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掌編小説

日暮れても

作者: タマネギ

「近頃、五分前に話したことを

忘れているみたいなんです」


ボランティアの山上君はそう言って、

振り返った。


清吉さんのに家に向かう道は、

駅から十分ほど、

坂道を上らなければならない。

山上君は、買い物を頼まれているからと、

野菜や果物が入った、エコバッグを

肩に掛けて、先に歩いていた。


「ねえ、山上君は、どうして

ボランティアなんかしてるの?」


私は、アルバイトでもすれば、

ずいぶん、稼げるだろうにと、

山上君に聞いた。


「まあ、好きなんですよ、こういうの。

お金は、父親の会社から、

毎月、振り込んでくれるんで、

それ使ってますし」


「えっ、山上君のお父さんって、

もしかして、社長さん?」


「はい……まあ、そうです。

ほら、ここに来る時に、

駅前にあった医療ビルなんかは、

父の会社のものらしいです」


「そうか……それで、ボランティアか」


先に歩く山上君が、遠くに見えた。


清吉さんのような、一人暮らしの

老人の介護をするのには、

たくさんの人手がかかる。

ヘルパーさんも、そう多くは

雇用できない中で、

山上君のようなボランティアの学生は、

ありがたかった。


ただ、誰もができるものではなかった。

人の命に関わるところもある。


その点、山上君は、

清吉さんに気に入られているし、

頭も良く、スタッフの誰もが、

彼を信頼することができた。


坂の上まで来ると、

清吉さんが住んでいるアパートが、

見えてきた。

二階建ての建物には、

外側に、錆びた手摺の階段があって、

清吉さんの部屋は、

その階段を上りきった、

突き当たりにある。


山上君は、さっそく階段を

駆け上がり、

清吉さんのドアを、ノックしていた。


「こんにちは。佐々木さん、

山上でーす。こんにちはー」


階段を、別の部屋の住人が上ってきて、

怪訝な顔で見ている。

私は、軽く会釈すると、

山上君に替わって、ドアをノックした。


「こんにちはー。

介護センターの吉田です。

清吉さん……頼まれてた買い物、

してきましたよ。

清吉さーん……佐々木さーん」


扉は、いくら呼びかけても、

開きそうになかった。


私は、山上君の心配そうな顔を見て、

ふと、嫌な予感を覚えた。

そうだ、新聞受けを見ていない。

階段の下にある新聞受けを、

手摺に寄りかかって覗き込むと、

新聞は突っ込まれたままではなかった。


今日の朝、清吉さんは、

新聞を受け取ったはずだ。


「吉田さん、新聞は無いし、

佐々木さん、どこかに出かけて

るんですよ。

少し、待ちましょうか」


「そうだな……少し、待っていようか」


状況を、介護センターに電話をして、

山上君と、二人、部屋の前で

待つことになった。


冬の日差しが体に当たって、

風の冷たさを

和らげてくれていた。

アパートの裏手にある公園から、

子供の声が聞こえている。

長閑な、正月休み明けの午後だ。

空を見上げた時だった。

聞こえていた子供の声が、

泣き声になった。

何か、あったんだろかうか。


「子供、泣いてますね……

どうしたんでしょうね」

山上君が、また階段の手摺から

下を覗きこんで言った。

「子供同士、喧嘩でもしたかな」


それよりも、私は、

清吉さんのことが、気になっていた。

清吉さんが戻って来ないことには、

自分の仕事が終わらない。


次の約束もある。そろそろ戻ろうか。

子供の泣き声は、ますます大きくなり、

次第に近づいてきた。


「あっ、吉田さん、清吉さんですよ。

子供さんをおんぶしてます。

泣いてるの、あの子ですよ」


山上君は、階段を駆け下りていった。

階段の下では、清吉さんが、

小さな男の子をおんぶしたまま、

小さく、体を揺すっていた。


山上君が、清吉さんから、

子供を受け止めている。

子供は、そのまま、地面に座り込んで、

手で目を擦りながら、泣き続けていた。


「清吉さん、お帰りなさい。

公園に行かれてたんですか?」


私も、階段を下りながら声をかけた。


「ああ、どうも、どうも、

いつもすいませんな……

孫を見てまして。

あかん……泣かせてもた」


清吉さんは、頭を掻き、

泣いている子供を見下ろしていた。


「お孫さんですか。大丈夫なんですか?

腰の方は……背負ったりされて」


「ああ、大丈夫、大丈夫、

これぐらいやったら、まだいけます」


「そうですか……お留守のようなので、

今、センターに戻ろうかと

思ってたんです」


「ああ、そら悪い事しました。

どうぞどうぞ、上がってください。

お兄さんも、どうぞどうぞ……」


清吉さんの側で、

子供を覗き込んでいた山上君は、

顔を上げ、清吉さんを見た。

そして、そのまま、私の方を見て、

首を傾げた。


「吉田さん、この子、見てますから、

買い物、お願いします」


山上君は、エコバッグを渡そうと、

階段を上がってきて、私の耳元に囁いた。

……清吉さん、ぼくのこと、

忘れているみたいです。

清吉さんの記憶は少しずつ、

覚束なくなっているのだろう。

介護センターに申請のある老人の

大半がそうだが、

清吉さんも、それに違いなかった。


「清吉さん、じゃあ、

部屋に行きましょうか。

お孫さんは、山上君が見てて

くれてますから」


「ああ、それじゃ、ちょっとだけ

お願いします」


清吉さんは、山上君に向かって言うと、

階段をゆっくり上がってきた。


子供は泣き疲れたのか、

声は小さくなっていて、

山上君が地面に描いている、

何かの絵に興味を示していた……



「清吉さん、よくお孫さん、

預かりましたね。

大変だったでしょう。

いったいどうされたんですか……」


私は、部屋の中にあった、

紙屑を片付けながら、

清吉さんに言った。


「いや、どうしたもんか、

わからんのやけど。

子供、泣いてたやろ」


清吉さんは、流しの前にあった

丸椅子に腰を掛けて、

禿げた頭を撫でては、

私の問いに答えようとした。


「そうですね……息子さんが、

連れてこられたんですか?」


「ああ、そうなんやろか。

息子は会社に行っとるんやから、

来られへんがな」


「そうかそうか……じゃあ、

息子さんの奥さんが連れて

来られたのかな。

でも、そろそろ、迎えに来て

もらわないと」


窓の外、日差しが少し陰っている。

冬至は過ぎたとはいえ、

日暮れは、まだまだ早い。


清吉さんの話では、

子供の母親が連れてきたようだが、

一体どういうことなのか、

詳しい事情はわからなかった。


「吉田さん、果物、食べて

いくやったら、

剥いてもろてええんやから」


清吉さんが、いつものように、

食べ物を勧めだした。


こうなると、話が戦争の頃の話になる。

清吉さんは、まだ幼かった頃、

空襲で家を焼かれたらしい。


老人の話は、

できるだけ聞いてはやりたいが、

そうもいかない。

私は、清吉さんに、

息子さんに連絡をとって、

お孫さんを迎えに来てもらっては

どうかと言った。


清吉さんは、私の言ように、

息子さんの自宅に電話を

しようとしたが、

そこに、山上君が扉を開けて、

入ってきた。


「あの、すいません、

お孫さんのお母さんが、

来られたんですけど」


山上君の後ろに、

小柄だが、気の強そうな

顔の婦人が立っていて、

子供の手を引いていた。


「……お父さん、ありがとう

ございました。助かりました。

清二さん、大丈夫でしたから」


婦人は、部屋には上がらずに、

靴を履いたまま言った。


「ああ、そうか。清二、大丈夫か」


清吉さんが、急に椅子から

立ち上がって、婦人に言った。


私は、一体何があったのかと、

山上君と顔を見合わせた。

山上君は、私の顔を見て、

腕の時計を指差している。

次の訪問先に行かなければならない。

清吉さんのことは、

子供の手を引いている、

その婦人に、お願いすることにした。


「申し訳ありませんが、

時間が押してまして、後のこと、

お願いしてもよろしいでしょうか?」


「あっ、はい、すみませんでした。

後は、大丈夫ですから……

私が見てますので」


婦人は、靴を脱ぎ部屋に上がった。

子供が、婦人に引っ付いていく。


「一応、果物と野菜は買って、

冷蔵庫にいれてありますので……

あの……なにかあったんですか」


清吉さんのことではないので、

余計なことと思いながらも、

尋ねずにはいられなかった。


「……あっ、はい、すいません、

主人が急に倒れてしまって、

病院に行ってたんです。

それで、父に……おじいちゃんに、

子供を見てもらってたんですけど」


婦人は、清吉さんの記憶が、

次第に、覚束なくなっていることに

気が付いていないようだった。


「そうでしたか。

それは、大変でしたね……

私たちにできることでしたら、

どうぞ、また、お聞かせください」


私は、清吉さんの息子さんが、

病気になっていることを知り、

これからのことを心配して言った。


「ありがとうございます。

でも、大丈夫です。

主人もすぐ良くなるって言ってましたし。

……実は、駅前の医療ビルで

働いているんですけど、

ビルの家賃が上がったとかで、

勤めている医院が引っ越すらしくて、

その準備とかで忙しかったみたいです」


激務が続いたという、

清吉さんの息子さんは、

理学療法士をしていると

いうことだった。


「そうですか……お仕事、

早く、落ち着かれるといいですね。

あっ、時間が……清吉さん、それじゃ、

また、寄りますからね」


私は、駅前の医療ビルの家賃が

上がったことに、

やり場のないものを感じていた。

清吉さんは、ニコニコと、

笑ってくれていた。


坂道を下りていく間、

山上君は、何も話をしなかった。

彼が、何を、どう思っているかは

わからなかったが、

次の約束を気にして、時計ばかりを

気にしているように見えた。


私たちは、日暮れて窓に灯りの点いた

医療ビルのところまで、戻ってきた。

見上げると、

清吉さんを待つ間、見ていた空が、

色を変え、そこにあった。


さっきは……ありがとう。

私は、とにかく、

若い山上君に声をかけた。



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