第七話
光星との仲を祖父に告白して以来、光星との距離はさらに深まり、会社でも公認のカップルになっていた。私も光星の存在もあり、以前より明るくそして前向きになっていた。私は今まで母親任せで全くしなかった料理にも、光星に食べさせたい一心でチャレンジし、母親の厳しい指導を受けていた。私は翌週、翌々週の月曜日、水曜日、金曜日に家で夕食を食べようと誘ったが、光星は金曜日以外は全て断わってきた。
「違ーう。何度言ったら分かるの。野菜はこう、お肉はこうやって切るの。食材によって包丁も使う場所が違うのよ」
『もう、痛いじゃない。何も手を叩かなくてもいいでしょ。さっきから何回も』
「何回言っても上達しないからでしょ。私は料理に関してはあなたには厳しいわよ。今までこの歳まで全くやらなかったのはあなたなんだから。スパルタ、スパルタよ、分かった?」
「はあ、最悪だわ、まるで鬼に教えられてるみたい。頭に角が見える」
私はそう声になっていない独り言を言うと、母親に頬を抓られた。
「ちょっと、誰が鬼だって。角が見えるって何よ、母親に向かって」
『痛い、もう。何も私の独り言まで、読唇術で読むことないでしょ』
「おいおい、陽向、そんな母娘喧嘩してていいのか?のんびりしてると金愛くん、来ちゃうぞ」
「そうよ、陽向。喧嘩してる場合じゃない。早くしないと光星さん来ちゃうわよ」
「そうだね、ごめんねお母さん」
「分かったから、陽向、早くそれ切っちゃって」
「うん」
でも最後に私は母親に少し不安になっていたことを聞いた。
『お母さん、聞いていい?何で光ちゃんは金曜日しか来ないのかな?月曜日も水曜日も誘ってるのに。そんなに私の料理、不味いのかな?そんなことないよね、だって、味付けはお母さんにほとんど手伝ってもらってるから。それとも光ちゃん、私のこともう飽きちゃったのかな?私、すぐに光ちゃんに捨てられちゃうのかな?』
「バカね、陽向、心配しすぎよ。光星さんだっていろいろ用事があるんでしょ。もっと光星さんのこと信用しなさい。話せるのに、面倒くさがらずに陽向の筆談に、筆談で返してくれるような人なのよ。あんな人今までいなかったでしょ。それにほら、お爺の目、見て。光星さんの目もそっくりだと思わない。陽向を見詰める目、私はお父さんの目にそっくりだと思うの。あの陽向バカと同じ目をしてるから、光星さんは大丈夫よ。それでも不安なら今日、光星さんに聞いてみればいいでしょ」
私と母親が祖父を見詰めると、祖父はキョトンとした表情でこちらを見ていた。
「な、何だ二人とも、私の顔をそんなに見つめて。やめろよ、照れるじゃないか」
こちらでの話の内容を分かっていない祖父の対応に私と母親は思わず笑っていた。
「な、何だ?何か変だったか?なにか私の顔に付いてるのか?なにも付いてないじゃないか。陽子、陽向、失礼だろ、おい」
私は母親の言葉で少し気が楽になった。
その後、四人で楽しい食卓を囲んだ。そして食べ終わった後、私は母親に言われたとおり、自分の素直な不安を光星にぶつけた。
『光ちゃん、ねえ、何で先週も今週も金曜日しか来てくれなかったの?私のこと飽きちゃった?他に好きな人ができちゃったの?』
『ごめん、陽向のこと、不安にさせちゃったみたいだな。大丈夫、信用してよ、俺のこと。俺は陽向のことしか見えてないから。これからもずっとね。料理も今までしてなかったのに、俺のために頑張ってくれてるんでしょ。その気持が嬉しいし、美味しいよ。大丈夫だから、明日のハイキングの時に教えるからさ。じゃあ、すいません、お爺様、お母さん、陽向、明日のハイキングのための最終調整があるので、これで僕、失礼します』
『何?食べたばかりなのに。明日のハイキングなんて光ちゃんはタオルと飲物持っていくだけでいいでしょ?お弁当は私が、というよりお母さんが作ってくれるから』
「ごめん、そうだけど、一番大事なことが残ってるから。頑張らないと今日は寝られないかもしれないから。とにかく楽しみにしてて、陽向。それじゃあ、失礼します」
そして光星は夕食後、一時間もしないうちに帰っていった。そして明日は営業所のイベントで特に用事のないメンバー全員でハイキングに行くことになっている。もともとは所長の趣味の山歩きがいつの間にか年に一度の秋のイベントになってしまっているのだ。
「お母さん、何だろうね。楽しみにしててって言ってたけど」
「いいんじゃないの。良かったじゃない。自ら陽向のことしか見てないって言ってたでしょ。それに明日楽しみにしててって。明日、サプライズでもしてくれるんじゃないの?」
そして私は不安な気持ちは払拭できたけど、頭の中には光星の対応に?がついたまま、土曜日に集合場所の営業所前にいた。この日はかなり冷え込んでいて、空には何年もの間、雨ざらしにされたようなコンクリートブロックのような色をした分厚い雲が立ち込めていた。
「おはようございます、所長」
「おう、おはよう。来たな、金愛くん。君は初めてだもんな」
「はい、私は凄く楽しみにしてましたよ」
「何言ってるんだよ、金愛、お前が楽しみにしてるのは、ほら、隣にいる光太さんとハイキングできるからだろ、ねえ所長」
「そうだな、三井くんの言うとおりだな。もう顔に出てるもんな」
「もう、みなさん、止めて下さいよ。そうですけどね」
そう言って私は光星と見つめ合った。
「もう、金愛、見せつけてくれるな。二人で見つめ合ってよ。あーー、暑い。もう十一月だって言うのによ」
「もういい加減にして下さい。陽向はそういう冷やかしは苦手なんですから」
「あ、ごめん、光太さん、前も金愛の歓迎会の時、俺、酷いことしちゃったもんな。申し訳ない、調子に乗り過ぎました」
『大丈夫です、三井さん、私も光ちゃんとのハイキング、凄く楽しみにしてたから』
この時、三井に見せたメモで私はいつもの呼び方で光星のことを書いてしまったので、これでまた冷やかされた。
「何だ、金愛、お前光太さんに光ちゃんて呼ばれてるのかよ。あーー、うらやましすぎるぞ」
光星は三井にヘッドロックされた。
「三井さん、痛い、痛いって」
「この幸せ者、こんな美人と、お前って奴は」
「そんな風に陽向のことを見てたなら、何で三井さんは陽向に告白しなかったんですか?」
「うるさいな、金愛のために俺は身を引いたんだよ」
「おい、もうその辺にしておけよ。ほら、もう出発するぞ」
そして参加者全員で車に乗り合わせて今日のハイキングコースに到着した。
「いいか、今日のコースは普通にしてればそんなに危険はないと思うが、万全を期すため二人一組での行動を徹底するように。それと雲行きも怪しいから、状況を見て連絡を入れるようにするから、すぐに出られるようにしておけよ」
「はい、分かりました。もちろん、私は光太さんとです」
「金愛、今日は仕事じゃないんだ。さっき呼んでたみたいに名前で呼べば」
「もう、三井さんはいちいちうるさいな」
「ダメだ、金愛の幸せそうな顔みてるとイジりたくなっちゃうんだよ」
そして私は光星と一緒に出発した。
「陽向、寒くない?」
私は光星の問いかけに小さく頷いた。
「そう。今日はちょっと冷えこんでるから、どうしても耐えられなかったら言えよ。俺、弁当は君とお母さん任せの代わりに、リュックにもう一枚、君用に羽織るもの持ってきたからさ」
私は口を動かして光星にお礼を言った。
「ありがとう、光ちゃん」
「ああ、それとね陽向、ちょっと待ってね。よし、これだ」
そう言って光星は着ていた上着のポケットからボイスレコーダーを取り出した。
「これ、気に入ってもらえると嬉しいけどな」
「何、これ?」
「いいから、聞いてみてよ。ちょっと音質は良くないけどさ、このヘッドホンで」
私はとにかく光星に言われるままにヘッドホンをつけた。そして再生のスイッチを押した。するとそこからは初めて聞くメロディが流れてきて、しばらく聞いていると、そのメロディに乗せて光星の歌声が聞こえてきた。そしてその歌声を聞いていた時、私はその内容が心に留まった。私は夢中でメモ帳に驚きを書き綴り、光星に見せた。
『光ちゃん、これって、まさか!私の書いたあの詩?だよね。何で?歌になってるよ。ねえ、誰がこんなこと、私の書いた詩に曲を付けてくれたの?ねえ、こんな素敵な曲を誰が?光ちゃんにはこんな素敵な曲を作れる作曲家の知り合いがいるの?』
「おお、陽向、凄い質問の嵐だね。喜んでくれた?」
私は頷きながら大きな瞳から大粒の涙が零れた。
「そうか、良かった。陽向に喜んでもらえたなら、今日家を出るギリギリまで頑張った甲斐があるよ」
『え!それじゃあ、まさか!これ、光ちゃんが作ったの?』
「ああ、俺の作った曲だよ。陽向の部屋であの時、君の書いた詩集、いつか声に出してを見せてもらっただろ。あの詩集を見せてもらって、中身とタイトルを見て閃いたんだ。俺、作曲を趣味でしてたし、こんな素敵な詩にメロディを付けてみたいってね。それにもしいつか陽向の声が聞ける日が来たら、君に歌ってもらえるだろ。そんなことを思ったら、もう俺の作曲魂に火がついちゃってね。ごめんね、陽向、どうしても今日、君と二人でここを歩くときに、君に聞いてほしくて、時間もなかったから、何回か君の夕食の誘いを断ってしまって、不安にさせてしまったね。それとあと一つ、作曲が趣味なのに歌が下手でごめん。なんとか音程はあってると思うから我慢して」
私はこんな私のことを想って素敵なサプライズをしてくれた光星に涙が止まらなくなっていた。私はメモ帳に涙を零しながら再び綴った。
『光ちゃん、ありがとう。こんなに素敵なサプライズを。ダメ、涙が止まらないよ。ねえ光ちゃん、それじゃあ、昨日、うちから帰ってからずっと朝までこのために作業してたの?何でそんなに無理するの。今日、沢山歩かないといけないのに』
「大丈夫だよ、君がどんな素敵な声で歌ってくれるのか、そんなことを想像しながら曲を作ってたら、目が冴えちゃってね」
私はもう我慢できなくて光星の胸に飛び込んだ。
「おい、陽向。どうしたんだよ突然」
私は光星の目を見て唇を動かした。
「光ちゃん、大好き。私も光ちゃんが信じてくれるから、自分の声でこの歌を歌えることを信じるね」
「そう、その意気だよ、陽向。ごめんな、泣かせるようなことして。よし、歩こう」
私はその後、光星と一緒にハイキングを楽しんでいた。もちろん、光星が私の詩にメロディをつけてくれた素敵な歌を聴きながら。
「本当に良かった。陽向、相当気に入ってくれたみたいだ。俺のこと置き去りにしちゃうほど、ノリノリで歩いちゃってる」
私は少し後ろに光星を従えて歩いていた。そこはほんの数十メートルだけ歩道のない県道がルートに含まれている部分だった。そこを歩いているときに、背後から猛スピードで坂道を上ってくる乗用車が近づいてきた。その乗用車はカーブで若干凍結していた路面で後輪を滑らせて車体後部をドリフトした状態で私に近づいてきた。光星はそれにいち早く気づいて私に声を掛けた。しかし、私は光星の作ってくれた曲をヘッドホンで聞いていて気付かなかった。
「陽向、後ろだ、気を付けろ。ダメだ、あの曲聞いてて聞こえない」
そして光星は気付かない私に物凄い勢いで背後から駈け寄ってきた。その気配に気づいた私が振り向くと光星の背後に真っ赤な車が至近距離に迫っていた。
俺は陽向に迫る危険を察知して、ありったけの力を両足に込めて陽向に向かっていった。このままでは俺は陽向と車の間に挟まれると瞬時に判断した。俺は咄嗟にあの力を使おうと思った。が、その時、小学五年生の遠足、そう咲良を助けられなかったあの事故が脳裏をよぎった。その事故の場面が俺から能力を使うことを封印させた。
「陽向、陽向―――」
俺が叫びながら飛び込むとその気配に気づいたのか、陽向が振り向いた。俺は陽向を抱きしめ、しっかりと自分の体に固定した。そのすぐ後、俺は臀部に激しい衝撃と下半身がズシリと重たくなるような鈍い痛みを感じ、陽向と一緒に吹き飛ばされて崖下に落下していった。俺は今度こそ助けるんだと言う想いが、咲良のあの事故とフラッシュバックするような今、この瞬間にも頑なに俺に能力を封印させた。本当に全くあの咲良を助けられなかった場面と同じだった。俺は冷静に陽向を抱えて落ちていく自分を分析していた。あの時と同じ、崖の中腹に崖から根を張り斜めに生えている大きな木がある。あそこに俺が今度こそクッションになり、陽向は絶対に助ける、そう思った。俺は陽向を上にして木の根元に激突して止まった。俺は胸に激しい痛みを感じ、そしてすぐに息苦しくなった。
私は振り向いた後、光星に抱かれた瞬間に大きな衝撃を感じて、その後また数秒後にも衝撃を感じた。目を開けると私は雪がちらつき始めた鈍色の空を見上げていた。そして冷静に周りを見ると右には崖、左には木の幹、そして私の下には光星が横たわっていた。私は光星の体の上にいたのだ。
私はすぐに光星の体の上から退こうとしたが、苦しそうな顔をしている光星がそれを制止した。
「ひ・な・た、怪我は?どこも痛くないか?」
私は泣きながら小さく頷いた。
「そうか、良かった。いいか、動くな、ここは崖の中腹だ。動いたら落ちる。俺の上にじっとしてるんだ。陽向、助けを呼ぶんだ。後ろを歩いている所長や三井さんがいるはずだ。スマホで」
私はすぐに上着のポケットを探したが、スマホが見当たらない。どうやら落下の衝撃で崖下に落としてしまったようだった。私は光星に首を振ってないことを伝えた。
「そんな。よし、俺のスマホで。陽向、左のポケットを探して」
私は光星の上着の左ポケットを探った。スマホが見つかったが、落下の衝撃で潰れて使えなくなっていた。
「くそ、何でだよ。陽向を何とか助けられたと思ったのに。ごめんよ陽向、これ以上俺は無理だ。咲良、俺を許してくれてるなら、頼む、陽向を、陽向だけでも助けてくれ」
そう言うと光星は吐血して意識を失った。
私は自分の下で愛する人の鼓動が弱くなっていくのを感じていた。その時、私は二十二年前の夏休みが鮮明に蘇った。あの家族で海水浴に言った時のことを。私を助けるために力尽きた父親が海中に沈んでいくあの顔を。私はあの時の父親の姿と光星の傷ついた姿がシンクロした。私のために燃え尽きようとしている命、もう自分のために愛する人を失うのは嫌、光星を助けて、お願い、そんな究極の切迫した想いが、遂に私の止まっていた二十二年間の時を動かした。
「誰かーーー、助けてーーー。お願い、ここです。所長、三井さーーーん」
私は叫んでいた。とにかく光星を助けたい、それだけだった。私の叫びを聞きつけて崖の上から所長と三井の顔が覗いた。
「あ、あそこです、所長。光太さんと金愛です。警察に連絡します」
私と光星は連絡を受けた警察とレスキューに救出された。
私は光星とともに搬送された病院にいた。私は光星が庇ってくれたおかげで、崖から落下したにも関わらず奇跡的に無傷だった。しかし、その代償として光星は瀕死の重傷を負っていた。車に撥ねられたことによる尾骶骨の骨折、崖下に落下した時の擦過傷、私のクッションとなり木と私の体に挟まれたことによる肋骨の骨折、その衝撃による肺の損傷。光星の手術は五時間にも及んだ。
その手術中、その手術室の前で座ってずっと祈り続けている私のところに祖父と母が駆け付けた。
「陽向、陽向、大丈夫なのか?どこも怪我はないのか?」
私は祖父と母に駆け寄り、そして母に抱き着いて、自分の声で話した。
「お母さん、お爺、どうしよう、光ちゃんが私のために。光ちゃんが死んじゃったら私、どうしたらいいの?」
「嘘!陽向、あなた声、やだ、陽向が話してる、自分の声で、どうして?」
「何でだ、陽向、陽向が話してる。いつの間に。陽向、いつからだ」
私はそんな母と祖父の問いかけにも応えられないくらい、光星の容体のことで頭がいっぱいだった。
「ねえ、光ちゃん、お願い、頑張って。私を残していかないで」
「落ち着きなさい、陽向。まだ、手術は始まったばかりなんでしょ。それより、陽向、あなたは何ともないの?」
「うん、私達、車に撥ねられて崖に落ちたの。本当は私が撥ねられそうになったのを、光ちゃんが庇ってくれたの。それで崖の中腹にある木の根元に落下して。光ちゃん、私のためにその時も自分の体を私のために下になって。それでこんな酷いことに」
「でもまだどれくらいの怪我なのか分からないんでしょ?」
「分かる、私には分かるもん。だって光ちゃん、口から血を吐いて気を失っちゃったんだよ。私が危険に気付かなかったから、全部私が悪いの」
「そうか、でもとにかく、今は金愛くんの無事を祈るしかないな。でも陽向、何で声が?」
私は母に抱かれて少し落ち着いて、祖父の質問に答えた。
「木の根元に落ちてね、私のために自分の体を張ってくれた光ちゃんを見てたの。私が光ちゃんの上から退こうと思ったら、光ちゃん、自分が苦しいのに、私の心配ばかりして、落ちるから動くなって、そう言って、気絶しちゃったの。私このままじゃ、光ちゃん、死んじゃうと思って、そんな気持ちでいたら、あの時、海水浴の時の御父さんの姿と光ちゃんが被ってしまって、気付いたら必死で叫んでいたの」
「何てことだ、まさか陽向の声が生きてる間に聞けるようになるなんて。夢みたいだ」
「でもそんなことどうでもいいの。私はとにかく光ちゃんが助かってくれれば。今はそれしか考えられないの」
「そうだな、金愛くん、頼む、何とか生きて手術室から出てきてくれ。そして私にもお礼を言わせてくれ」
私は母と祖父、そして所長と一緒に手術室の前で手術が終わるのを待っていた。
手術が始まって三時間くらいが経過した頃、物凄く急いでいる足音が近づいてきた。
「光星、光星」
「どうも、金愛くんのお父様、お母様、この度は申し訳ありません。私がこんなイベントを企画したばかりに」
光星の両親だった。特に光星の母親は取り乱していた。
「ねえ、所長さん、手術は、まだ終わってないんですか?」
「あ、はい、もう始まってから三時間くらい経ってますけど、まだ」
「ああ、あなた、大丈夫よね、光星は大丈夫よね」
「落ち着け、中で先生達が光星を助けるために必死に頑張ってくれてるんだ。信じて待つしかないだろう」
そう言って光星の父親は母親を諭すと私に目を留め、近づいてきた。そして自分の息子が大変な手術を受けているのに、私に優しい言葉を掛けてくれた。
「もしかして、あなたが光太陽向さん?」
「はい」
「そうか、どうも初めまして光星の父、星輝です。陽向さんはどうです?光星と一緒に救出されたとお聞きしましたが」
「はい、私は光星さんのおかげでどこも怪我してません。ごめんなさい、私のせいで光星さんが大変なことに」
「そうですか、陽向さんは無事でしたか。それは何よりです。あ、どうもこちらはお母様とお爺様ですか?」
「はい、陽向の母、陽子です。本当にこの度は娘のために光星さんがこんなことに。何てお詫びを申し上げたらいいか」
「どうも、祖父の陽立です。本当に孫のためにご子息をこんな大変な目に遭わせてしまって、お詫びの言葉が見つかりません。このとおり、頭を下げることしか」
「止めてください。頭を上げてください。光星はまだ生きるために今頑張ってますが、陽向さんだけでもご無事で何よりです」
光星の父親が冷静に私達と話してると光星の母親は私に掴みかかろうとした。
「あなたのせいで、また光星がこんなことに。光星が死んだら、あなた・・」
「止めないか、真波。これは陽向さんのせいじゃない。事故なんだよ、誰も予想できなかった事故なんだよ」
「だってあなた。警察の方から状況を聞いたらあの時の咲良ちゃんの時と同じなのよ。似すぎてるでしょ。こんな偶然てあるの?まるで咲良ちゃんの呪いが光星とこの娘を引き合わせたとしか・・・」
光星の父親は母親をビンタした。
「いい加減にしろ。お前なんてこと言ってるんだ。咲良ちゃんにも、そして陽向さんにも失礼だぞ。何が呪いだ。お前のこんな姿見たら、一番悲しむのは光星だぞ。お前も聞いただろ、光星がこちらに来て初めて電話してきた時の、あの楽しそうに彼女のことを話す光星の声を」
「だってあなた、もし光星がこのまま」
「バカヤロー、親の私達があいつのことを信じなくてどうするんだ。あの時、咲良ちゃんは助けられなかったけど、あいつは生きて帰ってきたんだ。今回だってきっと・・・、そう信じるしかないだろ」
「ごめんなさい、お父様、お母様、私、私」
「陽向さん、いいんだよ。あなたが光星のことを本気で想ってくれてることは見てれば分かるよ。それにあいつが電話をかけてきた時の、あなたのことを夢中で話す声を聞いたから、あいつの本気さも分かるってもんだよ。普段はあいつはあんなにお喋りじゃないし、電話も苦手だしね。そんなあいつがあんなにお喋りになるんだから。今はあいつが元気になることをみんなで願うしかないんだ。な、真波」
「はい、ごめんなさい」
「でも、あの、先程からお話しに出ている咲良さん?ですか。その方は一体?」
「ああ、やっぱりあいつ、この話だけは陽向さんにも話してないんだな」
「な、何ですか?教えて下さい。凄く気になります」
「分かりました」
「でもいいの?あなた。あの子、陽向さんに知られたくないから話してないんじゃないの?」
「大丈夫だよ、これだけ陽向さんのことを愛しているんだ。きっとタイミングを見て話すつもりだったはずだ。もし話してあいつが怒るようなことになったら、俺が全て被るから。いいな」
「分かったわ、あなたがそう言うなら」
「陽向さん、それからお母様もお爺様も、聞いて下さい。あいつは小学校五年生の時、今日と同じようなことを経験してるんです。光星にはうちの隣に住んでいた春風咲良という同級生の幼馴染がいたんです。その小学五年生の時の春の遠足の時、山登りに行って、小学生のおふざけで、咲良ちゃんが崖に落ちそうになったのを、光星が助けようとして二人で崖から落ちてね。でも下までは落ちなくて、今日と同じように中腹の木の根元で止まって。でも今日とは違って、光星が助けようとした咲良ちゃんは亡くなって、光星だけが助かったんです。あいつはそれをずっと悔んで生きてきました。あの時以来、あいつも何度も女性の方から告白されることもあったようなんですが、一度も女性と付き合うこともなく過ごしてきたようなんです。あいつは私達と咲良ちゃんの御両親が否定してもずっと、咲良ちゃんを助けられなかったのは自分のせいだと、自分を責め続けて生きてきたんです。だから、陽向さん、ごめんね、さっき真波があんな酷いことを。あまりにあの時の状況と似ていたから、つい光星のことを想うあまり」
「いえ、でも光星さんにそんな辛い過去があったなんて」
「だからあいつは多分、今回は陽向さんのことを何としてもという想いがあったと思うんです。私もあいつのそんな気持ちが痛いほど分かったから、陽向さんが無事だったことが本当に嬉しくてね。きっとあいつもたとえここで亡くなったとしても本望だと思う」
私はこの言葉に反応した。
「嫌です、お父様。今日のことは私のせいですが、光ちゃんはこんなとこで亡くなったりしません。光ちゃんはこんなに想ってくれてるお父様とお母様より先に逝ってしまうような、そんな酷い人じゃないから。それにこんな形で私の前からいなくなるなんてダメです。光ちゃんのおかげでやっと話せるようになった私の声を聞いてもらいたいから」
そんなことを話してるとついに五時間以上に及ぶ手術が終わり、手術室から光星が出てきた。
「光星、光星、しっかり」
「光ちゃん、光ちゃん、起きてよ、早く起きてよ」
「すいません、まだ、絶対に安静ですので、今からICUに入りますので」
光星は集中治療室に移された。光星は翌朝、容体が安定したことでICUから一般病室に移された。私はずっと病院の待合室で過ごし、翌朝、光星の一般病室にすぐに入った。
「光ちゃん、しっかり、ねえ、起きて」
しばらくして家に戻っていた祖父、母そしてホテルに宿泊していた光星の両親も駆け付けた。
「光星、嫌よ、お父さんやお母さんより先に逝っちゃダメよ。ああ、何て痛々しい姿なの?あの時は無傷だったのに、何で今回はこんなに酷いことになったの」
そして光星の容体説明のため、先生が病室に入ってきた。
「どうも、おはようございます。光星さんの容体も安定しましたので、この病室に移させてもらいました。恐らく怪我の方は少しずつ回復に向かうはずです。あとは意識が戻ることを祈るばかりです」
「先生、光ちゃんは目を覚ましますよね、ねえ、先生」
「はい、それを私達も願っています。ですが、ここに運ばれて来た時は心肺停止の状態だったんです。その状態から蘇生したことだけでも奇跡なんです。あとはとにかく光星さんの生きたいと思う気持ちを信じ、奇跡のその上の奇跡が起こることを祈るしかありません。それではまた、光星さんの容体に変化があればすぐに呼んで下さい」
しかし、光星の容体は安定していたが、意識は戻らないまま、その日の夜、七時を迎えた。
「さあ、陽向、お前も昨日からほとんど寝てないんだろ。ずっと病院にいたし。それに陽向も怪我はないけど、怖い思いをしたんだ。一旦、家に戻って休もう。明日は仕事だし」
「嫌よ、私は光ちゃんが目を覚ますまで傍にいるの」
「陽向、帰ろう。ほら、光星さんが起きた時に陽向のそんな顔みたら悲しむよ。目を覚ました途端、陽向の泣いてボロボロの疲れた顔見たら。だから、一回帰って、そして明日、仕事を終えてからここに来ましょう。その間に何かあれば病院の方から連絡を貰えるようにしておくから」
「そうだよ、陽向さん、明日も日中は私達がいるから。光星に変化があれば、連絡するから」
「はい、分かりました。お父様、お母様、こんな私をお気遣いいただいてありがとうございます。明日また仕事を終えたらすぐに来ます」
そして私は次の日の月曜日、会社に出勤した。
「光太さん、君も怪我がなかったとはいえ、あんな怖い思いをしたんだ。まだ、休んでいて良かったのに」
「いえ、大丈夫です。それに光ちゃんだって今、ベッドの上で頑張ってます。それに、光ちゃんは私の仕事をしてる時の姿も好きだって言ってくれてるから。働けるのに休んでたら光ちゃん、怒ると思うし」
そう言って仕事をしていたが、本当は光星の容体が気になり、集中できていなかった。そして定時になった。
「やった、終わった」
「いいよ、光太さん、残りの作業は僕がやっておくから、早く、金愛の傍に行ってあげな」
「三井さん、ありがとう」
「でもまだ金愛があんなことになって目を覚まさないから、思い切り喜べないけど、話せるようになって本当に良かったね、光太さん」
「うん、これも全部、光ちゃんのおかげなんです。だから何としてでも光ちゃんには目を覚ましてもらって、自分のこの声でお礼が言いたいんです。それじゃあ、あとはお願いします、三井さん」
私は逸る気持ちを抑えて光星の待つ病院に向った。病室には光星の両親、そして私の祖父と母も来ていた。
「すいません、遅くなりました。どうですか、お父様、お母様、光星さんは」
「陽向さん、ありがとう。光星、容体は変わらずだよ。でも意識はまだ」
「そうですか」
私は光星のベッドに寄り添って両手で光星の右手を握りしめた。
「光ちゃん、まだ起きたくないの?私、光ちゃんのおかげで話せるようになったんだよ。聞こえる?」
「え?陽向さん、それってどういうこと?」
「あ、あの、私、小学一年生の時からずっと話せなかったんです。でも昨日、あの事故で助けを呼ぶために必死で。そうしたら声が出るように」
「実はうちの陽向も、辛い過去がありまして。小学一年生の時に家族で行った海水浴の時に娘を助けるために父親が海で亡くなりまして、その時のショックで一昨日の事故の前まで声が出なくなってたんです」
「そうですか、陽向さんにもそんな辛いことが」
「そんな私でも、光星さんは最初から普通に、というより私に寄り添って接してくれたんです。私が話せなくて筆談すれば、光星さんも筆談してくれて。自分は普通に話せるのに、決して面倒臭いなんて素振りは見せないんです。それよりも自分が私と筆談することを楽しんでくれるんです。それにこれも」
私は光星に貰ったボイスレコーダーを見せた。
「これ、私のために光星さんが作ってくれた曲が入ってるんです。私が書いた詩に光星さんがメロディを付けてくれたんです」
「ああ、光星の趣味の。そうですか」
「光星さん、いつか私が話せるようになることを信じて、私が自分の書いた詩を自分の声で伝えられるようにって、歌にしてくれたんです」
「そうですか。これは本物だな。ほら、光星、早く起きて、陽向さんの声を聞いてやれ」
そう言って光星の父親は涙ぐんだ。
「お父様、私諦めませんから。光星さんが起きるまで、毎日、ここに来ますから」
「ありがとう、陽向さん。今日もそろそろもう遅いから帰りましょうか?」
「そうですね、私達もまた明日、光星さんの顔を見に来ます。さあ、陽向、帰りますよ」
「うん、でも私、もう少しだけ光ちゃんの傍にいていい?もう少しだけ光ちゃんの顔を見ていたいから。気が済んだら帰るから」
「分かった、でも陽向、あまり遅くならないようにな」
「うん」
そして私は病室で光星と二人きりになった。
「光ちゃん、まだ、寝ていたいの?早く、私、光ちゃんに声を聞いて欲しいのに。私、覚えたよ、光ちゃんが作ってくれたあの曲、もう歌えるよ。いい、耳元で歌うからね、聞いててね」
私は光星が作ってプレゼントしてくれた曲を耳元で歌った。そんなことを三回繰り返して、私はいつの間にか眠ってしまっていた。少しウトウトしてどれくらい時間が経ったか分からなかったが、いきなり看護師に肩を叩かれた。
「陽向さん、起きて下さい。金愛さん、金愛さんが、目を覚ましましたよ。ほら」
その言葉にハッと目を開いた時、私は光星に頭を撫でられていた。酸素吸入器を外された光星は何かを話していたが、肺の損傷もあり、大きな声を出せなかった。私は光星の口元に耳を持っていった。
「な、何、光ちゃん」
「陽向、何してるんだ、体は大丈夫なのか?安静にしてなきゃダメだろ。それと陽向、声が、初めてだね、君の声を聞くのは。あれ、でも何か夢の中で歌声が聞こえてたな」
近くでは私と一緒に光星の意識が戻ったのを確認した看護師も聞いていた。
「陽向さん、金愛さんは凄い人ですね。自分がこれだけ危険な状態からやっと目覚めたというのに、真先にあなたの心配なんですね。素敵な彼ですね」
「光ちゃん、私は大丈夫よ。光ちゃんが守ってくれたから、少しも怪我してないよ。安心して。それから、光ちゃんのおかげで、ほら、声も出るようになったよ」
「良かった、願いが叶った。これで君の歌声も何回でも聞けるね。想像してた以上の素敵な声だね、陽向」
「ありがとう、全部、光ちゃんのおかげだよ。あ、そうだ、お爺とお母さん、それに光ちゃんのご両親にも連絡してくるね。待ってて」
私はすぐに連絡して病室に戻ってきた。
「光ちゃん、連絡してきたよ。ん?何、なにか言いたいの?」
「何だ、父さんと母さんも来ちゃってるのか?参ったな」
「当たり前でしょ、光ちゃんがこんなことになってるのに、心配しない親なんていないよ」
そして祖父と母、光星の両親もすぐに駆け付けた。
「光星、光星、良かった、よく頑張ったわね。ん、何?」
「父さん、母さん、ごめん、心配させちゃったな。でも今度こそ、大切な人を助けることができたよ。これで咲良も少しは許してくれるかな?」
「バカ、咲良ちゃんはきっとあなたにそんな感情はなかったはずよ。だってあなたたちは親友同士だったんだから。あなたが咲良ちゃんのために身を投げ出して助けようとしてくれたこと、それだけで十分だったはず」
「金愛くん、本当に君は。私に誓ったことを、まさに有言実行してくれたな。命がけで陽向のことを守ってくれて、それに陽向の声を取り戻すという凄いオマケまで付けてくれるなんて」
光星は祖父にそう言われて微笑んだ。そして意識不明の状態から目覚めたばかりなのに、冗談を言ってみんなを和ませてくれた。
「いえ、お爺様、私はお爺様の期待を裏切りました。こうやって、陽向さんを泣かせて、悲しませるような事態を招いてしまいました。私はもう陽向さんとは別れないといけませんよね」
「金愛くん、何を言ってるんだ。私が言っていた陽向を悲しませるというのは、今回のこととは違う意味だよ。君だって分かってるくせに、金愛くん、冗談が過ぎるぞ」
みんなは冗談と感じていたが、私は光星を心配しすぎていて、こんな状態で冗談を言う訳ないと思い込んでいたので、私は光星の冗談をまともに受け取った返答をした。
「嫌だ、光ちゃん、何でそんなこと言うの。私を捨てるの。嫌だよ、私は光ちゃんと別れたくないよ。ねえ、お願い、私もっと光ちゃんの好きな女性になれるように言うこと聞くから。ね」
これを聞いて光星は少し苦笑いしながら、優しく私の頭を撫でて答えた。
「陽向、冗談だよ。お爺様の言うとおり、ごめん、冗談が言えるくらい元気なところを見せようと思って。陽向、冗談だから、そんなに泣くなよ」
「もう、バカ。光ちゃんが本気だと思ったじゃない」
「大丈夫だから。俺から陽向をふるなんてことはないよ。頭の回転が速い陽向がこんな冗談を真に受けるとは、やっぱり疲れてるんだね。皆さん、僕はもう大丈夫ですから、早く帰ってお休み下さい。父さん、母さんも、もう東京に戻っていいよ」
「バカ、何言ってるの。あなたはまだ当分、入院してないといけないのよ。着替えとか洗濯とかどうするの?退院してからの御世話とか」
「大丈夫だよ、それくらい。何とかなるよ」
「もう光星は。あなたは他人のことはやたらと心配するくせに、自分のことはいい加減にし過ぎなの。もっと自分のことも気遣いなさい」
「あの、お父様、お母様、光星さんのお世話は私がやります。いえ、私にお世話させていただきたいんです。お願いします。病院にいる時は私が毎日、様子を見にきます。それから退院してからも、私が。ずっと一緒にいないといけないなら、私、会社を休んででも」
「陽向、いいよ。君だって働いてるんだから。そんなことしたら会社にも迷惑がかかる。迷惑かけるのは僕だけでいいよ」
「大丈夫ですよ。お父様、お母様。私たちも手伝いますから。うちの大切な一人娘の命を救っていただいたんです。そんな娘の大切な彼ですから、是非、私も祖父も娘と協力して光星さんの身の回りのお世話をしますから」
「すいません、お母様、お爺様宜しくお願いします。おい、光星、素敵な彼女とそのご家族だな。あまり迷惑をかけるんじゃないぞ。私達も時間を見つけて様子を見に来るから」
光星は小さく頷いた。そして私達は光星が目を覚ましたこの日、病院を後にした。
この日以降、私は仕事を終えると毎日のように病院に通い、献身的に光星の御世話をした。
そして光星は予想していたより回復が早く、目を覚ましてから二週間後に退院の日を迎えた。退院の日には東京からご両親も駆け付けていた。
「大丈夫、光ちゃん。はい、私の肩に摑まって。一人で立ってられる?」
「大丈夫だよ、松葉杖もあるから」
「あ、光ちゃん、ごめん。上、着替えないと。ベッドに座って。私が着替えさせてあげる」
そして私は光星をベッドに座らせて病院服を脱がせた。私は初めて光星の裸を見た。光星の背中には痛々しい擦り傷があった。と同時に両肩甲骨の中心の背骨辺りに不思議な模様の痣を見つけた。
「光ちゃん、まだ、傷、痛む?」
「うん、少しまだ痛むけど大丈夫だよ」
「あれ?光ちゃん、この背中の真ん中のこの痣って?何?これもあの時の怪我で?」
「あ、ああ、それ?それは違うよ。これは生まれた時からの痣。心配しなくていいよ」
そしてその痣を見た祖父が大声を上げて光星に近寄り、光星の両肩を掴んで、自分の顔をその痣に近づけて凝視した。
「金愛くん、これは、まさか!この痣は?金の国の紋章だ」
「お、お爺様、い、痛いです」
「ああ、すまん。申し訳ない。つい力が入ってしまった」
「お父さん、何をそんなに興奮してるの?」
「そうだよ、お爺。何で光ちゃんの背中の痣にそんなに興奮してるの?」
「いや、それより、光星くんのお父さん、お母さん、この痣は本当に生まれた時から?」
「ええ、不思議な模様でこんなにハッキリしたものだから、ずっと何だろうねって思ってたんですけど、特に何も光星に異変はないみたいなので私達は気にしてなかったのですが、これが何か?」
「じゃあ、金愛くん、君に聞くけど、君の体には、何かないのか?」
そう祖父に言われて光星は質問を返した。
「いえ、そう言われても、お爺様、特には。でもこの痣に何かあるんですか?例えば僕の体に何が?」
「ああ、実は陽向の胸元にも君の痣と模様は違うが同じようなものがあるんだ」
「やだ、お爺。この私の痣も何かあるの?」
「金愛くん、例えば、君は自分の体を硬くできるとか」
「ええ、力を入れれば筋肉が硬くなりますよ」
「違う、私が言ってるのは、そうじゃなくて。全身を金属のように硬化できるかということだよ。どうなんだ」
光星は少し驚いた顔で祖父の質問に正直に応えた。
「え!何でお爺様がそれを?何で、はい、確かにずっと両親にも黙ってましたが、その通りです。僕は今お爺様が言われたとおり、自在に自分の体を硬くできます」
「そうか、やっぱり。間違いない。まさか、こんな形であの言い伝えの真実を目の当たりにするとは」
「ねえ、お爺、何なの。私たちにも分かるように説明してよ」
「あ、ああ、そうだな。よし、ここでは何だから、まずは家に戻ろう。さあ、光星くんのお父さんもお母さんもどうぞ。どうやらお二人も詳しいことは分からないようですので、説明しますから、うちにおいでください」
そして光星の両親も含めて全員でうちに戻った。そして全員が祖父の部屋に通された。
「さあ、どうぞ、お二人もここに座って下さい。陽子も適当に座ってくれ。金愛くんは私のベッドにでも座ってくれ。陽向、支えてやりなさい」
私は光星の隣に座った。そして祖父は自分の本棚のある場所の本を数冊取出し、その場所の隠し扉を開けて、その中から古い冊子を取り出した。
「皆さん、この冊子は私が先祖代々からの言い伝えをまとめてきたものです。そして、これは一切公表をしていないものです。先程、光星くんの話を聞いて、金愛さんご家族は今から私が話すことの関係者であることは間違いないと確信したので、お呼びしました。今から私が話すこと、それからこの冊子の中身については、関係者以外には絶対に他言は控えて下さい」
「何なのお爺。物凄い真剣な顔して」
「いいから。これは我々年寄よりも若い陽向や光星くんに大きく関わることだ。そして体に明確な紋章を持つ陽向、光星くんには特にな。まずはみんな、この冊子“七曜国の真実”に目を通してくれればある程度のことは理解できるはずだ」
私達はそんな祖父の話から、その“七曜国の真実”に目を通した。その内容は一般的に知られている日本の歴史からは到底信用できないこんな内容が書かれていた。
「我々の祖先は紀元元年、太陽の国を治めていた。私達はその太陽の国の当主の末裔である。
そしてこの我々の起源を示す同じ時代に日本には我々の国以外にも平和を願う六つの異なる国が存在していた。月の国、火の国、水の国、木の国、金の国、土の国が我々の国と共存していたのだ。七つの国々は互いの存在、それぞれの国を統治する当主の力を認め合って暮らしていた。
そんな中、我々の太陽の国の当主はこの七つの国の統一に向け、話し合うことを提案した。しかし、この話し合いは当主同士の間では上手く運ぼうとしていたが、それぞれの国民の理解が上手くできず不調に終わったと伝えられている。その後、この七つの国は時代の変遷とともに分裂し続け、国の統一という存在からは姿を消していった。それは争いを嫌う強い想いと国が存在していた当初から統治の基本としていた祭政一致の思想が時代の変遷とともに争いの中から作られる国と乖離していったことが原因と言われている。
その時代の流れの中でも我々の国の平和への願いが色濃く残ったものとして、人々の生活の中の楽しみの一つとして残った祭がある。これは七つの国が分裂する過程で様々な土地で、それぞれ独自の経過を辿って今に伝えられてきたと考えられる。
我々は祖先の思想を汲み、これからも祭りを通して人々の平和な暮らしに貢献していかなければならない。それが我々七曜の神秘の力を受け継ぐ末裔の使命だと私は考えている。
最後に我々一族に代々伝えられている祖先が夢見た七曜統一のイメージ図を示す」
「これが、私が父親に伝え聞いた我々の祖先のことを簡単にまとめたものです。最後に一族としてどう生きていくかという私の考えも書いているけど、それはあくまで私の個人的な意見だから聞き流してくれていいです。本当はもっと詳しく書くこともできるのですが、あまり詳細に書いてしまうと、もしもこれが公になってしまった場合に大事になることを避けるために、自分で制約をつけて書いてあります」
「ねえ、お爺、これって本当に本当なの?これが真実なら日本の歴史どころか、世界の歴史が変わるよ。だって、これって今の週の基本となっている七曜の概念が陰陽五行説によるものと言われてるけど、実際はその概念を唱える前に、そのものの神秘の力を使って日本では国を作っていたと言うことになるってことだよね」
「そ、そうだ、その通り。やはり陽向は頭がいいな。そうなんだ、それにこの最後のずっと伝えられてきたイメージ図にある七曜の国それぞれの紋様も、実際は西洋の天文学で伝えられたと言われているが、このイメージにある通り、我々の祖先がもうずっと前から伝えてきたものだったんだ。この意味が分かるか?陽向。ほら、気付かないか?お前のその胸元にある痣」
「ああ!そうだ、これ、私の痣と・・。そう、全く一緒だ」
「そう、だからお前のその痣はこの太陽の国の末裔ということの証明なんだ」
「そ、それじゃあ、まさか、光ちゃんも・・・」
「そう、その通り、さっき光星くんに聞いたあの不思議な能力を信じれば間違いない」
「それなら、お爺にも、私と同じ痣があるはず?って、いや、お爺の胸元にそんな痣なかったよね。それに亡くなったお父さんにも。だって一緒にお風呂に入ってた時にそんな痣なかったよ」
「そう、これはその冊子には書かなかった。書いてもし公になってしまったら大変な騒ぎになるからな。これは関係者以外にはばれないように口頭でだけ伝えるようにと、ずっとそうしてきたんだ」
「何で、何でお爺にもお父さんにもないのに、私だけ」
「そう、そうです。私達も光星の親としてこんな話は初耳ですが、陽向さんの言うとおり、私にも真波にもそんな痣はありませんよ」
「ええ、今から説明します。それは子孫全員にこの痣が現れる訳ではありません。子孫の中でも特にその神秘の力を凝縮して受け継いだ者だけに現れるものなんです。だから、陽向は太陽の国当主の純潔継承者、光星くんは金の国当主の純潔継承者とでも言うことになるんです。だから光星くんは、教えてくれた体を硬化させる金の力を発現したんだと思います」
この話を聞いて光星は涙目になった。
「じゃあ、やっぱり、咲良を死に追いやったのは俺のこの力のせいだ。俺がこんな力を持ってなかったら咲良は助かってたんだ。何でこんな力を俺に、俺はやっぱりあの時、死んだ方がよかったんだよ」
「何言ってるの、光星。あなたが咲良ちゃんを助けようとしたことはまぎれもない事実なのよ。助けられなかったのはあなたが悪いんじゃない」
「いや、母さん。あの時、俺がこの力を使ったのは事実なんだ。俺が自分の力をもっと理解していたらきっと・・・」
「光ちゃん、違うよ。だって光ちゃんだって、その時、小学五年生だったんでしょ。それに光ちゃんもその力のことで、戸惑ってたんじゃないの?」
「ああ、確かにそうだけど」
「だったらもう光ちゃん、自分を責めちゃダメよ。咲良ちゃんの今の気持ちは私には分からないけど、私は光ちゃんに凄く感謝してるよ。あの時、私の傍に光ちゃんがいなかったら、私、今、ここにいなかったよ」
「そうよ、光星さん、私だって」
「そうだよ、光星くん、私も君には凄く感謝してる。陽向の命を救ってくれた上に、私が心から望んでいた陽向の声まで取り戻してくれた。君にはどう、感謝を表現したら未だに分からない。それくらい感謝してる。その理由はこの今日話した内容にもあるんだ」
「え、お爺様、それはどういうことなんですか?」
「実は陽向にも神秘の力、君と同じようにあるからだよ。それは陽向の声に関係してるから。我々の祖先の神秘の力はこの声と言葉の力によるもの。祖先は今の陽向と同じように美しい声と言葉の力で人々の心に力を与えたり、安らぎを与える力を持っていたと伝えられている。だから、陽向が生まれてきた時に、この痣を見たときは、私は本当に嬉しくて、どんな素敵な女性として人々に愛されていくのか、考えるだけでワクワクしていたんだ。それがあの小学一年生の時の事故でな・・・」
「ごめんね、お爺。だからなんだね、こんなに私の声がでるように必死になってたのは。私がそんなお爺の楽しみをあの時、奪ったから。ごめんねお爺」
「いいんだ、陽向。お前のせいじゃない。それに光星くんのおかげで陽向だけじゃなく、私の止まっていた時間も動きだした。私はこれからも陽向のために長生きするからな」
「うん、ありがとう、お爺」
「ほら、光星、お前はもうこんなに陽向さんやそのご家族にも大切な存在になってるんだ。もう自分を責め続けるのはやめろ。春風さん、咲良ちゃんのご両親だってこっちに来る前にそう声をかけてくれたんだろ。これからはお前も後ろばかり振り返ってないで、前を、陽向さんをしっかり見つめてやりなさい。春風さんだって、咲良ちゃんだってそう願ってるはずだ」
「分かったよ、父さん。みなさん、ありがとうございます」
「さあ、お父さんのまさかの話は粗方済んだ?」
「ああ」
「でも私たちにも驚きでした。まさか、陽向さんの祖先と私達の祖先がそんな大昔から関わりがあったなんて。私たちの家系にはそんなことは伝わってなかったから、ねえ、あなた」
「そうだな、俺の家系にもそんなことはなかったな。だからどちらの家系が関わっているのかも分からないもんな」
「いや、でも申し訳なかったですね、金愛さん、突然、うちにきて変な話をしてしまって。もう時間も遅くなってしまいましたし、もし、明日特に東京でご予定がなければ夕食も是非ご一緒にどうですか?うちの陽向と光星くんがこんな形で出会ったのもきっと運命だったんです。これから光星くんのご両親とも仲良くさせて頂きたいので、どうですか?泊まっていきませんか?光星くんとご一緒に」
「そうですよ、是非。ねえ、陽向」
「はい、そうして下さい。お父様、お母様」
「というより陽向は光星くんと一緒にいたいからだろ」
「ば、バカ、お爺は、何言ってるのよ」
「ハハハ、ズバリ本当のこと言われて赤くなって。可愛いな陽向は」
「じゃあ、皆さん歓迎してくれてるみたいだし、お言葉に甘えようか、なあ、真波」
「そうね、せっかく、光星も退院したことだし」
そしてこの日は光星とご両親が私の家に泊まることになり、その夜、楽しい食卓を囲んだ。
「いやあ、陽向さんのお母様の料理、美味しいですね」
「良かったです。お世辞でもそう言ってもらえると嬉しいです」
「いや、お世辞じゃないですよ。素直に受け取ってもらえると私も嬉しいんですけどね。真波の料理にも引けを取らないくらいだから」
「おい、父さん、こんな時に惚気なくていいんだよ。恥ずかしいだろ」
「あれ?何か俺惚気たか?」
「はあ、またいつもの自覚症状なしかよ」
「いいじゃない、光ちゃん、素敵じゃない。いつまでも仲良しで憧れちゃうわ」
「まあ、いいんだけど、少しはお母さんと陽向の気持ちを考えろよって思っちゃってさ。だってそうだろ、お母さんと陽向は、お父さんを不運な事故で亡くしてるのに」
「陽子さん、ごめんなさい。私達、居心地が良すぎてつい、気を緩め過ぎました。いくら何でも、自宅でもないのに緊張感無さすぎでした」
「いいですよ、全然気にしてません。もう二十二年も前のことです。今までお父さんと陽向と三人で暮らしてきたんです。それにここにもういませんけど、うちの人もきっと喜んでます。だって何と言っても陽向が普通に話しているんです。陽向の声がこの家の食卓で響き渡っているのが、こんなに幸せなことなんだって、もう私も胸がいっぱいで。こんな幸せを運んできてくれたのは光星さんなんですから。そのご家族とこうして食卓を囲めてる、最高に幸せです。だから、光星さん、そんなに私に気を遣わなくていいわよ、ありがとう」
「あ、はい、ありがとうございます、お母さん」
「本当に光星さんは素敵な方ね。ねえ、陽向、光星さんのこと大切にしなさいよ」
「うん」
「でも光星、いい人を見つけたな。陽向さん、こんなに優しくて美しい女性だもんな。お前こそ陽向さんのこと大切にしないといけないぞ」
「そんなこと父さんに言われなくたって分かってるよ。だって先に惚れたのは俺の方なんだから」
「嬉しいな。陽向が光星くんにもお父さんにも気に入ってもらえて。でもお父さんが言ってくれたとおり、何と言っても陽向はその痣の示すように卑弥呼様の力を受け継いでいるんだ。私はきっと陽向が声も美しさも卑弥呼様譲りだと信じてる」
「え!お爺、本当なの?卑弥呼って、あの有名な」
「コラ、陽向、我々の先祖の中でも一番有名な方だぞ。呼び捨てとは何だ。卑弥呼様と言いなさい。そうだよ、あの卑弥呼様は私達の祖先、太陽の国当主の血筋の三代目だ。世間では邪馬台国と呼ばれているが、国として分裂を始めた後の国なので、国としては小さくなっているが、れっきとした太陽の国。卑弥呼様も陽向と同じように、その力を色濃く受け継いでいた方だったと言われている」
「凄いな、本当ですか?お爺様。まさかお爺様も陽向もあの卑弥呼さんの子孫だとは。光太家が卑弥呼さんの末裔というのは世間に公表されてないから、広く知られている事実とは違うけど、卑弥呼さんが絶世の美女だったということは本当なんですね。陽向がその遺伝子を受け継いでるなら納得できます。確かに容姿も声も輝いてるから」
「もう、光ちゃん、やめてよ。そんなに褒められたら恥ずかしい。お父様もお母様も聞いてるから」
「本当のことじゃないか。だからあの時俺だって初めて一目惚れしたんだ。納得だよ」
「あ、ありがとう、光ちゃん」
「でもお爺様、じゃあ、最近になって事実として明らかになってきたと言われていた邪馬台国の存在した場所が九州だったという歴史は?」
「ああ、その話ですか?でもよくご存じですね、星輝さん」
「ええ、結構、これでも歴史話は好きですので、よく歴史関係の書籍を読むものですから」
「そうですね、あれはやはり事実とは異なります。私達、卑弥呼様の子孫としては間違った歴史の解釈としか言えません。邪馬台国の存在した場所は、近畿地方か九州地方でその議論がなされていたが、実際は私達が暮らしている、ここ、近畿地方が正しい歴史です。でも公に反論する気もありません。あくまで陽向や光星くんが受け継いだ神秘の力は平和のために使ってほしいから。私達をはじめとした七つの国の神秘の力を人の欲望や利権のために使ってほしくない、使われたくない、というのが私の願いでもあり、祖先の願いでもあるから。私たちの祖先が七つの国の統一話を進めようとしたのも、そんな平和な国を望んだ末の決断だったと伝えられています。だから、あの冊子の最後に書いた私の思い、どうしても私が死んでも文章として残しておきたくて。ああ、すいません。また私の話が長くなりました」
「やっぱり、お爺様は素敵な方だ。僕も益々、お爺様もお母さんも、陽向のことも大好きになりました」
「でも、何で私たちもその七曜国?ですか。その国の末裔だというのに、陽向さんたちのように祖先の話が伝わっていないんですかね」
「ああ、星輝さん、それは多分ですね、私が思うには、統一話の提案者が私達の国だったから、私達の祖先が丁寧に言い伝えを残しておいたんだと思います。他の国は恐らく、その後の国の分裂が続くうちに、その言い伝えも十分に継承されなくなっていったんだと思います。たまたまうちの家系の言い伝えの継承が上手くいった、それだけの話だと思います。あ!でも一つだけ、いつの時代だったかは分からないけど、途中で一度、私達の祖先が、たまたま七曜国のうちの一つの末裔に出会って、あの七曜国統一のイメージ図を手渡したという話は伝わっています。でも実際にどの国の末裔に渡したのかまでは時を経るうちにあやふやになって伝わってしまったようです」
「なるほど、しかし、歴史好きの私にはとても興味深い話ですね」
「お爺はやっぱり優しいね。怒ると怖いけど、ずっと平和に暮らせることが一番だって、口癖だもんね」
「ああ、そうだな、やはり私はあの悲惨な戦争、第二次大戦を経験してるから余計にその想いが強くなったんだと思う」
「でもお爺、光ちゃんのところが金の国当主の家系だってことは分かったけど、他の国は?」
「そう、それなんだ。それは私にもな。何と言っても光星くんのことが分かったのも、陽向が光星くんと出会った偶然からだ。他の国の当主の末裔がどこで何をしてるか?現代まで生きているのかどうかも分からん。何と言ってもあの戦争を通り過ぎてきたから。できればそこのところを確認できればな、私も最高に嬉しいんだが」
結局、この日の晩の食卓も祖父の部屋での祖先の話の延長になり、なかなかすぐには受け止め難い内容だったが、より光星と両親との距離を縮められる私にはとても有意義な時間になった。