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第二話

 ゴールデンウイークに入り、俺の働く文具メーカーも長期休暇に入った。府中市ではこのゴールデンウイーク中に地元最大の祭りがある。くらやみ祭だ。

くらやみ祭は主に5月3日から6日にかけてここ府中市の大國魂神社で行われる例大祭のこと。東京都の指定無形民俗文化財となっており、ゴールデンウイーク中に行われることもあり、期間中には約七十万人の人出で賑わう。

 この名前の由来は、かつて街の明かりを消して深夜の暗闇の中で行われていたため“くらやみ祭”と呼ばれるようになった。その暗闇で行われる理由は、貴いものを見ることは許されないという古来から存在する儀礼に起因しており、神聖な御霊が神社から神輿に移り動く姿は人目に触れることの無い暗闇でなければならないという神事の伝統が引き継がれているためであると言われている。しかし、いつからか、多くの提灯が立てられるようになり“ちょうちん祭”とか、また神輿が御旅所で出会うことから“出会い祭”と呼ばれることもある。

 祭の見所は市内の中心部を六張もの大太鼓と八基の神輿が練り歩くところだ。

 最近は昔からの格式と伝統を守りつつ、近年の時代の風潮を取り入れる取組が行われており、この祭りを若者の感性でイメージした音楽、踊りを市民に募集し、この新しい取り組みも功を奏し、若者の参加者も増え、今までとは違う賑わいを見せている。

 そして、実はこの祭りの新しい音楽と踊りの募集には去年、俺も応募して見事に大賞を獲得して今年から祭の中で採用されることになっているのだ。そう、俺は素人だけど、作曲とダンスを趣味としている。転勤を決めたとは言え、来年も帰省を兼ねて祭には参加したいと思っているが、今年のくらやみ祭は自分の曲とダンスが採用され、かつ地元に腰を落ち着けて参加する最後のくらやみ祭になるので感慨深いものがある。

「いやー、金愛くん、本当に素晴らしい曲と踊りを作ってくれたよ。若者の参加は増えるとは思ってたけど、予想以上の応募があったからね。こちらとしても選ぶのが大変だったよ。これを嬉しい悲鳴って言うんだな」

「良かったです。祭を主催する皆さんにも、参加する皆さんにも喜んで頂けているようで。僕も自分の作った曲とダンスがこんなに受け入れてもらえて、それにこれを見たらきっと咲良も喜んでくれてるかなと思うと、凄く嬉しいんです」

「そうか、咲良ちゃんはあの時、金愛くんと一緒に踊るのが好きだったし、最高に息が合ってたもんな」

「でもすいません。せっかく今年から自分の曲とダンスが祭に組み入れてもらえると言うのに、仕事で転勤が決まってしまって、来年は地元から参加できそうもなくて」

「何言ってるんだ。金愛くんのことだ。来年だってこの期間には戻ってきて参加してくれるんだろ。君がこの町を愛してるのは私達だって良く分かってるから。また来年の今日、ここで金愛くんの元気な姿を見られるのを楽しみにしてるよ」

「はい、ありがとうございます」

 そして俺は思い切りくらやみ祭を楽しみ、生まれて初めて一人暮らしをする転勤先の大阪市に旅立った。



 今日は六月三十日、私も祖父も母も楽しみにしている“愛染祭なのだ。

 愛染祭は毎年、私の地元大阪市天王寺区にある和宗総本山四天王寺の別院、愛染堂勝鬘院、通称“愛染さん”で催される祭のこと。天神祭、住吉祭と並ぶ大阪三大夏祭りの一つである。

 愛染さんは、聖徳太子の“苦しみ、悲しみを抱く人々を救済したい”という大乗仏教のご意向を直々に受け継ぎ、千四百年もの間続いている無病息災を祈る祭事。愛染明王の御誓願を頼って開催される祭に、芸子衆が参詣したのが、祭の特色として色濃く残っており、現在でも浴衣娘が大勢参加する“女の祭”と言われている。

 現在は祭初日の六月三十日にキャンペーンガールの愛染娘が紅白の布と愛染かつらの花で飾られた“宝恵駕籠(ほえかご)”に乗って目的地の愛染堂勝鬘院まで練り歩くパレードがあり、目的地の愛染堂で愛染娘は参拝者に商売繁盛、愛嬌開運、恋愛成就を願って“花守り”と“笑顔”を渡す。翌日は愛染娘に選ばれた女性達が各自のかくし芸や一発芸を舞台上で披露し、ミス愛染娘を決める“愛嬌コンテスト”で盛り上がる。

 私は毎年、祭の実行委員を務める祖父のゴリ押しで、二十歳の時から毎年、愛染娘の審査に応募させられて、今年もまた愛染娘に選ばれてしまった。

「陽向、今年で愛染娘に選ばれるのは九回連続だな。ぶっちぎりに記録更新だな」

『お爺は、もう。私、今年で二十八なのよ。もう今年で絶対に辞めるからね。私がもう二十三歳の時で終わりにするって言ったのに、それから毎年、勝手に私の書類を審査に潜り込ませてるんだから。職権乱用もいいところよ』

「陽向、そんなに怒るなよ。選ばれてるのは私のせいじゃないだろ。確かに審査に応募してるのは私だが、それでも選ばれなければ愛染娘にはなれないんだから。選ばれてるのは陽向の責任だろ」

『そんな、私の責任て。お爺、そんな言い方酷い』

「もうそんな膨れるな陽向。言い方が悪かった。それだけお前は素敵な女性だと言うことだよ。例え話せなくても、陽向は愛染娘として毎年、参拝者の方に素敵な笑顔を届けているんだから」

 そう、私も愛染娘として愛染堂で参拝者の方に花守りと一緒に笑顔を振りまくのは幸せを感じている。でも7月1日のミス愛染娘を決める愛嬌コンテストだけは大嫌いなのだ。父親を亡くした時以来、話せなくなった私は特技と言われるものが何もないから。話せていた時は祖父もずっと褒めてくれる歌うことには自信があった。私はとにかく歌うことが大好きだったし、それ以外に自信を持てるものが何もなかった。だから毎年、コンテストに出ても、話せないし、何もできないし、愛染娘には選ばれるものの、ミスには一度も選ばれていないのだ。私はコンテストだけは辞退したいと祖父には言うのだが、いつも無理矢理に舞台に立たされるのだ。

『お爺、今年こそは愛嬌コンテスト、出ないからね。もう絶対に嫌。何もできないのに、ただ笑っているだけなんて、他の愛染娘のみんなにも失礼でしょ』

「ダメだ、今年も出るの。分かった、陽向。じゃあ、そんな風に思ってるなら、今年こそ歌えばいいだろ」

『お爺、何言ってるの?私が話せないの分かり切ってるでしょ』

「いいから、とにかく今年も出るの」

 結局、祖父に無理矢理にコンテストの舞台には立たされてしまった。とにかく私は無言で舞台上を歩き、笑顔を振りまくことしかできなかった。



 転勤のため、大阪市の天王寺区のアパートに6月三十日に引越しを終えた俺は、これから生活するこの街を知るため7月1日、愛染祭で賑わっている街中をブラブラしていた。そして、俺はミス愛染娘を決める愛嬌コンテストの会場に来た。

「ほお、これか。ミス愛染娘を決めるコンテストは。少し疲れたし、座って見ていくかな。まあ、やっぱり、若い女性ばかりだな。確かに可愛い娘ばかりだけど」

 俺は見ていてみんな綺麗な娘ばかりだなとは感じていたが、ただそれだけだった。失礼だけど俺にとっては魅力を感じなかった。基本的に自分はその人と話してみて、その人の魅力が分かるものだと言うタイプだったので、一目惚れはあり得ないと思っていた。しかし、舞台上のある女性に目が止まり、一発で心を奪われた。これが俺の初めての一目惚れだった。

「六番、光太陽向さん、特技は歌だそうです。それでは歌ってもらいましょう。曲はえがおの花という曲だそうです。どうぞ」

 そして曲が始まった。しかし、その光太陽向という女性はマイクを口元に近づけたまま、動かなかった。そしてしばらくすると、眼から涙が零れるのが見えた。俺は心の中で呟いていた。

「何で歌わないんだろう。分からないけど。でも、何て綺麗な素敵な女性なんだ。初めてだこんな感覚。これなら例え歌わなくてもミスは六番で決まりだな」

 俺は自分の基準で完全にそう思っていた。

 そして審査の結果。

「それでは発表します。今年のミス愛染娘は・・・・。二番の間中純さんです、おめでとうございます」

 俺はこの結果を聞いて納得がいかなかった。そして俺の一目惚れは完全に暴走していた。俺は思わず客席から審査員に向かって叫んでしまった。そして俺の叫び声とシンクロするように愛染娘の親族席からも叫び声が聞こえた。

「おい、審査員、どんな審査をしてるんだ。どう見たってミスは六番だろう」

 俺は会場中の注目を集め、思わず我に返った。そして親族席から叫んだ男性の御老人にも、そして俺が心を奪われた六番、光太陽向にも不思議そうな目で見られていた。

「す、すいません。いや、何でもありません」

 俺はその会場をすぐに出た。でも、会場を出た後も最後の審査には納得がいかなかった。だから俺はせめて自分の中では一番でしたと言うことを伝えたくて、近くで見かけた花屋で花束を買ってすぐにコンテスト会場に戻った。するとそこでは親族席から先程、俺の叫びとシンクロしたご老人が喚いていた。

「審査をやり直せ。今年こそ陽向がミスなんだ。くそー、陽向だって、陽向が歌えれば、満場一致で陽向がミスなんだ。ああーー」

 これを見ていた俺は光田陽向という女性がご老人にメモを見せている光景を確認した。

 老人は光田陽向という女性ともう一人の中年女性に会場の外に連れ出された。俺もそれを追って会場の外に出た。

「もう、お父さん、どうしたのよ。あんなに喚き散らして」

『お爺、何なのよ?あれは。私、歌えないのに、勝手に曲流したり、それに審査結果にまで文句つけて。審査員の方にも失礼だし、それにあんな言い方、他の愛染娘の娘にも、ミスになった娘にも失礼だよ』

「だって、だってな、本当のことなんだから。陽向が歌えれば、ああーー、何で陽向は話せなくなってしまったんだよ。やっぱり、コンテストではダメなんだな。何とか陽向が話せるようにならないかと思って毎年、コンテストに出ていれば、歌キッカケで陽向が話せるようになるんじゃないかと思って、陽向を怒らせながらも出場させていたのに」

 光太陽向という女性はそれを聞いてまた涙を流した。そして老人にまたメモを見せた。

『ごめんなさい、お爺。私、ずっとお爺に辛い思いさせてたんだね。私のためにずっと他のスタッフのみなさんにも無理を言って頑張ってくれてたのに、ごめんなさい。お爺』

 俺はこれを聞きながら、この女性が話せないことを知った。この話の中に入っていくことは自分としても憚られたが、それでも初めての自分の想いが抑えられなくて、俺はついに光太陽向という女性に声をかけた。

「あのー、すいません。光太陽向さん」

 そう俺が声をかけると振り向いて俺の顔を見て不思議そうな表情をしていた。その表情もまた俺の心をくすぐった。俺は思わず心の声を漏らしてしまった。

「う、美しい!あ!すいません」

 そして俺が話そうとするとご老人が口を挟んだ。

「ああ!君は、先程、客席で叫んでいた」

「すいません、ご迷惑をおかけしてしまって。たまたま会場に入ってコンテストを見ていたんですけど、陽向さんから目が離せなくなってしまって。とても素敵でした陽向さん。あ!違う過去形で話してしまった。素敵です陽向さんって言わなきゃいけなかったですね。審査結果にケチをつけるつもりはなかったんですが、どうしても陽向さんがミスじゃないことが自分の中で納得できなくて、思わず叫んでしまったんです。だから、これ、受け取ってもらえませんか?僕の中で陽向さんは一番だったので、どうしてもこの気持ちを伝えたくて、これ、今、陽向さんに渡そうと思って買ってきたので」

「おお、君、いいな。陽向の魅力が分かるんだな」

「はい」

 そうすると陽向がメモを見せてきた。

『ありがとうございます。本当に受け取っていいんですか?』

「もちろん。あなたのために買ってきたんだ。貰って頂かないと困ります」

『じゃあ、遠慮なく。綺麗なお花、素敵です。ありがとうございます。でも、何で私なんかを気に入ってくれたんですか?私、分かると思いますが、話せないんですよ』

「はい、ごめんなさい、会場を出てからのこと失礼ですけど見てましたから、話せないこと分かりました。こちらは陽向さんのお爺様とお母様なんですね。すいません、ご家族の会話に口を挟んでしまって。あ、何で陽向さんを素敵だと思ったかですね。ごめんなさい、一目惚れだったんです。だから理由なんてありません。一目惚れなんて初めてだったので、話せないことなんて関係ないです。それに見てたらそのメモで十分に会話が成り立ってるじゃないですか。それで十分ですよね。良かったです、陽向さんと話せて。じゃあ僕はこれで。まだ祭のお仕事あるんですよね、頑張って下さい。お邪魔してすいませんでした」

 そして俺は愛嬌コンテストの会場を後にした。



 愛染祭が終わった翌日の7月3日、俺は大阪営業所に初出勤のため、早めに出社していた。

「金愛くん、本当に突然の転勤話、申し訳なかったね。それに君の入社時の意向に沿えなくなってしまったそうじゃないか。この通り、許してくれ」

「いえ、所長、頭を上げて下さい。今はもうそんなことは気にしてませんから。それに私もいい加減、あの時から前を向いて生きていかないと・・・。とにかく今日から宜しくお願いします。社長も期待して私をこちらに転勤させたんでしょうから。期待に応えられるように頑張ります」

 そして営業所に全員が出社した後、俺は所長室から一緒に出てきて紹介された。

「おい、みんな、おはようございます。少しいいかな。今日からこの営業所の仲間になる人を紹介したい」

 そして営業所全員の注目が俺に集まり、俺もみんなの顔を見回した。するとその時、俺はある一人の女性に目が止まった。俺は思わずその女性を指差して大声を上げてしまった。

「ええーーーー、嘘だーーー。お、俺のミス愛染娘。陽向さん?光太陽向さんですよね。あ、すいません陽向さん。思わず指を差してしまった。失礼しました」

「あれ?金愛くん、何だ、光太さんのこと、知ってるのか?」

「はい、一昨日、愛染祭の愛嬌コンテストで初めてお会いしました」

 他の営業所の一人が口を挟んだ。

「俺も一昨日、会場にいたよ。ああー!分かった、あなた、あの時、最後の審査結果にケチつけた人だろ」

「うわ、参ったな。見られてたんですか?」

「だって、あんなデカい声でミスは光太さんだろって叫んでるんだから」

「すいません、俺、光太さんを初めて見て・・・、一目惚れだったんです。また、来年、あの会場で拝見できればいいやと思って会場を後にしたんですけど。まさか、同じ会社で働いてる方だったなんて。所長、私、ついてますね。転勤最高。ああ、すいません、自己紹介まだでしたね。みなさんはじめまして、本日付で東京の府中市から異動になりました金愛光星です。宜しくお願いします」

「みんなも知ってると思うが、金愛くんの向こうでの営業実績。今やこの会社の伝説になってるからな。金愛くん、君にはこの営業所全員が期待している。みんなも宜しくな。まさか金愛くんと光太くんが知り合いだったとはビックリしたが、ちょうど机が光太くんの隣にできて良かった。な、金愛くん、いきなり自己紹介で愛の告白するくらいだからな」

「え、私、何か言いましたか?」

「あれ?自覚症状なしか?金愛くん、言ったじゃないか、光太くんに一目惚れだったって」

 俺はそう言われて顔を真っ赤にして、すぐに自分の机に行って、陽向に謝った。

「光太さん、ごめんなさい。まさかあなたが一緒の職場の先輩だったなんて。それに営業所のみなさんの前であんなことを・・・すいません」

『私もビックリしました。まさか一昨日、あの会場でお会いした方が、同じ職場で働くことになるなんて。でも今言われた先輩とか、一目惚れとかやめてください。恥ずかしいですから』

「いや、でもこの営業所では先輩ですから、宜しくお願いします。あ、そうだ」

 俺はこんなところで再会できたことに運命を感じていたので、もう気持ちが抑えきれなかった。自分でも不思議な気持ちだった。陽向には迷惑かもと思いながらも、俺は自然に言葉ではなくメモ帳を出して、陽向と同じように字で想いを伝えていた。

『光太さん、一昨日、あなたを見て惚れました。もし良かったら私とお付き合いしてもらえませんか?お願いします』

 このメモを見て陽向は俺の顔を少し驚いた顔で見つめてきた。

『金愛さん、冗談はやめてください。私、一昨日も言いましたけど、話せないんですよ。ただでさえ、このことで周りの人にご迷惑かけてるんです。こんなに面倒な私とお付き合いなんかしたら、すぐに嫌になります。さあ、今は仕事中です。こんな話してたらダメです』

『じゃあ、仕事が終わってからね』

 この日、俺はとにかく陽向と仕事が終わってから話をしたくて、それをモチベーションに、営業の仕事だったけど、何とか定時に終われるように頑張った。しかし、初日に訪問した営業先で早速、契約に向けた打合せを取り付けた俺は、その打合せを終えて営業所に帰ってきたのは七時すぎだった。

「はあ、早速、契約を取り付けて、転勤先の仕事の滑り出しとしては最高の結果だけど、何でこんなに気持ちが浮かないんだろう。って自分でも分かってる。今日は仕事帰りに光太さんと話したくて、それを糧に頑張ってたんだ。はあ、仕方ない。明日またお願いしてみよう」

 俺はこんなことを思いながら営業所に帰ってきた。するとみんなが帰って真っ暗だと思っていた営業所に明かりが点いていた。俺はそっと営業所の入口のドアを開けた。

「ただいま、え!光太さん?何で?」

『だって、朝、仕事が終わってからお話ししたいって言ってくれたでしょ。それにこちらに来て初日にこんな時間まで頑張ってる金愛さんを待っていたくて。これからまだ金愛さん、書類の整理があるでしょ。お手伝いします』

 俺はこんな素敵な陽向の優しさに一層思いを募らせた。俺は再び声ではなくて、涙目になりながら文章で思いを伝えた。

『光太さん、ありがとう。まさかこんな時間まで君が待っててくれるなんて思ってなかったよ。でも酷いな所長も。光太さんを一人で営業所に置いていくなんて。君みたいな美しい女性が一人でここに残ることは危険極まりないよ。これからはここに一人で残るなんてダメだよ。明日、所長に文句言ってやる』

『いいの、所長は残ってくれると言ったけど、私が一人でいいと言ったんです。だって、金愛さんの書類の整理が終わってタイムカード押せば、別にお店に行かなくてもここでお話しできるでしょ。さあ、早く仕事終わらせましょ』

 そして俺と陽向は書類整理を終わらせた。しかしその後、陽向と話をさせてもらうつもりだったが、陽向の携帯に何回も着信があったことが気になっていたので、俺はすぐに陽向を家まで送っていくことにした。

『さあ、金愛さん、終わったね。じゃあ、お話ししましょうって、何かこんな風に話し始めるなんてなんか緊張するね』

「うん、でも今日は帰ろう。光太さん、送っていくから」

『何で?金愛さんが私とお話ししたいからって』

『うん、もっと君のいろんなこと知りたいから、もっと話したいよ。でも、ほら君の携帯、さっきから震えっぱなしだっただろ。お爺様もご両親も心配してるんじゃない。だから今日はいいよ。こんな時間まで俺のためにありがとう』

『でも、金愛さん』

『いいから、本当にいいから。君のことを愛してくれてるご家族の心情を考えると、自分のことを優先してる場合じゃない。だからね、君のことを家まで送らせて』

 俺は陽向を家まで送った。

「ああ、お父さん、陽向、帰ってきたよ」

「ただいま、お爺、お母さん」

 陽向の祖父と母親は陽向との簡単な会話なら唇の動きで何を話してるか分かるようだ。これが読唇術というものなんだと思った。

「大変だったな、こんな時間まで」

「すいません、陽向さんに私の仕事をお手伝い頂いててこんな時間まで」

「あれ?あなた、一昨日、コンテストの会場で」

「おう、そうだ。陽向の魅力の分かる中々の好青年」

「どうも、初めまして、じゃないか。一昨日会ってるから、どうも二日ぶりです。実は私、東京の方から転勤してきて今日、こちらの営業所に初出勤したんです。そうしたら、まさか、陽向さんと同じ職場で。もうビックリで。本当にこんな時間まで申し訳ありませんでした。それではこれで失礼します」

 翌日、この日は営業所の全員が定時に終わる予定で動いていた。それはその後、俺の歓迎会が予定されていたからだ。しかし、俺はこの日もミラクルで二日続けての契約を取り付けたので、出先から営業所に帰った後、すぐに書類整理して歓迎会の会場に向かった。

「すいません、遅くなりました。みなさん、主役の僕が遅刻で申し訳ありません」

 所長はもうほろ酔いだった。

「そうだぞ金愛、主役のお前が遅刻だと。おい、遅刻したペナルティだ。俺の作った特製カクテルをまず最初に飲め」

「な、何ですか所長、この見たことない不思議な色のカクテルは。何を入れてるんですか」

「中身はウォッカ、ゴールドラム、ジン、シャルトリューズ、グレナデンシロップ、バイオレットフィズ、そして最後に生姜を絞ってる。飲んでみろ」

「うわあ、これは凄い。強烈だな」

「悪いな、金愛、いつもの所長は穏やかなんだけどな、この人、お酒が入ると人が変わっちゃうから」

「おい、三井、お前、金愛に何を吹き込んでる」

「いえ、所長、僕が三井さんに話してたんですよ。所長の作ったこのカクテル美味しいですよって」

「おお、そうか金愛、気に入ってくれたか。中々、俺のことが分かってるな。初めてだよ、俺の特製カクテルを美味しいと言ってくれた奴は。ここにいる奴はみんな俺のカクテルの良さを分かってくれなかったからな」

「所長、美味しく頂かせてもらってます」

 でも本当はみんなの味覚が正解だった。俺は所長の気分を良くしておくために嘘をついた。本当は最悪の味わいだったのだ。そして俺は不味い所長カクテルを手に全体を見渡し、陽向を探した。陽向はテーブルの一番奥の隅に座って、みんなの盛り上がって飲んでいる姿を微笑みながら見ていた。でもこの盛り上がりの場で普通に話せない陽向は少し寂しそうに見えた。俺はすぐに陽向の隣に行って、筆談を始めた。

『ごめんね、俺の歓迎会なのに遅刻しちゃって』

『ううん、だって仕事だったんだから仕方ないよ。それにまた契約取れたんでしょ。凄いね、おめでとう。やっぱり、噂どおり、金愛さんて営業のカリスマなんだね』

『参ったな、光太さんに褒められると何だかメッチャ嬉しいよ』

 俺はこんなに近くで陽向の笑顔が見られて凄く幸せだった。俺はますます陽向の魅力に吸い込まれていった。

『金愛さん、何で?普通に話していいよ。面倒臭いでしょ、わざわざ書いて話すなんて』

『いや、全然大丈夫だよ。字を書くの嫌いじゃないし、それにほら、こういう騒がしいところで話すときは、書いて見せた方が伝わるでしょ。聞き取れないなんてことがないし。あ、でも俺の字、汚いから読めないことが多々あるかも。いや、今のこれももしかして読めない?読めないなら言ってね。でもこれも読めてなかったら、これも伝わらないか。ダメだ、困った』

 これを陽向に見せたら、どうやら伝わったようだ。文章を書いて、その内容であたふたする俺を見て陽向は最高の笑い顔を見せてくれた。

『良かった、読めたんだね。でも光太さん、笑い過ぎじゃない』

『だって金愛さん、自分で書いて、なんか自分の書いてる文章で頭がパニクってるのが伝わったから、それを私に見せるときの金愛さんの不安そうな顔も面白くて』

 俺はこんなに笑ってくれた陽向を見られてとても嬉しかった。

『良かった。少しでも喜んでくれたなら。こんなに光太さんの笑顔が見られて俺も嬉しい。盛り上がってる周りのみんなを見てる君の笑顔も素敵だったけど、どこか寂しそうに見えたから。俺と話してて楽しいって思ってくれるなら、遠慮なく話してね。俺、もっと君のことが知りたい。何か、君とこうして話せば話すほど、どんどん君のことが好きになっていく』

 このメモを見せると陽向は俺の目を見つめ返し、その後、恥ずかしそうに下を向いた。そして陽向との筆談に夢中になっている俺を所長を始め、営業所のみんなが冷やかした。

「おい、金愛、なにを隅で光太さんと密会してるんだよ。お前は今日の主役なんだぞ。もうそんなに夢中になって光太さんに何を話してたんだよ。見せてみろよ」

 俺は三井に最後に書いたメモを奪われて読み上げられてしまった。

「ちょっと、三井さん、やめて下さい。返して下さいよ」

「えー!マジか。金愛、お前、本当に光太さんにほの字なんだな。みんな聞いてろよ」

「三井さん、ダメだって。やめてくれよ」

「俺、もっと君のことが知りたい。何か、君とこうして話せば話すほど、どんどん君のことが好きになっていく、だってよ」

 俺は自分のことより、陽向が心配だった。凄く純粋な陽向だからこんなことでも傷つくんじゃないかと。

「おい、光太さん、どうしたんだよ」

 陽向はバックを持って店を出ていってしまった。俺は三井からメモを取りあげて陽向を追いかけて店を出た。

「光太さん、待って。待って。三井さん、返して下さい。もう、三井さん、俺はいいけどね、これも場合によったらセクハラですよ」

 俺は陽向を探した。そして近くの公園でブランコに座っている陽向を見つけて近づいた。公園は暗かったので、俺は今度はスマホを使って陽向に想いを伝えた。

『ごめんよ、俺があんな文章を書いたばかりに、君を傷つけちゃったね』

『違うの。金愛さんのせいじゃないの。これは私の気持ちの問題なの。だって特に気にしてることじゃなかったら聞き流せてるはずだったのに。三井さんに金愛さんが書いたあの文章を読み上げられた時、恥ずかしさもあったけど、嬉しくて。なんでだろう?まだ金愛さんと会って今日で三回目なのに、妙に意識してしまって。こんな気持ち初めてなんです』

「それって、もしかして俺のことを」

 俺と陽向はその言葉の後、携帯の明かりと夜の薄明りに照らされる中、お互いの顔を見つめ合った。

「俺はもちろん君を初めて見た時からだよ。今はもっと好きになってる」

 そして陽向も筆談ではなく、口を動かして俺に想いを伝えようとしてくれた。俺は読唇術なんて使えなかったが、この時の陽向の想いは不思議と唇の動きで読み取れた。

「私も金愛さんのことが好きです」

 俺はこの言葉を聞いて思わず陽向を抱きしめてしまった。俺は陽向と出会って三日で気持ちを確かめ合い、お互いの距離を縮めていった。


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