六・
それから五日後の夕刻前、骨川から中ノ郷縦川町のうどん屋に呼び出された。
この一帯は菊一の郊外で、愛親の住む万駄木町と同じく、少し外れると田んぼしかない。
「それでそれで常盤君は藤江屋に行って来たんですか遺族の話を聞いて来たんですか?」
向かいに座る骨川がいつものように捲し立ててきた。愛親の隣には九尾の少女が座っていて、ちゅるちゅるとうどんを啜っている。尻尾は嬉しげに揺れていた。
最初は外出を戸惑っていた九尾の少女であったが、案外すんなり付いて来たのは驚いた。それと同時に怖がられていない事にホッとした愛親である。
お民は外に出す事を反対していたが、いつまでも家に籠っていると気が滅入ってしまうだろうと愛親が連れ出したのだ。自分と一緒に居れば危ない事はないと愛親は思っていた。
しかし九本の尻尾はどうしても目立つため、何本かの紐で縛り、一本に見えるよう細工してある。そこまでして、少女の尻尾が縛られていた理由に得心がいったものである。
「不謹慎な事を言うな。まだ子供が死んだと決まったわけではない」
「死んでますよ死んでます絶対に死んでます。妖怪のような低俗で低能な連中が目の前に置かれた餌を一ヶ月我慢出来ると思っているんですか死んでます食われてます。そ……」
「藤江屋へは行ってきた。誘拐の科人を探していると言ったら包み隠さず話してくれた」
愛親は骨川の言葉を途中で遮った。あまり少女の前で死んだ食われた等と言って欲しくなかったからだ。
「どうだったんですか新しい情報は得られましたか」
夕暮れが近い今、外から入る光は赤みがかっている。
愛親は首を横に振った。
愛親が藤江屋へ訪れ、店に出ていた者に「誘拐事件の下手人を探している」と言うと、主人である代吉に奥へ招かれた。
「お願いです、お侍様。どうか、どうかウチの息子を助けて下さい。あいつは生きてるんです。俺には分かる」
と、代吉は大きな身体を伏して泣き腫らしていた。跡取り息子を急に奪われた代吉の悲しみと苦悩は相当深いものに違いなかった。愛親も力になってやりたかったのだが、桐から聞いた以上の情報は代吉の口から出てこなかった。
お前は何か分かったか? そもそも、どうしてこんな所に呼んだ」
骨川はうどんの杯をグイッと飲み干し、袖で口を拭った。
「ではでは僕が仕入れた情報を話しましょう」
骨川の語る所によると、先ず攫われた七人のうち二人は妖狐であったが、残り五人も妖力、呪力の資質を持った子供達だたらしい。妖怪にとって妖力を吸収するというのは更なる力を得る手段であり、やはり今回の事件は妖怪絡みの可能性が高いと骨川は語った。
しかし彼の仕入れた情報はそれだけではなかった。
「貴方が妖狐を助けた時に見たとかいう顔に傷のある男。この辺りに出没するらしいんですよ」
「本当か」
愛親は身を乗り出していた。
その男、名を笹井信郎という浪人で、この中ノ郷縦川町内の賭場によく出入りしているらしい。顔に傷のある男なら他にも居るだろうが、その笹井という男は二月ほど前より蜘蛛の刺青を手の甲に入れていたという。これは藤江屋の使用人や愛親の見た刺青とも重なる。
また、その笹井は最近になって急に羽振りが良くなったという。そこで骨川は男の家まで突き止めて行ってみたが、もぬけの殻であった。
「その笹井とやらがどこにいるのか知りませんが、賭場の近いここで張ってりゃ姿を現すんじゃないかと思いましてね。ご足労願ったわけですご苦労様です」
「この五日間でよくそこまで突き止めた」
「この僕を誰だと思ってるんですか」
骨川がふんと鼻を鳴らす、その拍子に鼻からうどんがこぼれ落ちた。一体どこにうどんを溜めていたのは今を持って不明である。
「汚い」
愛親が骨川から目を逸らし、外を向いた時だった。夕暮れに照らされ、編笠を被った侍が一人歩いている。不意に編笠の縁をせり上げた、その一瞬、愛親の瞳孔が開いた。
愛親の目は夕暮れに照らされた男を見ていない。黄色い月に照らされた男を見ている。
頬に切り傷。細い爬虫類のような目。笹井だ。
考えるより前に体が動いていた。
愛親は脇に置いていた刀を鷲掴みにし、靴も履かずに外へ駆け出した。捕まえて詰問するつもりだったのだ。
「おい、止まれ!」
笹井は振り返った一瞬ギョッと目を見開いた。相手も愛親を認識したらしい。次の瞬間、脇目も振らず駆け出した。
愛親も追うが、笹井は積まれていた桶をひっくり返し、茶屋の長椅子を放り投げ、止まっていた馬を叩いて暴れさせ、形振り構わず逃げて行く。
道筋で大混乱が起き、愛親は行手を阻まれる形となった。
「くそっ!」
愛親は思わず歯噛みした。
「馬鹿だなあ、せっかちだなあ。笹井が居るって教えてくれたら、僕が気付かれず後を付けて行けたのに馬鹿馬鹿本馬鹿馬鹿当馬鹿」
横からぬうっと骨川が顔を出す。
「ぐぬっ」
返す言葉も無い愛親であった。
笹井は既に路地を切れ込み、姿も確認出来なくなっている。
「骨川、二手に分かれて探そう。あいつは東の方に曲がった。あっちには田んぼと百姓家しかない」
「いやいやもう見つけるのは難しいと思いますよそりゃもう」
「だが今みすみす逃すわけにはいかないだろう!」
「誰のせいで逃げられたのやら」
「匂いが、する」
声を出したのは九尾の少女だった。紅い陽光にその面はなお白く、髪の金色に茜がさしている。少女は自分から愛親に話しかけた事が無いので驚いた。骨川は鼻を摘む。
「常盤君、屁をこいたんですか」
「こいてない! おい、狐たん。何の匂いがするのか教えてくれ」
「焼けるような、焦げた匂い。さっきの男の人から」
少女はすんすん鼻を動かしている。愛親は首を傾げた。先程笹井の直ぐ近くまで接近したが、特徴的な匂いは何も感じなかったからだ。
「なるほどなるほど妖狐の能力ですか。恐らくその子が嗅ぎ取ったのは妖怪の匂いですよ、人間には分からない。笹井が妖怪の下で働いてるとしたら妖怪の匂いが付いていても何ら不思議じゃない必然だ」
骨川は顎を摩る。
「よし」
愛親は少女に背を向け跪いた。背負っていくつもりなのだ
「匂いのする方を指示してくれ」
少女は戸惑っていながらも、愛親の首に手を回した。