第59話 押し寄せる爆炎
地下に埋め尽くされた氷河に亀裂が奔る。
次の瞬間。鋼鉄並の強度を誇る氷は、内側からの衝撃で吹き飛ばされた。
「…………」
氷の内側から静かに現れたのは、頭を兜で覆い隠した少女。その手には漆黒の魔力を帯びた剣が握られており、アルフレッドやノエルが放った氷とは違う、邪悪さを感じさせる冷気を漂わせていた。
「ご苦労様でした」
肩の傷口を抑えながらルシルは氷の内側から歩み出る。踏み躙る度に氷の欠片が歪な音を奏で、地下の陰湿で薄暗い空間に反響していく。それはまるで、悪魔が歌を口ずさんでいるようでもあった。
「チッ……逃げられたか」
次に氷の内側から現れたのはモーガンである。その淀んだ目は、もぬけの殻となった地下室へと向けられている。逃亡を許したことに対して怒りを覚えたのは一瞬。次第にその顔には歪んだ歓喜に染まっていく。
「逃げた。逃げたぞ。アイツら、逃げやがった。はははっ! ざまァみろ! 今度はアイツらが無様に逃げやがった!」
モーガンの頭の中に浮かんでいるのは、森でアルフレッドとノエルに邪魔された時の記憶なのだろう。
(子供に邪魔されたのがよっぽど屈辱だったんですねぇ。ホント、くっだらない自尊心だけは大したものですよ)
今のモーガンは、手に入れた力に酔いしれている。
元は無力だった男が突如として復讐を遂げられるだけの力を手にしたのだから無理もない。……と、言葉で片づけるのは簡単だ。
(けど……つまんないなぁ。わたしが見たいのはそういうのじゃあないんですよね)
今のルシルが見たい心は『復讐』だ。
その点で評価するならば、今のモーガンは期待外れと言わざるを得ない。
(ちまちま下準備するところとか、みみっちくてつまんないっていうか……これがレオルくんなら……)
ふと、ルシルの脳裏を過ぎったのはレオルの姿だ。
未来の王に課せられた重責。責務に対して伴っていない才能。苦悩する姿。挙句の果てには弟に決闘を申し込むという暴走。
レオルは随分と楽しませてくれた。それだけにモーガンの退屈さが際立って見える。
(無理やり軌道修正するのは趣味じゃないですし……どっちにしろ、これは役者を入れ替えた方がよさそうですね)
その目星は既につけてある。
マキナに情報を流した後、ここでモーガンと遭遇してしまうのはルシルにとっても不良の事故ではあったが……思わぬ収穫があった。
(ネネルちゃんでしたっけ)
幻術で再現した、両親が『土地神』に殺された光景。
それを目の当たりにしていた際の彼女から感じ取った力。
(まさかこんなところに『当たり』がいたなんて)
ルシルは薄暗い闇の中で独り笑みを浮かべる。
それは天使とも、陽だまりとも程遠い。闇の中にいる者の笑みだった。
「さァて、と。さっさと追い詰めてやるか」
ひとしきり愉悦を噛み締めたであろうモーガンは、噴出させた瘴気から黒狼の群れを出現させる。
「その必要はありません」
「奴らだって消耗してる。ここはチャンスだろ」
「消耗しているのはこちらも同じな上に、地上に出られたとあってはこちらの優位性も一つ失うことになります。……何よりあの『昇華』という魔指輪は厄介です。迂闊に飛び込めば、痛い目に遭うかもしれませんよ」
実際のところあれだけの魔法を無制限に使うことが出来るとは思わない。アルフレッドの様子を見た限りでは限界も近いのだろう。追撃してもこちら側が有利であることは間違いないが、ここで彼らに倒れてもらっては困る。
「安心してください。『土地神』の浄化が目的である以上、行動は簡単に読めます。待っていれば向こうから来ますよ。それよりも、『偽・禁呪魔指輪』を使ったあなたの計画も変えた方がいいでしょうね」
量産型の『禁呪魔指輪』――――『偽・禁呪魔指輪』で経路を繋いで制約を軽減させる。それがモーガンの立てた計画であった。
それが知られてしまった以上、何かしらの対策を打たれてしまうだろう。
「じゃあ、どうする。あんたがくれたこの『禁呪魔指輪』……『黒狼群』の制約は、この黒狼共に大量の魔力を喰わせてやることだ。俺の魔力量じゃとても……」
「大丈夫ですよ。大勢と経路を繋ぐ必要はありません。たった一人の優秀な人材に肩代わりしてもらえば、その制約も解決です」
「そんなやつ、一体どこに……」
「いるじゃないですか。元は、あなたが目を付けていた未来ある有望な子供が」
その言葉でモーガンは思い至ったらしい。
「ネネルちゃんを使えばいいんですよ」
ルシルは悪魔のような囁きを、天使のような笑みで提案する。
その意識は既に次の計画と、別の場所で実行されているであろうものへと移っていた。
(さて……向こうも既に片付いた頃でしょうかね)
☆
「…………これって」
ロレッタから受け取った地図に従って辿り着いた地下への階段を降り、扉の奥へと進んだ先。あたしが行きついた地下の部屋の中は奇妙な空間だった。
「何もない……空っぽ?」
怪しげな装置だとか、地下で怪しげなものを造っていたとか、そういうものを想像していたのだけれども、そんなものはどこにもなかった。空っぽの地下空間だ。
「このルーチェ様に恐れをなして逃げた……ってわけじゃあなさそうね」
爆弾の魔道具でも設置されているのだろうかと一瞬考えたが、その気配もない。
注意して奥へと進んでいき、突き当りまでたどり着くもやはり何もない。
「…………」
手のひらに灯り用の火球を生み出しつつ、この地下空間をよく観察する。
照らされた箇所に見えた微かな痕跡。それを見て、あたしは確信した。
「この埃の溜まり方……ここには元々、何かがあった。けどそれを全て別の場所に移動させた?」
つまりこの場所は『空っぽ』というより、『もぬけの殻』と表現した方が正しいのかもしれない。
「……で、さっきからコソコソ後をつけてるあんたは誰なのかしら? サインが欲しいならいくらでも書いて上げるけど」
あたしは背後にいる何者かに呼びかける。すると、その人物は観念したのか暗闇の中からゆっくりと姿を現した。あたしの持っている火球の明かりがその顔を照らして――――
「――――っ! あんたは……!」
生じた一瞬の動揺。それは刹那にして、あたしの人生史上最も致命的な隙。
しまった、と。
そう思った瞬間には、あたしの身体は魔力の刃を受けて壁に叩きつけられていた。
「ぐ……がふっ…………!」
口の奥から生暖かい液体が湧きだしてきて、口から零れていく。
動揺が致命的だった。『王衣指輪』を展開する暇すら許してもらえなかった。それほど疾い一閃。研鑽を重ねた末の一瞬、一撃。
いや。呼吸レベルで、あたしの『王衣指輪』を展開する速度をも知り尽くしているが故の先制攻撃。ただ速いだけじゃない。完全にテンポを阻害された。
(これは……ファンのみんなにはとても見せられない惨状ね……)
だけどまだ体は動く。動かせる。
なぜ目の前の人物がここにいるのかは分からない……いや。違う。分かっている。理解を拒んでいるけれど、優秀なあたしの頭はすぐに理解していた。
だけどそれを問いかけるよりも先に、目の前の人物は懐から筒状の何かをこの地下空間にバラまいていくと、そのまま背を向けて足早に地下を去っていく。
薄暗い闇の中で、筒状の何かはチカチカと赤い光を明滅させ――――。
「まったく……勘弁してよね」
空間一杯に閃光が広がり、同時に巻き起こった爆炎が濁流のように押し寄せてきた。




