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 この鶴義国には「鶴義族」と呼ばれる人種の他に、「妖狐族」と呼ばれる種族が住んでいる。大多数を占める鶴義族と比べて数は少ないが、街を歩けば必ず一人は出くわす程度には居て、特段珍しいわけでもない。愛親が妖狐族の少女を見て驚かなかったのはそのためであった。

 彼らは「狐」の字の付く通り、狐に近い姿をした獣人である。頭の上から二本の耳が生え、お尻からはふさふさの尻尾が生えている。

 また、「妖」の名を冠する通り妖術の類を使う。個人によって占いやお祓いなど、秀でている能力は異なるが、彼らはその力で鶴義の発展に大きく貢献してきた。

 しかし、その力を悪用しようとする輩が、鶴義族にも妖狐族にも昔から多いというのも事実である。

 先ほど少女が追われていたのも、妖狐族の力を利用しようとする者の仕業だろうと愛親は思っていた。



 神社で浪人共を叩き伏せた後、愛親は少女を家に連れ帰っていた。下女のお民を起こさぬよう、そろりそろりと家に入り、灯りも点けぬまま自室に潜り込む様は我ながら泥棒のようである。

「少しは落ち着いたか?」


 愛親は目の前に座る少女にゆっくり問いかけた。座布団にちょこんと正座した少女は伏し目がちに頷く。金色こんじきの髪から生えた彼女の両耳は稲穂の如く垂れている。

(似ている)

 愛親は少女の顔をまじまじ眺めた。見れば見るほど死別した妹「深雪」にそっくりだ。いや、そっくりという次元ではない。

 優しそうなタレ目も、下がり眉も記憶の中の深雪そのもの。黒子まで全く同じ位置にあるのだから、愛親にとって彼女は妹そのものだった。

 そのものだからこそ、おかしいのである。

 深雪は五年前、確実に死んだ。もし仮に生きていたとしても、当時十歳の少女であった深雪はかなり成長している筈だ。それなのに目の前の妖狐族は当時の深雪と同じ顔、体格をしている。

 そして何より、深雪は純然たる鶴義族であった。髪は黒かったし、ぴょこっと生えた耳も、ふさっとした尻尾も生えていなかった。

 それなら、目の前の妖狐は、何者なんだ?


 有明行燈の灯りが六畳の寝室を包み、二人の暗い影を細長く浮かび上がらせている。

 この行燈に入っているのは火ではない。「あかり石」と呼ばれる舶来の品物で、暗闇で光る性質がある。かなり高価だが従来の行燈より安全で明度も高い。


「お前の名前を教えてくれないか?」


 少女は愛親の問いかけにピクリと身体を反応させたが、俯いたまま口を開かない。彼女が鈴をぎゅっと握りしめたため、微かに鳴った。

 愛親は短く息を吐いた。希望を抱いていたわけではない。むしろ恐れていた。その口から深雪以外の名前が出た時、改めて妹の死を実感しなければならないからだ。

「今日はもう遅い。寝よう」

「私、記憶が、無いの」

 愛親が立ち上がりかけた時、か細い声がした。


「今、何だと?」

「記憶が、無いの。名前も、住んでるとこも、お父さんも、お母さんも、どれも、思い出せない」

 少女は顔を手で覆った。声が震えている。

「思い出せない? では、あの連中に追われていた理由も?」

 少女はゆっくり頷く。

「気付いたら、暗いとこにいて、気付いたら、追いかけられてて」

 少女は自分を抱きしめるように両腕を掴んだ。


「怖い。私、怖い」


 少女はとうとう泣き始めてしまった。透明な雫がぽたりぽたり滴って、少女の紅い着物に染み込んでいく。

 泣くのも無理は無い。自分の事が何も分からない上、大男達に追いかけられたのだから怖いに決まっている。愛親の中で、妹の顔をしたこの狐を守ってやりたいと思う気持ちが強くなっていく。愛親は少女に寄り添い、絹布で涙を拭いてやった。


 ふと、少女の尻に目が行く。先ほどは気付かなかったが、少女の尻から生えた尻尾に何やら違和感を覚えたのだ。彼女のお尻の辺りからは他の妖狐族と同じく、ふかふかの尻尾が生えているのだが、どうもそれが

「太い」

 ようなのである。

 いや、太いというか、膨らんでいるというか……。まさか。


「おい、尻尾に触って良いか」

 言いながら既に尻尾を両手に掴んでいる愛親であった。

「ひぁっ!」

 少女が驚いて声を上げる。連動して尻尾もピンと立つ。

「やっぱりな」


 愛親は尻尾に巻き付いた細い紐を見つけた。それが何本もあって尻尾を縛っているのだ。闇の中を歩いていたため今の今まで気付かなかった。

 誰が何のために結んだのかは知らないが、尻尾を縛られて良い気のする狐は居ないだろう。愛親は全くの善意からその紐を一つ一つ解いていった。

 少女は抵抗する様子もなくじっとしている。やはり解いて欲しかったのだろうと愛親は解釈した。

 先端の方で結ばれた最後の一本を解き終わった、瞬間。

 愛親の視界が闇に転じた。同時に顔を無数の猫じゃらしで擦られているような感覚に襲われ、その一部が滑らかに鼻へ侵入した。

「ふぇっくしょょん!!」


 野獣の断末魔のようなくしゃみが夜のしじまに轟いた。何が起きて自分のくしゃみが誘発されたのか分からず、愛親は一旦少女から間を取った。

 鼻を啜って再び正面を向いた彼の目に映ったのは、とても奇妙な光景だった。


 少女のお尻から生えているのは確かに尻尾だった。黄金こがね色に輝き、ふさふさの艶々で、よく手入れのされた尻尾。ただ奇妙な事に、それが何本も生えている。二本や三本ではない。パッと数えられない位の数である。


 妖狐族の尻尾の数は妖力と直結していると愛親は聞いたことがあった。それでも三本以上生えた妖狐はかなり稀だ。愛親の知る限り[玉子稲荷神社]で宮司を務める「五尾」の妖狐が、この菊一の最多尻尾保有者である。

 五尾でもかなりの妖力を秘めているらしく、少しでも妖狐の力にあやかろうと神社は毎日参詣客でごった返しているという。


 ところで目の前の少女はどうだろう。

「一つ、二つ、三つ」

 愛親は少女の尻尾を一本一本手に取り、数を数えていく。

「六つ、七つ、八つ、九つ……」

 九本ある。

「いやいやいや」

 愛親はぶんぶん被りを振った。そんな筈はない。尻尾が九本ある妖狐など聞いたことがない。もう一度数えてみる必要がある。

「一つ、二つ、三つ」

 今度は眉間に皺を寄せ、素晴らしい集中力を発揮する。

「七つ、八つ、九つ……」

 やはり九本ある。素晴らしい。

「いやいやいやいやいや!」

 愛親は更に激しく被りを振る。そんな筈はない。夜中で自分の頭が半分寝ているだけだ。

「一つ! 二つ! 三つ!」

 愛親は再び元気良く数え始める。

「七つ! 八つ! 九つ! 九つ⁉︎」

 元気良く数えても九本ある。

「無い無い無い無い無い!」

 愛親は首が取れそうなほど被りを振る。どうしても目の前の事象に納得がいかなかった。

「お侍様……くすぐったいよ……」


 少女は袖を口に当て、恥ずかしそうに振り返る。

「じっとしていろ。もう直ぐ終わる」

 愛親はバシン、バシンと自分の頬をぶっ叩き、気合を込めた。正しく尻尾を数えるためである。愛親はは殺気に満ちた表情で尻尾を数え始める。


「一つ‼︎ 二つ‼︎」

「わ、若様何をしていらっしゃるのですか?」

 音もなく開いたふすまに老齢の女が立っている。赤い目は驚愕に開かれ、暗い闇から浮き出るように立つ姿は、この世にたっぷり恨みを持って死んだ怨霊のようであった。

「ひっ」

 と短く悲鳴を発し、少女は慌てて布団を被ってしまった。被っているが、尻尾だけ隠せず、はみ出してふさふさしている。

 一方先程まで殺気立っていた愛親の表情はみるみる青褪めていく。


「お、お民。起きていたのか」

 そこに立っていたのは下女のお民。愛親が今最も出会いたくない人物であった。ここで鞘の件を知られたら最後。朝まで小言を言われ続けるに違いない。

「どうしてこんな時間に?」

「若様が大声を出すので起きてしまったのでございます」

「そ、そうか、それはすまなかった」

「すまなかったではすみませんでございますよ」


 お民は少女の尻尾と愛親を交互に見やった後、じっと愛親を睨み付けた。

「こんな夜更にそんな子供を連れ込んで何をしているのでございますか」

 お民はしゃがれた声で捲し立てた。

 その言葉で己が非常に不味い立場に立たされている事に今更気付く。夜遅く、お民にばれぬよう寝室に女児を連れ込んでいるのだから、怪しまれるに決まっている。自分で見てもいかがわしい。


「お民、落ち着け。俺は何もしていない。この子がそこの神社で浪人に襲われている所を助けたのだ」

「その見返りで連れ込んだと?」

「違う!」

「そもそも、こんな夜更に子供が一人で歩いているわけが無いではございませんか。都合が良すぎますぞ」

「そんな事を言われてもどうしようもない。この狐が何故一人で歩いていたのかは俺も分からん」


 しかしお民は疑いの目を愛親に差し向ける。


「信じられませぬ。若様は以前も道場に泊まり込むと言って、あの遊女の所に入り浸っていた事がございましたね。ただでさえ家計が苦しいというのに」


 以前の嘘をほじくり返されて愛親は閉口した。こういった時のお民は主従関係などお構いなしにものを言う。正しいものは正しい、駄目なものは駄目と非常にはっきりしているのだ。それがお民を雇っている理由でもあるのだが……。


「い、今そんな事はどうでも良いだろう」

「どうでも良くありません! 普段の素行が悪いから信じられぬと申しているのです! では若様はこんな夜遅くまで、どこで何をしておいでだったのかお聞かせ下さい。証拠が無いと信じませぬぞ!」

 それなら証明出来ると愛親は胸を張った。

「良いだろう教えてやる。俺は鞘師の所で新しい鞘を」


 そこまで言って愛親は口を手で押さえた。自分の潔白を証明しようとすると更に大きな黒を認めてしまう事になると今更気付いたのである。

 血走ったお民の目がギョロリと光った。凍るような冷たい感覚が愛親の背筋に広がる。


「スァヤァ……?」

「い、いや、ち、違うぞ、違うんだお民!」

 違わぬし、時既に遅しであった。

「若様、ちょっと居間まで来て頂きましょう」


 お民はゆっくり、ゆっくり愛親に手招きした。それはさながら生者を地獄に引き摺り込もうとする怨霊のような動きだった。

 愛親は少女と同じように、布団に潜り込んでしまいたい衝動に駆られるのだった。

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