第14話 似て非なる者
禁呪魔指輪より発せられるどす黒い闇のオーラが、どろりと溢れ出す。それはまるで傷口から漏れだす血のよう。
「気にくわねぇ……テメェの眼が気にくわねぇなァ!」
叫ぶ。吐き出す。黙ってあの少年と相対していればいるほど、苛立ちが募る。
漆黒のオーラを獣の爪が如く変形させ、左手に装備していた『強化付与』を全身に発動させたデオフィルは地面を蹴った。
この漆黒のオーラで形成された暗黒の爪は物理的な破壊力を有しているだけでなく、オーラに触れた場合は魔指輪を一つ破壊する。
故に相手がとる行動は――――、
「『火炎魔法球』!」
距離をとっての魔法攻撃。
デオフィルからすれば、もはや見飽きたといってもいい。誰もが同じような手をとり、そしてその全てをねじ伏せてきた。
同じように連続して放たれ、迫りくる火球を最小限の動きで躱していく。
この『誓砕牙』を使った戦闘の経験値は決して浅くない。いつ指輪に宿る悪魔に魂を喰われないかも分からない綱渡りの日々を過ごしてきたデオフィルにとって、距離を詰めるといった行為は最も得意とするところだ。
「まず一つ!」
黒闇の爪を前に突き出す。そうして黒髪の少年を捉えようとした刹那。
「『座標交換』」
少年の姿が消失。漆黒の爪は空を掠り、瞬きの間に少年は、ちょうど一歩分後ろに下がっていた。ギリギリでオーラが届かない範囲にだ。
「なっ……!?」
瞬間移動。呑気に虚を突かれ驚いている暇に、紅蓮の火球が生み出されている。
「『火炎魔法球』」
冷静な詠唱と共に紅蓮が迫る。
距離が近すぎる。これは――――、
(――――躱せねぇ!)
爆炎が、炸裂した。
「がはぁっ!?」
デオフィルの身体はくの字に折れ曲がって地面を転がっていく。
痛みを堪え、地面を転がる間に体勢をすぐさま整える。炎の熱が腹部を焼き、その痛みが飛びかけた意識を繋ぎ留めた。
(いつぶりだ……中距離魔法攻撃をマトモにくらったのは……)
最小限で躱し、接近し、仕留める。
禁呪魔指輪の制約をクリアしていく日々で得た胆力を活かしたこの戦い方を身に着けてからは、『魔法球』などまともに受けたことがなかった。
(このガキ……何者だ……!?)
目の前にいる少年が正体不明の何者か分からぬ恐怖が背筋に走る。
「おいガキ。テメェ、名前は」
「……アルフレッド」
「なに?」
「アルフレッド・バーグ・レイユエール」
その名前はデオフィルも耳にしたことがある。
レイユエール王国の第三王子は呪われた忌み子であると。王宮内や貴族はおろか民からも忌み嫌われている――――嫌われ王子。
剣と魔法の実力も、知力も、膂力も、何もかもが第一王子には遠く及ばない。
社交界に出れば場の空気を乱し、学園内においてもその悪逆非道な振る舞いから生徒たちから嫌われている。王家の汚点とまで囁かれていた、第三王子。
(偽者か……? いや、あんな王子の名を騙ったところで意味はねぇ。それにあの黒髪黒眼と……)
あの少年から感じる魔力。微かに見えた漆黒。
「本物か……」
噂通りの実力のない嫌われ王子なら、今の芸当など出来ない。
『座標交換』の設置技術。寸前まで漆黒の爪を惹きつけられる胆力。魔法の使い方。そのどれもが、凄まじい鍛錬の量を伺わせた離れ業だ。
「噂ってのはアテにならねぇもんだな!」
左手に装備している魔指輪を発動させる。アルフレッドもまた、同じく左手に装備していた魔指輪に魔力を込めていた。
「「――――『大地鎖縛』!!」」
両者同時に、魔法を発動。
奇しくもそれは同じ土属性の『大地鎖縛』同士だった。
互いの鎖が次々と飛び交い、激しくぶつかっていく。
「はははははっ! 気が合うなァ、おい!」
「お前みたいなのと気が合っても嬉しくねぇよ」
「そう言うなよ。仲良くしようぜ――――」
魔力を追加で込める。鎖が強靭になり、アルフレッドの鎖を徐々に打ち負かしていく。
「――――同類なんだからよぉ!」
鎖の嵐の隙間を縫うように、強化した身体で距離を詰める為に突撃する。対するアルフレッドは、傍に転がっていた刀を足で蹴り上げ、掴み取った。あれは確か、彼の背後で膝をついているエルフの女性が持っていたものだ。
デオフィルが漆黒の爪を振り下ろし、アルフレッドが刀を振るう。
爪と刃が激突し、拮抗する。オーラはギリギリのところで届かず、アルフレッドと視線が交差した。
「同類? 確かに素行は褒められたもんじゃないが、就職先に盗賊を選んだ覚えはないな」
「盗賊だとか、王子だとか、そんなつまらない肩書なんかじゃあない! もっと本質的なものだ! 俺たちの人生に根差している、運命的なものだ!」
アルフレッドのパワーが増し、強引に爪が打ち払われた。踏み止まろうとするも、大地を滑るように後退していく。その隙にもアルフレッドは、追撃の『火炎魔法球』を撃ち込んでくる。
「『加速付与』ッ!」
横っ飛びに、火球の連弾を躱す。『加速付与』は自身のスピードを上げるものの、動きが直線的になる。爪を突き立ててブレーキをかけ、そのまま地面を蹴り上げて一直線にアルフレッドへと接近していく。すぐに『加速付与』を解除。『強化付与』に切り替え、アルフレッドが迎撃とばかりに打ち込んでくる火球の連弾を躱していく。
「お前は呪われた生まれだ! そのせいで、諦めてきたものも多いんじゃねぇか!?」
アルフレッドの眼が微かに揺らぐ。それを見て確信した。彼もまた、自分も同じだと。
爪を振るう。アルフレッドもまた刃で受け止め、弾く。
「知ったような口をききやがって。何が同類だ、図々しいんだよ!」
「知っているさ! 俺も同じだからなァ!」
爪と刃の激しい攻防。数度撃ち合っただけで、アルフレッドが剣の扱いにも長けていることが伺えた。
「同じ? お前のその呪いは、ただの後付けだろうが!」
「この力を望んで使ったわけじゃない! 仕方がなかった! だから諦めて! 手放して! 気づけば俺は……全てを失っていた!」
デオフィルの人生は諦めの連続だった。
夢を諦め、冒険者を諦め、真っ当な道を諦め……そんな諦めの連続の果てが、今の指輪壊しだ。
闇の爪を振るう手の中には何もない。何も掴んではいない。空虚で、空っぽな手。諦めて、全てを棄てた者の手だ。
「お前だってそうだろう!? 王族に生まれながら、呪われた身となった! 望んでそうなったわけじゃないだろう!?」
爪を叩きつけ、叩きつけ、なおも叩きつけていく。
「『火炎魔法球』!」
アルフレッドがカウンターとばかりに火球を放つ。だが、先ほどのように不意をついたわけではない。躱すのはデオフィルにとってあまりにも容易。
最小限の動きで回避し、爪を振るう。オーラがアルフレッドの身体を掠め、魔指輪が砕け、破片となっていく。
空振りした火球は、そのままデオフィルの背後で爆発した。
「『大地防御壁』!」
咄嗟に展開された防御壁。息を整える間も許さず、暗黒の爪を振るい粉砕する。
「周りから理不尽に忌み嫌われてきたはずだ――――」
そして遂にアルフレッドの体勢が崩れた。
「――――得るはずだった栄光を、諦めてきたはずだ!」
その隙間にねじ込むようにして爪を振り上げ、刀を天高く弾き飛ばす。
「…………っ!」
オーラがアルフレッドの指を掠め、また魔指輪が一つ砕け散る。
アルフレッドの指からは既に『座標交換』、『火炎魔法球』、『火炎地雷』の魔指輪が破壊されていた。
「降伏しろ、アルフレッド。そして俺と共に来い」
膝をつくアルフレッドに対し、漆黒のオーラを突き付ける。
「……スカウトか? 随分とお優しいな」
「お前は同類だ。俺はお前の気持ちが分かる。そしてお前もまた、俺の気持ちが分かるはずだ……そうとも。俺たちは好きでこうなったわけじゃない。だが周りは理不尽に俺たちから全てを奪っていった」
オーラを変形させて殺傷力をゼロにし、アルフレッドの頬に包み込むように触れる。
魔指輪がまた一つ、砕け散った。
「俺は今日、お前という理解者と出会った。これは運命だ。俺たちから全てを奪っていきながら、のうのうと生きてる連中に対して復讐せよという――――運命なんだよ、アルフレッド」
アルフレッドの魔指輪に次々とヒビが入り、砕け散っていく。
そして――――彼の指から、魔指輪は失われた。
「さあ、俺の手を取れ。利口なお前なら……これから何をすべきか、分かるだろう?」
もはやアルフレッドは完全に無力だ。魔指輪なき人間は無防備にして無力。これまで何人もの人間を葬ってきたデオフィルだからこそ、それを理解していた。
彼にはこの手を取る選択肢しか残されてはいない。そうすることしか出来はしない。
「……魔指輪ってのは、あくまでも魔法を発動させるための道具だ」
されど。
アルフレッドの口から出てきたのは、同意でも肯定でもなく。
「発動した後の《コントロール》は術者本人が行わなければならない。……言い換えれば、発動した後の魔法の操作に、魔指輪は必要ないってことだ」
「……何を言っている?」
「故に。魔指輪が破壊されたとしても、破壊される前に発動した魔法が消えるわけじゃない。実際、さっき外れた火球も、魔指輪が破壊された後も残ってたしな」
「何を言っている……何が言いたい!?」
「ようするに――――」
アルフレッドは、不敵な笑みを浮かべる。
それはまさに勝利を確信したような。
「足元がお留守だぜ」
気づいた瞬間、デオフィルの視界が明滅する。
「がっ……!?」
一瞬の出来事。辛うじて理解したのは、地面から土の柱が生えて、デオフィルの顎を殴り飛ばしたということ。
「なに、が……起き……!?」
「さっきどさくさに紛れて設置しといた、ただの『大地魔法壁』だよ。そいつを時間差で発動させて、あんたの顔に当てただけだ」
暗黒の爪で粉砕した『大地魔法壁』。一つしかないと思っていたが、実際は二つ展開させ、片方を地面に仕込んでいたということ。更にはそれを魔力で制御し、時間差発動や形状変化をやってのけた。恐るべき魔力制御技術。
(ただの弱小王子を演じながら……周囲にこれほどの力を……隠していた……!? なぜ……!?)
だが、それよりも衝撃だったのは。
「『大地魔法壁』を……ただの、防御用コモンリングを……攻撃に使って……!?」
アルフレッドが使っていた『大地魔法壁』は一般的なコモンリング。
レア度は『誓砕牙』と比べるまでもない、最低クラス。
「あ……あがっ……ぐうっ……!?」
消えていく。意識が。暗闇に落ちていく。繋ぎ留められない。
「……あんたの言うことも、分からないわけじゃない」
アルフレッドの声が、徐々に遠のいていく。
「俺だって諦めてた。ずっと諦めてばかりだった。自分に与えられた役割が、一つしかないと思ってた」
禁呪魔指輪の制約。こうしている間にも魔力が徐々に減っていく。掴んでいた意識も、手から零れ落ちていく。
「……けど、今は違う。裏切られても諦めずに進もうとしてるやつがいる。他の役割を示してくれたやつがいる。だから俺も……諦めずに頑張ってみることにしたんだ」
薄れゆく意識の中。
最後に見たアルフレッドの瞳には、やはり光が灯っていた。
「俺とお前は、同じじゃない」