2話 後悔と涙
「はじめまして、リリエット=ナーブ=ロイツハルマです。よろしくお願いします。」
ありえない。
ありえないんだよそれは。
想い人が転校してくる。
なんとベタな展開だろうか。
だが、この再会がベタな展開のまま終わるとは到底思えなかった。
なぜなら、彼女と俺は、ここで再会する事など不可能なはずなのだ。
俺と彼女が出会う事、それはこの世の法則を捻じ曲げた時に、ようやく成し得る事だ。
夢の中で言っていた。
「まだ出来ることがある」
それがこれなのか……?
にしても、到底信じ難い。
心拍数が跳ね上がっていく、自分の鼓動が聴こえるほどに。
冷や汗も止まらない、滝のようだ。
呼吸すらおぼつかない。
どうやら思考だけでなく身体さえもパニックになるほど衝撃的だったらしい。
それを見かねてか
「優雅……?大丈夫か?」
「あんたすっごい体調悪そうな顔してるよ?」
武斗と茜が声を掛けてくる。
「……あ、あぁ……大丈夫……、少し驚いただけだ」
口調からは少しも大丈夫な様に感じないが、これでも少しずつ落ち着いてきた。
「本人が言うなら否定はしないけどよ……無理はすんなよ?」
「あぁ……悪ぃ」
――パチパチパチ
教室中に拍手の音が響きわたる。
どうやら色々考えているうちに自己紹介が終わったようだ。
「なぁ……可愛すぎね?」
「いや、どっちかって言うと綺麗だろ」
「どっちにしてもこれはテンション上がるな」
「あとで声掛けに行こうぜ」
クラス中からそんな声が聞こえてくる。
女子男子構わず、その姿に見惚れてしまっている。
それほど彼女は美しかった。
「席は1番後ろに仮置きした席があるからそこを使ってください」
どうやら俺の右後ろに新しく置かれた席が彼女の仮席らしい。
「はい、わかりました」
彼女はそう返事をするとゆっくりと俺の方へと近づいてくる。
1歩ずつだが、確実に。
その優美な歩き方も、俺の知っているリリエットと寸分違わない。
同姓同名の別人とはもはや思えない。
俺の知る彼女は普段からお嬢様らしく、品のある服で着飾っていた。
今はこの学校の制服を着ているが、その制服が周りの生徒が着ている服と同じものとは思えない。
彼女の美しさにかかればどのような服でも、その美しさを際立たせる飾りにすぎない……そう思ってしまうほど、見事に着こなしていた。
本当に、俺の知るリリエットなのだろうか。
ふと、彼女と目が合う。
ドクンと心臓が跳ね上がる。
取り戻しかけていた鼓動のペースも再び早くなる。
何か言葉を発しようとしても喉で詰まるように何も出てこなくなってしまう。
だが彼女はすぐに目線を逸らしてしまい、指定された席へと向かっていく。
しかし、俺の横を通り過ぎる瞬間。
「……?」
ひとつの紙切れを他の生徒に見えないように渡してきた。
つまり、本人かどうかはまだ確定出来ないが、少なくとも彼女は俺の事を知っているということになる。
その事実に俺の焦燥感は高まるばかりだ。
そのまま彼女は俺の右後ろの席へ着席する。
「さて、今日の伝達事項を伝えるぞー」
担任の言葉により、リリエットに注がれていた視線と意識が教卓の方へと向く。
俺はその隙に先程受け取った紙切れを恐る恐る見る。
『 話は後で。この場で話すと騒ぎが起こって話どころでは無くなってしまいそうだし。放課後、屋上で』
この日1日、俺の心臓はずっと過労働を続けていた。
□□
「とても綺麗ね……」
そう、彼女は呟いた。
広大に広がる草原。
中心なんて分からないが、自分のいる場所が中心と思える程広い草原に俺とリリエットは立っている。
遠くの山に日は沈んで行き、空を茜色に染め上げる。
夕日に当てられた彼女は儚げで、優しく微笑む。
そんな彼女を前に俺は――
「そうだな……」
――最早、夕日なんて見てられなかった。
□□
ようやく放課後になった。
突然のありえない再会のせいで授業どころではなかった。
今日やった内容なんかひとつも覚えてない。
早く確かめたかった。
本当に俺の想い人なのか。
彼女を見間違えることなんてあるわけが無いが、それでも確かめざるを得ない。
放課後まで待ちきれず声を掛けようかとも思った。
だがやはり転校生。
その容姿も相まって、クラスからの人気は絶大。
他クラスからも見に来る程で、声を掛ける事ましてや長話など出来る隙もなかった。
だが、ようやく話せる時間ができた。
俺は受け取った紙切れの通り、屋上へ向かう。
校舎の4階から屋上へと繋ぐ階段の踊り場、次の階段を登れば屋上へと辿り着く。
彼女はもう、いるだろうか。
1段ずつ、確実に、踏みしめるように登って行く。
――ドクッ
1段上がる度、心臓が跳ねる。
――ドクッ
期待、不安、焦り。
色々な感情が身体中を駆け巡る。
――ドクッ
そして遂に、屋上の扉へと辿り着く。
扉を開ける手は、震えてしまっていた。
(男なら腹くくれ、覚悟決めろ!)
自分にそう言い聞かせ、扉を開ける。
瞬間、夕日の眩しさが眼を射った。
そして、速いようでゆっくりと、眼が慣れていく。
太陽の光によって生まれたシルエットが明確な実体へと移り変わって行く。
彼女は、そこにいた。
――ドクンッ
その光景に俺の心臓は一際大きく飛び跳ねた。
「この空の夕日も、とても綺麗ね」
――またしても俺は、夕日を見ることが出来ないようだ。
かつての少女と何も変わらない、夕日に当てられたその儚げで、優しく微笑んだその姿に、俺は見蕩れてしまっていた。
緩やかな風になびく金色の髪も。
夕日のオレンジと瞳のエメラルドが調和され、輝きを増したその眼差しも。
陶器のような白い肌に夕日が当たり、みごとなコントラストを生んでいるその表情も。
あの時と、なんら変わらない。
「リリー……」
かつて呼んでいた、その名を声に出す。
「ユウガ……そんなところで立ってないで、もっと寄ってきなさい」
「リリー……なんだよな……ホントに」
「さぁ……?もっと近くに来て確かめたら?」
俺は足を踏み出し、1歩ずつ彼女の元へと近づいていく。
間違いなく、リリエットだ。
リリエットなんだ。
その少し生意気な口調もリリエットそのものだ。
もう、歯止めなど効かなかった。
俺は駆け出し、リリエットに思い切り抱きついた。
「本当に……いる、リリーが……ここに……!!」
「ええ、私はちゃんと、ここにいるわ」
頬に熱いものが流れる感覚がある。
涙を流してしまっていた。
もう駄目だった、再び会えた実感がどんどん湧いてきて、込み上げる感情をせき止めることなど出来なかった。
俺は確かめるように強く、強く、最も尊い人を抱きしめる。
「ちょっと、流石に痛いわよ」
「ごめん……!俺……!俺……!」
「謝るなら少し緩めてくれない?」
「違うっ!そうじゃなくて……!俺は……っ君を……守れなかった……!」
「……っ……何を言ってるのよ……あなたは……十分……っ」
彼女の声も涙ぐんでいた。
「私こそ、あなたに……とても辛い思いをさせた……っ」
「俺の辛さなんかリリーに比べたら些細なものじゃないか……君はずっと……っあの日から……」
「そんなことない……っ!!だってあなたは抗い続けてくれた……っ!ある筈だった数々の時間を捨ててまで……!」
「だけど俺は何も出来なかった!日常も……捨て切れないままだった……っ」
「そんなの当然じゃない……あなたには……優雅には……優雅の日常があったんだから……」
「俺は……俺は……っ」
悔しさ、罪悪感、様々な思いが駆け巡り続ける。
ずっと、ずっと積もり続けてきた感情が今爆発していた。
だけど、この涙の原因はそれらよりも大きな感情がもたらしたものだと確信して言える。
「リリー……っ」
「ユウガ……」
「「また逢えて、良かった……っ」」
この涙は、再び出会えたことへの、歓喜の涙だ。