第75話 役割は与えられ、幕は上がる
「人間って、自分が完璧と思い込んでる面白可笑しい生き物だと思うんです」
歌うように。
「人間は完璧じゃない。……なんて吐いて捨てるほど言われてる理屈ですけど。それを自覚している人も、何人いるのやら」
唄うように。
「人間は他人の不完全さを批難しますよね。自分も不完全な人間のくせして、他人には完璧を求める。『心』がある限り、自分も他人も、永遠に完璧になんかなれないのに。間違いを犯し続けるのに」
詠うように。
「『普通に考えてあり得ない』。『こんなのおかしい』。『絶対に間違っている』……『心』など見ないフリして、情報だけで他者の不完全さを嘲笑う。否定する。あはっ。滑稽ですよね。自分も『心』に振り回される人間に過ぎないのに。寛容さを棄て、自分はこんな間違いを犯さないって、心の底から信じて石を投げる」
少女は、人間を嘲笑う。
「可哀そうなマキナさん。アナタは石を投げられる側。アナタが何を考え、何を思っていたのか……その身に秘めた『心』なんて、分かろうともされない。自分を完璧だと思い込んだ人間から、石を投げられ続けてしまう」
何が愉しいのか分からないけれど。ルシルは嗤いながら、わたしの頬に指を這わせる。
「…………別に。理解されたいなんて思ってない。理解されるとも思ってない」
わたしは間違いを犯した。解っている。これはきっと間違っている。
間違いであることなんて、わたしが一番よく解っている。
秘めておくべきだった。押し込めておくべきだった。隠しておくべきだった。
ああ、だけど。それでも。どうしても――――わたしは自分の『心』を裏切れなかった。秘めて、押し込めて、隠しておくことなんて出来なかった。
「それでも……それでも、わたしは…………」
悪魔に縋ってでも欲しいものがある。
理屈はない。理性だってきっとない。恋焦がれる獣の如き感情が牙を立て、全てを餌として喰らい尽くした。
理性理屈が一欠けらでも残っていたのなら、わたしは今、ここにはいない。
愚かにも夢見てしまったのだ。
アル様の隣にいる自分を。アル様が愛してくれる自分を。
彼の指がわたしの肌に触れて、愛しく扱ってくれる。そんなバカげた幻想を――――見てしまった。可能性を考えてしまった。考えてしまったら、止まらなくなってしまった。欲しいと願ってしまった。
(ほんと……自分でもバカみたい)
愛が欲しいと言いながら、愛する人を裏切っている。
矛盾している。この矛盾こそが、わたしの行動と感情の歪さを物語っている。
「それも『愛』が為せる衝動、ですかね。『愛』を司るわたしとしては実に好みの選択です」
「あんたの好みなんか知らない」
「手厳しいですねぇ」
小さく笑うルシルには不快な気分にもなる。何かロクでもないことを企んでいることは確実なので、猶更。だけどわたしはもう決めたんだ。この悪魔の力に縋ると。
「……それで。わたしはどうすればいいの。何をすれば、わたしも――――」
「――――『王族になれるのか』、ですよね。……現時点でも、あなたは紛れもない王家の血を継ぐ存在。ですが、確固たる証拠が必要なんですよね? 明確なる証拠。……いいえ。極端な話、あなたは王家の証なんて必要としていない。本当に欲しているのはアルフレッドさんの隣に立つための証……即ち、『第五属性』の魔力」
ルシルは分かり切っていることをつらつらと並べ立てながら、真っすぐに伸びる人けのない廊下を歩き続ける。
生というものを感じさせない冷たき道は、どことなく無機質な人形を思わせる。……たぶん、わたしが抱いているこの感覚は真実に近い。この巨大な機械仕掛けの王宮そのものが、何らかの装置だろうから。
「ご安心を。あなたの身には既に『第五属性』の魔力が宿っています。今はただ眠っているに過ぎません。封印されているとも、凍結されているとも言えますがね。ほら、子供のお小遣いだって、最初はとるに足らないお菓子が買える程度の額しかないでしょう? それと同じです。然るべき時期がくれば、親が相応の額を持たせてくれます」
「それが今だって?」
「さぁ? その時期を判断する前に、アナタの親はこの世から居なくなりましたからねぇ」
どうやらわたしの親というものは既にこの世には居ないらしい。
そのことに対して今更、別段これといって何らかの感情を抱くことはなかった。
……正直、自分で自分に驚いている。
確かにわたしにとっての一番はもう決まっているけれど。過去よりも現在の方を大切にしているけれど。
だからといって親に興味が無かったわけじゃない。会えるなら会いたいとは思っていた。でも今、ルシルから親の死をきかされたところで、わたしの中には思っていたような感情は湧き出してこなかった。
どちらかというと、今更というか。
空は青い。炎は熱い。鳥は空を飛ぶ。
そういった常識的なことを今更になって教えられているような気分になった。
「なので。今は代わりの者に、あなたの中に眠る王家の機能を一部解放してもらいましょう」
「ロレッタさんやあの兜の人以外にも、あんたの仲間がいるってわけ?」
「『仲間』ではなく『家族』と言って欲しいものですが、ええ。そうですね。なにせわたしたちは『六情の子供』。愛や喜びがあれば、他の感情もありますとも。……とはいえ。わたしが言った代わりの者とは、もっと別の人物です。『六情の子供』ではなく――――あなたに忠誠を誓い、己が身を捧げ、手足となって動く、忠実な騎士」
「騎士……?」
「あはっ。なにを面食らってるんですか。当然でしょう? あなたはこの機構が紡ぐ王宮の主。古き時代に君臨した魔導技術の王国、オルケストラの姫君。で、あるならば。王家に仕え、お姫様に付き従う騎士が居るのは自然でしょう? 『お姫様』に『騎士』。古き良き定番じゃあないですか」
アル様も、シャル様も、これまで役割を演じて生きてきた。
第一王子を引き立てる悪役という役割。
物分かりの良い婚約者、優等生という役割。
わたしだってそうだ。
アル様を面白おかしくからかうメイドらしくないメイド。それがわたしの役割だった。
だけどあの二人は自ら役割を棄てた。
役割という自分を護るための殻を棄てて、自分の願いを叶える為に表舞台に上がった。
わたしもそうしたつもりだった。役割を棄てたと思っていた。
…………なのにわたしは、また役割を与えられようとしている。
与えられた役割を演じながら舞台に上がろうとしている。
(ほんと、バカみたい。一人で勝手に空回ってる感じ……)
わたしが舞台の上で踊る登場人物だとしたら、あまりにも滑稽だ。
(……それでもいい)
滑稽でも構わない。道化でも構わない。舞台装置ですら構わない。
体中に絡みつく糸に従って踊るだけで、欲しいものが手に入るのなら。
この身を灼き焦がす愛に手を伸ばせるのなら、燃え尽きて棄てられたって構わない。
「舞台に上がる覚悟はよろしいですか? 王女殿下」
巨大な鉄の扉の前で、悪魔は恭しく問うてくる。
「演じるよ。愚かで滑稽なお姫様でもなんでも」
「それは結構。では、参りましょうか」
歪で重厚な音を奏でながら扉が開く。踏み出した先。
そこには、王が君臨するべき玉座が在った。ただ、その玉座はわたしが知っているものとは大きく異なる。
血のように紅い玉座には、白骨を思わせる無数の管のようなものが接続されていた。
「絵本に出てくるような美しく煌びやかな玉座がお好みでしたか?」
「……道化にはお似合いの玉座でしょ」
そして、主がつく玉座を護るように、目の前には墓標……否。漆黒の棺を思わせる箱が鎮座している。
玉座にしても棺にしても、どちらも何らかの魔道具なのだろう。
微かにではあるが駆動音のようなものが聞こえてくる。だけど完全に起動しているわけではなさそうだ。今はまだ眠っているような。静かに寝息を立てているような。そんな音だ。
ルシルが漆黒の棺に触れると、彼女の手元に見たことのない魔法陣が浮かび上がった。
魔道具を制御するためのものだろう。ルシルが淀みなく滑らせる指の操作に従い、魔法陣は軽やかに回転し、何らかの情報を棺に与えていく。
「では……永き眠りより覚めていただきましょうか。アナタと共に舞台に上がり、踊りあかしてくれる騎士に」
信号と共に魔力を送りこまれた棺が開く。白い煙を吐き出し、玉座の間を満たしていく。
中で眠っていたのは二十歳ぐらいの青年だった。黄金を溶かしてカタチにしたような髪。真っ白な肌。彫刻のように整った顔立ちは芸術作品……いや。人工物を思わせる。
絵本の中から飛び出してきたような作り物感溢れる『騎士』の姿が、そこに在った。
彼は静かに閉じた瞼を開ける。舞台の幕が上がっていく。
名も知らぬ騎士は灰塵で塗りたくったような瞳で、わたしの顔を二秒ほど見つめると、棺を出て律動的な足取りで近づいてくる。
やがて彼はそうすることがさも当然のように。自分という存在に刻み込まれた基本原理とでも言わんばかりの淀みなさで、わたしの前に片膝をついて首を垂れた。
「……御身の目覚めを喜ばしく思います。我が主、マキナ・オルケストラ王女殿下」
舞台の幕は上がってしまった。
きっと、もう――――引き返すことは出来ない。




