【 シノブ・ホウジョウ伝 壱 】
シノブ・ホウジョウの生まれは、はっきりとしない。
一般的にはアムダール帝国ではなく、東の方の生まれだとする説が強い。
本人の談によれば、ニホンという国の生まれと言う発言が何回かあるが、それに該当する国は古今東西どこにもない。
これは本人が出身地を隠すための方便だと言う学者も多い。
ではなぜ隠す必要があるのか?
実際にはどこが出身地なのかと問われると口をつぐむ者が多い。
しかしシノブ・ホウジョウの名前が魔法協会の公式資料に出たのはこの時の魔法講演会で間違いは無い。
それ以前にメディシナーで表彰されたらしい記録もあると言われているが、さだかではない。
ノーザンシティ魔法協会の当時の公式記録には講師・エレノア・グリーンリーフ、助手シノブ・ホウジョウと記載が残っている。
正式の講師は師匠で奴隷のエレノア・グリーンリーフだったが、実質の講演内容の考案者はシノブだったと言われているし、実際に前後して彼の名前で「流れ図学習法」という本が出版されている。
これはシノブ・ホウジョウの名で出版されている最初の本である。
この時点で彼は15歳だったが、すでにレベルが300を超えていると言う非凡な能力を見せていた。
そしてこの時点で彼の女三人衆、またはホウジョウ三傑とも言われている三人の女性とすでに出会い、交友関係にあったのは間違いない。
その内の二人はこの時点で奴隷として仕えていたし、残りの一人はそれより以前に出会っている。
また、この時に生涯の友ともなる三人のうちの二人目であるシャルル・クロンハイムともここで出会っている。