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第51話 ルーチェ・バーグ・レイユエール

 あたし――――ルーチェ・バーグ・レイユエールがロレッタと会ったのは、学園の入学試験だった。

 ……いや。『会った』というのは間違いかもしれない。厳密には『見かけた』が正しい。


 王族として力をつけることが義務とされているレイユエール王国王家の子供は、魔法学園への入学試験も自力で突破する必要がある。といっても、そう難しいものじゃない。王家の子供として教育を受けている分、実力的には一般の子よりも有利と言える。


 あたしは性格的に裏でコソコソと『コネ入学』だとか『裏口入学』だとか言われるのは我慢ならなかったし、だから目指していたのはダントツ一番。トップでの入学。

 特に当時のあたしは特に『一番』だの『トップ』だのに拘っていた。

 生まれた時から『女』というだけで王座につくことは叶わず、それを理解して、諦めて、受け入れていたからこそ、せめて他のことでは一番になりたかった。


 レオルの前では大人ぶっていたけれど、それはあたしが大人びていたからじゃない。

 単純に諦めていただけなのだ。


 だから、入学試験ではとても張り切った。張り切り過ぎて後でお父様に怒られたけど。……今思ってもやっぱりケチよねー、お父様。ちょっと試験用のマトを全部消し炭にして、試験会場の一部を焦土にしたぐらいであそこまで怒ることないじゃないのよ。


 そんなことがありつつ、あたしは自分がトップの成績で入学できると信じて疑わなかった。ささやかで、ちっぽけで、くだらないプライド。……そう言えるのも、今だからこそだけど。当時のあたしはそんなことに拘っていた。


 …………だから、衝撃だった。


「次、ロレッタ・ガーランドさん」


 同い年の彼女が魅せた剣の軌跡。

 一切の無駄のない流麗な太刀筋。

 風すらも斬られたことに気づかないような速さ。


「――――――――っ……」


 不覚にも。

 あの時、あの一瞬……あたしは見惚れていた。このあたしが、見惚れていたのだ。

 同時に、心の中でほんの少し……そう。ほんの少し、ちょっぴりと。認めてしまった。


 ――――負けた、って。


 あの子の剣は、あたしのプライドまで真っ二つにしたのだ。


 当時のあたしは、それはもう悔しがった。

 数字の上では二人とも成績トップ。そりゃあそうだ。上限が百点しかないのだから。

 けれど、新入生代表に選ばれたのはよりにもよってあたしだった。

 学園側がしてくれた、くだらない配慮だ。あたしが王族だから。決して王座にはつけないけれど、あたしが王族だから。


 それがますます悔しかった。負けていると分かっているのに。あの子に負けたと認めてしまったのに。

 だからあたしは、一方的にロレッタをライバル視した。

 入学早々に彼女のいる教室へと突撃して、こう告げた。


「ロレッタ・ガーランド! あたしと勝負しなさい!」


 当のロレッタ本人は彼女にしては珍しく、目を丸くして、口をぽかんと開けて、あたしの顔をまじまじと見ていた。当然だ。第一王女が教室に押しかけてきて、急にこんなことを言い出すのだから。


 ……うん。今思えば、結構な無茶をしたと思う。

 向こうからすれば急に第一王女に詰め寄られて何事かと思っただろうし、普通なら王家の不興を買ったのだろうかと心配するところだ。


 でもロレッタはあたしにそんなつもりはないことをすぐに見抜いたように、ふっと微笑んだ。


「いいですよ。何で、どのように勝負しますか?」


「魔法を使った模擬戦。魔指輪リング有り。武器有り。降参した方が負け」


「構いませんよ。私も、あなたとは一度お手合わせしたいと思っていましたから」


 その一件はあっという間に学園中に知れ渡った。

 放課後の模擬戦場スタジアムには多くの生徒が押しかけて、神妙な面持ちであたしたちのことを見ていたのだろうけど、その時のあたしはロレッタのことしか視界になかった。


「電撃的に全力で来なさい! 手加減したらぶっ飛ばす!」


「それはいい。全力を出す機会など、あまりないので」


 あたしが指で弾いた金貨が宙を舞った。金貨が弧を描いて地面に落ちた直後、あたしたちはぶつかった。


 あっちは風。こっちは雷。

 暴れのたうつ魔力の奔流が激突を経て波動となって駆け巡り、模擬戦場スタジアムを激しく揺らした。

 どれぐらい戦っていたのかよく覚えていない。長かった気もするし、短かった気もする。


 そして結論から言うと、引き分けになった。

 厳密には紙一重……ほんのちょっと。すこーしの差であたしが押し負けたのだけれど。


「はぁ、はぁ、はぁ…………ま、まだ……あたしは負けを認めないわよ……ほら、続きをやりましょう……」


「ふふっ……まったく……とんでもないお姫様だ……ふふっ……」


 あたしがあんまりにも「参った」を言わず立ち上がってくるので、ロレッタが引き分けを提案してきたのだ。というか、押し負けただけで完敗したわけじゃないし。


 でも――――戦いが終わったあと、あたしたちは笑っていたと思う。

 魔力も気力もすっからかん。お互いに仰向けになって寝転がって。一緒に同じ青空を見て。

 ……その時にはもう、あたしの中で一番になることはどうでもよくなっていた。この澄み渡った青空に比べればとてもちっぽけで、どうでもいいことだと思えたから。


「……この青い空だけは、絶対に忘れない自信があるわ」


 何気なく呟いたあたしの言葉に、ロレッタは笑っていたと思う。


「奇遇だね。私も同じことを思ったよ……ルーチェ」


 戦いが終わるともう敬語なんて抜けていて、『ルーチェ』と『ロレッタ』という一人の人間として、お互いのことを認めていた。


 ちなみに、あたしはお父様に呼び出されてお叱りを受けた。

 うん。模擬戦場スタジアムを半壊させたのは、さしものあたしも電撃的に反省してる。


 その後も事あるごとにあたしたちは競い合った。

 魔法だったり、勉強だったり……ある時は早起きだとか、どっちが先に課題を終わらせるかとか、泳ぎの速さだとか、そんなくだらないことまで。


 家族を除けば、一緒に居る時間は誰よりも多かったと思う。

 なまじ成績トップの二人だから授業でもペアを組まされることが多かったし(下手に他の子と組むとレベル差がありすぎてお互いのためにならなかったりしたのよね)、鍛錬を一緒にすることもしょっちゅうだった。


 ……いつも競い合ったり鍛錬したりしていたわけじゃない。

 家族の愚痴とか、趣味だとか、将来の夢だとか。気づけばどんなことでも話したり、相談できる親友になっていた。


「ルーチェは、王になることを諦めたのかい?」


「そうよ。どれだけあたしが電撃的に強くてかわいくて美しくたって、『女』だもん。王様になるのは、最初からレオルに決まってるんだから」


「そういう常識すらも焼き尽くし、電撃的に突き進むのが君だと思ったんだけどね」


「悪かったわね。……このあたしですら、どうにもならないことってのも、世の中にはあるもんなのよ」


「……そうだね。世の中、正しく頑張っていたって、どうにもならないこともある」


 ロレッタは将来、剣の道に進みたいと話してくれたことがある。

 卒業後はあの家から出て、世界中を渡り歩き、己の剣を極めたいと。

 ……父親からは反対されていて、卒業後はどこか有力な貴族の家に嫁ぐことになっていたけれど。


「でも私は諦めたくはない。最善とはいかずとも、次善ぐらいは掴み取るつもりだ」


「……次善?」


「ああ。先日、父上の説得に成功してね。トップの成績で卒業するという条件付きで、騎士団への入団なら認めると約束してもらえた。……流石に家を出て旅に出ることは許されなかったが、まあ騎士団も悪くはない。あそこには優秀な剣士も揃っているし、なにより卒業後も、君と共に暴れられるだろうからね」


 珍しく悪戯っ子のような笑みと共に、華麗にウインクを決めて見せるロレッタ。

 ファンの女の子が見たら卒倒していたことだろう。


「…………旅に出ることだけが剣の道を究める術じゃない。形は違えど、最後には夢を叶えればそれでいい。一番じゃなくても、せめて二番ぐらいはね」


「…………お互い、一番欲しいものは手に入らないものね」


「仕方がないさ。この国は、そういう国だ……と、王族である君に言うのもどうかと思うが」


「どうもこうもないわよ。まったくもってその通りだもの」


 一番が欲しかった。でもそれは手に入らないもので。だから諦めるしかなくて。

 そういう意味で、あたしとロレッタは似た者同士なんだとその時に分かった。


「ルーチェ。君だって、王様になってしたいことがあったはずだろう? 王になれないのなら、せめてそれを目指したらいいんじゃないかな」


「王様になってしたいこと…………」


 考えたこともなかった。そこで初めて気づいた。

 あたしは王様になることだけに拘っていて、その中身を考えてもなかったんだと。


「……………………」


 しばらく黙り込んでいた。その間もロレッタは根気強くあたしの答えを待ってくれていて。


「…………あたしは、みんなを幸せにしたかったのかも」


 ロレッタに話していながらも、それは独りごとにも近かった。


「レオルはいつも苦しそうで、アルフレッドはいつも周りから虐げられていて……時々ね、見かけるの。お母様が、寝ているアルフレッドに謝ってるところを。『ごめんね』『ちゃんと生んであげられなくてごめんね』って……それが嫌だった。それから嫌になっていった。人の悲しんでる顔、落ち込んでる顔、苦しんでる顔を見るのが。……だからあたしは王様になりたかった。王様になって、大切な人たちを幸せにして、笑顔にできるようにしたかった」


 それはロレッタに対してもそうだった。

 家のことで苦しみ悩む彼女の顔を見たくはなかった。


「でも、あたしは王様になれない。なれないなら、せめて……周りの人ぐらい、幸せにしたい。……うん。それがあたしの夢。一番欲しいものは手に入らなかったけど、だったらそれ以外は全部いただくわ」


「ははっ。ルーチェらしいね。強引で強欲なところとか、特に」


「言っとくけどね、ロレッタ。あんただって幸せにしてやるんだから。覚悟なさい」


「それは楽しみだね」


 一番欲しいものは手に入らなかった。

 けれど、あたしはそれ以外を手に入れることに決めた。そう思えるようになったのはロレッタのおかげだ。


     ☆


「ねぇ、どういうこと」


 ロレッタを捕まえたのは、あの胸糞悪い会議の翌日。

 一日もたつなんて、いつも電撃的に動くあたしにしては遅い。遅すぎるほどだ。けれどそれというのも親友――――ロレッタが、のらりくらりとあたしのことを避けてきたから。

 おかげで捕まえるのに苦労した。最終的にはあたしの素晴らしい勘を頼りに、昨日、会議に使用したこの部屋に突撃してみたらドンピシャだったわけだけど。


「どうしたんだ、急に」


「とぼけんじゃないわよ。その腕のことに決まってるでしょ」


 痛ましい傷跡が残る右腕に視線を送る。彼女の剣士としての命は既に絶たれたも同然だと、その傷跡が物語っている。


「なんで黙ってたの」


「言ってもどうしようもないからね。それに、留学中の君に余計な心配をかけたくなかったんだ」


「余計な心配って……!」


 その言い草に苛立ちが募る。そういう心配をかけさせてほしかったのに。


「…………あたしが気づかないとでも思ったの?」


 ロレッタは何も言わない。ただ黙っているだけで。


「その傷は事故なんかじゃない。……あの父親に、つけられたものなんでしょう?」


 何も言おうとしてくれない。


「あんたの父親が、あんたから剣を奪ったんでしょう!?」


 傷を見れば一目で分かる。それが人為的につけられたものだと。

 そしてそんなことをするのは、ロレッタの父親であるガーランド領領主意外に思い当たらなかった。ましてやロレッタほどの使い手がむざむざこんな傷をつけられるなんて。


「…………嘘だったんだ」


「嘘?」


「父上は最初から、私を騎士団に入れるつもりなどなかった。結局のところ、父上にとって私はどこまでも道具でしかないらしい」


 自嘲するような声は、あたしが知っている彼女のものとは違う。

 本当に全てを、何もかもを諦めきってしまったかのような。


「君が羨ましいよ」


「えっ?」


「たとえ一番欲しいものを手に入れられずとも、君は家族に恵まれている。私が望んでも手に入れられないものを既に持っているのだから」


 いつも余裕があって、どことなく達観していたようなロレッタは影も形もない。

 彼女の瞳の中には、あたしの知らない何かが既に蠢いていた。それを認めるのが怖くなって、怖いと思ってしまった自分に苛立ちが募る。


「…………なんてね」


 ふっ、とロレッタは柔らかい笑みを零した。その落ち着き払った冷静な表情は、あたしが知っているいつものロレッタに戻ったようで、無意識の内にほっとしてしまう。


「すまなかった。ちょっと気分が荒んでしまっていたようだ。今のはちょっとした愚痴だと思って忘れてくれ」


「…………謝らないでよ」


 今のはロレッタが見せてくれた弱音だ。それを間近で受けて怯んでしまった自分をぶん殴りたくなる。


「あたしたち、親友でしょ。今までどんなことも話してきたし、誰にも言えないことを言いあって来たじゃない。あんたの弱いところも、汚いところも、全部見せてよ。言いなさいよ。愚痴なんて言葉で誤魔化さないで。少なくともあたしは……そうしてほしいって、思ってるから」


「…………ありがとう。ルーチェ」


 その気遣ってくれるような言葉が、顔が……自分の弱さを抉りだされたような気分になる。今は自分という生き物が、もっとも腹立たしい。


「私のことを心配してくれるのは嬉しいが、君は自分の心配もした方がいい」


「どういうこと?」


「父上が第二王子派と接触を図ろうとしている」


「予想はしてたことだし、聞いても別に驚かないわよ。大方、今回の浄化公務であたしとアルフレッドに失点でもぶら下げて、それを土産に第二王子派へ鞍替えそうって魂胆でしょ」


 弟のロベルトもこっちに戻ってきてる最中って聞いてるしね。


「父上の目論見としては、今回の浄化公務そのものを第二王子の手柄に仕立て上げるつもりらしい。あの人の考えることだ。君たちには妨害が入ってもおかしくはない」


「……わざわざ休息日をとったのはそういうことか。けどそれって、おかしくない?」


「私もそう思う。仮に父上の妨害とやらが上手くいったとして……『土地神』の汚染という未曽有の事態を前に、なぜ戦力を減らすようなことをする必要があるのか」


「第二王子の浄化が成功するという確信があるから? それにあたしたちに対する態度も気になるわね。いくら鞍替えすつもりとはいえ、あそこまであからさまだと、よほど強力な後ろ盾があるのでしょうけど……」


「…………その後ろ盾に、瘴気を制御する術があるとしたら?」


 ロレッタの言葉に、頭の中で嫌な結びつきが出来てしまう。


「…………ルシルと繋がってるっていうの?」


「分からない。だが、瘴気をコントロールできる者の協力があれば、第二王子の浄化は必ず成功する」


「そんなことをして、ルシルの方に何のメリットがあるっていうの?」


「さあね。だけど……最近、父上が街で何者かと人目を忍んで頻繁に会っていることは事実だ。そして父上がその何者かと会うようになってから、人員を割いて『何か』を探し始めている」


「『何か』?」


「それが何なのかは分からない。だがこの領地のどこかにあるということだけは確からしい」


「その『何か』を探す条件としてルシルの協力を取り付けたってことか……」


「全ては憶測でしかないけどね。何も証拠がない」


 これらは全て想像だ。憶測だ。何の証拠もない以上、シミオンに直接問いただしてもしらを切られるだけ。


「……仮に浄化が失敗しても、ルシルの側につけばいいってことか。王族に対してあそこまで大きく出れるのも納得だわ。あんたの父親、とんでもないコウモリ野郎ね」


「まったくだ」


 苦笑するロレッタ。父親に対してはやはり複雑な感情を持っているのだろう。

 ……ガーランド領領主、シミオン・ガーランド。奴を追い詰めることが出来れば、ロレッタも少しは自由に生きられるのだろうか。


「何にしても証拠を掴まないと話にならないわね。それか、あんたの父親とルシルが探してるっていう、『何か』を先に見つけ出すか……」


「そのことだが、一つだけ手がかりがある」


 ロレッタが差し出してきたのは、折りたたまれた一枚の紙だ。


「どうやらその探し物は随分と難航しているようでね。依頼主ルシルの側からもせっつかれているのか、父上は怪しげな連中の力も借り始めている」


 紙を受け取ってみると、そこには簡単な地図が記されていた。

 どうやら近くの街の中にあるどこかを指しているらしい。


「…………ここに行けば、何か分かるかもしれないってこと?」


「そうだね。ただ……恐らく君たちへの妨害に利用しようとしている連中である可能性も高い。父上とはずいぶんと懇意にしているようだ」


「ふーん。そりゃ手間が省けていいわ」


 あたしが紙を折りたたんで懐にしまうと、ロレッタは複雑そうな顔をしている。


「…………ルーチェ。悪いが私は動けない」


 彼女は腕をさする。そこは痛ましい傷跡がある場所だ。


「この傷をつけられたと同時に、首輪を仕込まれてしまってね。父上の許可なく屋敷を出ればすぐにバレてしまうんだ」


 傷をつけ、剣を奪うだけじゃ飽き足らず……そんなものまで腕に刻み付けたのか。

 ――――よりにもよって、このあたしの親友に。

 シミオンに対する怒りが熱を帯び、マグマのように煮え滾ってくる。


「…………大丈夫。任せて」


 ああ。だけど、やることがあるというのはいいことだ。

 何もできないよりは、ずっといい。


「クソ親父をとっちめて、あたしがあんたを自由にしてあげるから」





短編「同級生の心の声を聴いてみたらデレデレだった。」を投稿しました。


短編なのでサクッと読めると思います。

よろしければどうぞ!


https://ncode.syosetu.com/n6926hg/


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