0057 グレイモンの心境の変化
俺の家の呼び鈴が鳴る。
どうやら来客があった様子だ。
まだこの家に住んでから1ヶ月も経っていないし、この町に知り合いは少ない。
いや、そもそもこの世界自体に俺の知り合いなど、ほぼいないのだ。
エレノアが玄関に出ると、戻ってきて俺におずおずと尋ねる。
「あの、御主人様、お客様なのですが・・・」
「どなた?」
「それが、その・・・グレイモン伯爵なのです」
そのエレノアの言葉に、寝ていた俺は跳ね起きた。
「グレイモン?何だ?また何かしにきたのか?」
「いえ、そういう様子では無さそうなのですが・・・」
「わかった」
とにかく俺は出てみることにした。
玄関まで行くと、そこには確かにグレイモン伯爵が立っていた。
テレーゼも一緒だ。
テレーゼは何やら大きな木箱を抱えている。
「やあ、グレイモン、今日は一体何しにきたんだ?」
俺は用心しながら棘のある声で尋ねた。
「まあ、そう警戒してくれるな。
と、言っても信じてもらえんだろうが、実は今日は君たちに詫びと礼と願いにきた」
「詫びと、礼と、願い?」
「ああ、詫びというのは今までの事だ。
君とエレノアには色々と迷惑をかけた。
すまなかった。謝る、この通りだ」
そう言って頭を下げる。
こんな殊勝なグレイモンは初めてみた。
毒気を抜かれた俺がグレイモンに話しかける。
「・・・とりあえず家に入るか?」
「そうさせてもらえるならありがたい」
広間に案内したグレイモンを座らせて、エレノアが茶を入れる。
テレーゼもエレノアを手伝っている。
双子のような二人が一緒に働いているのを見るのは初めてだが、不思議な光景だ。
「で?詫びはさっきので、礼と願いって、なんだ?」
「うむ、まずは礼だが、これは先ほどの詫びもかねている。
どうかこれを受け取って欲しい」
そう言ってグレイモンはテレーゼが持ってきて、テーブルの上に乗せた木箱を開ける。
そこには大金貨が詰まっていた。
「なんだ?こりゃ?」
「詫びと礼の印に、大金貨を二百枚持ってきた」
「・・・そんな物はいらないと言った筈だが?」
俺が突っ返そうとすると、グレイモンがそれを止める。
「まあ、待て、待ってくれ、君が警戒するのはわかるが、少々私の話を聞いてくれるか?」
「話?」
「ああ、愚痴の類いになってすまないがな」
「・・・聞こうか」
俺がそう言うとエレノアが茶を持ってくる。
「どうぞ」
「ああ、ありがとう」
グレイモンは茶を一口飲むと、話を始める。
「私がエレノアに会ったのは15歳の時だった・・・」
どうやらこいつはエレノアとの出会い話を俺にしたいらしい。
確かにそれは俺も興味があるので聞いてみよう。
「15歳ね、俺がエレノアと会ったのと同じ年の頃に会ったという訳か」
「ああ、そうだ。
15年前のその日、私は父に連れられて、バーゼル奴隷商館に行った。
ちょうど15歳の誕生日で、父が私に奴隷を買うというので行ったのだ」
「なるほど」
15年前に15歳と言う事は、こいつの今の年齢は30歳ちょうどと言う事か?
まあ、見た目の通りだな。
「そこで私は初めてエレノアに出会った。
それは私にとって衝撃だった。
これほど美しい女がこの世に存在するのかと驚いたのを鮮明に記憶している」
「まあ、その気持ちはわかるな」
俺だって初めてエレノアを見た時は、こんなエルフがいるのかと驚いたものだ。
思春期で15歳のグレイモンが驚いたのは無理も無い。
俺の言葉にうなずくと、グレイモンは話を続ける。
「私はエレノアを熱望した。
父も私のためにエレノアを買おうとバーゼル子爵に交渉した。
しかし知っての通り、子爵とエレノアの答えは否だった・・・」
「私は驚き、抗議した。
奴隷館に売っている奴隷をなぜ客に売らないのかと?
子爵やエレノアの説明では納得がいかなかったし、それまで私は自分が希望して手に入らない物などなかったので、その点でも驚いたのだ」
俺はその話を聞いて少々あきれた。
「自分にも手に入らない物があると、その時に初めて気づいたのか?」
「いや、まだ気づいていなかった。
私はそれは何かの間違いだと思っていた。
自分が欲しい物で手に入らない物などある訳がないと、何の根拠も無く思っていた」
「なるほど、お前さんらしいな」
俺がさらにあきれるように話すと、グレイモンもうなずいて話を続ける。
「ああ、今思えば、なぜあれほど愚かだったのかと不思議なくらいだ。
しかし、とにかく当時の私は、何が何でもエレノアを手に入れたかった。
今思えば、それは単に美しいからだけではなく、自分が欲しい物は、自分の下に来て当然だという気持ちの方が大きかったのかも知れない」
「そうかもな」
「最初は父も協力してくれていたが、やがてあきらめろと言ってきた。
しかし私はあきらめきれなかった。
私が25歳の時に父が病で亡くなり、私がグレイモンの名を継いだ時には、ここぞとばかりにその全てを賭けてエレノアを手に入れようとしたほどだ」
「はた迷惑な話だ」
「だが、どんな事をしても、バーゼル子爵とエレノアは、決して私になびこうとはしなかった。
そこで私は方法を変えた」
「変えた?どういう風に?」
「エレノアの話によれば、何年か後に、誰かある特定の人間が自分を買いに来ると話していた。
そこで私はそいつが来るのを待つ事にした」
「なるほど、買った奴からエレノアを掻っ攫おうと考えた訳だな?」
「そうだ、バーゼル奴隷商館の動向を常に探り、万一、エレノアを買った奴がいれば、即座にそいつと交渉し、エレノアを買い付けようと思った。
場合によっては力づくでもエレノアを奪おうと考えていた。
そしてそれから数年待って、君がきた」
「そしてお前はその通り、実行して俺とエレノアにボコボコにされた訳だ」
「正直言って、君に指摘された通り、私はエレノアの事を何もわかってなかった。
美しいから自分の物にしたい、ただそれだけだった。
まさかあれほど強いとは思ってもいなかったよ」
「お前、そもそもエレノアのレベルがいくつだか知っていたのか?」
その俺の質問にグレイモンは苦笑しながら答える。
「いや、知らなかった、というか、今でも知らないな。
エルフだからそこそこ高いだろうとは漠然と思ってはいたが・・・
あの時の戦いの様子では、250か、ひょっとしたら300位もあるのか?」
これだよ!まったくもう・・・
「あの時の戦いはエレノアとしては手抜きもいいところだ。
今のエレノアのレベルは683だ」
「なっ!683・・・だと?」
これにはさすがのグレイモンも驚いたらしい。
「ああ、ちなみに俺は203で、テレーゼも100だぞ?
よく覚えておけ!」
「・・・そうか、君もテレーゼも、そんなに高位レベルだったのか・・・」
「そうだ」
そういやこいつにテレーゼのレベルを言ってなかったな?
本人に聞くか、鑑定能力がなければ知らないのも当然か。
「私は君やエレノアがそんな者とも知らずに愚かな戦いを仕掛けたのだな?」
「まあ、正直言ってそうだ」
ここで、ふう・・・とグレイモンが大きくため息をついた。
「私はエレノアの事をわかっていなかったのはもちろん、エレノアをどこの馬の骨とも知れない子供が買っていったと聞いて大喜びしていたよ。
これならあっさりとエレノアを自分の物にできると思ってな」
まあ、あの様子からして、そうだろうな。
「しかし、結果は知っての通り、あの様だ。
私はそれまで自分の知っていた事が何か根本的に間違っていた事を生まれて初めて感じたが、まだそれでも何が間違いなのかわからなかった。
それで私は酒に溺れて逃げていたが、そこに君たちがきた。
正直、君たちがきた事が、あの時の私には理解できなかった。
いや、それは今でもよくわからない。
せいぜいの所、無様な私を笑いにきたのだろうと考えていた。
しかし君たちはテレーゼを私に与えてくれた」
そう言ってグレイモンは一回テレーゼを見る。
そして再び俺たちに向き直ると話し続ける。
「その事は私をますます混乱させた。
なぜ君たちがテレーゼを私にくれたのか、それも正直今でもよくわからない。
だが、私はこの数日、テレーゼと生活していて心が和む。
彼女はジャベックなのだから感情などないのは知っているが、それでも、私との会話の中に、とても単なるゴーレムとは思えない物を感じる。
よく上級ジャベックは製作者の思想や、性格が反映されていると聞くが、まさにテレーゼはそうだと思う。
私はテレーゼを通して初めてエレノアと、そしておそらくはシノブの感覚をわずかながら知ったのだと思う。
先ほど言ったように、正直なぜ君たちがテレーゼを私にくれたのかはわからない。
しかしそれで私がテレーゼに救われたのは間違いない。
だから私は君たちに礼を言いたくて、今日ここにきた訳だ」
グレイモンの長い話は終わった。
どうやら本当にグレイモンは驚くほど心境が変化したようだ。
「なるほどな・・・お前さんの心境に大きな変化が起こったのはわかったよ。
まあ、だからと言って、我々がお前さんのした事を許しはしないがな」
「それはわかっている、別に私は君たちに許しを乞いにきた訳ではない。
ただ詫びと礼を言いたかっただけだ」
「それで?最後の願いってのは何だ?」
「実は私はバーゼル子爵にも長年の事を詫びたいのだが、私はあそこを今までの経緯から出入り禁止にされている。
君たちは子爵と懇意にしていると思う。
だから君たちから私が詫びを入れたいという事をできれば一緒に行って説明をしてもらえないかと思っている。
だからこの金は私からの詫びと礼と相談料だと思ってもらいたい」
そう説明されて俺はエレノアと顔を見合わせた。
「どうする?」
「私もこの人を信用したわけではありませんが、バーゼル子爵の所へ付き添ってあげるくらいはよろしいのではないでしょうか?」
「そうだな、伯爵、一応バーゼルさんの所に付き合ってはやるが、後はお前さん次第だ。
それとこの金はいらん。
持って帰ってくれ」
「頼む、しかしこの金は受け取ってはもらえないだろうか?」
「いらん。
何回も言うが、俺たちはそこまでお前を信用していない」
「わかった、バーゼル子爵の所へ付き合ってもらうのだけでも感謝する」
俺たちはグレイモンとテレーゼと共にバーゼル奴隷商館へと向かった。
バーゼル奴隷商館を訪ねると、アルヌさんが俺たちを見て驚いて対応をする。
「これは・・・珍しい組み合わせですね?」
「まあね、何でもこの伯爵が今までの経緯を詫びたいそうで、ここに連れてきました。
先代御主人も呼んでいただけませんか?」
「かしこまりました」
ベルヌさんが来ると、俺がここまでの経緯を二人に説明する。
「・・・という訳で、本人のたっての希望で、ここまで連れてきた訳です」
「ふむ、なるほど、話はわかりました」
「うむ、子爵、そういった事で、今までの詫びをしたい。すまなかった」
自分の目の前で、頭を深々と下げて詫びるグレイモン伯爵に、ベルヌさんも自分の顎をさすりながら考え込む。
「正直、私もシノブ様と一緒で、はい、そうですかという訳にもまいりませんな。
しかし詫びを入れている者を、無下にするのも大人気ない。
ここは一応謝罪を受け入れることにいたしましょう」
「ありがたい、それだけで十分だ」
「だが、今話した通り、私も息子もシノブ様も、そして何よりエレノアさんが、あなたを信用した訳ではないのは頭に留めておいていただきたい」
「わかっている」
伯爵の殊勝な姿勢に多少安心したのか、ベルヌさんが砕けた様子で話し始める。
「はは、まあ、しかし伯爵の気持ちが変わったのもうなずけますなあ!
そのテレーゼさんですか?
全くすばらしい出来ですな!
うちが奴隷商館ではなく、ジャベック屋でしたら是非購入したいくらいです」
その言葉には俺も全く同意だ。
「はは、私もそう思いますよ」
俺が同意すると、ベルヌさんが意外な事を伯爵に話しかける。
「どうです?伯爵?そのジャベックを私に売っていただきませんか?」
そのベルヌさんの言葉に伯爵が慌てて断りを入れる。
「いや、それは困る。子爵、それだけは勘弁して欲しい」
「しかしあなたは私たちに今日詫びを入れに来たのでしょう?
それでしたら詫びを兼ねてそのテレーゼさんとやらを私に売っていただけませんか?
もちろん金額は弾みますよ?
金貨1千枚でいかがです?」
執拗に迫る先代バーゼル子爵に、グレイモン伯爵が心底困ったように返事をする。
「確かに今日は卿らに詫びを入れに来たのだが、それだけはどうか勘弁して欲しい。
こんな事を言えた義理ではないのはわかるが、このテレーゼは今や私の心の拠り所なのだ。
頼む!それだけは許してくれ!」
しかし、ベルヌさんは容赦しない。
「いえいえ、そのような素晴らしいジャベックを見るのは、私も初めてですからな。
是非、買い取って自分の物にしたいです。
いかがです?シノブ様?エレノアさん?
御二人からも、このテレーゼさんを私に売るよう伯爵に言っていただけませんか?」
「そうですね・・・」
俺たちが今にもそのベルヌさんの言葉に賛同しそうになると、これ以上はないという位に伯爵が大慌てで、俺たちに話してくる。
「頼む!シノブ、エレノア!
どうかテレーゼだけは私から取り上げないでくれ!
他の事だったら何でもやるし、言う事も聞く!
後生だからどうかテレーゼだけは勘弁してくれ!」
そう言って深々と頭を下げる伯爵にベルヌさんが話しかける。
「いかがです?伯爵?
売りたくない物を強引に売らされる者の気持ちが少しは御理解していただけましたかな?」
その言葉にハッとなった伯爵がうなずいて答える。
「・・・そうか、私はこういった事を・・・
いや、それ以上の事を卿らに15年も強いたのだな?」
「そういう事です」
伯爵の言葉にベルヌさんもうなずいて答える。
「初めて卿らの気持ちがわかった気がする。
いや、これでもおそらくはまだ足りないはずだ。
卿らはこれを私に15年もやられていたのだからな。
本当にすまない事をした。
改めて心から詫びたい」
そう言いながら改めて伯爵が深々と頭を下げる。
本当に今日の伯爵は人が変わったようだ。
「ふふふ・・・私もこの15年の溜飲が少しは下がって気持ちよかったですよ」
ベルヌさんが伯爵に笑って答える。
「なるほど、今のは素晴らしい教え方ですね?」
俺が感心してベルヌさんを賞賛すると、本人が笑って答える。
「ははは、いえいえ、そんな殊勝な物ではありません。
せっかくの機会ですから、ちょっと伯爵に意地悪をしてみたくなっただけですよ。
今の私は中々気分が良いです」
「いや、全くすまなかった。
私も今この場でエレノアやシノブに強引にテレーゼを子爵に売れと言われたらどうしようかと恐怖を感じたほどだった。
まるで誰かに心の臓を鷲掴みにされて、握りつぶされそうな感覚だった!
こんな感覚は生まれて初めてだった。
肝が冷えるとはこういう事かと身に染みた思いだ」
その伯爵の言葉に、その場にいた全員が笑った。
しかしその後、エレノアが慎重に会話に割って入る。
「ええ、でも伯爵にも言いましたが、このテレーゼの事は内密にしておいてください。
特に製造理由や製造者の事は外部に知れたら困る事になりますので」
「ええ、わかっておりますとも」
「よろしくお願いいたします」
「それと伯爵、お前、俺たちとバーゼルさんに謝罪するのは良いとして、まだ他に謝る人たちがいるのわかっているのか?」
「わかっているつもりだ。
ダンドリー男爵にはこの後で謝るつもりだし、宿屋や町の人々にも謝罪に行くつもりだ」
「ダンドリー男爵って、誰だ?」
聞き覚えのない名前に俺は伯爵に尋ねた。
「男爵仮面の事だ」
ああ、あの人、そういう名前だったんだ。
本当に男爵だったのね?
「うん、それならいいけど」
こうしてグレイモン一連の件は、ほぼ完全な決着を見たのだった。




