1話 転機は唐突に
窓から差し込む光の眩しさに目が覚める。
俺、高津優雅は先程まで不思議な夢の中にいた。
もう会えないとさえ絶望していた少女に会えた夢。
「夢……ではないよな」
その少女は、確かにそこにいたはずだ。
かつて救おうと足掻き、救えなかった少女。
「俺を止めに来たって言ってたのに、逆に勇気づけられちまったよ」
自然と笑みが零れる。
どんな形であれ、会いに来てくれた。
……生きていてくれた。
その事実が、何よりも心を奮い立たせてくれる。
「どれだけでも足掻いてやるさ」
再びそう心に刻み込む。
不意に自室の扉の方からコンコンっという音が聞こえてきた。
「お兄ちゃん、朝ごはん出来てるよ」
「……おう」
色々と考え込んでいたら思いのほか時間が経っていたらしく、妹――高津葉月が部屋まで来て呼びに来た。
すぐさま学生服に着替え部屋をでて階段を降りるとトーストの香りが漂ってくる。
その香ばしさを感じながら、リビングのテーブルに向かう。
「母さんと親父は?」
「お父さんはもう仕事に行ったよ、会議の準備があるから早いんだってさ、お母さんは町内会の清掃当番」
「あー、昨日そんなこと言ってたな」
トーストを齧る。
ふわっと香ばしい香りが鼻孔を通り抜け、長年の日課になったその香りと味が朝を感じさせる。
「やっぱ、トーストだよな」
「お兄ちゃん、昨日は米と味噌汁が最強って言ってたよね……」
「細かいこと気にしてっとモテねーぞ」
「うっさい!お兄ちゃんよりはモテてるから別にいいもーん」
「俺はいいんだよ、そんな余裕ねーの」
「あーはいはい、そーですか、それはそれはお忙しいことで」
「お前信じてないだろ」
「うん、モテない人って大体似たようなこと言うし」
「さぞおモテになるであろう葉月さんは、今度の中間は大丈夫なのか?」
お兄ちゃんうっざ!っという葉月の声を背に食べ終えた朝食の食器を片付ける。
「ほれ、お前の分も洗っとくから貸せ」
「そーいう気は回せるのになんで人付き合いに力入れれないのかなぁ…」
「大勢を相手してたら気が滅入るだけだろ、そんなもんより大切な事は腐るほどある」
「あー確かに……お兄ちゃんの周りの環境、憧れはするよ、今のセリフはキモイけど」
「そういうことだ」
一通り食器を洗い終えたので軽く拭いてから乾燥させるためのラックに食器を置いておく。
「でもそれってモテるモテない関係なくない?」
「さて、そろそろ学校行くかな」
「露骨に話逸らしたよね……あ、もうこんな時間なんだ、私も出ないと」
「んじゃ、一緒に行くか」
「ほいほい、あ!お兄ちゃん、いつも付けてるブレスレットは?」
「鞄に入れてある」
「ならおっけー」
▫
駅までの道のりは徒歩約10分程で、そこから電車に乗って約30分程で降りる、そこからまた10分程歩いた場所に俺と葉月の通う学校、私立大凪高校がある。
その道のりの途中。
通勤通学ラッシュの電車内の中で葉月が俺に問いかける。
「そういや今日は遅くなるの?」
「あー、結構遅くなるかもな、街の方の図書館で気になる資料も見つけたし」
「気になる資料ねぇ……いい加減あんな趣味なんてやめたらいいのに、あんましいい目で見られないと思うよ?」
「別に趣味って訳じゃねーんだよ、俺にとって重要なことなの」
「ふーん、ま、他人の趣味にはあんま口は出さない方がいいか」
「充分口出てたろうが……あと趣味じゃねぇって」
「はいはい」
そんなこんなくだらない会話を続けているといつの間にか学校目前まで来ていた。
人と会話していると時間が早くすぎるというのは間違いないと思う。
「んじゃ、教室行くわ」
「ん」
そんなやり取りを後に3年の使う昇降口まで歩き、自分の靴箱の前で上履きに履き替えていると。
「おーっす」
「ん?武斗か、おっす」
笹西武斗。
幼稚園時代からの付き合い、まぁ腐れ縁って奴。
「今日、一限なんだっけ?」
「現文だよ、そんくらい覚えとけ」
「ははっ悪いな、置き勉してっと時間割わかんなくなるんだわ」
「お前なぁ」
下らない会話だが、こいつと話してても疲れなくて済む分楽だ。
慣れたってのもあるだろうけど。
だべりながら廊下を歩いて、始業チャイムの10分くらい前に教室へとたどり着く。
3年D組が俺と武斗の教室だ。
「おっ!優雅に武斗じゃーん!おはよー!」
「お前はなんで朝からそんな元気なんだ?」
教室に入った矢先に声を掛けてきたのは名取茜。
中学の頃から何故か俺と武斗に加わってつるむようになった女子だ。
そこそこ男子から人気のある容姿なのになんで俺と武斗なんて言う目立つ存在でもない2人と絡んでくるのかよくわからん奴。
本人曰く、『 なんか気が楽』らしい。
まぁ、そういう感性は大事だと思う。
一緒にいて疲れる奴とつるむのは俺も嫌だし、
素が出せる存在ってのは大事だろう。
そういう点では茜といるのは苦痛でもないので俺も武斗も快く受け入れられた。
ふと今朝の葉月との会話を思い出す。
この2人は間違いなく、大切にして行きたい者、かけがえのない存在と言える。
向こうがどう思ってるかは知らんが、少なくとも俺自身はそう思ってる。
「そりゃ元気にもなるって!転校生がくるんだし!」
ポニーテールに結んだ髪を跳ねさせながら茜が返答してくる。
「あぁ、転校生来るの今日だったか」
「そういやそうだったな、確か海外から来るんだっけ?俺英語喋れねー……」
転校生の話は少し前からクラスで話題になっていた。
なんでもどこぞの国のお嬢様だとか。
「噂では日本語ペラペラらしいよ?」
「頭いいんだろうな、お嬢様らしいし」
「お嬢様だと頭いいのか?」
「いいだろ、お嬢様だぞ?」
「なんだその自信」
お嬢様が頭悪いわけないだろ、お嬢様舐めんな。
キーンコーン……
「チャイムなったぞー席着けー」
教師が声を掛けたことにより賑やかだった教室が静かになって行き、各々が席に着き始める。
「ホームルーム始めるぞー、日直、号令頼む」
「起立!礼!着席!」
今日もまた、いつもと変わらない日常で終わるのだろう。
そして、これからも……
だけど、俺はそういう訳にはいかない。
いつか、この日常を手放さなければならない日が来る。
手放してでも成し遂げたい事がある。
必ず……あの約束を――
「さて、みんなも気になっているであろう転校生の紹介だ、海外からの留学で戸惑うことも多いだろうから色々助けてやってくれ」
「どんな子なんだろうな」
「かわいいといいなー」
「可愛くてもお前には関係ないと思うぞ」
「うるせえ死ね」
クラスの隅々からそんな声が聞こえてくる。
高校にもなると転校そのものが珍しいから騒ぐのも当然だろうか。
「んじゃ、入ってきてくれ」
「はい」
少し立て付けの悪い引き戸の音、そして規則正しくキッチリとした歩みを表すような足音。
そして現れる、その少女。
人生の転機とは、必ずしも想像通りに現れる訳では無い。
そのほとんどが唐突に現れ、掴めなければ消えていく。
この突然の転機も、誰が想像出来るだろうか。
しかしそれは、俺にとって絶対に掴まなければならない転機であり、掴み損ないようのないとんでもないものだった。
――その少女はこの世界の誰よりも、何よりも美しい。
純金よりも煌びやかな輝きを放つ金髪。
綺麗さも可愛さも兼ね備えたような整った顔立ちに、エメラルドのように透き通った瞳。
にっこりと笑うその顔は、太陽よりも眩しい。
俺の知っている姿。
しかし、彼女がここにいるわけが無い。
だが、その姿を見間違えるわけがない。
(ありえない……!なんで……どういうことだ!)
「はじめまして、リリエット=ナーブ=ロイツハルマです。よろしくお願いします。」
その姿は間違いなく、今朝夢で逢った少女だ。
そして、俺が救おうと足掻いていた少女。
停滞していた時間。
足掻こうともがき続けても、動く片鱗すら見せなかった時間。
今日、全ては動き出す。
世界すらも、巻き込んで。