0054 グレイモン伯爵の望み
エレノアの問いにワナワナと震えながら伯爵が答える。
「これで終わりと思うなよ?
私がこの町の権力者だという事を忘れたか?
町中に手を回して、お前が私の言う事を聞かざるを得ないようにしてやる!」
「そうですか?
あなたがそこまで言うなら私も容赦しません。
モルファルミィ・スペーラ・アローゼ!」
エレノアが呪文を唱えると、その部屋中にいる俺たちと伯爵を大きな壁が覆った。
どうやらこれはタロスの一種のようだ。
物体使役物体魔法にはこんな使い方もあるのかと俺は感心した。
「ルーモ」
真っ暗になったタロスの中を、エレノアの出した魔法の光が、そこにいる俺たち3人を照らす。
魔法の壁で自分の周囲を囲まれた伯爵が、周りを見渡して驚きの声を上げる。
「なっ?これは?」
「私の構築した防壁呪文です。
この中には決して誰も入れません。
そしてあなたもここからは出る事は不可能です。
つまり、私たちがここから出て行けば、あなたは一人、この中でミイラとなって、朽ち果てるのです」
暗闇の中で、魔法の光に照らされながら、氷のような表情で、グレイモンの死を淡々と語るエレノアは俺の目から見ても怖い。
「なっ?
そんな事をしてただですむと思っているのか?
私が声をかければお前など!」
「声をかける?
これからここでミイラとなって干からびて死んでいく死人が、誰にどうやって声をかけると言うのです?」
エレノアの言葉は氷の剣のようにグレイモンに突き刺さる。
「なっ・・・」
ようやく事態を理解した伯爵が驚いたように声を上げる。
「では、さようなら、グレイモン伯爵、この私の作った壁があなたの墓です。
最後はせめて私の作った墓標で朽ち果ててください。
百年ほど経てばこの防壁は崩れるようにしておいたので、その時にあなたの骸は誰かに見つけられる事でしょう」
「ば、馬鹿な!エレノア!お前は本気で私を殺す気か?」
その伯爵の言葉にも一瞥しただけで、もはやエレノアは答えない。
その様子は、まるでもう死んでいる者には用が無いといった感じだ。
俺に声をかけると壁の外に出て行こうとする。
「さあ、御主人様、参りましょう。
あそこにいるのは独り言をしゃべるミイラでございます。
もはやこの墓場にいる必要はございません」
しゃべるミイラって・・・本当に怖いよ!
エレノアさん!
容赦ないなあ~・・・
絶対にエレノアを怒らせるのはやめよう、うん。
「待てっ!わかった!」
部屋を去ろうとする俺たちを、グレイモンが慌てて玉座から飛び出して止める。
「もうお前には手出ししない!あきらめる!
その小僧にも手出しはせん!だから助けてくれ!」
「今まで私に散々言い寄ってきて、卑怯な手の限りを尽くしたあなたが、今更命乞いですか?
世の中そんなに都合よくはありませんよ?」
「わかった!私が悪かった!
本当にもうお前たちには一切手出しはしない!」
懇願をする伯爵に対して、エレノアが氷のように冷徹に言い放つ。
「言っておきますが、私に嘘や冗談は通じませんよ?」
「わかっている、本当だ!」
「もし、それが嘘でしたら次はありません、良いですね?」
「私は嘘はつかん!お前がこれほどの者とは思わなかった!
お前にもその小僧にも、二度と手を出さない事を誓う!」
「ならば今回だけは許しましょう。
次は忠告はしません。
その意味はわかりますね?」
「わかった!
今後決してお前たちに関わらないことは誓う!」
「わかりました、ではさようなら」
そう言ってエレノアは防壁魔法を解く。
しかし俺と共に帰ろうとするエレノアに伯爵が声をかけてくる。
「待て!待ってくれ!
最後に一つだけ教えてくれ!」
「何です?」
「私には地位も財産も権力もある!
そして魔道士の資格も取った、魔道の力とて、その辺の輩には負けぬ!
そんな私ではなく、なぜお前の選んだのはその小僧なのだ?
お願いだ、それだけは教えてくれ!」
俺はグレイモン伯爵を鑑定してみた。
なるほど、レベルは58、そこそこの力だ。
魔法も魔道士と言うだけあって、それなりの物は使えるようだ。
傭兵にばかり頼っているので、本人は馬鹿ボンかと思っていたが、確かにこいつは口先だけではなく、それなりに実力もあるようだ。
おそらく実力的にはシルビアさんやエトワールさんより、やや弱い位だろう。
しかし相手が悪かった。
俺はこいつより、はるかに魔法に長けている上に、レベルは今や200以上、そしてエレノアに至っては、御存知レベル683だ。
仮に魔法で勝負するとしても、残念だが話にならない。
「世の中、地位や財産ではどうにもならない事はあるのです。
それに少なくとも魔法の事に関してならば、シノブ様はあなたなどより、はるかに上ですよ?」
「その小僧がか?」
この時、グレイモンは驚いたように俺の事を注目する。
今までエレノアばかりを見ていて、俺の事をまともに見たのはこれが初めてだと言って良いだろう。
先ほどの戦いでも俺はすみで目立たないように守りに徹していたので、ほとんど戦っていない。
こいつに取って、俺はただの小僧で、エレノアについている虫のような物だったろう。
気にもしていなかったに違いない。
その虫が自分より魔法能力が上だと聞いて、その表情は驚きに満ちていた。
「ええ、そうですとも、あなたなど、この方の足元にも及びません。
それがあなたではなく、この方を選んだ理由と言えば納得ですか?」
「馬鹿な!そんな小僧が私よりも上だと?」
鑑定能力を持っていない伯爵には、俺がただの十代の小僧にしか見えない。
そんな相手が、自分よりも魔法能力が上だとはどうしても思えなかったのだろう。
無理はない。
それに確かにエレノアに鍛えられる3ヶ月前だったら、おそらくこの伯爵と俺が戦ったら、軽くひねられていたのは俺の方だっただろう。
「小僧ではなく、シノブ様です」
「では、では、私がその小僧より上だと魔法で証明すれば、お前は私の下に来てくれるのか?」
「ええ、もし、魔法でシノブ様があなたに負けるような事があれば、私はあなたに仕えましょう」
そうエレノアに言われたグレイモンが、突然俺に勝負を挑んでくる。
「ならば、小僧!私と勝負をしろ!
そうすればエレノアは私の物だ!」
だが、当然の事ながら、俺は取り合わない。
「俺にはお前と勝負する気は全然ないんだが?」
「なっ!貴様逃げるのか?
私との勝負をしないつもりか?」
「当たり前だろ!
そんなもんして俺に何の得があるってんだ?
だいたい万一お前が勝ったらエレノアを取られるのに、俺が勝ったらどうするつもりだ?」
俺が負けたらエレノアを取られるのに、俺が勝っても何も得はない。
こんな馬鹿馬鹿しい勝負を受ける筋合いなど全くない。
しかしグレイモンには俺の言っている言葉が理解できなかったらしい。
「何を言っている?
お前が勝つわけがないだろう?
なぜそんな事を言うのだ?
そんな事は考える必要がないだろう?
さあ、早く私と勝負するのだ!」
一体こいつの脳内はどうなっているのだろうか?
なぜこうも自分に都合よく考えられるのだろうか?
俺はあきれ返って返事をした。
「そんなお前の一方的な話に付き合っていられるか!
俺は帰る!行こう、エレノア」
「はい、御主人様」
立ち去ろうとする俺たちをグレイモンが必死になって止める。
「待て!待て!わかった!
私が悪かった!
ありえない事だが、お前が勝った場合の事も考えてやろう!
ちょっと待ってくれ・・・むぅ、お前が勝った場合か・・・金貨二千枚をやる!
それでどうだ?」
その言葉に俺は猛り狂った。
「ふざけんな!
エレノアは俺の全てなんだ!
金貨二千枚ごときで話になるか!
だいたいお前が本気でエレノアを好きだと言うなら、お前の全てを賭けるつもりで来い!
それなら俺も勝負を受けてやってもいい」
「す、全てだと?」
「ああ、お前にそこまでの気があればな、じゃあな、もう二度と俺たちに声をかけるなよ?」
そう言って俺たちが去ろうとすると、再びグレイモンが声をかける。
「・・・・待て!わかった」
「?」
「私の全てを賭ける」
「は?何だって?」
「私の全てを賭けると言ったのだ!」
「全てって・・・何だ?」
「文字通り、全てだ。
もしお前との勝負に負けたら、この家も、財産も・・いや、グレイモンの伯爵号さえも、貴様にくれてやろう。
これは本気だ!」
そのグレイモンの言葉にさすがに俺も驚く。
「は?お前、本気か?
いや、正気か?
自分が何を言っているのかわかっているのか?」
「私は本気だと言っただろう?
15年も待ったエレノアをお前のような小僧に取られるくらいなら、全てを賭けて失った方が、清々するわ!」
俺がエレノアを見ると、エレノアもうなずく。
「グレイモン伯爵、その言葉に二言はありませんね?
負ければあなたは私だけでなく、全てを失うのですよ」
「構わぬ、疑うとあらば今ここで証書をしたためてもよい!」
証書まで用意する覚悟とは、どうやらこいつは本当に本気のようだ。
エレノアもその覚悟を感じ取ったようだ。
「わかりました、今回はあなたを信用しましょう。
ではどういった魔法勝負にしますか?」
「エレノアが決めてくれ、私はお前が欲しくてこの勝負をするのだ。
お前に決めて欲しい」
「わかりました、では勝負は3本勝負としましょう。
それで一つでもあなたが勝てば、私はあなたの下に行きましょう」
そのエレノアの言葉にたちまちグレイモンは喜びの表情を浮かべる。
「何?本当にそれで良いのか?」
3回の勝負のうちに、たった一回俺に勝てれば良いと言われて、グレイモンはもう勝ったも同然の表情をしている。
「ええ、構いません」
こうして俺とグレイモン伯爵はエレノアを賭けて勝負することになった。
いや、勝負と言うには少々おかしい。
状況を知っている物ならば、勝負にならない事はわかっていたし、俺もエレノアも万に一つも相手に勝ち目がない事を承知の上で賭けに乗ったのだ。
それこそ万一にでも俺が負ける可能性があれば、エレノアは俺に許可しなかっただろうし、俺もエレノアを失いかねない勝負などする気もなかった。
これは言わばただ一人、状況がわかっていない伯爵に、実地でわからせるための勝負だった。