0069 初めての石化解除
治療室に入ると、そこにはすでに患者が待機していた。
どうやらこの人は右腕が石化しているようだ。
「最初はどちらから?」
そう言われて俺がエレノアを見ると、エレノアがうなずく。
「では、まずは私が」
俺がそう答えると、ドロシー副所長が患者の説明をする。
「こちらの患者は迷宮で石化の罠にかかってしまい、片腕が石化しております。
治療していただけますか?」
「はい」
俺がまたチラリとエレノアを見ると、エレノアはうなずいて声をかけてくれる。
「大丈夫です。御主人様はできますよ」
俺はうなずくと石化解除の呪文を唱える。
1分ほど呪文を唱えると、無事に石化は解除された。
患者は喜んで帰っていった。
患者が退室すると、俺はホッとしてエレノアに語りかける。
「ふう~良かった。成功だね?」
「はい、おめでとうございます」
「はは、失敗したらどうしようかと思ったよ」
初めての石化解除を1分で出来れば、上々の出来だろう。
俺とエレノアの会話を聞いてドロシーさんが声をかけてくる。
「・・・あの、ひょっとして石化解除は、これが初めてだったのですか?」
「はい、練習は散々しましたが、本番はこれが初めてでした」
その俺の言葉に副所長のオーベルさんとやらが、笑って答える。
「ははっ!大したモンだ。
俺が君の年の頃なんざ、石化解除どころか、麻痺解除に必死だったよ」
麻痺解除と言えば、治療呪文の五級で、魔道士になるための治療呪文だ。
確かに15歳程度ならば、それが出来れば上々だろう。
「確かに見事ですね。初めてとは思えないほどです」
レオニー所長も俺を褒めてくれる。
「ありがとうございます」
「それで次は?」
レオニー所長の質問にドロシー副所長が答える。
「二人目と三人目は双方とも全身石化です。
コカトリスにやられたそうです」
コカトリスか・・・確か石化ガスを吐いて、それに触れると石化してしまう鶏と蛇の合体したような魔物だったな。
「全身石化ですか・・・」
当たり前の話だが、全身石化の解除は石化の中でも特に難しい。
所長のレオニーさんが考え込んでいる時にエレノアが申し出る。
「よろしければ、私がその二人を同時に治しましょうか?」
「え?」
「二人同時ですって?」
「はい」
フードの中から自信満々に答えるエレノアにレオニーさんが試すように要請する。
「・・・ではやっていただきましょう」
レオニーさんの言葉で、全身石化した患者が二人治療室に運ばれて入ってくる。
二人ともまさに全身石化してカチンカチンだ。
これが全身石化って奴か?初めてみたぞ。
凄いな?本当にこれ人間なのか?
まさか人間の石像を持ってきて、騙しているんじゃないだろうな?
こんなもんが本当に治せるのだろうか?
初めて全身石化を見た俺の様々な疑問や驚きも関係なく、エレノアが淡々と話を進める。
「では始めてよろしいですか?」
「え?ええ、どうぞ」
レオニーさんの許可を取ると、エレノアは呪文を唱え始める。
両手を広げてそれぞれの患者に向けてかざし、何やら早口のような呪文を唱え始める。
その様子に診療所の面々が驚きの声を上げる。
「え?高速石化解除呪文?」
「二人同時ですって?」
「そんな馬鹿な・・・冗談だろ?」
「信じられないです・・・」
そうこうしている間に、たったの5秒ほどで、患者は二人とも石化が解ける。
俺が片腕だけに1分も時間がかかったのが、亀みたいに遅く感じる。
その見事さにオーベルさんが賞賛の口笛を吹く。
「はっはっは!こりゃ参ったね!
所長?この人、一体何者?」
ドロシーさんとレオニーさん、ステファニーさんもそれぞれ驚いたように呟く。
「早い・・・!」
「いえ、早すぎるわ・・」
「有り得ません・・・」
普通に戻った患者二人は礼を述べて帰っていく。
「驚きました・・・これほどの術者は初めて見ました」
レオニーさんの言葉にエレノアが頭を下げる。
「恐れ入ります」
「まったくだね、そっちの少年も初めての石化解除は見事だったが、この人の技には僕も脱帽するよ」
「本当です・・・」
感心する4人にエレノアが質問する。
「それで、雇っていただく件はいかがでしょう?」
「そうですね・・・」
レオニー所長は俺たちが記入した用紙に再び目をやる。
しばし考えた後に返事をする。
「・・・では、この条件でお願いしましょうか。
是非こちらで働いてください」
「ありがとうございます」
俺が礼を述べると、レオニー所長が質問をしてくる。
「・・・しかし、本当にこの条件でよろしいのですか?」
「え?」
「ここは御存知の通り、無料診療所なので、職員の給料も恐ろしく安いです。
我々正規の職員は中央から派遣されていますから給料に問題はありませんが、あなたたちも臨時職員でなく、せめて期間職員になれば、待遇も違いますし、正規ほどとは言わなくとも、給料も臨時よりは、はるかに良いですよ?
そう言えば、あなたは魔法学士と伺いましたが、どこの何期卒業なのでしょうか?」
そのレオニー所長の質問に、エレノアは意外な返事をする。
「私は魔法学校を卒業しておりません」
「え?魔法学校を卒業していない?」
「それで魔法学士なのですか?」
これには俺も驚いた。
俺は魔法学士という者は、魔法学校を卒業していないと、決してなれないと、エレノアから教わった。
その教えた本人が卒業していないとは一体どういう事だろう?
「はい、魔法学校を卒業はしておりませんが、当然、魔法学士番号は授かっております。
しかし、申し訳ございませんが、訳あって、その番号を言う訳にはまいりませんので、御容赦ください」
「え?番号を言えない?」
「はい、ですから私は魔法学士では無く、三級の治療魔士扱いで、お願いいたします」
エレノアの答えに全員が沈黙するが、やがてレオニー所長が再び話し始める。
「仕方がありませんね。
詮索をしないと言うのが採用条項に入っていて、こちらがそれを呑んで採用した以上、その事に関しては、これ以上お聞きするのはやめておきましょう」
「ありがとうございます」
レオニー所長の配慮にエレノアが礼を言う。
「話を戻して、普通ですと、魔道士でない方が、期間職員になるには、1年は臨時職員で勤務していただいて、勤務状況を考慮しなければならないのですが、あなた方ほどの技量であれば、私が許可しますから大丈夫です。
いかがですか?」
「御好意はありがたいのですが、私達は臨時職員で構いません」
そう話すエレノアに対して、レオニーさんがステファニーさんに問う。
「今の臨時魔法治療士の日給はいくらですか?」
「五級相当で、一日銀貨三枚です」
銀貨三枚か・・・月に二十日働いたとしても、大銀貨六枚ってとこか。
確かに今の俺たちなら迷宮に入った方が余程稼ぎになるな。
しかし今回は目的が治療の修行なのだから問題はない。
だがレオニーさんは、その給料の安さに驚いた様子だ。
「銀貨三枚?これほどの技術を持っている人たちに、それは失礼でしょう?」
非難めいた事を言うレオニーさんに、ステファニーさんが説明をする。
「所長、申し訳ありませんが、臨時枠には五級より上はないのです。
ですからこの方たちが例え一級相当だとしても給料は同じです。
そもそも五級ですら、まず募集しても臨時で応募される事はありません。
臨時で応募してくる人たちのほとんどは七級止まりですから。
六級ですら珍しいほどです。
それに最下級の八級などは日給銀貨一枚ですから、それに比べれば三倍の金額です。
御承知の通り、人件費のほとんどは寮費と食事代ですから」
日給が銀貨一枚とは安い!
令和の日本で考えれば、日給たったの千円か!
もっとも食事三食と寝る場所と風呂はつく訳だから、それを考慮すれば、この世界では妥当、いやむしろ贅沢か?
普通に考えれば、三食・風呂付の宿屋に泊まるならば、それで一日銀貨六枚か、七枚位にはなってしまう。
月に金貨二枚程度はかかる計算だ。
そう考えれば妥当な線で、八級だと給料はちょっとした酒代みたいなものか?
「そうでしたね・・・シノブさん、オフィーリアさん、聞いての通りです。
臨時ではあなたがたの技量に対して、ろくに給金もお支払いできません。
ここはやはり期間職員になった方がよろしいのでは?」
レオニーさんの言葉にステファニーさんも補足する。
「はい、期間職員になれば、三級相当の場合、給料は月に17000ザイです。
寮の部屋も二人部屋になります。
期間職員となると、月に1回は、自由日に出勤していただいて、多少夜勤もしていただかなくてはなりませんが、それでも臨時よりも遥かに良い待遇になりますよ?」
おおっ?期間職員になると、同じ等級でも、いきなり月に金貨1枚半以上か?
確かにずいぶんと待遇の差があるな?
それでも迷宮に入れば、一日で金貨1枚分は稼げる今の俺たちから見れば安月給と言える。
しかしいついなくなるかわからない我々としては仕方がない。
期間職員になるには最低でも1年は勤めなくてはならないし、どう考えても、ここに1年は絶対にいないしなあ・・・
「いえ、我々は旅の治療士で、いつここからお暇をするかもわかりませんので、臨時雇いで十分です」
「では、せめて宿を引き上げられて寮に入られては?
一日銀貨3枚では宿を取っていては赤字でしょう?
確かにうちの給料は安いですが、その分、生活設備は充実しています。
寮には風呂もついていますし、もちろん食事も3食付です。
一番下の八人部屋でも、ちゃんと全員にベッドもありますよ」
確かに今取っている宿は素泊まりで、二人で銀貨五枚だ。
一日の給金が二人で銀貨六枚では赤字とは言わなくとも、一人当たり一日大銅貨五枚分程度の儲けにしかならない。
しかし、寮ではこちらの内情がばれやすいし、何より寮では男女別で、エレノアと毎晩楽しめないではないか!
俺にはそれが一番痛い。
「いえ、その点は最初から覚悟しておりますので・・・」
「そうですか・・・もし気が変われば、いつでもステファニーに言ってください」
「はい、御好意には感謝いたします」
「では明日から勤務と言う事でよろしいですか?」
「はい、よろしくお願いいたします」