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 愛親は早朝一人で家を出て、昨日少女を助けた神社へと向かった。空には薄雲が棚引き、朝日が道行く人々を照らしている。

 人の往来も昨夜と打って変わって多い。すれ違う駕籠かきや飛脚の足が軽快な一方、愛親の足は重かった。いや、重いのは腹である。朝食を食べ過ぎたせいだ。

 まさか節約に命を賭けるお民が朝食に三品以上を用意し、あまつさえおかわりを許してくれるとは思わなかった。


 昨日、あれだけ怒り狂っていたお民だが、少女の顔が愛親の死んだ妹「深雪」と瓜二つである事に気付いて態度が一変した。

 最初は驚き、何度も目を擦っては少女を見、擦っては見を繰り返していたお民は急に堰を切ったように泣き出した。床を濡らす涙で川が出来そうな程の号泣である。

「深雪様、よくぞ、よくぞ戻って下さいました」

 お民は怯える少女の両肩を掴んで泣きじゃくった。


 お民は元々、常盤家の側妾そくしょうだった愛親の母親「瑠璃」の腰元であり、愛親が生まれる前から奉公していた使用人である。側妾の身で、何かと矢面に立たされる瑠璃を守り、献身的に働いていたお民は子育てにも積極的だった。


 当然、深雪の世話もしていたし、いや、まるで我が子のように深雪を可愛がった。お民は若い頃女の子を産んだがすぐ病で亡くしてしまったためか、余計に深雪が可愛かったのかも知れない。

 そんな彼女が、深雪の死を聞いた時の悲しみようは尋常でなかった。あれほど真面目に働いていたお民が一週間自室より出て来なくなり、昼も夜も泣く声が漏れていた。

 お民がどれほど悲嘆に暮れ、深雪の死に絶望していたか、愛親も子供ながらに分かっていた。


 が、その死んだ筈の深雪があの時の姿のまま目の前にいるのである。

 お民は愛親などそっちのけで少女を寝かし付け、今朝はいつも玄米に味噌汁のみの食卓に海老の天ぷらが並んだ。海老の天ぷらは深雪の大好物だった物である。

 ちなみにそれは近所の蕎麦屋を叩き起こし、急いで揚げてもらった物らしい。

 少女が恐る恐る、天ぷらを口に運ぶ姿を愛おしそうに見つめるお民の顔が愛親には忘れられない。



 やがて愛親は昨日、少女を助けた神社・満足稲荷に辿り着いた。境内は咲き誇る桜で満ちており、風が吹けば雨の如く花弁が流れ落ちる。

 さっ、さっ、と箒を使う音が聞こえる。石畳の向こうに、こちらに背を向けて巫女が一人立っている。頭には薄茶色の耳が二つ並び、お尻の辺りからは丸こい尻尾が、箒の動きに合わせて左右に畝っている。

(やはり尻尾は一本だ)

きり

 愛親が呼び掛けると頭の耳がピンと立った。振り返って直ぐ、笑顔になる。薄桃色の視界によく映える柔和な笑顔であった。

「先生、おはようございます」


 巫女が愛親の方に寄って来た。歳の程は十四、五で、年の割にすらりと背が高い。巫女の名を桐と言う。

 この満足稲荷は元々無人の神社で、近くに住み暮らす平蔵という爺さんが掃除などして管理していたのだが、二年前に亡くなったため桐が後を継いだ。

 妖狐族はその容姿や能力から、古くより稲荷信仰と結びついてきた歴史がある。桐が平蔵爺さんの代わりに選ばれたのはそのためであった。

 桐と出会ったのは、愛親が今の家に越してきた一年ほど前の事である。愛親が境内に溜まった柄の悪いごろつきを追い払ったのをきっかけに二人はよく話すようになった。


「今日はお早いですね」

「聞きたい事があってな」

「聞きたい事?」

「お前、尻尾は一本か?」


 桐はキョトンとした顔をしていたが、袖を口に当てくすりと微笑んだ。雪のように白い面に一重の下の瞳が細くなる。

「見ての通りです」

 桐がふわり後ろを向くと、もふっとした尻尾がこちらを向いた。確かに一本である。ただ何故か嬉しげな犬のように、尻尾が左右に振られている。

「桐、これは朝起きたら三本になってたりしないのか?」

「しません。妖狐族の尻尾は生まれてから死ぬまでずっと同じ本数なんです」

「尻尾の本数が多いほど妖力が増すというのは本当か?」

「ええ。玉子稲荷神社の五尾……白蔵様はご存知でしょうか? 一度対面でお会いさせて頂いた事があるのですが、とてつもない妖力で、とても目を合わせられない程でした」

「お前、九尾の妖狐を知っているか?」


 尻尾の動きがピタリと止まった。静寂の中、小鳥の声だけが聞こえてくる。桜の木が桐の背中に影を作っている。

「どうして、そんな事を聞くんです?」

 暫しの間を置いて彼女の口から出た言葉は少し固い。愛親は質問の意味を図りかねていた。

「九尾の狐という妖怪がいるだろう。だから妖狐族にも居るのか気になっただけだ」

「私の知る限りでは」

 そう前置きして桐は愛親の方に向いた。いつも通りの柔らかい笑顔だ。


上方かみがたの、とある稲荷社に一人だけ御座おわされると聞いた事があります。妖狐族の中で最も位の高いお方です」

「神社の名前は?」

「すみません、そこまでは私も……ただ」

 そう言って桐は左右を見やり、愛親に身体を寄せてきた。

「今は、どうかあまり九尾様の事を口にしないで下さいませ」

 桐は身体を密着させ、背伸びして愛親に耳打ちした。

「それは、どういう」

「と、とにかくあまり気にしないで下さい」


 桐は慌てて愛親から離れていった。顔が紅潮している。

 また分からぬ事が増えた。九尾の狐は居るには居るが上方に一人だけ。まさかあの小さな少女が、この鶴義国で最も位の高い妖狐ではないだろう。

 それに桐は九尾の事を口にしない方が良いと言う。妖狐族の間で何かが起こっているのだろうか? もしかすると、あの少女はその何かと関係があるのか?

 何にせよ色々考えるには情報が足らな過ぎる気がした。


「そうか、ありがとう」

「あら、もうお帰りになるのですか?」

 桐は少し残念そうに眉を下げる。

「ああ。家で子供を預かっているんだ。お民が面倒を見てくれてはいるが少し気になってな」

「子供、ですか」

「じゃあな。また来る」

「先生」


 振り返るといつも笑っている筈の桐が笑っていない。不安げに愛親を見つめている。

「どうした、何かあったのか」

「気を付けて下さい、先生」

「何に」

「最近、この辺りで、子供が浪人達に攫われる事件が何度も起こってるのです」


 その言葉を聞いた時、愛親の中で昨日少女を襲った浪人風の男達と、子供の誘拐事件とが一つに繋がるような気がした。


 一方その頃、九尾の少女は一人庭に出て、露草の上を忙しなく歩く天道虫を眺めている。

 しかし彼女は、植え込みの一隅からじっと自分を見つめる影に全く気付いていないのであった。

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