第19話 叫ぶ心【★改稿済】
「あたしは人間が好きだ。いや……ネトスを見て、人間って生き物に惚れちまったのかもしれないね。たった一瞬と刹那しかない人生を燃やし尽くして生きる、そんな命を……」
エリーヌは魔法石をじっと見つめるが、金色に輝く石は何も語りかけてはくれない。
それはもう彼女の親友ではない。物言わぬ石だ。
「エルフ族ってのは寿命が長いからね。人間のように毎日を必死に、懸命に生きてたら疲れちまう。そんな連中に囲まれて一生を過ごすのが嫌で……あたしは里を出てきたはずなのに。あたしは結局、どこまでいっても同類だった」
自嘲するような。かつての己を嘲笑うかのような言葉。
「あたしには、あんな風に魂を込めて物を造れない。あたしがエルフである限りずっと、一生、永遠に……だから……」
「……だから、諦めたのか?」
俺の問いに、エリーヌは苦笑しながら頷いた。
「……そうさ。あたしは諦めちまったのさ。本物をこの目で見ちまったその時に、全てを諦めた」
悲哀。挫折。哀切。諦念。
色々な感情が混ざったそれを、エリーヌは二百年もの間抱えてきたのだろうか。
「命を燃やしたあの一瞬に、あたしじゃ永遠に敵わない」
全てを悟ったようなその一言は、まるでやっとの思いで絞り出したようでもあって。
「こんな半端な奴が親友から託された魔法石に手をつけていいわけがない――――あの子のような魔指輪を造れるわけがない。自分の身の程を知ったあたしは、工房を当時の弟子に譲って引退した。あとは墓守の真似事をしながら無駄に永い余生を過ごしているところさ」
エリーヌは魔法石から視線を外して、俺たちを見渡した。
「これで分かっただろ。あたしは『彫金師』なんかじゃない。半端者の紛い物。あんたらのお役には立てないよ」
エリーヌが俺たちを拒んでいたのは、自分自身に見切りをつけていたからだ。
彼女にとっては何の意味もなさない過去の栄光に俺たちが縋ってきたからだ。
「もう、帰ってくれ」
背中が遠ざかる。離れていく。影の中に沈んでいく。
(…………ま、ここまでか)
諦めて、膝を折り、歩みを止めた者の気持ちは俺にもよく分かる。
彼女には彼女なりの理由があり、諦めるまでに自分の心を涙と共に引き裂き、嗚咽と共に押しつぶしてきたはずだ。夢も希望も、光すら届かぬ奈落に沈む、堅く冷たい箱の中に閉じ込めたはずだ。
ならばもう、そこに言葉は届かない。
俺が何を言ったところで、言葉を尽くしたところで、きっとエリーヌには届かない。
諦める辛さと痛みに屈した俺では、何を言っても白々しくなるだけ。
「――――帰りません!」
洞窟の中の冷たい空気を、少女の声が切り裂いた。
☆
それは、反射的なものだった。
何か深い考えがあるわけではない。ただ、自分の心が叫んでいたのだ。
ここで帰ってはいけない。ここで掴めなければきっとこの人は――――ずっと諦め続けてしまう。理屈ではなく、直感でそれを理解していた。
だから叫んだ。去り行く背中を引き留めるために。
「……シャル」
「あ…………」
アルフレッドは笑うだろうか。特に考えもなく、ただ反射的に叫んでしまった自分を。
「……言いたいことがあるんだろ?」
だけどその不安は、杞憂に終わる。
「だったら遠慮せず、言いたいこと全部言ってこい」
王子様は、前に進むための背中を押してくれた。
それだけで体が軽くなって、胸の中に温かいものが広がって。
「……はい」
今なら何でも、出来る気がした。
「――――っ……」
息を吸って。震える心を引き締めて。
「エリーヌさん。貴方は作るべきです。ネトスさんのことを大切に思っているのなら」
「言ったろ。あたしはあの子には敵わない。もう諦めたんだ。何もかも」
「だとしても作るべきです。貴方がするべきことは、その魔法石を土の下に眠らせておくことではありません。たとえ苦しくても、痛みを抱えても、前に進むことです」
「知ったような口をきくな!!」
洞窟の中に響く彼女の叫び声。
「そんなこと分かってる! 何度だって考えた! 実にご立派な正論の綺麗事さ! けどね、そんなこと口に出すだけなら簡単なんだ!」
それはどこか、泣き声のようにも聞こえた。
「魔法石を使った魔指輪の製作ってのは、やり直しがきかない。失敗したらそこで終わり。その瞬間に石は死ぬ。一度きりの一発勝負。そこらの石ならまだしも……これは、あの子の心臓なんだ! あの子の命なんだ!」
石を持つエリーヌの手が微かに震えている。いや。手だけじゃない。その全身が震えている。手の中の重みに、恐れているかのように。
「それを……あたしが? あたしが背負えって? ただ自惚れが過ぎただけのどうしようもない半端者に? ははっ……冗談だろ。出来ないよそんなの。出来るわけがない。こんな重いもんを……あたしみたいな紛い物が背負えるわけないだろ!」
「それでも背負うんです!」
叫んでいた。ここだけは否定させてはいけないと思った。
――――こうなることは分かってた……ママが死んで、わたしが一人ぼっちになった日から……だから、その時に決めたんだ……わたしが生きた証を残そうって……自分の納得のいく最高傑作を、作ろうって……。
少女の願いを、知ってしまったから。
「ネトスさんが自分の心臓を託したのは、エリーヌさんを信じたからです! たとえ自分が死んでも、貴方ならきっと自分の願いを未来にまで運んでくれると信じたからです!」
「そんな大層な物を……なんで、あたしに……あたしなんかに……」
「貴方の傍に居たかったからでしょう?」
「あたしの、傍に……?」
「自分の命が短いことを知っていたネトスさんが、悠久を生きるエリーヌさんの傍に居続けるためには、きっと……こうすることしか出来なかったんですよ」
エルフ族の寿命は人間とは比べ物にならない。
ましてや『石華病』を患っていたネトスはより短く、儚い。それは本人が一番よく分かっていたはずだ。
「たとえ命が尽きてしまっても……『願い』という形でなら、一緒に生き続けられるから」
「――――っ……!」
エリーヌはまるで引っ叩かれたような顔をして。
震える手の中にある重みを、改めて抱きしめた。
「……彼女が望んだのは、石を墓の下に眠らせて、後生大事に抱えることじゃない。ましてや貴方が立ち止まることでも、諦めることじゃないはずです。だけどエリーヌさんがしていることは、ただ願いを裏切っているだけだと思います。そんなのは―――彼女の命を殺しているのと同じです!」
裏切られる痛みも、怖さも、よく知っている。十分すぎるほど知っている。
だから目の前にいるエリーヌという女性に、彼と同じことをしてほしくないと思った。
「怖がっているのは、歩もうとしているからでしょう? 前に進もうとしているからでしょう? 本当に諦めていたら、怖がるはずないじゃないですか」
「…………」
「進みましょう。……いいえ。貴方は、進むべきなんです。怖くても、恐ろしくても、その願いという名の命は、貴方が背負うべきものなんです」
その石の重みをエリーヌは恐れている。前に進めないでいる。
当然だ。誰だって怖い。命は、荷としてはあまりにも重すぎるのだから。
それでも、進まなくてはならないのだ。恐怖に絡みつかれながら、一歩ずつでも、先へ。先へと。
――――失った人を、想うのなら。
「…………あたしは。やっぱり、怖い」
体の震えは止まらない。
「でも……なんでだろうね。今はこんなにも、嬉しい」
エリーヌは震える手で、託された願いを抱きしめる。
「……あっという間にあの子は死んだ。わけもわからないうちに死んだ。胸の中に穴が空いたみたいで。ずっとずっと、目の前が真っ暗になっちまったような、そんな気分だった。この石を殺しちまったら、あの子が本当に消えてしまうと……そう思うと、怖かった」
頬を涙が伝う。優しい雫が石に滴る。
「そうじゃなかったんだ……あの子はずっと傍に居たんだ。あたしの命に付き合って、ずっと生きてくれてたんだ……そんなことにも、全然気づかなかった……」
泣きじゃくりながら石を抱きしめてうずくまるエリーヌの姿は、小さな子供のように見えた。
「ありがとう……大切なことに、気づかせてくれて」
☆
シャルが紐解いた託されたもの。儚い一瞬の命が遺した願い。
諦めの奈落にいたエリーヌは、きっとここから歩き出していくのだろう。
一歩ずつ、ほんの一歩ずつ、前へと。
――――この借りは返すよ。必ずね。
彼女は近日中に、王都へと戻ることを約束した。
つまり当初の目的であるエリーヌを味方に引き入れることは見事に達成したのだ。
「…………す、すみません。出しゃばったことを」
それを成し遂げた当の本人は、馬車の中で我に返ったように縮こまっているが。
「何で謝ってんだ」
「いえ……だって、その。考えがあったわけじゃなくて、反射的に、つい口を挟んでしまっただけで……」
「いいんじゃないか。それで。少なくともあの場面で反射的に噛み付くなんてこと、俺には出来ない」
「噛み付っ……!?」
「確かにあれは見事な噛み付きっぷりでしたね。わんわん」
くすくすと笑うマキナだが、称賛が滲んでいることは俺には分かる。
俺にもマキナにも、ああは出来ない。あの場にシャルがいなかったらきっと、エリーヌは今も立ち止まっていたままだっただろう。一人の少女が託した願いにも気づかぬまま。
「うぅ~……恥ずかしいです。後悔はしてませんけど」
「あはは。そーいうシャル様、わたしは好きですよ。それに婚約者としては良いバランスじゃないですか? 心で感じたことを正面からぶつけることが出来るシャル様と、なかなか素直になれない捻くれたアル様。お似合いです」
「おい。ご主人様に対する評価が捻くれてるぞ」
「わたし的には褒めたつもりなんですけど?」
「褒めの定義を見直してこい」
「じゃあ、今回の功労者をもう少し素直に褒めてあげてもいいんじゃないですか?」
「素直にって……」
「大事ですよー。褒めることって。上に立つ者ならなおさら」
なまじ正論なだけに何も言い返せない。小癪なメイドめ。
「あー……シャル」
「は、はいっ」
「えっと……ありがとな。よくやった…あ、いや。ちょっと偉そうか。よくやってくれた? じゃなくてだな……」
改めて素直に褒めるって案外難しいな……上手い言い回しが思いつかない。
自分の中から出てくるものはやっぱり限界がある。誰か良いお手本がいないかな……。
――――よくやったな。アル。
ふと、思い浮かんだのは、昔のこと。俺がもっと小さかった時のこと。
優しいレオ兄の顔と、頭に乗せられた手の温もり。
「…………」
気づけば俺は、シャルの頭に手を乗せていた。
「助かった。ありがとう、シャル」
「あ…………」
過去に想いを馳せながら、優しく頭を撫でてやる。
「…………」
そしてすぐに、我に返った。
「………………………………悪い」
なんてことしてんだ俺は!?
「軽率だった。すまん。なんか……勝手に頭とか触って、悪かった」
「い、いえっ! 悪くなんてありません! むしろ、その…………もっと触っても、大丈夫です!」
モットサワッテモダイジョウブデス?
どうした俺の脳よ。耳に入ってきたセリフを正しく認識できていないぞ!
「シャル様。清楚な見た目の割に結構えっちですねぇ……」
「えぇっ!? そ、そそそそそそんなつもりは……!?」
「アル様的にはどうです? 婚約者が清楚でえっちな件について」
「……知らん! 寝る! おやすみ!」
これ以上この話題を突くのは危険だと判断した俺は、ひとまず寝るフリをすることにした。
盗賊だのなんだのと戦って今日はもう疲れていたのは事実ではあったし。
(……そういえば)
盗賊。そこで思い出したのは、荷台に積んでいるデオフィルたちのことだ。
あいつらは『イトエル山』で、魔法石が眠っていた洞窟を襲っていた。なぜだ?
あれじゃあまるで、最初から魔法石が眠っていたことを知っていたみたいじゃないか。
(……知ってたのか?)
思い返してみると、デオフィルはこう言っていた。
――――あ? 見りゃ分かんだろ、お宝を掘り当ててんだよ。つーか、テメェらこそなんだ?
お宝を掘り当てる。あれは洞窟の壁を破壊していたことを指していたのかと思っていたが……違う。あれは、土の下に眠っている魔法石を掘り起こすことを指していたんじゃないか?
だとすれば奴らは……エリーヌ以外知るはずのない魔法石の情報を、どこでどうやって知ったんだ?