愚者たちの終曲《フィナーレ》
アリステイア大坑道~地下第一層~
複数の足音が通路に木霊しては石壁に吸い込まれ消えていく。息を切らし、呼吸を乱して何かに追われる様に必死に通路を走る……いや、逃走する盗賊たちの姿は、まるで肉食の獣に襲われた野兎の如く様相を呈していた。
湿気と血臭を帯びた不快な空気に、人間と獣の唸りが響き合う。
ぐぎぎっ。
ぐるるっ。
明らかに人間とは異なる無数の息遣いが、気配が、確実に盗賊たちの背後へと迫り……だが振り返りそれを確認しようとする者は、余裕のある者は、誰一人居ない。
最後尾を走る盗賊がまた一人、小鬼たちに取り付けれ、体勢を崩したその喉元に犬鬼たちの犬歯が突き立てられ引き裂かれる。
かひゅううっ、と風船から空気が漏れるかの様な、か細い音を喉から立てて通路に崩れる哀れな仲間の末路をその背にしながら、前を走る彼らの足は止まらない。助けるには遅過ぎた、抗うには遅過ぎた、それを盗賊たちは知っていたからだ……直ぐ後ろまで迫り来る化け物たちの群れがもう手に終えない数にまで膨れ上がってしまっている事に。
「荷物を捨てろ、追い着かれるぞ!!」
先頭の男は叫び、自らも腰紐を外して結ばれていた革袋を捨てる。
男に倣って他の盗賊たちも次々に手にした戦利品を手放していく。床に落ちた衝撃で革袋の口紐が解け、勢い良く鉱石や金銀銅貨が床に撒き散らされる。次々と捨てられていく革袋の数から見ても総じて金貨数十枚にはなろうかと言う財貨も、今の盗賊たちには己の命と言う対価を前に、それらはただの石ころと変わらかった。
「で……出口……いや、入り口はどっちだよ!!」
「知るか!! 俺に聞くな!!」
地下通路は複雑に入り組んでいる上に広大で……変化の乏しい光景は只でさえ迷い易い構造となっていた。ゆえに逃走劇を繰り広げている今の彼らが道を見失い、方向感覚を見失っていたとて、それを責めるのはやや酷な話。ただ一点のみ救いがあるとすれば、地上部とは事なり一定の間隔で壁に備え付けられた壁灯が通路全体を照らし出し、その視界が確保されていた事であろうか。
炎の如く強弱も揺らめきすらも無い壁灯の輝きは、その光源を魔力に依って維持されているゆえに、冷たく静かに周囲を照らし出している。
「どこまで追って来るんだよ、あの化け物どもは!!」
刹那、ひゅん、と風切り音を響かせて、男の耳朶を震わせ抜けるソレが、並走する半狂乱に陥った仲間の顔面を石榴の様に圧し潰し……背後とは異なる方角から、進行方向から放たれた『小型投石機』の一撃に、男は地下迷宮での原則をやっと理解する。
「左だ……左手の通路だ!!」
前方の分岐路から姿を見せた新たな小鬼の群れを前にして、男は後に続く仲間たちに回避すべき順路を叫び知らせながら、逃げ込む様に自らの進路を変える。必死に生き残ろうと足掻く男はそれゆえに後悔していた。
物語に登場する空想上の化け物……魔物たち。
それら存在に対して動揺と恐怖さえ制御し抑え込めれば、単体としては然したる驚異とは成り得ない。個々の戦闘能力は低く、逆に戦闘に長けた盗賊たちにとっては商隊の護衛に雇われた傭兵たちを相手にするよりも遥かに容易く始末がつく雑魚に過ぎない。寧ろ、一般的な道徳観や倫理観が希薄な盗賊たちの方が魔物の存在に対する順応性は高く、殺した後に鉱石を残す魔物は直ぐに畏怖すべき存在から魅力的な獲物へと変化を遂げていたと言っても良い。
「お……おい?」
一心不乱に走り抜け、やがて周囲の変化に気づいた男が、その違和感に抗いきれずにゆっくりと振り返ったその視界には、背後から続いていた筈の仲間たちの気配も姿も其処には無く、広大な地下迷路に取り残された男の足は……やがて止まる。
間違っていたのだ……誤っていたのだ。
魔物から、小部屋の宝箱から、容易く得られる財貨を目に、浮かれ魅了され、知らず深く進み過ぎていた不用意さと油断。効率良く回収しようと二手に別れてしまった慢心と驕り。不用意に進めば進むほど、魔物と遭遇する頻度は増えていき、群れ単体の索敵範囲も広く正確なものとなっていく……その仕組みすら深く理解しようともせずに。
その迷宮の原則に気づくのが余りにも遅過ぎた。魔物が魔物を呼び寄せ、その数を増殖させていく……それに対処仕切れず逃げ出した時『死の連鎖』は始まるのだ。
魔物に追われ逃げた先で新たな魔物と遭遇し、その魔物たちがまた新たな魔物の群れを呼び寄せる。結果、最も排除対象に近い群れの追跡限界範囲が群れ全体に共有される事で、何処までも対象を追跡する事が可能となり、その数を無尽蔵に増やしていくのだろう。それらは只の推測の域を出ぬモノではあったが、今の惨状を前にして男はそれを確信していた。
瞬間、そんな男の前に、前方の通路から何かが転がって来る。
「とう……頭目?」
男の視界には、その構造ゆえに変化の無い通路の光景が変わらず映り……だが先の分岐路から姿を見せた頭目の、ヘクターの姿に、呆然と男は声を掛ける。
だがヘクターからの返事は無い。恨めしげな眼差しを男に向けるヘクターが、しかし返事を返せぬのは当然で、それに本人とて甚だ不本意な合流であっただろう、引き千切られ無惨な生首となって部下の前に投げ捨てられる……そんな哀れな再会は。
男の視界の隅にヘクターの頭部をもぎ取った元凶であろう、巨大な手が分岐路の壁から姿を見せ、続けて頭部が、そして上半身、下半身と見上げる程の巨体を男の前へと晒す。
その魔物の存在を男は知っている。子供の頃に良く読んだ英雄たちの物語に登場する魔物の姿は、今尚忘れ得ぬ過去の記憶の内に懐かしき思い出と共に根付いていたゆえに。生じる畏怖と恐怖に知らず男は現れたソレから後退るが……背後から迫る無数の気配に、獣の如き息遣いを感じた男は進むべき道も、戻るべき退路も失った事を悟り、後はもう放心した様に目の前の巨体を見つめる事しか出来なくなっていた。
巨体の手が、『大鬼』の手が、男の視界を埋め尽くし、最後の刻を悟った男は激情に任せて叫んでいた。
「何が新世界だ……此処は」
ぐしゃり、とその身体を握り潰され、圧死に至る激痛は一瞬で、男の意識は即座に暗転する。
「地獄だ」
それが瞬時にただの肉塊へと変わり果てた男の、盗賊団の最後の生き残りが残した末路の言葉であった。




