煉獄の魔女は奔走す
アリステイア王国~ルメール地方~。
鉱山都市ルメリア。
大陸の中央域を支配圏とするアリステイア王国は、北域と西域をも属領として有し、その支配圏が実に大陸全土の三分の二に迫ろうかと言う大陸屈指の大国である。その王国の中でもルメール地方は南部に位置し、中でもルメリアは王都からは遠く離れた王国最南端に位置する鉱山都市として広く周知されていた。
霊峰を有する険しい山脈群に大陸の中央域と南域が分かたれている為に、南域に存在する都市国家群との陸路での貿易や国交が途絶えて久しい現在では、ルメリアこそが大陸の最南端と誤認識している者たちすら少なからず存在する、まさに最果ての地などと揶揄されるなど其処に住まう住民や領民たちからして見てば、甚だ面白くない評価を受けている土地柄でもあった。
歴史を遡ればあの伝承で伝わる『アリステイア大坑道』に隣接する王国でも有数の鉱山資源の宝庫として栄えていたとされる嘗ての栄光も、今や東域と北域を制したアリステイア王国の情勢下にあって他の領地から豊富な資源が流入している中で、反して資源の枯渇が著しいルメリアの重要性は日増しに薄れ、現在では目を向ける商人たちも数少なかった。
★★★
人口にして数万程度、その大半が鉱山労働者であるルメリアの街並みに王都の如く景観美を求める事自体が酷な話だろう。
山脈地帯の入口である地形的な問題として、農耕に適した大地や草原の様な緑豊かな土地が数少なく、多くが無骨な岩肌が覗く山地である事からも必然的に都市内の構造や景観もそれに類する……良く言えば質素で古き良き……悪く言えば古臭く薄汚い街並みが其処には広がっていた。
主要な大通りには出稼ぎの鉱山労働者向けの安宿が立ち並び、屋台など多くの出店が軒を連ねて一応の活気らしきモノはあるものの、その客層の多くが食い詰めた男たちで占められている為に、風紀や治安と言う観点から見た場合、とても子供連れの主婦やまして幼い子供が一人で出歩ける様な気安い雰囲気は皆無であると言えた。
此処『水曜亭』も類に漏れず、大通りの一角に店を構える気の荒い男たち向けの安宿兼食事処である。
「女将さん……どうします?」
「どうしますって言われてもねえ……」
水曜亭を取り仕切る女将は今決断を迫られていた……いや、少々大げさな表現過ぎたであろうか、厳密には実は左程重要な案件と言う訳では無い。
「身なりは小奇麗だしちゃんと金も払う、そう言ってるんだね?」
「ええ……」
「なら立派なお客さんじゃないか、あたしが相手をするからあんたは仕事に戻りな」
女将は給仕の女性を促し、自分は喧騒に包まれている一階の食堂から離れる様に店の外へと向かった。入口の木の扉からは夕日の赤い日差しが差し込み、覗く夕闇の街並みが日暮れの刻限が近づいている事を窺わせている。
店を出た女将の視界に件の人物の姿が映り込む。
(なるほどねえ……そりゃ相談にも来る訳だわ)
受けた相談の珍妙さから怪訝な表情を浮かべていた女将ではあったが、外で待つ人物をその目にした瞬間には既に疑念は氷解していた。
入り口の隅で待っていたのは一人の少女。
しかし……明らかに普通とは掛け離れた存在であった。
少女が纏う黒色の外套には銀糸で編まれた見事な刺繍が施され、僅かに覗く控えめな肢体の線を深紅のドレスが包み隠している。外套もドレスも素人目から見ても上質な一品である事は疑い様も無いのだが……それ以上に特筆すべき点が少女には存在する。
見目麗しい……それがお世辞では無く女将が抱いた素直な感想である。
白雪の様な肌に整った目鼻立ち。此方を見つめる金髪碧眼の少女は物語に語られる黄金の姫君そのものである様にすら思えた。
歳の頃は十四、五歳くらいであろうか……成長過程の今ですらこれである……後四、五年もすれば恐らく彼女の存在を無視できる男など皆無なのではなかろうか、と思わせる程に女性として見た時、その末恐ろしさを際立たせる。
「ええっ……と、お嬢さんは御一人? お供の方かご両親は?」
「ふむっ、我は一人であるし、その様な輩はおらぬな」
完全に訳ありである……いや、これが訳ありでない方が寧ろおかしい程にこの少女の存在はこの場所……いいや、この都市には余りにも不釣り合いな異彩を放っていた。
どう見ても普通の町娘などでは無い。寧ろ何処かの貴族の令嬢か豪商の愛娘と考える方が自然である。しかし少女の容姿は別に置いても、この都市の貧乏貴族や商人にこれ程上等な衣服を買い与えられる程の経済力を持つ者が居ない事を女将は知っている。
考えられるとすれば中央の貴族か豪商の……と言う辺りに女将の思考は落ち着く。
(中央や北の方は物騒だって言うしねえ……)
攫われて来た、と言う様子でも無し、さりとて家出にしてはこの都市は中央からは余りに遠過ぎる……ますます女将は混乱してしまう。
「むううっ……急かせる様で相済まぬが我は食事を所望するぞ、そろそろこの身体が倒れてしまいかねんのだ」
妙な言い回しで懇願してくる少女に女将は思考の海から脱する。
「仕方ないねえ……裏に回んなさいなお嬢ちゃん」
店の裏側には女将が住む母屋がある。流石にこんな身なりの少女をまさか荒くれ者たちの隣に座らせて食事をさせる訳にはいかない。本来面倒事は御免……なのだが、此処で突き放した事でこの先少女が辿る事になる危険を考えれば無下に断る事が女将には出来なかった。
この都市の多くの男たちは見た目に反して気の良い連中が多い……しかしその反面、確かにどうしようもない輩も存在している。そんな連中の只中に少女を送り出すのは気が引ける。そう思える程度には女将は良心的な女性であった。
「お嬢さん、お名前は?」
「我の名か? 我はクロムウェル……まあ、クロムとでも呼ぶが良いぞ」
母屋へと案内されながら、少女は屈託の無い笑みを女将へと向けるのであった。