0039 異世界の風呂
こうしてエレノア先生による俺の訓練の日々は続いていた。
俺はある時、宿でエレノアに体を拭いてもらいながら、ふと、呟いた。
「あ~あ、風呂に入りたいな・・・」
サーマル村から今まで俺はこの世界で風呂という物を見た事がなかった。
まあ、確かにこの中世的な世界では風呂などないのかも知れないと思ったし、特に探したりもしなかった。
濡れたタオルで体を拭く程度だ。
下手にメリンダさんたちに「風呂はないの?」とか聞いたら怪しまれるかも知れないと思って、聞くのすら我慢していたのだ。
そしてエレノアと一緒に暮らすようになってからは、毎日エレノアに体を拭いてもらっているので、これは凄く気持ちがいい。
この一点だけでもエレノアをこのまま買いたくなる位だ。
しかしやはり元日本人の風呂好きとしては、たまにはたっぷりの湯に入って、体を沈めたかったので、つい口に出たのだ。
すると、エレノアは驚いたように話し始めた。
「風呂?御主人様、御風呂に入りたいのですか?」
「え?うん、まあ、僕の故郷では、ほとんど毎日風呂に入るのが普通だったから。
それに実は僕は凄い風呂好きだったんだ。
だからつい無い物ねだりで口から出ちゃったんだ」
「それは気がつきませんで、失礼いたしました」
「いや、別にいいよ。
そうは言っても、ここに風呂はないんだし、こうしてエレノアに体を拭いて貰うのは気持ちいいしね」
それは本当だ。
しかしエレノアは意外な事を話し始めた。
「いえ、御風呂ならあるのです。
他の町ではない所も多いですが、ここロナバールは大きな都市ですから、町のそこここに御風呂屋がございます」
風呂屋があるだって?!
その話に俺は飛びついた。
「え?ここに御風呂屋があるの?」
「はい、申し訳ございませんでした。
そうと知っていれば、もっと早くに御連れしたのですが・・・」
もっとも風呂と言っても色々ある。
日本でも江戸時代辺りまでは、蒸し風呂のような物が、一般的な風呂だったと聞く。
俺が入りたいのは、湯船に湯がたっぷりと張ってある風呂なのだ。
「その風呂ってどういう風呂?蒸し風呂みたいなの?」
「もちろんそういう御風呂もございますが、基本的には体を洗う洗い場と、大きな浴槽があり、そこに入れてある湯の中に、体を入れて温める物でございます。
御望みなら水風呂もございますが・・・」
おお!それこそが俺の求めている「風呂」だ!
そんな物がこの世界にあるなら、是非入りたい!
「へえ?じゃあ、この町で風呂に入れるんだ?」
「ええ、今日はもう遅いですが、明日は訓練を早めに切り上げて御風呂屋に行ってみましょうか?」
「うん!それは是非行ってみたいな!」
「承知いたしました」
翌日、訓練を早めに切り上げると、俺はエレノアの案内で風呂に行った。
風呂に向かいながらエレノアが説明をしてくれる。
「御風呂屋は町のあちこちにありますが、大きく分けて2種類あります。
一つは公営の物で、銀貨一枚ほどで安く入れ、中には遊戯施設や休憩所などもあり、食事もできるようになっています」
「へえ、そんなに安いんだ?」
銀貨一枚と言えば、令和の日本では1000円程度で、風呂屋の値段としては少々高い。
しかし、この世界では湯を沸かすのも大変だ。
基本的に薪で沸かすのだし、人が入れるほどの量の湯を沸かすのならば、薪代も馬鹿にならないはずだ。
それを考えれば、やはり銀貨1枚は安いのではないだろうか?
「ええ、ただし、食べ物や飲み物はお金をとられますから、中にいる間もお金は必要ですね」
そりゃそうだ。
しかし、それは当たり前の事だと思うが?
「もう一つは?」
「もう一つは私営の風呂屋で、作りは似たような物ですが、こちらは入場料が大銀貨1枚か、2枚と高めです。
しかし、その代わりに、中での食べ物や飲み物は全て無料です」
「へえ?そんなのがあるんだ」
エレノアの話からすると、何か食べ放題つきの健康ランドか、スーパー銭湯みたいな感じだな。
大銀貨1枚って言うと、だいたい1万円くらいだから食べ放題になるのも当然か?
「ええ、何しろ風呂に入っている間に、金袋や服の泥棒が絶えないので、ある程度の金持ちなら奴隷を連れてきて、服や金袋を預からせて待たせておくのですが、一人で来る庶民は風呂に入っている間に物をその辺に置いておくしかありません。
ですから、私営の御風呂屋では入場料と浴布だけを持ってきて、入場料を払った後は中でゆっくりと過ごします。
それなら物を取られる心配もありませんからね」
浴布ってなんだ?ああ、タオルの事か?
「もっとも、それでも、服を盗まれたりしますので、中で一応服も売っています。
ですから大抵は入る時でも、一人の場合は、金袋だけは首からぶらさげていますね。
風呂屋によっては服の補償もしていて、盗まれた場合、代わりの服をくれる所もございます。
もちろん安物ですが」
「なるほど」
確かにそこまでしてくれるなら、盗まれた時の心配もなく、ゆっくりと風呂を楽しめる。
この世界にも鍵はあったと思うが、どうやら風呂屋に使うほど一般的ではないようだ。
金庫とか金持ちの屋敷の扉とかそういった物にしか、まだ使ってないみたいだ。
だからおそらく、風呂屋にもコインロッカーなどはないのだろう。
確か古代ローマでも風呂はあったと聞いているが、やはり盗みが横行していたと聞いている。
「私も御一緒できれば良いのですが、男女別れておりますので、さすがに御主人様と一緒には入れません」
「ああ、そうだね。まあ、気にしないで」
本当はエレノアと一緒に入って、イチャイチャとしたかったが、貸切でもしない限り、そうもいかない。
それはいずれ叶える俺の夢の一つとして覚えておこう。
「はい、ですから今日これから行く風呂屋は、私営の方の風呂屋です。
御主人様はこの国の風呂は初めてでしょうから、その方が色々と気にしないですむかと存じます」
「うん、そうだね、ありがとう」
確かに中に入ってから、これはいくら、あれはいくらと気にしたり、自分の持ち物は無事だろうか?と、気になるのでは、風呂を気持ちよく楽しめない。
エレノアに案内された風呂屋は石造りの立派な建物だった。
「こちらが御風呂屋でございます。
申し訳ございませんが、先ほども説明した通り、中は男女に分かれておりまして、私は一緒に中には入れません」
「うん、わかっているよ」
「はい、ですから私は外で御主人様をお待ちしております」
「えっと、奴隷でも風呂には入れるのかな?」
「はい、中はいくつかの風呂に分かれておりまして、そこには奴隷用の風呂もございますので」
「じゃあ、エレノアも入っておいでよ。
お金はもちろん出すから」
「よろしいのですか?」
「うん、いくら?」
「奴隷用は大銅貨3枚です」
「はい、じゃあ3枚と」
俺はエレノアに大銅貨を渡す。
「タオル・・・浴布は持っている?」
「はい、予備に持ってきた御主人様のならばございますが・・・」
「じゃあ、それを使って入ってくれば良いよ」
「よろしいのですか?」
「もちろんだよ。
ああ、急がないで、ゆっくり入ってて良いよ、僕は結構長風呂だからね。
それに僕は初めてだから物珍しくて色々と中を見ると思うから結構時間がかかるからね。
1時間以上は間違いなくかかると思うよ。
お互いにあがったらそこで待とう」
そう言って俺は風呂屋の入り口にある、待合室のような場所を指差す。
そこは今も相方が出て来るのを待っている人々がそこここにいる。
それにこう言わないと、エレノアはカラスの行水張りに早く出てきそうだ。
「はい、承知いたしました。
御主人様も中は色々と人が運動をしていたり、子供がはしゃぎ回って危ないので、初めてですから御注意をお願いいたします」
「うん、わかった、ありがとう」
こうして俺はエレノアと分かれて風呂屋に入っていった。