三
片岡仙理は昨日、愛親と飲み交わした居酒屋からもほど近い、林道の途中で倒れている所を、今朝方発見された。その道は居酒屋から仙理の家へ帰る近道であるが、夜は殆ど人の通りが無い。
仙理は左肩から右腹にかけて一刀のもとに斬り捨てられていた。遺体は刀の柄に手を掛けた状態でうつ伏せに倒れていたという。
仙理程の使い手が刀を抜くことも出来なかったのだ。その事からも相当の手練れの犯行であると見られ、件の辻斬りの仕業であると当初から疑われていた。また、遺体の親指を切り落としている事、金目の物を全て取っている事もそれまでの手口と一致しており、仙理が持っていた筈の指輪も無くなっていた。
遺体の安置された片岡仙理の自宅は、集まった道場生の泣きじゃくる声で満たされていた。昨日まで生きていた、一緒に稽古をした男が死んだのだ。同じ釜の飯を食い、共に切磋琢磨してきた友の死は若い道場生達に非常な衝撃を与えた。
突っ伏して泣く者も居る。呆然と立ち尽くす者も、仙理の名を叫ぶ者も居る。
その中、愛親だけは一番後ろで正座し、ただ仙理の棺を見つめて動かなかった。その瞳には異様な光が宿っていて、周りの物を押し潰すかのような圧迫感があった。
誰も声を掛けられずに居たが、ただ一人、谷間村道場の師範・ だけが
「最後に顔を見てやらないのか」
と優しく話しかけた。しかしそれにも、愛親は無言で小さく首を振ったのみである。
信じたくなかった。昨日まで共に稽古し、笑い、飲み交わした仙理がもう生きていない事を、愛親はどうしても受け入れられなかった。だが仙理の死顔を見た瞬間、信じざるを得なくなる。愛親と別れる時に見せた、あの血色の良い笑顔を青白い死顔で上塗りされてしまう事が愛親には堪えられなかった。
(あんなに家族思いで、公平で、道場生からも好かれていた仙理が何故死なねばならない? どうして、殺されなければならなかった? 俺があの時、あいつを家まで送ってやればこんな事にはならなかったのではないか?)
道場生の中には「辻斬りを自分達の手で斬ってやろう」と息巻く者も多くいた。勿論普段の愛親もそうしただろう。
だが今、彼の心には後悔、怒り、悲しみ、様々な思いが激しく渦巻き、押し潰されそうで、どうすべきか結論を出せずにいた。
愛親はその場を動かなったのではなく、動けなかったのだ。少しでも動くと自分を保てなくなってしまいそうだった。それ程に仙理の死は愛親に深い衝撃を与えていた。
やがて葬列が始まり、遺体が運び出されると共に集まった道場生達も皆外に出たのだが、愛親だけはそこを動こうとしなかった。家の者も敢えて愛親に声を掛けようとしなかった。
青い闇が部屋に満ち、依然として止まない雨の音は軒下に染み渡っている。
愛親が棺のあった位置を見つめたまま、どれ程時間が経っただろうか。
「愛親さん」
誰かが声を掛けてきた。振り返ると品の良さそうな婦人が佇んでいる。片岡仙理の母親・美知であった。愛親も以前何度か会ったことがあり、頬張った顔立ちが仙理にそっくりである。だが今は暗く、顔もはっきりしない上、彼女の輪郭は弱々しく、手折られた花のようであった。
「生前は仙理がお世話になりました」
美知が座り深々と頭を下げるので、愛親も頭を下げた。突然息子を奪われた母親に何と声を掛けて良いのか、愛親は言葉を見つけられなかった。
「仙里から愛親さんに手紙を預かっております」
「手紙?」
「これは……息子が藩に出向いたら渡して欲しいと頼まれておりましたが、もう、それも出来なくなりましたので」
そう言って美知は愛親に手紙を渡し、また一礼するとその場を離れて行った。
愛親はその手紙を凝視していたが、恐る恐る、開いてみた。
それは確かに仙理の字で、愛親宛に書かれている。
夕刻が迫り、重い暗闇が押し寄せてくる。闇と静寂に満たされた室内に雨音のみが時間の経過を伝えている。
暫く読み進めていた愛親の目が、急に開かれた。次に両手がわなわな震え始める。胸の底から激情が立ち上ってきて、全身を満たした。その目は一点、強い意志に固められ、闇の中で白く光っている。
突然、愛親は今まで溜めた力を全て爆発させるかのような勢いで片岡邸を飛び出した。
傘も差さず、履いてきた靴も履かず、足が千切れるかと思うほどの速さで疾駆する。
今までの感謝
口で言うのは恥ずかしいので、こうして手紙で失礼します
一度朱とう藩を訪れてください。
もてなします。そしてもう一度、酒を酌み交わしましょう。
「また道場で、と言ったではないか!」