表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/23

8.少女は結婚したい③



お兄様と別れて、離れからお母様の自室へ向かう。午前中のお母様は、趣味の刺繍をしているか、届いたお手紙の返事を書いていることが多い。


「リリアーヌです」


コンコン、と部屋をノックして、声をかけると中から澄んだ声が返ってきた。返事を確認して、扉を開けた。机に向かって書き物をしていたお母様がゆっくりと顔をあげる。


「あら、リリィ。昨日は心配したのよ。大丈夫だったかしら」

「はい、お母さま。親切な方に助けていただいて、怪我はないです」


それは良かった、と、微笑む姿は、とても二児の母に見えないほど若々しい。緩くウェーブのかかった銀色の髪を片側にまとめ、肩にショールを羽織った母は、動かしていた手を止めると、立ち上がり私の方に近づいてきた。


「お父様に聞いたのだけれど、貴女はずいぶんとその親切な方にご執心みたいね」

「はい、その方と結婚したいと思いまして……お母さまのお話を聞きにきました」


ソファを勧めてくれた母に従い、ゆっくりと身体を沈める。結婚したい人に出会えるなんて不幸中の幸いね、と母はクスクスと笑う。


「そうね、私とお父様も珍しく恋愛結婚だけれど、貴女達とは事情も違うから、参考になるかしら」

「今まで聞いたことがないので、自分のことは別にしても気になります!」


メイドが気を利かせて、お茶を淹れてくれ、目の前に茶菓子と共に並べてくれた。そんな話に興味を持つようになったなんて、もうすぐに立派なレディになるわね、と彼女はティーカップを傾ける。


「お父様とはね、私の実家であるフォイエルバッハ公爵家が主催する舞踏会で出会ったのよ」

「お母様は、当時の王子殿下の婚約者候補のお一人だったんですよね?」


よく知ってるわね誰に聞いたの?と問われたので、執事のハンスに、と素直に答えた。おしゃべりね、と少しだけ咎めるように漏らしたが、表情を見れば困ったように笑っていたので、本気で彼を咎めるつもりはないようだ。


「あの人は、自分が貴女を迎えられるような男になるので待っていてください、とその時言ってくださったわ。私がやったことといえば、お父様……、貴女のお祖父様の説得くらいね」

「素敵です。……でも、私はお母さまと同じ戦法は使えませんね」


なんと言ったって、私が一方的に好きになったわけだから、待ってるだけではダメだ。


「あら、でもリリィは、お父様と同じ戦法を使えばいいのよ」


貴女はとても聡いし、女は待つものだ、なんてくだらない常識に縛られる子ではないでしょう、と優雅に紅茶を口に運ぶ姿に、やはり自分はこの人の娘なのだなと思わざるを得なかった。自分がやったことは父親の説得だけだと言ったが、王子との婚約という道を断ち、自分の家よりも格が低い家に嫁ぐことは一筋縄では行かなかっただろう。


「そうですね、お母さま! 私がアルノルトさまを迎えに行きます!」


それでこそ私の娘だわ、と言いながら、お母様は私の頭を撫でた。幼い頃はよくそうしてもらっていた記憶があるが、家庭教師の元で勉強やマナーを学ぶようになってからは久しい感触だ。



◇ ◇ ◇



パタンと、静かにお母様の自室の扉を閉じた。


あれからしばらくお母様とお話をした。こんなにゆっくりとお母様と話をしたのはずいぶんと久しぶりで、満ち足りた気持ちになった。


――何はともあれ、私にはまだ選択肢が全然ない。


お兄様の言った通り、商業で財を築くか、公共事業に手を出すか、そんな道くらいしかないと思うが、私にはその道に進むだけの知識も人脈もない。


「まずは、お勉強からね。マリー先生に、相談して科目を増やしてもらわないと」


マリー先生は、超特級の特殊能力を持つ私が、力に奔走されないようにと陛下とお父様が家庭教師につけてくれた風の特級特殊能力を持つ女性だ。元々は子爵家の生まれで、アルノルト様と同じように家を出て、今は王国軍で働いている。美人で、頭も良くて、強い、……憧れの女性だ。


「千里の道も一歩から、よ……」



そのとき突然、お昼下がりの暖かい木漏れ日が差し込むはずの廊下に、わずかに冷たい風が走った。ぞわっと感じる悪寒が、その気配が気のせいではないことを証明していた。


「……リリィ」


コツコツ、と靴が廊下を叩く音が、ゆっくり近づいてくる。いつも優しいはずの声とは対照的に冷たい声が私の名を呼ぶ。想像すらできなかった冷たい声に、背筋が凍り、私の動きは鈍った。


手足が固まる、動かない。一歩も動けぬまま、気配はどんどん近づいてきて、ついに私の肩に手が置かれた。


「リリィ、少し話をしようか」

「……シルヴィエ……お兄様」


私の目の前に回り込んできた、私よりも色素が薄い白髪と縹色の瞳を持つ少年は、有無を合わせず私の手を引いた。


いつも優しくエスコートしてくれる腕が、強引に私を引くことに混乱した。


いつも優しい瞳が無機質に光るその様子に、思考が止まった。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ