第八話
あの安藤と阿部に自宅に押しかけられて以降、然先生との仲をより縮めた俺の家にはいつも帰ると素敵な笑顔が溢れていた。
「ただいま」
「お帰りなさい、優兄ちゃん」
「お帰りなさい、優風さん、どうしますか?先にお風呂にしますか?それともお食事にしますか?」
俺はこの言葉をもう何回も聞いていたが、今日はまたしみじみと幸せを感じて涙が零れてしまった。
「優風さん、どうしたんですか?ごめんなさい、私、何か悪いことを・・・」
そして俺は先生を思わず抱きしめてしまった。
「恵さん、いつもありがとう。ごめん、恵さんは何も悪くないよ。恵さんの言葉に癒されてしまって、幸せすぎて。あ!ごめんなさい、俺としたことが」
「あ、いえ、そうだったんですか。いきなり優風さんの目から涙が、びっくりしました」
「何か、瑠々の笑顔が家にあるだけでも幸せだったのに、帰ってくるとさらに恵さんの暖かい笑顔まで一緒に迎えてくれるから。俺、こんなに幸せでいいのかなって」
「私こそ、高校を卒業してからずっと一人で生きてきたから、瑠々ちゃんや優風さんと一緒に過ごす時間、こんなに楽しい時間は初めてです。それに瑠々ちゃんと一緒に愛する人の帰りを待つことがこんなに幸せだなんて。私がお礼を言いたいです」
「ああ、もう優兄ちゃん、玄関開けっ放しで寒いよ。早くお風呂に入ろうよ」
「そうか、ごめん。それじゃあ、恵さん、先に瑠々とお風呂に入ってきます」
「はい、私はご飯の準備しておきますね」
「あー、さっぱりした」
「恵先生、お腹空いた」
「はい、どうぞ、座って下さい。今、注いできますね」
「わあ、恵さん、カレーですか?初めてですね」
「今日はカレーとサラダです。何か手抜き料理でごめんなさい」
「何で謝るんですか。最高ですよ。だってカレーは家庭料理の定番中の定番じゃないですか。俺、カレー大好きですよ」
「はい、どうぞ」
「うわあ、それも俺の一番好きなカツカレーじゃないですか。恵さんは何でこんなに俺の好みが分かるんですか。メッチャテンション上がるな」
「もう、優兄ちゃんは声が大き過ぎるよ。耳が痛いよ」
「あ、ごめん、瑠々。恵さん、いただいてもいいですか?」
「どうぞ、お口に合うといいですけど」
「いただきまーす。んーー、美味い。恵さんのカレー、最高ですよ」
「本当だね、優兄ちゃん、恵先生のカレー、美味しいね。恵先生、美味しい、とっても美味しいよ」
「ありがとう、瑠々ちゃん。優風さんもありがとうございます。二人にそう言ってもらえてホッとしました」
「ああ、俺はもうダメだ。恵さんの料理はとにかく最高だし、それに加えて瑠々と恵さんの笑顔も最高のスパイスになってもっと料理が美味しく感じるよ。今まで一人で寂しく食べてたからな。瑠々と恵さんが来てくれて家族団欒てこんなにいいもんだなって改めて思いました」
「私の方こそ、そんな想いでいっぱいです」
「私も凄く楽しいよ。パパとママは死んじゃったけど、寂しくない。優兄ちゃんと恵先生がいっぱい愛してくれるから」
そしていつもの自宅に帰ってからの楽しい時間はあっという間に過ぎて、先生の帰る時間になった。
「恵さん、今日もありがとうございました。明日は土曜日です。平日は毎日、こちらに来て頂いてるので、土曜日と日曜日はゆっくり休んで下さいね」
「優兄ちゃん、明日は恵先生、来ないの?」
「当たり前だろ、そんな毎日毎日、恵先生に迷惑だろ。保育園のお仕事の後に、毎日、俺と瑠々の御世話までお願いしてるんだ。恵先生だってお休みが必要なんだよ」
「はーい、そうだよね。わがままばかり言ってちゃダメだよね」
「優風さん、私は全然迷惑だなんて思ってないですよ。それに、明日も明後日も・・・。いえ、土日くらいは瑠々ちゃんとお二人がいいですよね。私がいたらご迷惑ですよね」
「いえ、そんなことは。恵さんが毎日来てくれるなら、俺もこんなに嬉しいことはないです。でも毎日ここに来るのが大変じゃないですか」
「大丈夫です。お邪魔じゃなければ明日も、いいですか?」
「ありがとうございます」
「やったー、恵先生、明日も来てくれるの?」
「うん、優風さんのOKも出たから、明日も来るね」
「じゃあ、明日は恵先生にお願いしたいことがあるの」
「何?」
「私ね、恵先生にお料理教えてもらいたい。私も恵先生みたいにお料理上手になってね、優兄ちゃんに食べさせてあげたい。それに私がお料理上手になったら、恵先生も優兄ちゃんと二人でゆっくりできる時間も増えるでしょ」
俺と先生は瑠々にそう言われて見つめ合った。
「あ、ああ」
「本当に瑠々ちゃんは。ありがとう。よし、それなら明日は一緒に晩御飯作ろうね」
「うん、でもいつも恵先生、夜帰っちゃうから寂しいな。恵先生も一緒にここに住めばいいのにな」
「な、何言ってるんだ、瑠々。まだ、恵先生と俺はお付き合いを始めたばかりだぞ」
「だって、そうなったら恵先生といつも一緒にいられるし。それにお部屋も一つ空いてるでしょ、優兄ちゃん」
「ああ、まあ、部屋は確かにあるけどね」
「それに恵先生もここに一緒に住めば、家賃だって払わなくて済むでしょ。その分、自分のために使えるじゃない」
「ハハハ、瑠々、何て考え方なんだよ、まだ五歳なのに」
「本当に、瑠々ちゃんは考え方が大人びてるわ」
「でも確かに瑠々の考え方も的を得てるな。恵さんもここに住めば家賃は必要なくなるからな」
「いえ、例えここに住んでもそんなことは。だって優風さん、ここのローンは払ってますよね」
「それは考えなくていいですよ恵さん。今までだって俺一人で払えてきてますから。よし、瑠々、恵先生に一度、考えてもらおう。そう言うことで、恵さん、もし嫌じゃなければ考えてもらえませんか?もちろん、今、空いてる部屋、ドアに鍵は付いてないですが、恵さんが来てくれるなら付けます。プライベートはしっかり確保しますから」
「あ、はい、ありがとうございます。いろいろ考えて頂いて。瑠々ちゃん、ありがとうね。それでは優風さん、また明日、お買い物してから午後一時くらいにお邪魔します」
「はい、恵さん、気を付けて。おやすみなさい」
そしてその夜、先生は自宅に帰っていった。
自宅のコーポに戻った恵はシャワーを浴びて、すぐにベッドに入った。
「はあ、今日も楽しかった。優風さんも私のカレー、喜んでくれたみたいだったし。さあ、明日は瑠々ちゃんと一緒にお料理だから、何を教えてあげようかな」
そんな明日のことを考えながら恵は眠りに就いた。
翌朝、恵の家のインターホンが8時頃鳴った。いつもだと土日のこんな時間に鳴ったインターホンには警戒して出ないのに、最近の自分の幸福感に気が緩んでいた上に少し寝ぼけていた恵は、こんな時間に来るはずのない宅配便という言葉にドアを開けてしまった。
「はい」
「どうも、宅配便です」
「はい、今開けます」
開けた途端、いきなり四十過ぎくらいの中年と、それよりもう少し若く見える男性が、一人は恵の首筋にナイフを突きつけ、もう一人が恵を羽交い絞めにして口を手で塞いで押し入ってきた。
「静かにしろよ、大声を出すな。言う通りにしないと殺すぞ。ほら、中に入れ」
恵はベッドの脚に後ろ手に縛られた。
「いやあ、離して。あなた達誰なの?いやあ、何でこんなことするの?」
「うるさいよ、恵ちゃん、静かにしようね。大声を出さないようにって言ったでしょ。ほら、静かにしてないと、刺しちゃうよ」
そう言って恵の家に押し入った犯人は恵の頬をナイフで叩きながら恵を脅した。
「いや、止めて、お願い。何で、何で私の名前を知ってるの?」
「そんなの当たり前だよ。君の出すゴミのチェックもしているし、いつも君が仕事から家に帰ってきてから、この家にいるときは君を見守っていたし、それに君の家での独り言も聞いてたからね。挨拶が遅れたね、初めまして、然恵ちゃん」
「俺もよろしくね、恵ちゃん」
「いやあ、どういうこと?まさか!あなた達、私のことを、ここで盗聴してたの?」
「そうだよ、ずばり正解。君に変な虫がつかないように家にいるときは、ずっと見守ってあげてるんだよ。君が家にいるときは常に僕たちが監視してあげてるんだよ」
「いや、変態。あなたたち、ストーカーなのね。離して、やめて、こんなことして、あなたたちが変な虫じゃないの」
この言葉に若い方の男性が恵の頬を張った。
「黙れ、誰が変な虫だって。俺たちがこんなに恵ちゃんのことを想って頑張ってあげてるのに」
「い、痛い、な、何が私のことを想ってよ。私はこんなことお願いしてないし、頑張ってあげてるって。押し付けがましいのよ。気持ち悪いのよ」
そして若い方の犯人は恵に罵られて、完全にキレて恵の頬を数十回殴った。
「うるさい、うるさい、うるさい、そんなこと言うな、君らしくないよ、そんな言葉を言うのは。もっといつものような優しい話し方を俺にもしてくれよ、ね、恵ちゃん」
恵の頬は若い犯人に殴られ真っ赤に腫れあがった。そして更に年上と見られる犯人の方も恵の言葉に何も感じてないような雰囲気で話しかけたが、その無表情のまま、恵の来ていたスウェットの上の裾にナイフを引っ掻け、裾の部分を少しだけ切り裂いた。
「あーあ、恵ちゃん、こいつを怒らせちゃダメじゃないか。お前もやり過ぎだぞ。恵ちゃんの可愛い顔が、酷いことになっちゃったじゃないか。でももっといけないのは恵ちゃんだよ。君が酷いことを言うから。僕も怒ってるんだよ。よし、これから夜までここで一緒に過ごそうね。その後で、僕たちの家に連れてってあげるからね。その間にまた僕たちを怒らせるようなことを言ったら、ほら、こんな風に、どんどん、恵ちゃんの服が切れていくからね」
「いやあーー、やめてーー。ああん、嫌だ、助けて、優風さん、怖いよ」
恵は殴られて口の中が切れた口元から血を流しながら俺の名前を呼んだ。
「ああ、誰だよ、優風って?まさか、最近、いつも帰りが遅いなと思ってたけど、恵ちゃん、外に彼氏を作ってきたのか?」
そう言うと中年の犯人は今まで無表情だった顔が険しくなり、赤く腫れ上がった頬を更に張った。
「おい、恵。俺たちという君に愛情を注ぎ続ける男がいるのに、何てふしだらな女だ。いつからそんな女になったんだ。よし、今日の夜は俺達の家でそのいけない考え方を正してあげるからね」
「嫌だ、あーん、助けて優風さん、痛いよ、怖いよ」
「くそ、またその名前か。無性に腹が立つ、その名前を聞くと。静かにしろ」
恵は口をガムテープで塞がれた。
「んーーー、んーーー」
犯人は冷蔵庫を物色し始めた。
「おお、兄貴、美味しそうなカレーがあるよ。多分、恵ちゃんのお手製だよ。ねえ、まだ夜まで時間があるからお腹空いたし食べようよ」
「お、本当だ、美味しそうだな。よし、ちょっと早い昼ご飯にしよう」
土曜日、俺は瑠々と朝、七時半くらいに起きて、早速、昨日、恵が作ってくれたカレーを食べてから、瑠々と少しの間、テレビを見ていた。
「瑠々、さすがに朝からカレーはちょっと重かったか?」
「ううん、大丈夫。だって恵先生のカレー美味しいもん。食べて元気元気」
「そうだな、俺も重いかなと思ったけど、サラダも残しておいてくれたから、結構さっぱりと食べられたな。本当に恵さんは気が利く素敵な人だ」
「本当に優兄ちゃんも、恵先生のこと大好きになっちゃったね」
「ああ、あんな素敵な人、中々見つけられるもんじゃない。これも瑠々が俺の家に来てくれたおかげだよ。ありがとうな瑠々」
「そんな、私こそ優兄ちゃんに感謝してるよ。大好き、優兄ちゃん」
「そうか、瑠々がそう言ってくれると俺も幸せだ。よし、朝ご飯も食べたし、少し休憩だ。恵さんが来たら瑠々は料理教えてもらうんだろ。それまでは休憩だな。ゆっくりテレビでも見ていようか」
「うん、恵先生が来たら忙しくなるもんね。でも楽しみだな。恵先生みたいにお料理できたら素敵だよね、優兄ちゃん」
「ああ、間違いないな」
俺と瑠々はくつろぎながらお昼過ぎに軽くラーメンを食べて一時が過ぎた。しかし、恵は現れなかった。
「あれ?恵さん、どうしたのかな?いつも時間は守る人なのに?何かあったのかな?」
その時、インターホンが鳴った。
「あ!優兄ちゃん、恵先生来たんじゃない?」
「おお、そうみたいだな」
しかし、それは恵じゃなく、安藤と阿部だった。
「どうも、優風、また来ちゃった」
「何だよ、安藤と阿部か」
玄関を開けて、安藤と阿部が入ってきた。
「優風、何だよとは何だよ。俺たちでがっかりするんじゃねーよ。なあ、ちょっと金欠なんだよ。晩飯ご馳走してくれよ」
「ああ、安藤のお兄ちゃんと理香お姉ちゃん」
「こんにちは、瑠々ちゃん」
「遊びにきたよ」
「わーい、あ、でもね。今日はね、お兄ちゃんとお姉ちゃんの相手はしてられないかも。私ね、今日ね、恵先生にお料理教えてもらうの」
「参ったな、まるで俺達が年下みたいじゃねーか」
「本当ね」
「そうだ、私と恵先生で晩御飯作るからお兄ちゃんとお姉ちゃんも味見してくれる?」
「おお、瑠々、それはいいな。毒見だな毒見」
瑠々は俺の言葉に怪訝な表情を見せ、俺の脚を蹴とばした。
「痛!な、何だよ瑠々」
「もう、優兄ちゃん、毒見って何よ。いくらなんでも失礼じゃない?」
「あ、ご、ごめん、この通り」
「よし、許してあげる」
「アハハハ、優風も瑠々ちゃんには形無しだな」
「う、うるさいな。ああ、でもちょうどいいや。安藤と阿部、瑠々のこと少しの間、面倒見ておいてくれるか。恵さんが一時頃ここに来るって言って、まだ来ないんだ。恵さんはいつもは時間は必ず守る人なのに、何の連絡もなしに約束の時間に来ないなんて、何か心配なんだ。俺、ちょっと恵さんの家に行ってきたいんだ」
「ああ、別にいいよ」
「瑠々、ちょっと恵先生のこと、心配だから迎えに行ってくる。だから、安藤と阿部と一緒に待っててくれる?」
「うん、お留守番してるから、恵先生のところ、行ってきていいよ」
「安藤、阿部、もし、俺とすれ違いで恵さんが来たら、俺の携帯に連絡くれるように言ってくれ」
「分かった」
「じゃあ、行ってくるよ」
俺はそう言って、一人で恵の自宅に向かった。
「ああ、美味しかった。思ったとおりだ。恵ちゃんは料理が上手いんだね」
「よし、今日からは俺達が面倒みてあげるから、君は俺たちのために美味しい料理を作ってね。ああ、何か楽しみだな。夢が膨らむよ」
インターホンが鳴った。
「誰だ?」
「しー、静かにしてろ」
「いないのかな?恵さん、俺です。樹神です、優風です。もう出かけちゃってるのかな?」
恵の家に押し入ったストーカーは少し間抜けだった。押し入ったのは良かったが、玄関の鍵をかけ忘れていた。
「あれ?鍵が開いてる。恵さん、ごめんなさい、失礼します」
俺は靴を脱いで恵の家に上がった。そしてベッドの横に縛り付けられて口をガムテープで塞がれた恵を発見した。
「め、恵さん、どうしたんですか?」
俺は恵に駆け寄り、手を縛ったロープと口のガムテープを外した。
「ああ、優風さん」
「恵さん、もう大丈夫だから」
俺は恵をしっかり抱きしめた。すると背後から声がした。
「そこまでだ。おい、恵ちゃんを離してこっちを向け。ゆっくりだぞ」
俺はその声を聞き、すぐに恵にこんな酷い仕打ちをした犯人だと悟った。その時、俺の感情はあの瑠々の両親を死に追いやった放火犯に抱いた以上の怒りが込み上げていた。そして、俺の心の中で怒りの感情を縛りつけていた鎖が音を立てて弾け飛んだ。俺はゆっくりと振り返り、犯人達に正対した。
「お前たちか、俺の一番大切な、愛する女性にこんな酷いことをしたのは」
「何だ、お前、そうか、お前、玄関で言ってたな。お前か、恵ちゃんを誑かした男は。俺たちの恵ちゃんを悪い女にしたのは」
そう言う、若い方の犯人を俺は片手で首を掴んで壁に押し付けた。
「ううっ、な、何をする、やめろ、く、苦しい」
「恵さんの顔をこんなにしたのはテメーか」
その時、俺が壁に押し付けた犯人を殴ろうと拳を握りしめた左肩に鋭い痛みが走った。
「あーあ、刺しちゃったよ。お前がいけないんだよ。いきなり俺達に刃向うから。どうだ痛い?」
俺は首を絞めていた右手を外し、中年の犯人が俺の左肩に刺したナイフを握ったままの手を右手で握った。
「だから何だ。これがどうした」
「う、嘘だろ、お前痛くないのか?」
俺は中年犯人の手をナイフから引き剥がし、左肩にナイフが刺さったまま、その左拳で思い切り中年犯人をぶん殴った。中年犯人は吹き飛び、壁際に倒れていた若い方の犯人にぶつかって倒れた。
「こんなもん、何だ。恵さんが受けた痛み、恐怖と比べたら痒くもないわ。お前ら、俺の大切な宝物にこんなことして、どうなるか分かってるか。分かる訳ないか。生きてここから帰れると思うなよ。二人とも殺してやるよ」
俺はそう捨て台詞を吐いて、左肩のナイフを引き抜き、中年犯人の胸倉を掴んで、引き抜いたナイフで中年犯人の服だけを差して壁に貼り付けた。若い方の犯人は完全に俺にビビって逃げようとしたが、蹴り飛ばした。若造は流し台に激突して大人しくなった。
「お前、何、一人で逃げようとしてるんだ。大人しく、そこで座ってろ」
「ううっ、や、やめてくれ。助けてくれ」
「うるさい、黙ってろ。よし、変態おやじ、まずはお前からだ」
そう言って俺はあの放火犯に見舞ったあの力を使った。本当に自分のことかどうかも分からなかったが、何となく自分の力だと信じていた。俺は左手を振った。あの時と同じように空気を切り裂く音が聞こえた。ピチッ。次の瞬間、壁に貼り付けた中年の右肩が服と一緒に切れ、中年犯人の悲鳴とともに血が噴き出した。
「ぎゃあああ、い、痛い。た、助けてくれ、やめてくれ」
「止めてくれじゃないだろ。お前たちに恵さんは何回その言葉を言った。どうなんだ、その時にお前たちは恵さんのお願いを聞いたか。聞く訳ないよな。恵さんの顔をこんなになるまで殴ったんだからな。お前らにも恵さんが受けた以上の痛みを与えてから殺してやる」
俺は恵を傷つけられて完全に自分を見失っていた。
「さあ、次は左だ」
「や、やめてくれ、た、頼む、や、やめてくれーーー」
俺が再び左手を振ろうとした時、後ろから恵が俺に抱き着いた。
「優風さん、もういいです。お願い、もうやめて下さい。それ以上やったら、本当に死んじゃう。優風さんが人殺しになっちゃう。そんなことになったら、私も瑠々ちゃんもどうしたらいいんですか?お願いだからやめて」
俺は恵のその言葉でハッと我に返った。そして恵の方を振り返り、恵の怪我の状態を確認した。
「ごめん、恵さん。そうだね、これ以上はダメだね。俺、恵さんがこんなに傷つけられて完全に心の中が怒りでいっぱいになって。恵さん、ごめんよ、もっと早くここに来てたら、こんなことになってなかったのに。口の中切ってるんだね」
俺は恵の口元の血を指で拭った。
「怖かったよ、優風さん」
「くそ、ダメだ。恵さんのこんな顔見てたらまた怒りが込み上げてきた。おい、お前ら、そこでじっとしてろよ。今、警察呼ぶからな、逃げようとなんてしてみろ。今度こそ本当に切り刻むからな。今回は恵さんの優しさに免じてこれで許してやる。お前らも捻じ曲がった愛情だけど恵さんに惚れたんだろ。だったら覚えておけ。こういう素敵な女性を射止めたかったらな、自分の一方的な愛情を押し付けるな。恵さんのような容姿も性格も美しい女性はな、男が守るために存在してるんだ。分かったか。牢屋の中で自分の生き方を見つめ直してこい」
その後、俺は警察を呼び、恵に付きまとっていたストーカー二人は逮捕された。
「恵さん、ごめん、俺、やり過ぎたね。あなたの部屋をこんなに血で汚してしまった。でももうここに住むことないからいいよね。恵さん、うちで一緒に暮らそう。いや、俺と一緒に暮らして下さい。やっぱり、恵さんみたいな素敵な女性の一人暮らしは危険だよ。また恵さんにあんな奴らがいつ目を付けるか分からない。心配だよ。俺のお願い聞いてくれるかな」
「ありがとうございます、あれ、ごめんなさい、手が震えてる、どうしたんだろう」
俺は恵の両手を握った。
「恵さん、大丈夫だよ、これからは僕があなたをお守りします。二度とこんな怖い思いさせないから」
そして俺は恵をしっかりと抱きしめた。恵は俺の胸の中で泣き崩れた。
「優風さん、怖かった、グスン。私、犯人に殴られて痛くて、怖くて、どうしようもなくて、優風さんの名前を必死に呼んでました」
「そう、ありがとう。僕のことを。良かった、無事で良かった。いや、無事じゃないな。恵さんの可愛い顔を傷つけてしまったから。さあ、恵さん、病院に行きましょう」
恵は俺から離れると自分の手に大量の血が付いてるのに気付いた。
「ええ!何、この血、ああ、そうだ、優風さん、左肩、ナイフで」
「あ、そうか、俺、そう言えば、刺されたんだった。忘れてた」
俺はそう気づくと意識を失った。目を覚ますとそこは病院のベッドの上だった。そして翌日の日曜日の朝になっていた。
「優兄ちゃん。ねえ、恵先生、安藤のお兄ちゃん、理香お姉ちゃん、起きたよ。優兄ちゃん、目を覚ましたよ」
「優風さん、良かった。もう、私、死んじゃうと思って。だってあの時、いきなり倒れてしまったから。危なかったんですよ、出血多量で。でも私がいけないんだ。優風さんが刺されたことを忘れてたから」
「そうですか、俺、倒れちゃったのか。恵さん、顔の方は大分腫れが引いたみたいですね、良かった。お体の方は大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です。顔も一日経って、今、優風さんが言ったとおり腫れもかなり引きましたし、他は何ともありません」
俺は恵の頬を摩りながら自分のホッとした気持ちを吐き出した。
「良かった。俺の大切な宝物に傷がつかなくて。ほっとしました。ごめんな、瑠々、せっかく昨日、恵さんに料理を教えてもらう予定だったのに、俺が日曜日の朝までこんなことに」
「いえ、優風さん、それは私のせいだから」
「いえ、これは俺が恵さんの危険をすぐに察知できなかったから」
「もう、優風、あんたはどこまでお人よしなんだよ。これはどっちも悪くないの。全部、こんな事件を起こした犯人が悪いの。もうこれからは恵ちゃんも一緒に優風の家で住むんだろ。それならこれからいくらでも時間があるんだから、瑠々ちゃんと料理もすぐにできるだろ。本当に恵ちゃんと優風は似たもの同士というか、お互い気を遣い過ぎなんだよ。もう俺達は帰るからな。優風、今度こそ、晩御飯、ご馳走してくれよな。ああ、優風にじゃないか、恵ちゃん、宜しくね。よし、理香、行こうぜ」
「ありがとう、安藤、阿部」
そして俺はこの事件をキッカケに、恵と瑠々と三人での暮らしを始めた。
私を庇って大怪我をした光星が退院して一週間後、光星もやっと会社に出勤した。
「おはようございます。所長、みなさん」
「おう、待ってたよ、金愛くん。本当に今回は私が企画したイベントのせいで、君を危険な目に遭わせてしまって。この通り、私は頭を下げるしかできない。これでも君が納得できない・・」
「所長、もう止めてください。あの事故は所長とは全く関係のないことですから。全くの偶然ですから。それにほら、陽向が無事だったから、俺はもうそれだけで十分ホッとしてますし、皆さんには三週間もご迷惑かけましたけど、こうして仕事に復帰できました。所長、みなさん、また今日から宜しくお願いします」
光星は普通に歩けるようにはなったが、まだ、肋骨の骨折と肺の損傷した部分がまだ完治してなかったので、息苦しそうだった。
「はあ、はあ」
「光ちゃん、大丈夫?」
「ああ、はあ、大丈夫。少し、長く話すと苦しさが残るんだ。でも少し休めば本当に大丈夫だから。ふうーー。よし、営業に行ってくるかな?」
私はまだ一人で光星を営業に行かせるのは心配だったので、所長にお願いした。
「あの、所長、お願いがあるんですが」
「何ですか?光太さん」
「まだ、光ちゃん、あ、いえ、金愛さん一人で営業は辛そうなので、私も付き添いで同行させて頂けませんか?」
「ちょっと、陽向。何言ってるんだよ。君は別の仕事があるだろ。そんなこと」
「いや、光太さん、宜しく頼む」
「所長、一人で大丈夫ですよ」
「いや、まだ、完治してないんだろ。もし、外回りの途中で倒れたりしたら大変だ。それに光太さんの気持ちを考えるとな。ここに残って仕事をしてても君のことが気になって集中できないだろうから、ね、光太さん」
「はい、すいません、所長」
「光太さん、金愛くんのこと、宜しく頼むよ」
「はい、よし、光ちゃん、行こう」
「おい、陽向、俺の呼び方、デートに行くんじゃないんだから」
「あ!ごめんなさい。皆さん、金愛さんと外回りに行ってきます」
「気を付けて。でも光太さん、嬉しそうだね。おい、光ちゃん、あまり無理するなよ」
「ああ、また三井さん、止めて下さいよね。俺の呼ばれ方をいじって」
「はいはい、いいよ。お二人さん、本業を忘れないで楽しんできて」
「もう、三井さんも皆さんも、そんな目で。まるで・・・ああ、もういいや。行ってきます」
そして私は光星に同行して初めて営業の仕事に出かけた。
「陽向、付いて来なくて良かったのに。本当に一人で大丈夫だったのに」
「だって、心配だったから。それにさっきも苦しそうだったでしょ。あんな光ちゃんを見てたら、光ちゃんがもし一人で出かけた後、営業所の中で仕事してても気が気でなかったと思うの」
「分かったよ。ありがとう」
「だから、無理しちゃダメだよ。疲れたらすぐに私に言ってよ」
「分かったわかった。陽向は心配性だな」
「ああ、今、光ちゃん、私のこと煙たいと思ったでしょ」
「陽向、何言ってるんだよ。そんなこと思ってないよ。ゴホッ、う、痛ててて」
「大丈夫、光ちゃん。ごめんなさい、ちょっと私、言い過ぎた。少し、あそこに座って休もう」
「ごめんな、やっぱり一人じゃ、苦しかったね」
そしてこの日の夕方、光星が大阪に来て初めて契約した会社に挨拶に来ていた。
「いやあ、久しぶりだね、金愛さん」
「どうも、ご無沙汰してました、社長」
「今回は本当に大変だったね。心配してたんだよ、金愛さん」
「申し訳ありません、ご心配していただいてありがとうございました。これからまた、しっかりいろんなご要望に対応させて頂きますので、これからも宜しくお願いします。今日はとりあえず久し振りだったので、ご挨拶だけでもと思いまして」
「そうですか。でもまだ怪我の方、完治してないんだろ。それなのにありがとう。ご苦労様。それで、金愛さん、こちらの女性は?」
「あ、ええ、こちらは、ちょっと私も一人での外回りは不安でしたので、付き添いで同行してもらいました。本来は営業所で事務をしてます」
「どうも、初めまして、光太陽向です。宜しくお願いします」
「ほお、これはこれは、とてもお美しい。事務の女性がわざわざ付き添いで?ということはまさか!金愛さん、もしかして?あ、いや、申し訳ない。今時はこんなことがセクハラととられちゃうから。光太さん、失礼しました」
「いえ、いいです。実際に社長さんのご想像のとおり、金愛さんとお付き合いしてます」
「そうですか、やっぱり。失礼だとは思ったんですけど、仕事柄、雰囲気から人物チェックをすることが癖になってるから、光太さんのことも何となく横目で見てたんですよ。光太さんの目がどうしても同僚として心配しているような感じには見えなくて。何か女性として心配している感じで、優しくて神々しさすら感じてしまったから。いいね金愛さん、お似合いですよ」
「すいません。ありがとうございます。それでは社長、失礼します」
私は光星と営業所に戻り、そして今日は私の家に一緒に帰った。
「ただいま、お母さん、お爺」
「お邪魔します」
「おかえり、陽向、光星さん」
「すいません、また、今日もお世話になります」
「おお、お帰り、光星くん、陽向。さあ、光星くん、久しぶりの仕事だったからお腹が空いただろ。ほら、お酒も準備してあるから、復帰祝いだ、飲むぞ」
「ありがとうございます、お爺様」
「さあさあ、早く」
祖父と光星は二人でリビングの方に行ってしまった。
「お母さん、何かお爺と光ちゃん、あの事故以来、凄く仲良くなったね。今まで私の心配ばかりしてたのに、この通り、私のことなんかほったらかし」
「何?陽向、光星さんに妬いてるの?」
「だって」
「いいじゃない。それだけ安心してるってことよ。もう陽向のことは光星さんに任せておけば心配ないって思ってるのよ。あの事故の光星さんの行動、それに、うちと金愛さんところの祖先との関わりもあるから。運命的なことも感じちゃってるんじゃない?」
「そうか、なるほど」
私は母に言われたとおり、少し祖父と光星の親密さに妬いている部分もあったけど、その反面、祖父も母も光星を完全に信用してくれている。それが凄く幸せを感じていた。
この日、私は夕食後、光星を自分の部屋に案内した。
「あーー、美味しかった。やっぱりお母さんの料理は何でも美味しいですね。それにお爺様がいつも美味しいお酒を飲ませてくれますから。もういつもここに来ると僕の胃袋が最高に喜んでます」
「そう、光星さんに褒められると私も嬉しいわ」
「光星くん、また、美味い酒、準備しておくからな。いつでも来なさい。明日でもいいぞ」
「ありがとうございます」
「もう、何よ、お母さんとお爺ばかり持ち上げて。どうせ私の料理は美味しくないですよ」
「ひ・な・た。何も俺、そんなこと言ってないだろ。お爺様とお母さんを褒めて何で陽向が膨れるんだよ。ごめん、俺の言葉で何か気に障ったことがあるなら謝るから、この通り。陽向」
私は光星が好き過ぎて、祖父と母の光星との仲の良さを嬉しく感じていたと言ったけど、この嫉妬心も自然に湧き上がってきて、自分でもどうしようもなかった。
「いや、私こそ、ごめんね光ちゃん。私、どうしちゃったんだろう。ふうーーー、よし。そうだ、ねえ、光ちゃん、ちょっといい?大事な話があるから、私の部屋に来て」
「ああ、うん、いいけど」
「陽向、また、光星くんと変なことするんじゃないぞ」
「な、何言ってるのよ、お爺は。変なことって何よ。まだ、そんなこと一度もしてないでしょ」
「じょ、冗談だよ。なあ、光星くん、私は君を信じてるからな」
「あ、も、もちろんです」
「何だ、光星くん、何でそこで言葉に詰まるんだ?まさか!」
「もういい。行こう光ちゃん。あんないやらしいことしか考えられないお爺なんか放っておこ」
「な、何だと、おい、陽向」
私は光星と部屋に入った。
「な、何?陽向、話って?」
「うん、実はね、あの、光ちゃんが退院した日、お爺から祖先の話、聞いたでしょ」
「ああ」
「それで、私、今まで話せなくてずっとお爺に辛い思いをさせてきたと思ってるの。それが本当に申し訳なくて。それでね、あの日、お爺が、私と光ちゃん以外の七曜国当主の子孫がどうなってるかも確認できたら嬉しいな、なんてこと言ってたの覚えてる?」
「う、うん、もちろん、覚えてるよ。それが自分の目で確認できたら幸せだなって言ってたよね」
「そうそう、だからね、私、お爺のために探してあげようと思って。その他の七曜国の人のことを」
「そ、そう、そうなんだ」
「あれ?何、光ちゃん、私、この話したらもっと驚くと思ったのに。だからね、どうやって探すか一緒に考えてもらおうと思って。ね、協力してくれるでしょ」
「ハハハ」
「な、何で笑うの。ひ、酷いよ、光ちゃん」
「ごめん、いや、やっぱり陽向だなと思ってね」
そう言うと光星は私を抱きしめた。
「ちょっと、光ちゃん、何?ダメだよ。こんなところお爺に見られたら、また殴られちゃうよ」
「いいんだ。本当に陽向は優しいな。お爺様もきっと喜ぶよ」
「光ちゃん、だから、どういうこと?何を言ってるのか意味が分からない」
「うん、もちろん協力するよ。というかもう行動に移しちゃってるけどね。嬉しかったんだ。俺が陽向と同じことを考えてたことが。だから思わず笑っちゃった」
「え?何?もう分からないよ」
「うん、俺もずっとあれから考えてたんだ。お父さんが亡くなってからずっと君のことを守り続けてきたお爺様の願いだったから。俺も何とかそのお爺様の願いを叶えたいなって。だから、俺ね、今、そのためのホームページを作り始めててね」
「嘘?何で、光ちゃん、まだ、そんなことできるような体じゃなかったでしょ。だって、光ちゃんの家でもベッドにずっと横になって、私が看病してたじゃない」
「ああ、でも陽向、俺のこと必死に看病して、俺の看病したまま、座って寝てた時もあっただろ。そんな陽向のこと見てたら、まだ、仕事も休んでる俺に何かできないかなと思って。陽向が寝てる時にそっと起きて、少しずつ作業を進めて。そして陽向が家に帰った後も夜中に作業してたから、もう少しで完成するから、もう少し待っててね」
「もう、ダメだよ光ちゃん、何でそんなに無理するの。まだ、自分が大怪我して完治してないのに。バカ、もっと自分のことを大切にしてよ光ちゃん」
「ありがとう、陽向。大丈夫だから、君が俺のことをこんなに想ってくれてるからこそ、俺も君の想いに応えたい。その気持を自分で大切にしたかったから」
私はこんな光星の素敵な気配りに目に涙が溜まってしまった。
「光ちゃん、ありがとう。私、嬉しい。孫の私以上にこんなにお爺のことを光ちゃんが考えてくれてたなんて。それももう行動に移してくれてるなんて」
「でも、何も言わずに勝手に進めてごめん。この前みたいに陽向の喜ぶ顔が見たくて。サプライズしたくてね。これはでもやっぱり陽向に相談してから行動した方が良かったかな?」
「ううん、今、光ちゃんに相談して、気持ちを確かめ合えたから。これからいろいろ話してくれればいいよ。でも、光ちゃん、どうやって私達と同じ境遇の人を探そうとしてるの?」
「多分ね、昔の人達がその七曜国を治めてた当主の末裔を探すのは難しかったと思うんだ。探す手段が限られてたから。でも今は違う。俺たちの生きてる今の時代だからこそ、できる探し方があると思ったんだ。今のネット社会なら、こちらが探さなくても、こちらから情報を提供すれば、本人からか、その人を取り巻く環境が、向こうから教えてくれるように動けると思うんだ。だからこちらがその人達の目を引くページを作って見てもらうように仕向ける」
「うん、何となく方法は分かったけど、実際にどんな中身にするの?その内容によるよね」
「うん、それは、お爺様が言ってたよね。陽向や俺みたいにそれぞれの当主の神秘の力を色濃く受け継ぐ人はその国の証が痣としてその体に出るって。だから、ちょっと変な趣味がある人が作成したようなページになるけど、“不思議な痣マニア”というページを作ってるんだ。人の表面に出る痣に興味があるから、その特徴的な痣を持ってる人がいるなら、その情報を提供してもらうようにお願いするページを作れば、何か情報が得られると思うんだ」
「光ちゃんて凄いね。あの話を聞いただけで、こんな方法を思い付くし、それを実際に自分で作ることもできちゃうし、それに作曲まで。光ちゃんて何でもできちゃうんだね」
「たまたまだよ。たまたま、俺の得意なことが、陽向のために使えるスキルだっただけだよ」
「大好き、光ちゃん。私、光ちゃんに本当に頭が上がらないよ。命を救ってもらって、声も出せるようにしてもらって、その上、私の家族のためにまで無理してくれて」
「陽向、君こそ、ダメだよ。抱き着いてるところをお爺様に見られたら。でもそんな頭が上がらないとか言わないで。俺は無理もしてないし、陽向の声が出るようになったのも、たまたま、あの事故がキッカケになっただけだろ。それに俺だって陽向には助けてもらったよ。君と出会えたおかげで、やっと前向きに生きられるようになったから。ほら、離してくれよ、あまり強く締め付けられると苦しいから」
「あ!ごめん、光ちゃん、そうだね。でも大丈夫かな。その情報も、私達が望んでいる人の情報が来ればいいけど、全く見当外れなものや、イタズラ的なものが大量に来たら、大変だよ。それに今、私達が生きてるこの時代に、他の七曜国当主の末裔の人達全員が私と光ちゃんみたいに痣が現れているとは限らないし」
「うん、確かにそれは俺も危惧してるんだ。その可能性は否めないからね。まあ、上手く機能してくれること、俺たち以外の人達の無事が確認できることをを祈って公開するしかないよ」
そして光星はそのページを二日後に完成させて公開した。
俺は真輝と一緒に救出され二日間の入院を余儀なくされ、網走市に帰る予定にしていた日にやっと退院した。
「はあ、やっと退院できるよ。俺、病院て本来苦手なんだ。あまりお世話になったことがないしね。何でって?しっかりした理由を聞かれると答えられないけど。まあ、白衣の天使がいて目の保養にはなるけどね。特にここの病院は美人の天使が多かったから、まだ良かったけどね。さすがに山形は美人が多いよね」
「もう、火練さん、何てこといってるのよ。そんなことを思ってベッドに寝てたの?いやらしいわ」
俺は月にそう言われて背中を叩かれた。
「痛ってー。何するんだよ月さん。俺は君も含めて山形を褒めたつもりだったんだけどな。月さんも山形美人だろ」
そう言うと真輝も話に入ってきた。
「ねえ、火練お兄さん、私は?私のことは?」
「バカ、真輝は何を言ってるの。あなたはまだ小学五年生でしょ。熱身さんから見たらあなたなんて子供なの」
「だって、私も火練お兄さんに女性として見られたいもん」
「ごめんなさいね、熱身さん、聞き流してくれていいから」
「いえ、ありがとう真輝ちゃん。俺のことそんな風に思ってくれるんだ。真輝ちゃんももちろん、可愛いよ。もう少し大きくなったらきっと山形美人になるよ。その時になったら、俺なんかよりもっといい男が沢山言い寄ってくるよ。今でも真輝ちゃんは十分に可愛いけど、もっと素敵な女性になるために、自分をもっと磨くことに力を入れた方がいいかな。真輝ちゃんがそんな素敵な女性になった時には、自分が男性に選ばれるより、選ぶ側になってるよ。頑張ってね」
「う、うん、何か、褒められてるんだけど、今は女性としては見れないってやんわり言われたような気がするな」
「ごめんよ真輝ちゃん。酷い言い方かもしれないけど、俺には今、心に想ってる人がいるから」
「ええ、そうなんだ。誰?教えてよ。教えてくれたら私の気持ち、収めてあげる」
「もう、この娘は。偉そうに大人の女性のような言い方して」
「本当に教えたら真輝ちゃん、引いてくれる?」
「うん、多分。でもお兄さんが想ってる女性によるかな」
「じゃあ、真輝ちゃんには教えるよ」
俺は真輝の耳元で月の名前を囁いた。
「俺の今想ってる女性は夜長月さんなんだ」
「ふーーん、やっぱりね」
そう言って真輝は月の顔をちらっと見た。
「はあーーあ、仕方ない、諦めるしかないな。相手が悪すぎたわ。私、恋愛に関しては勝目のない勝負はしないことにしてるから」
「コラ、真輝、いい加減にしなさいよ。もう、本当に最近の小学生はみんなこんな感じなのかしら?ねえ、あなた」
「ああ、何か親として真輝の行く末が心配になってきたよ」
「大丈夫ですよ、お父さん、お母さん、真輝ちゃん、周りも自分も冷静に分析できる頭のいい娘じゃないですか。女の子って男の子より精神的にも大人になるのが早いって言うじゃないですか」
俺が真輝の両親と話している横で、月は無邪気な笑顔で真輝に俺の想い人のことについて詰め寄っていた。
「ねえ、真輝ちゃん、誰なのよ、火練さんの想い人って。可愛い真輝ちゃんが諦める?勝目がないって言うようなそんな素敵な女性って誰なの?もしかして、女優さんとか、モデルさんとかなの?ねえねえ、教えてよ」
俺はちょっと顔を赤くしながら、真輝に釘を刺した。
「真輝ちゃん、絶対にダメだよ」
「うーん、どうしようかなあ、あ、もう私帰らなくちゃ。友達と遊ぶ約束してるから」
「ふう、そうか、真輝ちゃん、ありがとうね、退院の日にも来てくれて。友達も心配してたと思うから元気な姿を早く見せてあげないとね」
「うん、火練お兄ちゃん、ありがとうね」
そう言って真輝は俺の頬にキスをして病室を出ていった。
「おい、真輝、何て事をしてるんだ。お前はまだ小学・・・」
「いいじゃない、パパ。キスぐらい減るもんじゃないんだし。命を救ってもらったんだから、これくらい安いものでしょ」
「おい、真輝」
「すいません、熱身さん、月ちゃんも、ごめんね。それでは失礼します」
俺は病室に月とその両親と四人になった。
「本当に最近の小学生って、凄いな。積極的というか、押しが強いんだね」
「あああーあ、もう少しで聞きだせそうだったのにな。ああ、そうか。本人がいるんだから、火練さんに聞けばいいんだ、そうだ」
「ば、バカ、言う訳ないだろ。真輝ちゃんにだって釘を刺したんだから。自分でなんて言える訳ないだろ。ぜーーーーーったいに言わない」
「何だ、面白くない」
月はふくれっ面をした。その顔も俺には最高に癒される表情だった。
「ほら、火練さん、そろそろ着替えないと」
「そうですね、すいません、おばさん」
俺は病院服を脱いで上半身裸になった。そしてその体を見た月の父親が声を上げた。
「ああーー、火練さん、あなた、その胸、胸のそれ!」
「あ、ああ、これですか?痣です。生まれつきですから痛くも何ともないです」
「いや、これって、なあ」
「そうね、あなた。これって、月のと似てるわね」
「え?どういうことですか」
「わあ、本当だね、形は違うけど、私の痣と似てるね、ほら」
月はそう言いながら、ロングヘアーをかきあげながら俺にうなじを見せてきた。俺はその美しさに心臓が胸を突き破って出てきそうなほど、ドキドキした。そのうなじを見詰めると、月の首筋にも俺の胸の痣と似たような痣があった。
「ほらね、見えた、火練さん。私にもあるでしょ、変な形の痣」
「あ、うん。でも不思議だね。形は違うけど、本当に何か似てる」
「何か、運命を感じるな。火練さんの胸の痣、西洋天文学では火星を示し、それに関連づけられるローマ神話では戦いの神マルスを示す模様だよ。月の痣はもちろん、月を表す模様で、ローマ神話では女神アルテミスに例えられる模様だ。だから、月の名前はこの痣を見て私が付けた名前なんだ。ギリシャ語で月を示すセレーナとね」
「なるほど、そうだったんですか。そういう意味で。ねえ、月さん、もう分かったから、その態勢でずっと俺にうなじを見せ続けるの止めてくれないか。ドキドキが止まらないから」
「あ、やだ、そうだね」
「いや、俺に言われる前に普通気付くでしょ。そんな態勢してたら疲れるからさ」
「そうだね、肩凝っちゃった」
「参ったな、月さんには、本当にどこまで真面目に言ってるのか、全く読めない」
「はい、もういいわ。早く、着替えて、火練さん。真輝ちゃんのご両親も待ってるわ。娘の命を救ってもらってお礼しないで北海道に返すなんてできないって、先に帰ってお食事用意してるのよ」
「え!でも真輝ちゃん、お友達と遊ぶからって」
「そうだよ、ママ。真輝ちゃん、そう言ってたじゃない」
「あれは嘘。真輝ちゃん、自分も熱身さんにご馳走したいって、お母さんのお手伝いしてるわ。月も仲間にしようと思ったけど、あなた、嘘つくの下手だし、天然すぎるから、すぐに熱身さんにばれてしまうと思って。あなたもまとめて騙したのよ」
「ひ、酷い。パパもママも、親子でしょ」
「ごめんごめん、月。サプライズを成功させたかったから」
「まあ、月さん、そんなに怒らないで。これは俺のせいだから、謝ります。この通り」
「いや、別に火練さんに謝られても」
「もう、いいから。真輝ちゃん、待ってるから」
そして俺は佐部利家に招待された。
「佐部利さん、連れてきたわよ」
「ありがとう、夜長さん、ごめんね、無理なお願いして。あ、月さんもごめんね。お父さんもお母さんも巻き込んで、あなたのことまで騙して」
「そうだよ、酷いよ、おじさんもおばさんも。それに真輝ちゃんまでさ」
「ごめんなさい、月お姉ちゃん。どうしても火練お兄さんにお礼サプライズしたかったから」
「どうもすいません。何か気を遣わせてしまったみたいで」
「熱身さん、気なんて遣ってないわよ。真輝を助けてもらって、このまま熱身さんを北海道に返したら、私達、家族は極悪家族になっちゃうから」
「そんな大袈裟ですよ」
「いいえ、だって熱身さんは山形に遊びに来たのに。心も体もリフレッシュしに来たんでしょ。それなのに、反対に娘のために危険な目に遭わせてしまったから。だから、お食事もうちができる限りのものを用意したから、沢山食べていってください。それと、もう一つ、サプライズがあるのよ。真輝、奥に行って呼んできて」
「うん、分かった」
真輝が奥から連れて来たのは。
「どうも、御久し振りです。火練さん」
「どうも、ご無沙汰してました。あの祭の時に火練さんの職場にお邪魔させてもらって以来ですね」
「ああ!喜美さんと香奈さん、何で、何でここに?」
「そ、そうよ、何で、喜美と香奈がここにいるのよ」
「私が声をかけておいたのよ。だって、熱身さん、月と喜美ちゃんと香奈ちゃんに会いに来たんでしょ。月だけじゃ物足りないかなと思って」
「何よ、ママ。それじゃあ、私がなんか役不足って言い方じゃない。親なのにあんまりじゃない」
「ごめんごめん、月、そんなつもりじゃないわよ。仲良し三人が集まった方がもっと楽しいと思ってね」
「アハハ、月、おじさんとおばさんにまで騙されて。まあまあ、そんなに膨れないの」
「もう、喜美と香奈まで、酷いよ」
「さあ、いいから皆さん、あがって下さい」
そして俺は佐部利家で豪勢な夕食をご馳走になり、その後、夜は月の家に一泊することになった。
「でも、本当にいいんですか?泊めて頂いて」
「いいわよ。それに今日は熱身さんだけでなく、喜美ちゃんも香奈ちゃんもね、お泊りだから」
「そうよ、もっと四人でお話ししましょうよ、ね、火練さん」
「あ、うん、じゃあ、四人で私の部屋に行きましょう」
「本当にいいのかな。さすがにこの三人と月さんの部屋に入るのは緊張するな」
「ほら、火練さん、気にしない、気にしない。ほら、入って」
月の部屋は結構大きかった。
「いやあ、広いね。月さんのイメージとはちょっと違って、結構可愛らしい部屋なんだね」
「何?イメージと違ってってどういうことよ火練さん。ねえ」
「ああ、悪い意味じゃないよ。月さんは可愛いところもあるけど、見た目は基本的にビューティタイプの女性じゃないか。だからちょっとギャップがあると言うか。それも素敵だ、あ、いや何でもない」
「ねえねえ、それより、月、香奈も聞いてよ。私ね、ネットで面白いページを見つけたのよ。今、出すね。ほら」
「な、何、このページ。“不思議な痣マニア”?何、これ?」
「うん、何か、内容を見てるとね、情報提供を呼び掛けてるページみたいなのよ。どんな人が管理してるページか分からないけど、不思議な痣のある人がいたら、その内容を痣の写真付きで教えて欲しいってものみたい」
「何それ、気持ち悪い。喜美、何がこんなの面白いのよ」
「うん、あのね、確かに情報提供の内容は私も月と一緒、気持ち悪と思ったんだけどね。気になったのは、このページの頭のこのデザインなのよ。見て、この数字の8を横にしたようなデザイン」
「何、このマークがどうかしたの?」
「うん、月も香奈も知ってるけど、私、凄い視力いいでしょ」
「うん、だって高校の視力検査の時、一回、やったね。裸眼で2の人がその上の検査」
「そうなのよ、火練さん、喜美ね、校内でぶっちぎりの視力だったのよ。いくつだと思う?」
「え?ぶっちぎりって言っても都会で暮らしてればせいぜい、3くらいじゃないの?」
「残念、その倍、6なのよ。多分それ以上だったかもね。その時の検査で用意されてたのが6までだったから」
「う、嘘でしょ。そんな視力、初めて聞いたよ。何、その視力、喜美さん、凄いね」
「だからね、このマークの中にも見えちゃったのよ」
「な、何、只の8を横にしただけじゃないの?」
「いい、ここだけ拡大するから見ててよ」
そのマークを拡大していくと、さらにその中に七種類の模様が隠されていた。
「な、何だこれ?」
「多分ね、この作成者の意図として、多分、薄気味悪いページだと思ってあまり、投稿されないと思ってることもあって、このマークの秘密に気付いた人がイタズラじゃなく興味を持って投稿してくれることを期待した細工だと思うのよ。それとね、見てよ月、これ、ここの模様」
「ああ!これ、見覚えある」
「そうよ、月の首筋にある痣とそっくりだと思わない」
「だね、何でこんなところにわざわざ隠して入れたんだろう?ああ!」
「な、何よ、月。まだ何かそんな驚くようなことがあった?」
「火練さん、見てこれ。この模様って、火練さんの胸の」
「ほ、本当だ、何で俺の痣の模様まで」
「な、何、どういうこと?」
「うん、実はね、今日、火練さんが退院するときに私も分かったんだけどね、火練さんも私と同じで似たような痣が胸にあってね、それが、このマークの中のこの模様とそっくりなのよ」
「嘘、火練さんにもそんな痣が?」
「ねえ、月、喜美、それから火練さん、私、何か怖くなってきた。だってこんな偶然が重なることなんて普通、考えられないと思うのよ。月の不思議な治癒の能力でしょ、それから火練さんとの出会いと火練さんのあの能力、それに月と火練さんの体の似たような不思議な模様の痣があること、これだけでも凄い偶然だと思うの。それに加えて今日、喜美が見せてくれたこのページのマークに隠されたこの秘密、こんなに偶然が重なる?きっとこのページって、マーク以外にも隠された秘密があるのよ」
「うん、香奈の言うとおりかもね。わあ、何か面白くなってきたね。ねえ、火練さん、このページの御願いに乗ってみようよ。楽しそうじゃない。何か秘密を解明するみたいでワクワクするね」
「ちょっと、月、またあなたは能天気なこと言って。止めた方がいいよ。もしこれがとんでもなくヤバいページだったらどうするのよ」
「大丈夫だよ、香奈、心配し過ぎだって。そんな悪いこと考えて作ってるページならこんな細工しないよ。だってこのページを見てる人を騙すことを目的にしてるなら、イタズラでも何でも多くの投稿が集まるような工夫をした方がいいじゃない。このページはそんなことしてないでしょ。ねえ、火練さん、一緒に投稿してみようよ」
「やめなさいってば、月」
「やだよ、ワクワクするじゃない。火練さんがやらないなら私一人でも投稿するよ」
「香奈さん、いいよ。どうせ月さんはこんなこと言い出したら聞かないんでしょ。俺も一緒に投稿するよ。もし、ヤバいページで、月さんに危険が及ぶようなことになったらまずいでしょ。一人で投稿なんてさせられないよ。そうなった時は俺が命をかけて守るから」
「もう、どこまで月は火練さんに迷惑かけたら気が済むの。私は本当に心配してるんだから」
「香奈さん、本当に優しい人だね。月さん、香奈さんの気持ちも少しは察してやらないとね。親友なんだから」
「うん、ごめんね香奈、喜美もありがとう。でもね、もしかしたら、このページって、私と火練さんの不思議な力と痣のことが分かるかも知れないから。気になるのよ」
「そうか、そう言う捉え方もあるね。月さんはやっぱり、悪い言い方すると無謀だけど、良い言い方だとスーパーポジティブて言えるね。お願い、絶対に俺が月さんのこと守るから、香奈さん、月さんと俺が投稿すること許してくれないかな?」
「う、うん、月一人だったら絶対に止めてるけど、火練さんがこんなに言うなら。いい、月、これに関して動く時は、絶対にあなた一人で動いちゃダメだよ。火練さんと一緒に動くこと、いいね、分かった」
「はーい、ありがとう香奈、火練さん。それにナイスな情報教えてくれてありがとうね、喜美」
そして俺は月と一緒にこの少し不気味なページに二人の痣の情報を投稿した。