」
「果音ちゃん、悩み事なんて比較するもんじゃないんだよ。どんな悩み事でも、それで苦しんでいるのであれば、それは大したことある悩みになってしまう」
「やっぱりすごい!愛実ちゃんがわたしに蒼井さんを紹介した理由がわかった気がします」
ふと隣の席が気になったのでチラッと見てみると古谷光一と倉下璃子はまだぎこちない会話をしている。そして、蒼井涼介は栗林果音の目を見ながら口を開いた。
「果音ちゃんの悩み事だけど、それは彼氏のことだね?」
「はい、そうなんです」
あらかじめ宮永愛実から情報は得ていたが、その情報がなくても栗林果音の悩み事くらい見抜くことができた。なぜなら、宮永愛実が栗林果音を紹介した時に「彼氏がいるんだけど訳あり」だと言っていたからである。栗林果音が悩み事を抱えて暗い表情をしていれば一目瞭然でわかるのだ。
「彼氏との関係が上手くいっていないんじゃないかな?たとえば、連絡をあまり取ってなくて、2人で会うこともなくなっている、そういう感じかな?」
「ええー!!どうしてそこまでわかるんですか?たしかにその通りです」
「だって、待ち合わせ場所で紹介された時に彼氏がいるけど訳ありだって言ってたよね。訳ありの理由なんて1つしか考えられないよ」
「蒼井さんって推理力もすごいんですね。あと彼氏についてもう1つあるんですけど、これは話すと長くなります」
「あともう1つあるんだ。じゃあ、後で連絡先を交換してもらってもいいかな?こんな場所だと話しにくいだろうし、電話でいいならゆっくり話を聴くよ」
「はい。わかりました」
「最後に1つだけ聞いておきたいことがあるんだけど、果音ちゃんは彼氏のことをどう思ってるの?」
「それが悩みの1つなんです。わたし、自分でも彼氏のことが好きなのかわからなくなっています」
「わかった。そのことについても今度ゆっくり話を聴かせてもらうよ」
「ありがとうございます」
蒼井涼介は再び隣の席をチラリと見た。古谷光一と倉下璃子はまだぎこちない会話をしているようだ。倉下璃子はうつむいたまま、古谷光一の質問に対して相槌をしているだけのように見える。倉下璃子は見るからにお嬢様タイプだが、男性と話をする経験が少ないと見える。そして、気づくと21時を過ぎていて、飲み会はお開きとなった。
お店を出て、みんなで駅に向かっている時に蒼井涼介は宮永愛実の耳元で「こんな感じでよかったの?」と聞いてみた。すると宮永愛実は「バッチリよ。ありがとう」と答えた。そして、古谷光一に話を聞いてみると倉下璃子とそこまで会話が盛り上がらなかったようで、少し落ち込んでいた。駅の改札口に到着すると、最後に宮永愛実が「せっかくだからみんなで連絡先の交換をしましょう」と言った。みんなで連絡先の交換がはじまった。蒼井涼介は一応、倉下璃子の電話番号とメールアドレスも聞いておいた。
■ 果音の悩み相談
飲み会から4日経った。連絡先の交換をして以来、蒼井涼介は栗林果音からの連絡を待っていたのだが、あの性格からして、こちらから連絡したほうがいいのか迷っていた。そんなことを考えていると、突然、宮永愛実から電話がかかってきた。
「もしもし蒼井君、愛実だけど今大丈夫?」
「大丈夫だけど、どうかしたの?」
「どうかじゃないよ。せっかく果音と連絡先の交換したのに、どうして連絡してあげないの?」
「いや、一応果音ちゃんは彼氏持ちだし、こっちから連絡していいのか迷っていたんだよ」
「そんなこと気にしなくていいのよ。果音、蒼井君からの連絡待ってるみたいよ」
「まあ、果音ちゃんの性格を考えれば、連絡してくるようなタイプではいのはわかるけどね。あと、いつ電話していいかのかわからないんだよ。介護士の仕事って時間が不規則だよね?」
「果音、今日は早番だったから、今ならいると思うわ。蒼井君のほうから電話してあげてよ」
「わかったよ。じゃあ、今から電話してみる」
「じゃあお願いね」
宮永愛実と電話を切った後、蒼井涼介はすぐに栗林果音に電話をかけた。もう21時を過ぎているので、早番だったとすればもう寝ている可能性がある。何度かコールすると栗林果音が電話に出た。
「もしもし、果音ちゃん、蒼井だけど覚えてるかな?」
「は、はい。もちろん覚えていますよ」
「果音ちゃん、今大丈夫かな?」
「ちょ、ちょっと待ってくださいね」
「うん」
電話の向こうでバタバタと音が聞こえた。数回コールしてやっと電話に出たということは何かしていた最中だったのだろう。蒼井涼介は大体の予想がついていた。そして、3分ほど経った。
「蒼井さん、お待たせしてごめんなさい」
「果音ちゃん、お風呂上がりだったのかな?いきなり電話してごめんね」
「すごい!どうしてお風呂上りだとわかったんですか?」
「何度かコールしてやっと電話に出てくれたってことは何かをしていたんだろうと思ってね。この時間にしてることってお風呂くらいしか考えられないよ。電話の向こうでバタバタしてるの聞こえてたしね」
「なるほどです。蒼井さんって頭がいいんですね。こっちはもう大丈夫ですよ」
「それならよかった。早速だけど果音ちゃんの悩み事は相変わらずって感じかな?」
「そうですね。わたし、こんなに悩んだことがなかったので、もうどうしていいかわからなくなっています」
「なるほど。そもそも果音ちゃんはいつからそんなに悩みはじめたの?」
「えっと、それは3ヶ月ほど前からでした。彼氏と会うことも少なくなって、連絡してもほとんど音信不通になっていました。最初は倦怠期かなって思っていましたけど、なんだか彼氏の態度が急に冷たく感じるようになったのです」
「どんな態度をされて冷たく感じたの?」
「たまに彼氏と連絡が取れても適当な返事をされたり、久しぶりに会いたいと言っても忙しいからまた今度って言われたりです。わたし、ほったらかされてる感じがしています」
「そっか。それで果音ちゃんは彼氏の態度が冷たいと感じたわけだね?」
「はい。そんな関係がずっと続いていて、愛実ちゃんや璃子ちゃんに相談してみました。すると愛実ちゃんが『彼氏、浮気してるんじゃない?』って言ったんです。それを聞いて、最初はとても信じられませんでした。ところがそれからのことなんです」
「それからのことって何かあったの?」
「彼氏の浮気を疑う出来事がありました。その話をすると少し長くなりますけどいいですか?」
「大丈夫だよ。話してみて!」
蒼井涼介は栗林果音が彼氏の浮気を疑う出来事について話を聴くことにした。
「あれは久しぶりに彼氏の部屋へ遊びに行った時のことでした。彼氏と付き合った頃はよく部屋に遊びに行ってたんですが、その日は本当に久しぶりだったので、なんだか新鮮な感じもしました。部屋のレイアウトもちょっと変わっていましたし、布団も新しくなっていました。彼氏の部屋にはテーブルがあるんですけど、狭いのでいつもベッドの上に座っていました。その日もわたしはベッドの上に座っていました。そして彼氏がお茶を入れにキッチンへ行きました。わたしは部屋の中をキョロキョロ見ていると、足元に髪の毛が落ちているのを発見しました。その髪の毛の色や長さからすぐに別の女性の髪の毛だとわかりました。床をみてみると、同じような髪の毛が落ちていました。わたし、別の女性がこの部屋に入ったのは間違いないと思いました。でもそれだけで浮気をしていると決めつけられせんでした。女性の友達がきていたのかもしれませんし、親類がきていたのかもしれないと思ったからです。それから彼氏がお茶を持ってきて、2人でのんびりと話をしていました。しばらくして、彼氏のスマホに電話がかかってきました。彼氏は電話の相手が面倒な人だから外で話してくると言って外に出ました。わたしはどうしても髪の毛のことが気になっていたので、もう一度、髪の毛が落ちていた床を見ていました。その時です。ベッドの横にあったゴミ箱の中身がチラッと目に入りました。えっと、避妊道具の袋って言えばいいのでしょうか。それがゴミ箱の中に入っていました。あっでも、チラッと見えただけですし、わたしは避妊道具なんてあまり見たことがないので、本当にそうだったのかハッキリ答えられません。でも、あの袋の特徴からそれ以外のものは考えられないです。わたし、なんだかとても辛い気持ちになって、その日は用事があるといって帰りました。それからです。彼氏の浮気を疑うようになっていろいろ悩むようになりました。そのうち、本当に彼氏のことが好きなのかわからなくなってきました。もともと浮気を疑う前から、あまり彼氏と会ってもいませんでしたし、わたしの気持ちも付き合いはじめた頃より冷めていました。でも、これから彼氏とどうしていけばいいのか考えてもわからないんです。彼氏が本当に浮気をしていたとしても、それはわたしにも原因があるんじゃないかとか思ってしまいます。それに簡単に別れてもいいのか悩んでいるのが現状です。話が長くなってごめんなさい」
蒼井涼介は事情を聞いて、栗林果音が悩み苦しんでいる原因がわかった。それは純粋な女性が最もハマってしまう迷路を彷徨っているということだ。おそらく今の状態ではこの迷路から抜け出せず、最終的には精神が崩壊するに違いないと考えた。栗林果音がこの迷路から脱出するには、少し強引であっても出口へ導いてあげるしかないと蒼井涼介は思った。
「果音ちゃんは優しいね」
「わたしが優しいってどういうことですか?」
「だって彼氏が浮気をしていても、それは自分にも原因があるって考えてるところかな。普通はそんな風に考えられないよ」
「よく考えてみると、わたしって彼氏に何もしてあげられてなかったんですよね」
「果音ちゃん、誰かに何かをしてあげられるとか、逆にしてもらっているとか、そういうことはあまり考えないほうがいいよ。難しいかもしれないけど、人間関係ってお互いに求めあうことで成立するわけじゃないからね」
「たしかにそうですね。蒼井さん、わたしの話を聴いてどう思いました?彼氏は浮気してると思いますか?傷つかないのでハッキリ言ってください」
「果音ちゃんって穏やかなのに突っ込んだ質問してくるんだね。その前に1つだけ質問させてほしい。果音ちゃんは、気持ちが冷めていると言ってたけど、それでも彼氏と付き合っていたい気持ちはある?」
「前にもいいましたけど、それがわたしの悩みなんですよね。本当にこのままの関係を続けてもいいのか、もう終わらせるべきなのか、それがわかりません」
「わかった。つまり果音ちゃんはコンフリクトの状態にあるわけだね。コンフリクトっていうのは関係を続けるか、終わらせるか、その2つの結論が葛藤してるという意味だよ」
「そうですね。たしかにその2つの結論で葛藤してます」
「そこでさっきの質問なんだけど、まず果音ちゃんの話を聴いてるととても悩み苦しんでることが伝わってきたよ。さっきのコンフリクトの状態もだけど、なかなか出口が見つからない複雑な迷路を彷徨っている状態だね。このままだといつか精神的に壊れてしまうんじゃないかと思う」
「出口の見つからない迷路ですか?その迷路の出口に辿り着けば、この悩み事は解決するんですね?」
「ところが今の果音ちゃんの力ではその迷路から脱出できないと思う」
「どうしてですか?」
「飲み会の時にも言ったけど、果音ちゃんは純粋で綺麗な心を持ってるんだけど、世間知らずでもある。純粋だけではどうにもならないことだってあるんだよ。ずる賢い部分も知っていないとこの迷路は脱出できない」
「なるほどです。難しいですね。ところで彼氏の浮気についてはどうですか?」
蒼井涼介は栗林果音の彼氏が浮気しているのは間違いないと確信していた。栗林果音は純粋でありながら、意外とメンタル面は強いのではないかと思った。精神的に崩壊しそうになっているのは、迷路に彷徨い続けているからである。迷路から脱出させるには、まず現実を素直に受けとめてもらうしかないのだ。そう思った蒼井涼介は正直に伝えることにした。
「果音ちゃんには気の毒なんだけど、間違いなく彼氏は浮気してると思う。部屋の中で見つけたものは物的証拠にすぎないけど、あまり会うことがなくなって、音信不通になることがあったという事実を考えてみると、彼氏の行動には不自然な点が多すぎる。浮気もいろんなケースがあるんだけど、この場合はおそらく1人の女性に夢中になって浮気しているんじゃないかと思う。つまり気持ち的にはその女性に本気ということだね。もし単なる浮気だったら果音ちゃんとも会っていると思う」
「1人の女性に夢中になってるってことは、彼氏はその女性のことが好きになってるってことですよね?」
「そういうことだね。それでも果音ちゃんと別れないのは、おそらくその女性には彼氏と付き合えない何かしらの理由があるんだと思う」
「なるほどです。蒼井さんにそう言われて少しスッキリしました。でもそれならわたしはどうすればいいのかわかりません」
「それに関しては大丈夫。果音ちゃんの力だけでは迷路から脱出できないけど、俺が協力して出口まで導いてあげたいって思ってる」
「本当ですか!?ありがとうございます」
「ただ、少々強引なことするかもしれないけど、それは覚悟しといてね」
「強引なことですか?でも、蒼井さんであれば信用できそうなので覚悟しておきます!」
「少し声に明るさが戻ったみたいだね。長く話してごめんね。今日は遅いのでそろそろ電話切るね」
「はい。長いこと話を聴いてくださってありがとうざいました」
これで栗林果音との電話を切った。蒼井涼介はあらかじめ宮永愛実から話をきいていたので予想はできていたが、この悩み事を解決させるには少し時間がかかってしまうと思った。
■ これからの対応とダブルデートの約束
栗林果音と電話をした次の日の夜、蒼井涼介はベッドに横たわって考えていた。どう考えても栗林果音とその彼氏の関係を良くすることは不可能に近い。むしろ、2人の関係はもう終わっているといってもいいだろう。しかし、栗林果音がその事実を受け入れながらも未だに悩んでいるということは、その彼氏に対する感情が残っているからだろう。その状態から別れさせる方向に持っていくのであれば、栗林果音を口説いてしまえばいいのだが、蒼井涼介には恋愛感情がないのだ。あれほど純粋な心を持った女性に別れさせ屋のような手段を使うのは心が痛い。だからといってこのままの状態が続けば、いつかは精神が崩壊するだろう。今回は攻略法というより、栗林果音の気持ちを変化させる方法を考えなければならない。今の彼氏との関係に何のメリットもなく、むしろデメリットしかないと気づかせることができれば、栗林果音は彷徨っている迷路から脱出できるだろう。そこで蒼井涼介は栗林果音と2人の世界を作ってしまって、その世界にいるほうが楽しいと思わせる方法を思いついた。つまり、彼氏といるより蒼井涼介と一緒にいるほうがメリットがあって楽しいと感じさせればいいのだ。そういう2人だけの世界を作ってしまえば、今の彼氏のことなんてどうでもよくなるだろう。その世界を作るには、もっと話をしなければいけない。そして、栗林果音の気持ちを少しだけ自分に振り向かせるような行動をしていけばいいのだ。蒼井涼介にとって栗林果音の気持ちを振り向かせることは、そんなに難しいことではないのだが、あまりやりすぎると本当に口説いてしまうことになるので注意しなければならない。栗林果音を振り向かせるには、マメな気遣いと何気ない優しさ、そして会話の中に誉め言葉を少し入れておく基本的な恋愛テクニックを使えばいい。そもそも蒼井涼介は純粋で綺麗な心を持っている栗林果音のことを可愛く思っているので、その気持ちを素直に伝えるだけでも効果はありそうだ。そして最終的には栗林果音を優しく包んであげられるような存在になればいいのだ。今後の方針が決まったところで、蒼井涼介は早速実行していくことにした。
それから数日間、蒼井涼介は栗林果音と電話で話をしていた。悩み相談だけでなく自分の趣味や心理学の話などもして、かなり2人の世界が構築されていった。もちろん、蒼井涼介は「果音ちゃん、仕事で疲れていない?大丈夫?」などとマメに気遣ったり、時には「果音ちゃんって本当に可愛いね」と誉めてみたりしていた。そんなことを繰り返しているうちに栗林果音が「蒼井さんが彼氏だったらなあ」と発言した。蒼井涼介はその発言に対して何も答えなかったが、心の中でやっと効果が表れてきたと思っていた。
10月もそろそろ終わりに近づいた頃、突然、蒼井涼介に電話がかかってきた。相手は飲み会に参加してくれた古谷光一だった。しばらく栗林果音のことで必死だったので、すっかり古谷光一の存在を忘れていたのだ。
「もしもし、古谷君お久しぶり」
「蒼井さん、お久しぶりです」
「ちょっと最近忙しかったから、ご無沙汰しててごめんね」
「いえいえ、俺のほうも少し忙しかったんで大丈夫ですよ」
「突然、どうしたの?」
「あのですね、飲み会の時にいた倉下さんっているじゃないですか?実は最近、俺、倉下さんとよく電話してるんですよ」
「へえーそうなんだ。飲み会の時、あまり話が盛り上がらなかったって言ってなかった?」
「そうなんですけど、あの時は倉下さん、かなり緊張してたみたいなんです。でも、電話で話してみるとかなり話が盛り上がって、最近は毎日のように電話するようになりました」
「そうなんだ。古谷君がまさか倉下さんとそんなに電話で話していたなんて思いもしなかったよ」
「そこで蒼井さんに相談なんですが、実は俺、倉下さんのこといいなって思ってるんですよ。でも、いきなり2人きりのデートに誘うのはどうかと思っていまして・・・ですから、また前の飲み会のようにみんなで集まることってできないですか?」
「うーん・・・みんなで集まるっていうのは難しいかもしれない。ようするに古谷君は倉下さんと会って話がしたいんだよね?」
「そうなんです。もう電話でかなり話しているので、今度は実際に会って話したいんです」
「倉下さんとはどういう話をしてるの?」
「最初はクラシックの話をしてたんですが、最近はお互いの仕事のこととかも話してます。それに俺のほうから会って話してみたいって言ったら、倉下さんも会って話してみたいって言ってくれたんです」
「それっていい感じだと思うよ。倉下さんも会って話してみたいってことは、古谷君に興味があるってことだからね」
「でも、倉下さんってすごく緊張するタイプじゃないですか?いきなり2人で会うってことになると俺も不安なんです」
「なるほど。つまり古谷君もいきなり2人で会うのは不安に感じてるんだね?」
「そうなんです。でも、興味のあるクラシックコンサートがあったら一緒に行こうねって話はしています」
「それはかなりいい感じだと思う。そんな話にまで発展してるんだったら、脈は十分にあると思うよ」
「やっぱりそう思います?俺もなんかいける感じはしています。でも、やっぱり実際に会って話したいんですよね」
ここで蒼井涼介は少し考えた。栗林果音にはかなりの効果が表れてきているので、ここでダブルデートのようなことをするのはいいかもしれないと思った。蒼井涼介の考えた方法を成功させるには、いつか栗林果音と実際に会って話をしなければならない。これはちょうどいい機会かもしれないと思った。ついでに古谷光一と倉下璃子の恋愛もサポートできるのだ。
「古谷君、わかった。じゃあ、ダブルデートしてみようか!?」
「ダブルデートですか?蒼井さんはそういう相手がいるんですか?」
「俺は果音ちゃんを誘ってみるから、古谷君は倉下さんを誘えばいい。4人でドライブでもしようってね」
「果音ちゃんって栗林さんですよね?そういえば蒼井さんって飲み会の時、ずっと栗林さんと話してましたね?」
「そうだよ。あれから何度も果音ちゃんと電話で話してるんだよ。ちょっといろいろあってね」
「そうなんですね。蒼井さんが栗林さんを気に入ってたとは知らなかったです。じゃあ、俺はそのダブルデートでいいですよ」
「じゃあ、10月末の土曜日か日曜日の夜、予定が空いてるか倉下さんに聞いておいて!果音ちゃんはどっちも空いてるみたいだから大丈夫」
「さすが蒼井さんです。ちゃんと栗林さんの予定を知ってるんですね」
「ちょっといろいろあって、予定を聞いてたんだよ」
「わかりました。それでは倉下さんに予定を聞いておきます。予定がわかったら蒼井さんにメールしますね」
「オッケー!古谷君、倉下さんとのことがんばってね」
「はい。俺、がんばりますよ!ありがとうございます」
古谷光一との話が終わって電話を切った後、蒼井涼介はまず宮永愛実にダブルデートすることをメールで伝えておいた。宮永愛実から”それはよかった。果音のことよろしく。楽しんできてね!”とメールが返ってきた。その後、栗林果音に電話をして「4人でドライブに行かない?」と誘ってみるとすぐに「行きます。行きたいです」と答えた。それからしばらくして古谷光一からメールが届いた。倉下璃子から土曜日の夜であれば予定は空いているという内容であった。そして、ダブルデートの予定は10月末の土曜日の夜となった。
ダブルデートをする前に、蒼井涼介は栗林果音に話しておきたいことがあったので電話をしていた。
「果音ちゃん、最初に話した時よりずいぶん元気になったように思う。悩み事なんてどうでもよくなってきてる感じがするよ」
「たしかにそうですね。最近はずっと蒼井さんと話していて楽しかったので、悩み事のことなんてすっかり忘れていました」
「でも、状態は何も変わってないから、それはちゃんと考えないといけないよ」
「それはわかっていますけど、やっぱりどうすればいいのかわかりません」
「じゃあ、果音ちゃんに1つ問題を出しておくよ。この問題が解ければ、きっと迷路の出口が見つかるはずだよ」
「問題ですか?なんか難しそうですが何ですか?」
「どんな人間関係でも何かしらの意味があると思うんだよ。そこで果音ちゃんには、今の彼氏との関係にどんな意味があるのか考えておいてほしい」
「なるほどです。わたし、今までそんなこと考えたことがないので、ちゃんと答えられるかわかりませんが考えてみます」
「それも今度一緒にドライブに行く時までに考えておいてね。その時に果音ちゃんの答えを聞くよ」
「わかりました。がんばって考えてみます」
ついに蒼井涼介は迷路の出口に導くための手段に出たのだ。栗林果音がこの問題を見事に解き明かしてあることに気がつけば、悩み事もなくなろう。これそこまさにトドメを刺す作戦なのだ。
■ 夜のドライブ
いよいよダブルデートをする土曜日になった。今回は蒼井涼介が住んでいる家の最寄り駅北口に18時集合ということになっていた。なぜなら蒼井涼介の車でドライブすることになったからだ。蒼井涼介は車で駅に向かい、到着したのは17時55分だった。車を停車させて辺りを見回していると、既に黒のジャケットに白いシャツ、黒いパンツをはいた古谷光一と、黒いコートに白のハイネック、黒いロングスカートをはいた倉下璃子が到着してた。2人は楽しく何か話をしているようで、飲み会の時の雰囲気とはまるで違っていた。蒼井涼介は車から降りて2人のところへ行った。
そして、蒼井涼介は「古谷君、倉下さん、お久しぶり。今日はよろしくね」と言った。古谷光一は「蒼井さん、今日はよろしくお願いします」と言うと倉下璃子も「蒼井さん、お誘いありがとうございます。本日はよろしくお願いします」と言った。そして車まで歩いていくと、その2人は後部座席に座った。あとは栗林果音を待つだけとなったが、まだ到着していないようだった。古谷光一が後部座席で「あとは栗林さん待ちですよね。倉下さん、職場でそういう話はしなかったの?」と聞いてみると、倉下璃子は「果音ちゃんとは部署が違うから、職場で話す機会がなかったの」と答えた。
それからしばらくすると駅の改札口から1人の女性が走って出てきた。それはベージュのコートに紺色のシャツ、白いスカートをはいた栗林果音だった。蒼井涼介はすぐに車を降りて栗林果音のところへ走っていった。栗林果音は息をきらしながら口を開いた。
「ごめんなさい。ちょっと遅れてしまいました」
「いいよ。駅の出口がわかりにくかったんだよね?」
「え?どうしてわかったんですか?」
「だって、電車が駅に到着したのは少し前だからね。この時間から考えて北口の改札を出て反対側に出てしまったんじゃない?」
「すごい、正解です!本当にごめんなさい」
「いいよ。ちゃんと説明しなかった俺も悪かったし。もう古谷君と倉下さんは車に乗ってるから果音ちゃんも早く乗って!」
「はい」
栗林果音は助手席に座ると後部座席のほうを見て「遅れてしまって、ごめんなさい」と言った。後部座席の2人は「いいよ。気にしないで」と言った。蒼井涼介は「じゃあみんな出発するよ。山道を走るけど車酔いする人はいるかな?」と聞いてみると、みんな「大丈夫です」と答えた。
車を走らせていると助手席にいる栗林果音は黙っていたが、後部座席に座っている古谷光一と倉下璃子は楽しそうに話していた。運転している蒼井涼介がうるさいと思えるくらい後部座席の2人は話しているのだ。しかし、そんな2人の話を聞いてると、かなり親密な関係になっていると感じられた。実際に会うのは2回目になるが、今日にでも古谷光一と倉下璃子が結ばれてもおかしくないくらいだ。ところで助手席に座っている栗林果音の様子をチラリと伺ってみると、何か楽しいことを待っている子供のような表情をしている。
国道を走らせていると向こう側にファミリーレストランが見えた。蒼井涼介は「みんな、ドライブの前にそこのファミレスで軽く夕食をとっておかない?」と聞いてみた。するとみんな「はい」と答えた。ファミリーレストランに入った4人は軽く夕食をとった。食事中も古谷光一と倉下璃子は楽しそうに話をしている。そんな2人を見ていた栗林果音は蒼井涼介の耳元で「この2人、かなりいい感じじゃないですか?」と囁いた。蒼井涼介は「そうだね。果音ちゃんもこの2人のことを応援してあげてね」と囁いた。栗林果音は「もちろん応援します」と答えた。それから夕食を終え、再び車を山のほうへ走らせた。
山道に入ってからも後部座席の2人の会話は途切れることがなかった。そんな2人の会話を聞いていた蒼井涼介は小さな計画を立てていた。まず、今向かっているのは星がよく見える丘だった。そこは観光スポットでもないただの丘なのでほとんど人がこない場所なのだ。そこで古谷光一を呼び出して、告白を促すようにアドバイスすることにした。その後は栗林果音と2人になって先日出した問題の解答を聞くことにすればいいだろう。そんなことを考えながら車を走らせていると目的地に到着した。
蒼井涼介が「着いたよ」と言うと他の3人は不思議そうに「ここに何かあるんですか?」と聞いてきた。蒼井涼介は「すぐそこの丘なんだけど、着いてくればわかるよ」と答えた。車から降りると辺りは真っ暗なのでペンライトを出して4人は丘の上へ登っていった。そして丘の上に到着してペンライトの明かりを消すと満点の星空を眺めることができた。蒼井涼介は「ここの芝生は綺麗だから座って星を眺めるといいよ」と言った。芝生に座って見上げた3人は「すごい星がよく見える」などと言って驚いていた。しばらく星空を眺めていると倉下璃子が「ずっと見ていたいね」と呟いた。そのタイミングで蒼井涼介は「ちょっとここで星空を眺めていてね。古谷君、ちょっと車まで着いてきてほしい」と言った。古谷光一は「はい」といって立ち上がった。そして車の中に入って運転席に座った蒼井涼介は「古谷君、助手席に座って」と言うと古谷光一は「はい」といって助手席に座った。
「古谷君、もうここまで関係が発展してるんだったらいいんじゃないかな?」
「いいってどういうことですか?」
「実際に会うのは2回目だけど、もう倉下さんに告白するといいよ」
「ええー!そんな・・・いきなりですし、俺はまだ心の準備ができてないですよ」
「この後、夜景スポットに行くつもりなんだけど、そこで告白するといいよ。ただ、告白の仕方だけ注意しないといけない」
「告白の仕方ですか?」
「倉下さんは男性経験が少ないと思う。だからいきなり好きだから付き合ってほしいみたいな告白をすると戸惑うと思う」
「たしかにそれは言えますね」
「好きという言葉を使わず、話していて楽しいし、これからずっと一緒にいたいから付き合ってほしいみたいな言い方をすればいいよ」
「でも、付き合うことを断られるかもしれないですよね?」
「それは大丈夫だと思う。ここまでの関係まで発展して倉下さんに断る理由なんてないからね。そもそも断るなら今日このドライブに来てないよ」
「それでも倉下さんに好きな人がいるかもしれないじゃないですか?」
「もし、倉下さんに好きな人がいたとしても、おそらくそれは手の届かない人だと思う。単なる憧れの存在ってことだね。そうでないと毎晩のように古谷君と電話で話したりしないよ」
「そうですかね。なんだか蒼井さんにそう言われるとそんな気がしてきました」
「夜景スポットでいい雰囲気を作るから告白するといいよ。言葉には注意してね」
「わかりました。やってみます」
古谷光一と話が終わったところで丘の上に戻った蒼井涼介は、1人で座っている栗林果音の隣に座った。そして耳元で「この前出した問題の解答を聞かせてもらってもいいかな?」と囁いた。栗林果音の体がビクッと反応して「わかりました。でもこれって蒼井さんのせいですから責任とってほしいです」と囁いた。
「俺の責任ってどういうこと?」
「わたし、蒼井さんから出された問題について2つの解答があります」
「俺が出した問題は彼氏との関係の意味だったよね?その解答が2つあるってこと」
「違います。わたし、実はもう彼氏と別れました。彼氏との関係に何の意味もないって気づいたからです」
「そっか、別れたんだ。でも果音ちゃんはやっとそのことに気づいたんだね」
「はい。そんな意味のない関係に悩むことなかったんですよね。彼氏との関係は、わたしにとってデメリットでしかなかったと思っています」
「よく気づいて別れることができましたと言っておくよ」
「でも、それと同時にもう1つのことを考えてみました。そしてその解答も得ることができました」
「もう1つのことって何を考えたの?」
「それは・・・その、蒼井さんとの関係の意味です」
それを聞いた蒼井涼介は自分がミスをしてしまったことに気づいた。もともと彼氏との関係の意味を考えさせて気づかせることが目的で問題を出したつもりが、栗林果音に余計なことまで考えさせてしまったのだ。それで責任をとってほしいという意味を考えれば誰でもわかることなのだ。ただ気持ちを振り向かせるだけの方法を実行していたのだが、口説き落としてしまったのだ。蒼井涼介は困惑しながらも口を開いた。
「俺との関係の意味か・・・それは考えたことなかったよ」
「蒼井さんとの関係には意味があります。わたしにとってメリットがたくさんあります」
「そう言ってくれてありがとう。果音ちゃんにそう思われているなら嬉しいよ」
「蒼井さん、わたしは・・・」
「果音ちゃん、この話の続きは後でしよう。そろそろ肌寒くなってきたから車に戻ろう」
「わかりました」
たしかに肌寒くなってきたのだが、蒼井涼介は考える時間が欲しかったのだ。間違いなく栗林果音は告白するつもりだった。しかし、いきなり告白されてもどう答えていいのかわからない。蒼井涼介は彼氏と別れさせることには成功したが、その後の対応については考えが甘かったと反省していた。
■ 2つの告白
車に乗ってさらに山道を走りながら蒼井涼介は考え事をしていた。次に行く夜景スポットで栗林果音に告白されるに違いないと確信していたからだ。ところが蒼井涼介には恋愛感情がない。それに栗林果音の感情は単なる依存心で、それを恋愛感情だと錯覚している。どういう理由であっても告白されて付き合うわけにはいかない。しかし、純粋で綺麗な心を持った女性をその気にさせてしまったことに罪悪感はある。もし、栗林果音が本気で恋愛感情を抱いているのであれば、少しは心が動かされるだろうと感じている。なぜなら蒼井涼介にとって栗林果音は可愛くてたまらない存在なのだ。恋愛感情ではなく愛してあげることはできる。しかし、どう考えても今の栗林果音は蒼井涼介に依存しているだけである。やはりこの状態では付き合うことはできないので素直に断るしかないと蒼井涼介は思った。
夜景スポットの駐車場に到着して4人は車から降りた。駐車場からでも夜景は見えるのだが、そこから5分ほど山道を歩いたところにあまり人がこない夜景スポットがある。ペンライトを2本ちながら4人で山道を5分ほど歩いていく。蒼井涼介と栗林果音の2人が先頭を歩いて、後ろから古谷光一と倉下璃子がついてきた。目的の夜景スポットに到着すると周り人はいなかった。栗林果音と倉下璃子は夜景を望ながら「綺麗」と呟いていた。蒼井涼介はペンライトを消して、夜景スポットに設置してあるベンチに座った。ベンチから10mくらい離れた場所から夜景がよく見えるので、栗林果音と倉下璃子、古谷光一の3人はその場所で夜景を眺めていた。しばらくして、ベンチに座っていた蒼井涼介が「果音ちゃん、ちょっとこっちに来て!」と少し大きな声で呼んだ。栗林果音は振り向いて小走りでベンチのほうへやってきて隣の席に座った。
「果音ちゃん、今いい雰囲気だから2人だけにしてあげよう」
「はい。そうですね」
一方、倉下璃子と2人きりになった古谷光一は告白のタイミングを伺っていた。蒼井涼介と栗林果音は離れた場所のベンチに座っている。大きな声で話さない限り話は聞こえないのだ。倉下璃子は夜景を眺めて感動している状態なのでかなりいい雰囲気なのだ。蒼井涼介が栗林果音を呼んだ理由もわかっている。今ここで告白するしかないのだ。古谷光一は勇気を出して倉下璃子に話しかけた。
「倉下さん、あの・・・今日は倉下さんと会って話せたから俺は嬉しいって思ってる」
「わたしも古谷君と話ができて嬉しいよ。それにこんな素敵な場所に連れてきてもらえて感謝してる」
「あ、あのね・・・俺、倉下さんと話してると楽しいし、これからずっと一緒にいたいって思ってる。だから、俺と付き合ってくれない?」
「それってわたしのことが好きってこと?」
これは古谷光一にとって予想外の質問だった。蒼井涼介から好きだという言葉を使わないほうがいいとアドバイスを受けていたが、そんな質問されると正直に好きというしかないのだ。覚悟を決めた古谷光一は口を開いた。
「そう受けとってもらっていいよ。でも正直に言うと、もっともっと倉下さんと話したり一緒にいたいって気持ちのほうが今は大きい」
「わたし、恋愛経験が少ないからわからないことばかりで、古谷君に迷惑かけるかもしれないよ?」
「そんなの俺は気にしないって約束するよ。とにかく倉下さんと正式に付き合いたいって思ってる」
「これでわたしも彼氏持ちになるのか・・・まだ実感がわかないけど・・・」
「それじゃあ倉下さん、俺と付き合ってくれるの?」
「こんな雰囲気で告白されると断れないよ。それにわたしだってずっと古谷君のこといいって思ってたんだよ」
「やったあ!俺、倉下さんのこと大事にするから、よろしくお願いします」
「こちらこそ、これからよろしくお願いします」
これで古谷光一と倉下璃子はめでたく付き合うことになった。
ベンチに座って黙っていた蒼井涼介と栗林果音はお互いにどう話しかけていいのか困惑していた。このまま黙っていればここで告白されることはないだろうと考えていたが、栗林果音が口を開いた。
「あの、さっきの話の続きですけど、蒼井さんは今好きな人とかいますか?」
「今はこれといって好きな人はいないよ」
「わたしが彼氏と別れることができたのは蒼井さんがいたからなんですよ」
「どういうこと?」
「蒼井さんがあんな問題を出してきたから、わたし、自分の気持ちに気づいたんです」
「果音ちゃん、もうそれ以上は言わなくていいよ」
「いやです。ちゃんと言わせてください。わたしは蒼井さんのことが好きになりました。だから彼女にしてください」
「あのね、果音ちゃんの気持ちはすごく嬉しいよ。俺も純粋で綺麗な心をした果音ちゃんのことが好きだよ」
「だったらわたしを彼女にしてくれますか?」
「でもね、果音ちゃんの好きと俺の好きは違うんだよ。俺の好きは人間として好きという意味なんだけど、果音ちゃんは俺に対する依存心を好きだと勘違いしてる」
「そんなことありません。わたしは本当に蒼井さんのことが好きなんです」
「だったら俺のどこが好きなの?」
「蒼井さんは頭が良くてすごく優しくてあといろいろです。でも、好きに理屈なんてないと思います」
「たしかに好きに理屈なんてないと思うけど、果音ちゃんにとって俺という存在は苦しみから救い出してくれたヒーローなんじゃないかな?そのヒーローに憧れながらも依存してるようにしか思えない」
「そう言われてみるとそうかもしれません。でも、わたしには蒼井さんが必要なんです」
「果音ちゃん、今自分で俺に依存してるって言ってしまったね。自分には俺が必要だとね」
「それが依存ですか・・・」
栗林果音は涙を流しながら話していた。これは蒼井涼介がとった行動により招いてしまった結果なのでかなりの罪悪感を感じていた。だからといって依存心で付き合うことはできないのだ。これまでも依存されて好きだと言われたことはあったが、そんな相手といちいち付き合っているとキリがないことを蒼井涼介はわかっていた。
「俺は今の果音ちゃんと恋愛関係になることはできない。ただ、果音ちゃんを愛することならできると思う」
「わたしを愛することならできるってどういうことですか?」
「果音ちゃんが依存心じゃなくて、俺という存在を心から好きになってくれたら、俺は果音ちゃんを愛するという形でその気持ちに答えるよ」
「わたしが心から蒼井さんを好きになれば愛してくれるってことですか?」
「そういうことだよ。でも今の果音ちゃんにはかなり難しいことだと思う」
「だったら蒼井さんのことを好きでいてもいいですか?」
「それは果音ちゃんの気持ちの問題だから自由だよ」
「わかりました。わたし、なんだか独りぼっちになった気分がしてとても淋しいです」
「俺だって孤独で淋しいと感じることはあるんだよ。今は淋しくてたまらないかもしれないけど、それは一時的なものだから、がんばって乗り越えてほしい」
「はい。わかりました」
その後、栗林果音はずっと涙を流しながら悲しげな表情をしていた。帰りの車の中では古谷光一と倉下璃子は後部座席で話をしていたが、栗林果音はずっとうつむいたままであった。蒼井涼介はこれ以上、何も話しかけないほうがいいと思いながら運転していた。
■ 男同士のパーティー
秋も深まり11月になった。ドライブをして以来、蒼井涼介と栗林果音はお互いに連絡することはなかった。それから数日後、古谷光一から電話がかかってきた。話を聞いていると最近では2人でデートすることもあるという。2人の関係はかなり上手くいってるようだった。そこで古谷光一はお礼がしたいといって、自分のおごりでいいから少し高級なジャズバーに行かないかと誘ってきた。蒼井涼介は特に予定はなかったので次の日の夜に行くことにした。
さすが高級なジャズバーだけのことはあって、小さなジャズ音楽がバックに流れてとても静かな雰囲気をしたお店だった。今回は古谷光一と倉下璃子のおめでとうパーティーだと蒼井涼介は言って乾杯をした。そして古谷光一が話しはじめた。
「俺、倉下さんと付き合うことができましたけど、蒼井さんは、もう栗林さんに興味をなくした感じなんですか?」
「興味をなくしたわけではないんだけど、果音ちゃんは俺に依存してるだけの状態だし、これ以上は何もしないほうがいいと思っただけだよ」
「でも、蒼井さんは見事に栗林さんと彼氏を別れさせたみたいじゃないですか。栗林さん、今頃、すごく淋しがってると思いますよ」
「たしかに今は淋しいかもしれないけど、俺に依存してるだけの果音ちゃんと付き合うわけにはいかないよ」
「そうですか。それなら仕方ないですが、結果的に栗林さんは1人になってしまったことになりますね。こんな形になってしまって、栗林さんがなんだか可哀そうに思えます」
蒼井涼介は自分が栗林果音にやってきたことに、今も罪悪感を感じているのだ。
「そういえば、古谷君は倉下さんといつから連絡とってたの?前にも聞いたけど、あの5人で飲みに行った時、古谷君と倉下さんってそんなに話してなかったよね?」
「そうなんですよね。俺も最初は倉下さんに興味がなかったんですが、ある日の着信履歴がキッカケだったんです」
「着信履歴?」
「はい。あれはたしか先月の中旬頃だったと思いますが、突然、倉下さんから電話がかかってきてたんですよ。俺、その着信には気づかなかったんですが、会社からの帰りにスマホを見ると倉下さんからの着信があったことに気づいたんです」
「じゃあ最初は倉下さんから連絡してきたってことだね」
「そうなんです。えっと・・・この着信ですよ。これが全てのはじまりでした。これがキッカケで倉下さんと話をするようになったわけです」
「ちょっとスマホ見せて」
「いいですよ。どうぞ」
蒼井涼介は古谷光一のスマホの画面を見て、着信履歴のあった日時に注目をして見てみた。その着信履歴は先月の16日、午後15時37分となっている。それを見てふとおかしなことに気がついた。蒼井涼介は古谷光一のスマホを右手に持ちながら口を開いた。
「古谷君、この着信があった後、倉下さんに電話したんだよね?その時、倉下さんは不思議そうにしてなかった?」
「そう言われてみればそうかもしれません。その日の晩に俺のほうから電話をかけ直したんですが、倉下さんは最初に『着信履歴、あれ?』という感じに言ってました」
「そういうことか・・・」
その話を聞いた蒼井涼介はピンッとひらめいて、ある推測が思い浮かんだ。そして古谷光一と倉下璃子が付き合うことになった理由や、栗林果音が彼氏と別れたことについて、この推測が正しければ全てのつじつまが合うのだ。
「蒼井さん、どうかしましたか?」
「俺はとんでもないミスをやらかしてしまったみたい。そのせいで果音ちゃんには申し訳ないことをしてしまった」
「ミスって何ですか?栗林さんに申し訳ないことをしたってどういうことですか?」
「そのうち教えるよ。今日はもう解散しよう」
その帰り、古谷光一は意味がわからず「どういうことですか?」と質問してきたのだが、蒼井涼介はずっと黙っていた。そして解散した後、蒼井涼介は自宅に帰って倉下璃子に電話をかけた。
「もしもし蒼井だけど、突然、こんな時間に電話をしてごめんね。今は大丈夫?」
「蒼井さんですか?珍しいですね。今は大丈夫ですが、どうかしました?」
蒼井涼介は先月の16日の出来事について倉下璃子に話を聞いていた。そして、倉下璃子から話を聞いた時、自分が先ほど推測したことが真実であると確信できたのだ。そしてもう1つ聞いておきたいことがあった。
「ところで倉下さん、正直ベースで答えてほしいんだけどいいかな?」
「はい。なんでしょうか?」
「倉下さんって古谷君と付き合う前に好きな人がいたでしょ?」
「ええーーー!?どうしてわかったのですか?」
「そうだと思った。ちなみにその好きな人って自分の手に入らない存在だったんじゃない?」
「そうですが、どうしてそんなことがわかるのですか?」
「それだとつじつまが合うからだよ。でも今は古谷君のことが好きなんだよね?」
「はい。古谷君のおかげで、わたしはその人のことを諦めることができました。それって何か問題があるのでしょうか?」
「問題はないよ。ただ、何があっても古谷君とは仲良くやっていってね」
「はい。もちろんそのつもりですが、何があってもとはどういうことでしょうか?」
「まだハッキリしたことは言えないんだけど、少し問題が起きるかもしれない」
「その問題って何ですか?」
「そのうちハッキリすると思うけど・・・」
その後、少しだけ真実を話して倉下璃子と電話を切った。これで蒼井涼介は全ての真実を明らかにすることができたのだ。ただ、そこには問題が残っていた。それは蒼井涼介が栗林果音にやってきたことについて中途半端な状態で終わらせてしまっていることだ。それを解決させるには、栗林果音に真実を伝えて、この問題を裏で操っていた1人の人物と一戦交えないといけない。とりあえず栗林果音に真実を伝えた。そして蒼井涼介は明日の夜、その人物と一戦交える覚悟を決めた。
■ 一戦と真相解明
蒼井涼介は会社から帰宅して、部屋に入るとすぐ宮永愛実に電話をした。
「もしもし蒼井君、いきなり電話してきてどうしたの?」
「もしもし愛実ちゃん。あのね、俺は果音ちゃんにとても申し訳ないことをしたと思ってる」
「それは仕方ないわ。可哀そうだけど果音が自分で決めたことなんだし、蒼井君が責任をとる必要もないと思うわ」
「自分で決めたことか・・・愛実ちゃん、言ってあげられることはそれだけなのかな?」
「どういうことよ?」
「先月の16日のことを覚えてる?」
「ちょっと覚えてないけど、その日がどうかしたの?」
「はじめて倉下さんが古谷君に電話をかけた日なんだけど、おかしいのは着信のあった時間が15時37分だったこと。そんな時間に電話をかけても古谷君は仕事中だから出られないことぐらい倉下さんにもわかっていたはず。それなのに、どうしてそんな時間に電話をかけたのか。それに、いくらマナーモードにしていてもずっと電話が鳴り続けていたら気づくはず。どうして古谷君は気づくことができなかったんだろうね?」
「そんなこと、アタシに聞かれても困るよ。璃子が間違って押しちゃったんじゃない?そして間違えに気づいてすぐに電話を切ったんじゃないの?」
「そう、すぐに電話を切った。ワンコールをしたってことだよ。ところが、倉下さんのスマホにはその送信履歴が残ってなかった。つまり、誰かが倉下さんのスマホを使って古谷君のスマホにワンコールをして、すぐに送信履歴を消したんだよ」
「誰かがって誰がそんなことしたっていうの?」
「そんなことができたのは、あの日、倉下さんと一緒にいた愛実ちゃんだけだよ」
「あははは、蒼井君、おもしろいことを言うのね。アタシがそんなことをして何の意味があるの」
「これほど見事な恋愛テクニックなんて俺も思いつかなかった。ただ、ワンコールするだけで2人をその気にさせることができた」
「アタシが璃子のスマホを使って古谷君にワンコールしたって証拠はあるの?」
「倉下さんは古谷君に電話をかけた覚えがないと言ってる。もし倉下さんが古谷君に気があってしたことなら、今はもうそのことを隠す必要はないでしょ」
それを聞いた宮永愛実は「ふふふ」と小さな声で笑っているようだった。
「もし蒼井君の言ってることが正しかったとしても、それであの2人は結ばれたんだからいいじゃない。何か問題でもあるの?」
「何も問題はないよ。ただ、その意図があの2人のためだけに行われたことであればだけどね」
「その意図ってどういうことよ?」
ここで蒼井涼介は宮永愛実の意図について真実を語りはじめた。
「愛実ちゃんは、俺と久しぶりに再会して飲み会の提案をした時、わざわざ『クラシック音楽に興味のある人を連れてきてくれるといいかも』と言った。そう、あの時から愛実ちゃんの計画は始まっていたんだ。クラシック音楽に興味のある人なんて、そう簡単に見つからないと思うんだけど、俺がかなりの音楽マニアだったことを愛実ちゃんは覚えていた。だから、俺であればそういう知り合いがいるに違いないと確信していた。そこで俺は趣味でバイオリンを弾いている古谷君を連れていくことにした。そして、お嬢様タイプでクラシック音楽の鑑賞が趣味である倉下さんと出会うことになった。あの2人の出会いこそが愛実ちゃんの目的だった。ところが飲み会の時、内気な古谷君と極度に緊張していた倉下さんの会話は盛り上がらなかった。しかし、それもちゃんと愛実ちゃんは計算に入れてた。飲み会の帰りにみんなで連絡交換しようと言ったのも愛実ちゃんだったよね。そして先月の16日、倉下さんが何かの用事で席を離れた時、愛実ちゃんは倉下さんのスマホを使ってこっそりと古谷君にワンコールをした。それって女性からの着信履歴があると男性は気になってしまうという心理を知っていたからだよね。愛実ちゃんの思惑通り、古谷君は倉下さんのことが気になって電話をかけてみた。最初はぎこちない話になったのかもしれないけど、クラシック音楽という共通点があったおかげで話しているうちに意気投合した。そこで古谷君に相談された俺は2人の関係を進展させるための手助けをした。それもちゃんと愛実ちゃんの計算のうちに入っていた。その後、ついにあの2人は結ばれることになった。これで2つのうち1つは愛実ちゃんの思惑通りになった。1人の邪魔者が消えたってわけだよ」
「邪魔者って・・・それに2つってどういうことよ?アタシがまだ何か企んでいたとでもいうの?」
蒼井涼介はさらに真実を語り続けた。
「愛実ちゃんにとってもう1つの目的が重要だった。それは果音ちゃんと彼氏の関係を終わらせることだった。既にマンネリ化していた2人の関係は終わりそうでなかなか終わらなかった。果音ちゃんは純粋だから彼氏が浮気をしてるんじゃないかと疑いを持ったら悩み苦しむことはわかっていた。愛実ちゃんはそんな果音ちゃんの性格を利用して、彼氏が休日になっても会ってくれないのは浮気をしてるんじゃないかと疑いを持たせるようなことを言った。彼氏が浮気をしてるのかもしれないと疑いはじめた果音ちゃんは、愛実ちゃんの思惑通りに悩み苦しんだ。そこで恋愛心理学やテクニックに詳しい俺と果音ちゃんを出会わせることだった。表面上では果音ちゃんの相談を聴いてあげてほしいという理由だったけど、本当の目的は俺を使って果音ちゃんと彼氏を別れさせることだった。もちろん俺は果音ちゃんの話を聴いていて、果音ちゃんの彼氏が浮気してるのは間違いないと確信した。果音ちゃんはもう精神的に限界がきていると思った俺は彼氏と別れさせる行動に出た。まあ、誰がどう考えてもそんな彼氏と別れたほうがいいと言うだろうけど、俺が必ずそういう行動にでることを愛実ちゃんにはわかっていたんだ。そして見事に果音ちゃんは彼氏と別れることになった。つまり、もう1つの目的が達成された瞬間だった。これで全て愛実ちゃんの思惑通りになった。俺は恥ずかしながら愛実ちゃんの考えた計画通りの行動をしてしまったよ。本当に完璧な計画だったから、お見事だったと言うしかないね」
ずっと話を聞いていた宮永愛実がクスッと笑って話しはじめた。
「蒼井君の話はわかったわ。でも全ては推測でしょ?たとえその推測が正しかったとしても何か問題があるの?浮気をしている彼氏と、それに悩み苦しんでいた果音が別れたのは正解だったと思うわ。そもそもアタシが何をしたって言うの?」
「愛実ちゃんは何もしてないよ」
「そうでしょ?どっちにしても浮気をしている彼氏なんかと別れてよかったのよ。それに古谷君と璃子が付き合うことになってよかったじゃない。結果的にはハッピーエンドになってるでしょ」
「たしかにそうだね」
宮永愛実が「ふふふ」と小さな声で笑いながら話しはじめた。
「でも、さすがに見事な推理ショーだったわ。蒼井君の言ってることはほとんど当たっていて、アタシも聞いていて驚いていたのよ。それにしてもよくやってくれたわ。蒼井君がいなかったら、アタシの計画はうまくいかなかったと思うの。果音には気の毒だけど、きっと新しい出会いがあると思う。蒼井君、本当にありがとうって言っておくね」
蒼井涼介は何も答えずにいた。そこで宮永愛実が口を開いた。
「蒼井君、もういいかな?そろそろ果音に電話しようと思ってるのよ」
「果音ちゃんに電話してどうするの?」
「彼氏と別れてから、果音は淋しがってるからアタシが話を聴いてあげるのよ」
「愛実ちゃん、俺の推理ショーはまだ終わってないんだよ」
「もうアタシの計画だったって全て白状したじゃない。他に何があるの?」
「果音ちゃんと別れた彼氏についてどうも気になることがあるんだよ」
「その彼氏がどうかしたの?」
「そもそも、果音ちゃんの彼氏が浮気していた相手とは誰だったのかということだよ」
「えっ?」
ついに蒼井涼介は核心にせまった。
「果音ちゃんに彼氏の浮気を疑わせたのは愛実ちゃんだった。そして、ここが重要なポイントなんだけど、その彼氏に片思いしていた人物が1人いた。その人物とは、古谷君と付き合った倉下さんだった。これで、その彼氏という存在に共通する人物が揃ったわけだよ。そこで愛実ちゃんが立てた計画について考えてみると、その中心には果音ちゃんの別れた彼氏の存在がある。愛実ちゃん、まだ1つだけ隠していることがあるよね?今回の計画はハッピーエンドではなく、その中心にいる彼氏から邪魔者を排除することだった。そんなことをする理由はただ1つで、その彼氏の浮気相手とは愛実ちゃんだからだよ。そう考えれば今回の計画に関して全てのつじつまが合うし、愛実ちゃんには大きなメリットがある。まさか果音ちゃんは彼氏が自分の友達と浮気してるなんて思いもしなかっただろうね。つまり今回の計画は果音ちゃんと彼氏を別れさせて、その彼氏に想いをよせていた倉下さんには新しく彼氏を作ってもらう。そして、ほとぼりが冷めたら愛実ちゃんは陰でこっそりその彼氏と付き合う。それが本当の意図だったんでしょ?」
宮永愛実は黙り込んでいたが、ついに白状する気になったようで口を開いた。
「そう・・・さすがは蒼井君、そのことに気づいたのね。こうなればアタシの負けを認めるしかないわ。あーあ、全ては完璧な計画だと思っていたのに残念。蒼井君の言う通り、アタシが浮気相手だったのよ。ずっと果音には悪いと思っていたわ。でも、アタシの気持ちは止められなかった。恋愛って怖いよね。罪悪感があっても独占したい気持ちのほうが強くなっちゃうのよ」
宮永愛実は悲しげに泣いてるような声を出していた。そこで蒼井涼介が話しはじめた。
「愛実ちゃん、浮気で得た恋愛は浮気で壊される可能性が高いよ。たとえ、その彼氏と愛実ちゃんが付き合うようになったとしても、もう他の人と浮気しない保証なんてどこにもないからね」
「たしかにそうよね。アタシ、これでもまだ罪悪感はあるのよ。本当に果音には悪いことをしたと思ってる。でも、こんなことを知ったら果音も璃子もこんなアタシを許してくれないよね」
「実はもう果音ちゃんと倉下さんに、愛実ちゃんが浮気相手だったことを伝えてるんだよ。最初は2人とも驚いてたけど、果音ちゃんは『終わったことだから謝ってくれればそれでいいよ』と言ってくれてるし、倉下さんは『そのおかげで素敵な人と出会うことができたから、もういいよ』と言ってくれてるよ」
「そう・・・もうそんな話までしてたの。アタシ、2人にちゃんと謝るね。そして、もうその彼氏との関係は終わらせることにするわ」
「やっとこれで今回のことは解決したよ。愛実ちゃん、さっき恋愛って怖いと言ってたけど、恋愛感情って麻薬と同じくらい理性を麻痺させてしまうからね。結婚詐欺とかに騙されないように注意したほうがいいよ。愛実ちゃんみたいな人こそ男性の紐になりやすいタイプなんだよ」
「それはそうかも。これからは気をつけるようにするわ」
これで今回のことがすべて解決した。その後、宮永愛実は栗林果音と倉下璃子に真実を伝えて謝罪して浮気相手とは縁を切ったみたいだ。
それから12月に入ってクリスマスシーズンとなった。
「今年のクリスマスイブだけど、璃子は彼氏と過ごすのよね?」
「うん。ちょうどクラシックコンサートがあるから一緒に行く予定になってる」
「璃子は幸せそうで羨ましいな。ところで果音はどうするの?」
「わたしは1人で過ごすよ。もう1人でいることに慣れたから淋しいなんて思わない」
「うわーそれって淋しさに慣れたってことじゃない。果音はそろそろ新しい彼氏を見つけたほうがいいよ」
「わたしには本気で好きな人がいるから新しい彼氏なんて作れない」
「ええー!!果音、好きな人がいるんだ。それってどんな人なの?」
「わたしの好きな人は推理力が抜群で、すぐに人のことを見抜けて、親身に相談事を聴いてくれる優しい人だよ」
「それってまさか、まだ忘れられないの?」
「えへへ。やっとその人のことを心から好きになれたんだよ。でもそれ以上はナイショ」
そんな女性3人の何気ない会話が続いていた。
■ 蒼井涼介の敗北
年が明けてのんびりと正月を過ごしていたある日のこと。突然、電話が鳴った。ベッドに横たわりながら正月番組をみていた蒼井涼介はテーブルの上にあるスマホを面倒くさそうに手に持った。着信の相手を確認してみると、果音ちゃんと表示されていた。それは昨年、蒼井涼介が告白されて断った栗林果音のことである。最後に連絡してからもう2ヶ月も経っているが、何の用事だろうと思いながら電話に出てみた。
「もしもし蒼井さんですか?果音ですが覚えていますか?」
「もしもし果音ちゃんか。もちろん覚えてるよ。ずいぶんお久しぶりだね」
「もしかして蒼井さん、寝てました?」
「いや、ただ横になってテレビを見てただけなんだけど、突然どうしたの?」
「えっと・・・一緒に初詣にいきませんか?久しぶりに蒼井さんと会って話したいです」
蒼井涼介に強い依存心を抱いていた栗林果音から誘われるとは思いもしなかった。しかし、今もその強い依存心を抱いてるとは思えない。
「初詣か・・・あまり興味がないけど、久しぶりに会って話をするくらいならいいよ」
「ありがとうございます。じゃあ今日の午後4時に住吉駅西口の改札口に来ていただけますか?」
「住吉駅って、あまり人がいない神社でもあるの?」
「さすが蒼井さんですね。小さな神社があるんですよ。そこなら人もあまりいなくて、ゆっくり話もできるんです」
「わかった。じゃあ準備して住吉神社に向かうよ」
「ではお待ちしていますね」
電話を切った後、蒼井涼介は栗林果音が突然誘ってきた理由について深く考えなかった。相手は純粋なので言葉通りの意味だと思ったからである。
蒼井涼介は午後4時前に住吉駅西口の改札口に到着した。そこには頭を団子にして薄いピンクに花柄の着物を着ている栗林果音が立っていた。着物姿の女性を見ると色っぽくみえるが、栗林果音の場合は純粋さが溢れていてなにか子供の頃を思い出すようで懐かしさを感じる。
「蒼井さん、わざわざ来てくれてありがとうございます」
「果音ちゃん、着物すごく似合ってるよ」
「ありがとうございます。蒼井さんは変わってないですね」
「果音ちゃんはかなり明るく元気になったみたいでよかった」
「はい。おかげさまで・・・えっと、神社はここから10分くらい歩いた場所にありますので行きましょう」
そこから10分ほど山のほうへ歩いていくと少し急な坂道の上に鳥居が見えた。たしかに駅から少し離れていて、こんな坂道を登ってわざわざ初詣に来る人なんてあまりいないだろう。神社に到着するとまず参拝をした。賽銭箱に5円玉を入れて手を合わせたが、蒼井涼介はこういった宗教や神様などは全く信用していないので願い事などしなかった。それから2人でおみくじを引いて、蒼井涼介は中吉、栗林果音は小吉だった。そして神社の境内を歩いていると見晴らしのいい場所にプラスチック製の青いベンチが設置してあった。栗林果音が「あそこに座って話しましょう」と言った。蒼井涼介はベンチの横にある自動販売機を見て「何か温かい飲み物でも飲みながら話そうか」と言った。栗林果音は「はい」と言って、2人とも温かい缶コーヒーを買った。ベンチに座って缶コーヒーを1口飲むと栗林果音が話しはじめた。
「蒼井さんはあれからどう過ごしていました?」
「何もなく平穏に過ごしていたよ。果音ちゃんはどう過ごしていたの?」
「わたしは淋しくてときどき泣いてしまったりすることもありましたけど、もう1人でいることに慣れてしまって平気になりました。人はみんな孤独だってことに気づいたんです」
「そっか。果音ちゃんもそのことに気づいて成長したんだね」
「それも蒼井さんのおかげですよ」
「俺はただサポートをしただけで、成長できたのは果音ちゃんのがんばりがあったからだよ」
「わたし、あの時はよくわかっていなかったんですけど、今思えば蒼井さんにかなり依存していたのがわかります」
「俺の言ってた意味がわかったんだね?」
「はい、よくわかりました。あの時に蒼井さんと付き合っていたら、わたしはダメになっていたと思います」
「果音ちゃん、本当に成長したね。それならもう大丈夫だと思うから安心したよ」
栗林果音は笑顔で「はい」と答えた。蒼井涼介は缶コーヒーを飲みながら街の景色を眺めていた。そして栗林果音は成長した自分の姿を見てもらうために会って話がしたいと言っていたんだろうと思っていた。あの告白を断った時は罪悪感も感じていて申し訳ないことをしたと思っていたが、あらゆることに気づき、強い依存心もなくなっていて成長したことがわかったので、蒼井涼介は安心した。しばらくぼーっとしていると栗林果音が口を開いた。
「蒼井さん、わたしあれから勉強したんですよ」
「何を勉強したの?」
「えっと・・・愛するって意味を勉強しました」
「そうなんだ。本でも買って読んだの?」
「はい。愛することと恋することの違いがよくわかりました。愛するは相手のため、恋するは自分のわがままってことですよね」
「そんな難しいことまでよく理解できたね。果音ちゃんはかなり成長したと思うよ」
「蒼井さん、あの・・・あの時、わたしに言ってくれたこと覚えてますか?」
「あの時に果音ちゃんに言ったこと?」
「はい。えっと・・・わたしが蒼井さんのことを心から好きになれば、わたしのことを愛するという形でその気持ちに答えると言ってくれましたよね?」
そういえば告白を断る時にそんな発言をしたことを蒼井涼介は思い出した。栗林果音がその発言を覚えていたのは予想外だった。それも今になってそんな話をしてくるということは、また告白してくるつもりなのだろうか。蒼井涼介は缶コーヒーをごくりと飲んで口を開いた。
「うん。覚えてるよ」
「今でもあの発言は嘘じゃないって断言できますか?」
「俺は嘘なんて言ってないし、それは断言できるよ」
「じゃあ、言いますね。えっと、改めてじゃないんですけど・・・今のわたしは蒼井さんのことを心から好きだって言えます。その気持ちに答えてくれないでしょうか?」
「果音ちゃん、いきなりそんなことを言われても困るよ」
「今のわたしの気持ちは依存心じゃないです。いきなりこんなこと言ってびっくりさせてしまいましたが、わたしは本気です」
「本気で好きになってくれているのはわかったよ。でも、果音ちゃんとは久しぶりに会ったわけだし、少し考えさせてほしい」
「じゃあわたしは待っていますから、今ここで考えてください」
「果音ちゃん、それは無茶だよ。俺にもいろいろ考えたいことがあるんだよ」
「蒼井さんはわたしを愛することができないんですか?」
「そんなことはないけど・・・」
「じゃあ何を考えるんですか?」
「それはその・・・今後のこととかいろいろね」
「それって蒼井さんらしくないです。もう蒼井さんの中で、その答えはわかってるんじゃないですか?」
栗林果音がここまで突っ込んだ質問をしてくるとは思いもしなかった。蒼井涼介にとって純粋で綺麗な心を持つ栗林果音は可愛くてたまらない。もちろん今でも愛することはできると思う。しかし、その気持ちに答えた後のことが想像できないのだ。さすがの蒼井涼介も不意を突かれた感じで、すぐには考えがまとまらない。ただ1つだけわかっていることは、栗林果音には人を愛せるだけの精神力はない。付き合ってしまえば親と子供のような関係になってしまう。そもそも人に愛されたいなんて思っていないので、それは問題ではないが、栗林果音が愛したいのに愛せないという状況に陥ってしまった場合、また悩み苦しむことになるだろう。そこで蒼井涼介は1つの質問をしてみることにした。
「じゃあ聞くけど、果音ちゃんは俺のことを愛することができると思う?」
「わたしには人を愛することはできないと思います。自分勝手ですが、好きな人に愛されたいと思っています。その愛してくれる人こそわたしにとって本物なんだって思っています」
「そっか。果音ちゃんはそういう風に答えたか・・・」
「それで蒼井さんは、わたしを愛することができるのかできないのか、どっちでしょうか?」
「わかった。果音ちゃんには負けたよ。俺のことを愛せるって言ったら断ろうと思ってたんだけどね」
「じゃあわたしの気持ちに答えて付き合ってくれるんですね?」
「うん。果音ちゃんのこと大事にするよ。ただ1つだけ約束してほしいんだけど、俺を愛そうなんてしないでね」
「はい。わかってます。わたしが愛するための努力なんてしたら、また悩んでしまうと思いますから」
「果音ちゃんは自分のことにも気づいたんだね」
「そうですね。でもちょっと突っ込んだ言い方をしてごめんなさい。蒼井さんにはキツい質問をしたと思っています」
「いや、それもある意味お見事だったと言っておくよ。俺を口説いてしまったんだからね」
「えへへ。実は蒼井さんの真似をしたつもりなんですよ。蒼井さんならこう言い返してくるだろうってずっとイメージしていました」
「そんな余計なことまで学んでいたとはね。果音ちゃん、とにかくこれからよろしくね」
「こちらこそよろしくお願いします」
蒼井涼介は女性を口説くことがあっても、今回のような説得されて付き合うことになったのは初めてのことだった。まさに栗林果音の純粋さに負けてしまったのだ。それも自分の真似をされて見事に自分が攻略されてしまった。どちらにしても付き合うことになったので、蒼井涼介はこれから栗林果音のことを愛していく覚悟を決めた。




