第二幕
「天使の『加護』も我らとの『契約』も無しにこれ程の魔力……これ程の力を行使出来るなど……貴様は一体……」
完全に再生しきってはいないものの立ち上がれるだけの自己修復を終えたグラニードは……クロムウェルとの距離が十分に離れているにも関わらず一歩また後退る。それは本能的な恐怖ゆえの無意識下の行為であった。
『魔力感知』のスキルを保有するグラニードの視界には華奢な少女でしかない筈のクロムウェルから撒き散らされている莫大な魔力の奔流がはっきりと認識出来ている。
『熾天使』級……いや、流石にそれは有り得ない……有り得ぬ筈だ。只の人間如きが最上位の天使と同等の魔力を有しているなど……あってはならないのだ。
三界に知性ある生命は三種のみ。
天使。
悪魔。
そして……人間。
この娘が天使でも悪魔でも無いのであれば……それはもう人間でしかあり得ない。しかし、だからこそグラニードはそれを認める事が出来ない。認めてしまえば世界の均衡が崩れてしまう……根底から全てが崩壊してしまうのだ。
(この人間は此処で絶対に殺さねばならない)
主へ忠誠心……天使と悪魔の覇権争いの行方……そんなモノよりも遥かに勝る脅威を、畏怖を、グラニードは感じていた。それは当人すら気づかぬ内に抱いた種族としての本能と言い換えても良いだろう。
「絶望を感じたか? 恐怖を抱いたか? 悪魔」
グラニードに自己回復の猶予を与え、今尚、追撃の素振りすら見せずクロムウェルは問う。
「ほざけ人間如きがああああああああああっ!!」
瞬間、クロムウェルの視界の全てを覆い尽す火球が空間に現出する。
「地獄火炎!!」
「覚醒」
クロムウェルとグラニード……両者のスキルが同時に発動する。
爆炎が少女を覆い尽し、刹那、祭壇の間全体へと爆散する。
尋常ではない熱量の放出を物語る様に、祭壇の間に置かれていた金銀財宝の数々は一瞬で液体状の何かへと変化を遂げ石床を黄金色の海へと変えていた。
グラニードの固有スキル『地獄火炎』は対象を中心とした高熱の範囲爆発。
つまりクロムウェルが如何に速度を誇ろうとも祭壇の間全体が効果範囲内である地獄火炎には回避そのものが無意味であった。
例え直撃を免れようとも爆発から生じた熱波と衝撃は黄金が瞬時に溶解する程の熱量を有している。グラニードが知る限り人間程度が扱えるスキルや魔法では回避も防御も不可能な……これこそが絶対的な力。
上位種族である天使と悪魔……そして劣等種族である人間との能力差は圧倒的な身体能力だけに留まらない。扱える魔法やスキルそのものの次元が違うのだ。階位そのものが違うと言い換えても良い。
人間が扱える程度のスキルや魔法など上位種族にとっては取るに足らぬモノ……それこそが三界の法則。転じてそれが人間が搾取される側で有り続ける理由でもある。
「ふっ……ふははははははははははっ!!」
吹き上がる蒸気で視界が霞む祭壇の間でグラニードは一人狂った様に嗤う。
「そうだ、所詮人間などこの程度の生き物、恐怖だと……畏怖だと……劣等種族の分際で笑わせおって」
己の圧倒的な力が齎した現状を前にグラニードは完全に悪魔としての尊厳を取り戻していた。
少々取り乱したが考えても見れば最初の痛手は小娘と侮った己の油断が招いた結果に過ぎない。あの小娘も人間としては中々のスキル保有者ではあったが本気を出せばこんなモノ。
「本物のリディアの行方は……まあ良い、何処に隠れていても大した差異は無い。主が受肉なされれば自ら王都においで頂けるであろうしな」
祭壇の間の蒸気が少しづつ晴れていく。
「それよりもまずはこの一件をアリシア王女に……」
不意にグラニードは言葉を詰まらせる。
これまでの愉悦感を一瞬で消し飛ばす気配を……存在をその視界に映したゆえに。
「どうした悪魔。余興はこれで終わりか?」
爆発で消失した祭壇……その残骸の上にクロムウェルは立っていた。小さく整った鼻をふんっ、と鳴らしグラニードを変わらず見下ろしている。
「何故だ、という表情をしておるな悪魔。それに答えてやる道理はないが優しい我は教えてやろう」
自らの黄金の髪を右手で掻き揚げグラニードを見下ろしながら、見下しながら、クロムウェルは言葉を紡ぐ。
「我の『魔眼』は二通りの属性を有しておってな、『解放』は従来通りの『強化』。そして『変化』の属性を有する『覚醒』の能力は……術者の保有魔力量以下のスキルと魔法効果の一切の無効化」
つまり、とクロムウェルはグラニードを嘲笑う。
「我以下の存在に対する『完全耐性』と言うべきモノじゃな」
「ば……かな……馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な……ありえないいいいいいいいいいいいいいいっ」
グラニードは発狂したが如く暴れ出す。
悪魔としての矜持ゆえに。
そして未知なる化け物に対する恐怖ゆえに。
「滑稽で惨めな様であるな……だが足りぬ、全く足りぬ……その屈辱も、その恐怖も……リディアが貴様たちから受けた仕打ちの万分の一にもな」
緋色の瞳を爛々と輝かせクロムウェルは瓦礫と化した祭壇からすっ、と降りるとその白き指を虚空に奔らせる。
刻まれる刻印。
瞬時に展開される魔法陣。
グラニードがそれを無詠唱からの魔法の発動だと気づいた時には全てが終わっていた。
「高々数百年しか生きられぬ小童に一つ教授してやろう」
グラニードは気づかない……いや、果たして誰が想像出来たであろうか……たった一瞬で構築された魔法が上位悪魔ですら未知の大魔法であろうなどと。
「神が定めた領域は三界」
人間の領域たる地上界。
天使の領域である天界。
悪魔が巣食う地獄界。
「だが本来肉体と言う概念を持たぬ精神体である天使と悪魔は人間界には直接的な干渉が出来ない」
ゆえに天使は人の身に降臨し。
ゆえに悪魔は人の身に受肉する。
「人間は死後、善性を以て天に昇り、悪性をして地に堕とされる」
ゆえに天使とは人間の進化の形であり。
ゆえに悪魔とは人間の劣性の象徴である。
「それこそが神の真理、三界の法則……もし本当にそれが神の意志なれば呆れる程に馬鹿馬鹿しい……ゆえにこそ我が主は人の身で神の座を求めたのだ」
進化した人間が天使であろうとも。
劣化した人間が悪魔だとしても。
「未来とは今を生きる人間こそが創るモノ、悪魔も天使も人の世には無用の長物」
なればこそ三界の法則のその先に。
「異界門」
謳うが如く綴られたクロムウェルの独白。
その果てに魔法は発動する。
クロムウェルの背を背景に巨大な門が空間に現出する。
「天使も悪魔も地上界で肉体を失えば精神体である本体はそれぞれの世界に戻るだけ……だがこれでは幾ら追い出したとてきりが無い……ゆえにこそ我が主はお前たちの為に新たな世界を用意した」
ただ短くクロムウェルは告げる。
開門、と。
「繋がりし第四世界は虚無の地にして辺獄」
グラニードは動けない。
開かれた門から蠢き、這いずり出でる亡者と呼ぶべき異形のモノに。
それは天使のなれの果て。
それは悪魔のなれの果て。
それは人間のなれの果て。
「虚無に堕ちし魂は輪廻を外れやがて無へと帰す」
種族も問わず平等に。
千……いや、何万もの亡者の群れがグラニードへと群がっていく。グラニードは悪魔の尊厳すらもかなぐり捨てて有らん限りの力でスキルで魔法で抗うが数が違い過ぎた。続々と門を介して現出する亡者は祭壇の間を埋め尽くしていく。
「辺獄とは人の世に伝わる伝承で煉獄の地を現す言葉……ゆえに我が主……いや、我は煉獄の魔女であるのだよ」
長き時間……いや、もしかしたらそれは一瞬の出来事であったのかも知れない。亡者の群れに取り付かれ抵抗すら諦めかの様に動かなくなったグラニードを亡者たちが門の内側へと引き摺っていく。亡者に引き摺られ、門へと姿を消したグラニードの姿を確認したクロムウェルはただ一言、閉門とだけ告げる。
瞬間、祭壇の間を埋め尽くしていた亡者の群れは門の内側へと吸い込まれ……閉ざされた門は音も無く空間から消失する。
残されたのは熔けた黄金の塊と祭壇の残骸。
そして生者はクロムウェルただ一人。
「すまぬなリディア……ただの魔道具でしかない我では其方の望みを本当の意味で叶えてやる事は適わぬかも知れぬ……許せ」
自分は道具であるゆえに真に人の気持ちは分からない。
それが我が存在し主が消えた理由であり、同じ理由で悲しき定めに散った少女に対してこの小さな復讐が僅かにでも報いとなったのかがクロムウェルには分からなかった。
「消えるべきはリディアでは無く我であれば良かったのであろうな」
そんな小さな独白が祭壇の間に僅かに響き……消えた。