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八の一

 愛親達は百姓家の裏手に回り、木陰から様子を伺った。

 この家は思いの外大きい。七十坪ほどはあるだろうか。平屋ひらやのようだが、屋根は周辺の木々より高い位置にあり、その頂点部分だけ夕日を浴びて鮮やかに紅い。

 愛親達から見て左には大きな蔵がある。こちらは家の半分ほどの大きさだった。


 普通の人が見れば少し大きめの百姓家だろう。だが愛親はその家を見ているだけで、全身が逆立つような悪寒を感じていた。



「紅い。あの家は紅い」

 少女が掠れる声で囁いた。両手で愛親の腕を掴み締めている。

「紅い? 屋根がか」

 少女は首をふるふる振る。

「中。あの家の中」


 愛親は目を凝らして家を見た。確かに嫌な感覚はあるものの、薄暗いだけで赤いとは言い難い。

「何か、居るのか?」

 少女はゆっくり頷いた。

「恐らく妖気が可視化されて見えているんでしょう」

 骨川は小さな声で言った。少女は笹井からも焦げ臭い匂いがすると言っていた。彼女の特殊な力は嗅覚や視覚だけではなく、他にも様々な物があるのかもしれない。

「これはもう黒です黒確定。その子が言うように妖怪が居ますよ居ます、あの中に」

 その声が少し震えている。

「骨川、狐たんを連れて帰ってくれ」

「常盤君は?」

「俺はもう少し……」



 突然、骨川の目が細く光った。

「出て来る」

 三人は同時に身を屈めた。

 戸の開く音。

 次いで草履が土を踏む音が二つ。

 近付いてくる。

 愛親は息を止め、刀の柄に手を掛けた。

 足音が、止まった。

 気付かれてはいないと愛親は感じた。もし自分達に気付いていれば、僅かにでも彼らの呼吸が殺気立つ筈であったからだ。


 茂みの隙間から覗いた愛親は思わず「あっ」と口走りそうになった。

 目に入った二人のうち、一人は頬に傷がある。先程逃げられた浪人、笹井だ。

 完全に見失った筈の奴がここに居るという事は、少女の妖力を嗅ぎ分ける力が確かであったという事になる。

 だが、どこか様子がおかしい。夕闇に沈む二人の顔は暗い。暗いがそれ以上に青いのだ。


まだら様は探せと言うが、あの方の結界を破るような奴が俺達の手に負えるのか。今まで一度も破られた事など無いというのに」

「探すしかねえだろ。見つけなきゃ俺達が殺される」

「斑様の糸に引っかかった感じもしねえし、もう遠くに行っているんじゃねえのか」

「俺の知った事か! そもそもお前が後を付けられるような真似しなきゃ……」

「しっ、声がでけえ。その事が斑様にバレたら俺ぁ喰われちまう」


 草の擦れるような二人の囁き合う声が、徐々に大きくなっていく。しかし目はうつろで死者のようだった。

「とにかく探すぞ。上田達はもう田んぼの方を探しに出てる。俺達は山の方を探そう」

 囁きながら,男達が真っ直ぐ愛親達の居る方へ歩いてきた。

 足音が大きくなる。

 しかし愛親も骨川も落ち着いていた。二人は目を合わせて頷き、静かに場所を移動しようとした、その時。

 突然、鐘が割れるような響が夕闇をつんざいた。

 目が眩む程強い音が近くから、遠くから、四方から突発的に押し寄せる。焦りも恐怖も全て押し潰してしまいそうな激しさだった。


「何が起きた!」

 殆ど自分の叫びさえ聞こえない。頭が割れるような衝撃を全身に受けがらも、愛親は少女を背負い逃げようとした。

 少女の体が動かない。

 彼女は地面に両膝を付けた状態で止まっている。転けているのだろうか。流石に愛親の顔に焦りが浮かぶ。

「来い! 俺が背負ってやる!」

 愛親が無理矢理抱き抱えようとすると少女は

「痛い、痛い」

 と悲痛な声を上げる。そして少女を動かそうとすればするほどけたたましく音が割れる。

「罠だ! その子の足元に張ってる!」

 骨川が叫んだ。目を凝らして、ようやく透明な糸のようなものが少女の足に付いているのが確認出来た。

「じっとしていろ!」

 愛親は居合のように大刀を抜き、腰を沈めながら足元に振り下ろした。

 刀に糸が触れた瞬間、強い抵抗が腕に伝わってきた。まるで太い柱に刃を通すような手応えだが、どうにか切断出来た。

 色、形状から一番に想像出来るのは蜘蛛の糸だ。しかしそれにしては強靭過ぎる。


「気付かれました」

 骨川の声がはやる。

 笹井達がはっきり此方を見ている。流石にあの音で気付かれぬわけがない。連中は既に抜刀していた。


「骨川、狐たんを連れて逃げろ。俺が殿しんがりを務める」

 愛親が笹井を見据え大刀を正眼に構えた時、不意に後ろから袴を引っ張られた。九尾の少女が腰のあたりを必死に掴んでいる。

「どうした、早く逃げろ!」

 抜き払った敵を目前にして愛親の声は荒くなっていた。少女はびくりと身体を震わせたが手を離そうとしない。

 不意に彼女の目が真っ直ぐ愛親に向けられた。薄闇の中で彼女の瞳だけが水面のように輝いている。

「わ、私、今、離れちゃ、駄目。お侍様と、離れちゃ駄目」

 少女の声はか細く、ようやく聞こえるような大きさだったが、そこに確かな意思が感じられた。

「それは……」

「ちょっとちょっと数が増えてますよ!」


 笹井達の後ろからも七、八人の浪人達が迫っている。弓を持っている者も居る。

 愛親は少女を抱えながら逃げるのと、この連中を全員斬り伏せるのと、どちらが容易か逡巡した。

「骨川、狐たんを守ってくれ」

 愛親の声が完全に据わった。吐いて捨てる程の闘気が口から溢れ出す。

 こいつらを全員、叩っ斬る。

 夜の闇が徐々に濃くなっていく。

 割れ鐘のような音は変わらず景色を支配している。

 心臓を直接揺さぶる響きの中、両者の殺気が急速に満ちていく。

 

 途切れた。


 それは暗い部屋から、急に太陽の下に出た感覚に似ていた。

 先ほどまで立ち眩みがする程響いていた音が、それこそ糸が切れたようにブツリと切れた。

 まるで音のない世界に来たかのように錯覚する。

 愛親はある事に気付いた。浪人達の挙動がやけに落ち着かない。しきりに家中を振り返る仕草を見せては浪人同士で囁き合っている。まるで何かに怯えているようだった。


「おや? 見ない顔が居るなあ」

 浪人達の声ではない。この殺気立った場に不釣り合いな、穏やかな声だった。しかし対照的に浪人達の顔が凍り付く。薄闇の中でもはっきり彼らの動揺が感じられた。

「おかしいなあ。僕は人間を招待した事は無いんだけど」

 声は家の中からする。

 その時、スッと扉が開き、何者かが姿を現した。愛親は身構える。が、出て来た男の姿に違和感を覚えた。

 三十歳程だろうか。身体は細く男にしては華奢だった。目は垂れ、優しげに笑っている。いかにも普通の青年に見える。ただ、瞳孔だけが蝋燭の炎のように細く、光っている。

(こいつだ)

 愛親は直感した。全身に張り付くような寒気が包んでいる。

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